『それはつまり恋ゆえに』1
例えば、それはとても無意味な思考なんだろうけど、
「華黒は何でモテるんだろうね?」
僕はそんなことを考えていた。
教室。
僕の隣、統夜の席に勝手に座ってパックジュースを飲んでいる妹がキョトンとして首をかしげた。
「何をいきなり?」
漆を塗ったかのように深い黒色のロングストレート、アイボリーのように薄い肌、それらを損なわない丁寧なつくりの顔立ち。
僕の妹である華黒は、つまり美人さんなのだった。
「や、特に意味のある議題じゃないんだけどさ。なんとなく……」
「あまり本人の前でする話ではないような気がしますけど」
「あれ? 華黒はこの手の話題は苦手だったっけ?」
「他人はともあれ自分が対象であれば、それなりには……」
「ふーん、まぁいいや。それで話を続けるけどさ……」
「続けるんですね……」
「何をもって他人は華黒を求めるんだろう?」
「私に聞かれましても……」
困ったように片眉を歪める華黒。
「たしかに華黒は美人だよ。古今東西例外なく美人というのはそれだけで価値がある」
「……想い人に言われると照れますね」
一人前に華黒が赤面する。
可愛い可愛い。
「で、例えばさ。華黒が今持っているジュースの飲みくさしを千円で売るって言ったら多分誰かが買うと思うんだよね。すると百円で買ったジュースが千円で売れるわけだから、華黒という記号によって九百円の付加価値がついたことになるわけだ」
「価値って……金銭のことですか……」
「いや、これはあくまで例えだよ? 流動的でなく抽象的でもない堅実な価値の例として金銭を出しただけであって、別に華黒が金になると言ってるわけじゃない」
言ってなくても言ったも同然、というつっこみは無しの方向で。
「実際のところ華黒じゃなくてもいいんだけどさ。惹かれるってどういうことなのかなって思って。もし男が全て美人に惹かれるならミロのヴィーナスは日本男児たちの間で話題沸騰のはずなんだ」
「また無益なことを考えていますね」
暇だからね。
「全ての人が同じものに惹かれるわけじゃないのは僕もわかってる」
「多様性の問題ですね」
「でもさ、何かしら美しさや魅力の観念に一定の共通性がなければ美しさなんて言葉は成立しえないわけで」
「それは確かに」
「とするとさ。皆々似たようなものに惹かれながらも、その因子が一定してないわけだ」
「離散的なグラフにしてみると面白そうですね」
「ああ、いいかも。で、そんなことを考えてるとさ。この学校の皆々は何を持って華黒を求めるのかな、とかね」
「単純に容姿だと思いますけど」
「いや、まぁ、そうなんだけどさ。でも華黒も他の女子も目と鼻と口があることに変わりはないじゃないか。つまり似た素材を使っていながら、その微妙なパーツの差異や位置や非対称性が顔の優劣をつけられるっていうのもなんだかなぁってお話」
「…………」
「自分の恋人が世界で一番優れていると思っている人はともかくとしてさ、そうでない人達による恋愛はもしかしてひどい欺瞞なのかも、とか……」
「極論はしばしば現実を蔑ろにしますよ」
「わかってる。少し言い過ぎたよ」
僕は肩をすくめた。
「世の中自分の理想の究極を果たせる人間が極端に少ないってことなんだろうね」
「私はあくまでこの学校の中で囃し立てられているだけですし」
井の中の蛙、大海を知らず、されど井戸の浅さを知る……なんちゃって。
「ま、誰しもが目の届く範囲に手を伸ばすということで」
……そこに手が届くかは別として。
*
そして放課後。
僕は何故か拉致られていた。
厳密には「拉致る」などという言葉は存在しないため、僕は何故か拉致されていた、という方が正しいのだけど、そんな細かいことはどうでもいい。
パイプと木材でできた学校支給のお手本のような椅子に座らされ、腕は背もたれの後ろで拘束。その腕と背もたれと、それから胴をまるごとロープでぐるぐるに縛られ、あまつさえ両足首も何かしらの布で固定されている。
ここまできたら猿ぐつわも、となるはずなのだけど生憎そんなことはなかった。
「それで、ええと……」
場所は部室棟の一室。
数人がかりで押さえ込まれえっほえっほとここまで運ばれるというドタバタがあったため、何の部活の部室かまでは確認していない。
「何の真似かな、これは」
僕は誘拐犯たる目の前の三人の男子に問いかけた。
良く言えば“ふくよか”な奴と、良く言えば“スリム”な奴と、良く言えば“秀才のよう”な奴が一斉に僕を見る。
ちょっと恐い。
「まさか校内で誘拐に会うとは思わなかったけど……僕をどうしたいの?」
「それについてだが百墨真白君、君の身柄を一時的に拘束させてもらうのであーる」
悪く言えばオタクそうな奴がそう言う。
名前がわからないので暫定的にメガネと呼ばせてもらおう。
「い、今、姫は一つの試練に立ち向かっているだ」
悪く言えば貧弱そうな奴がそう言う。
名前がわからないので暫定的にガリと呼ばせてもらおう。
「君にその邪魔をしてもらいたくないんだな」
悪く言えば太っている奴がそう言う。
名前がわからないので暫定的にデーブと呼ばせてもらおう。
「ええと、あんまり答えになってないんだけど……その姫、だっけ? その人と僕になんの関係が?」
「たわけないでもらいたいのであーる。姫は君の妹君であーるぞ」
そんなメガネの言。
「妹……?」
ああ、なるほど……。
「つまり君たちは……」
「そ、その通りだ!」
ガリが一つ大きく頷く。
「「「我ら百墨華黒隠密親衛隊!」」」
ババーンなどという擬態語が入って、なおかつ赤青黄に着色された火薬がバックで爆発しそうなポーズをきめる三人。
ノリが昔の特撮だ。
「華黒のファンクラブ、ね……そういえばそんな設定があったような……」
「「「設定とかいうな!」」」
抗議を受けた。
「我らは密やかに華黒姫を愛し、支え、守る、いわば影の存在であーる」
キザったらしくメガネがいうものの、
「それってつまりストーカーの類だよね?」
「ストーカーじゃないんだな! 愛なんだな!」
「いや、密やかにとか言ってる時点でもうね……。君らの存在を華黒は知っているの?」
「し、知られてないだ……」
「でがしょ? つまりコソコソやってる日陰者の集団なんだよね」
「隊員数、三十余名……」
メガネがボソリとつぶやいた。
「…………」
思わず沈黙。
「これでもまだ君は我らを蔑ろにするのであーるか?」
「…………」
えーと……。
「三十余名? 嘘でしょ?」
「本当なんだな」
デーブが鼻息を鳴らす。
「な、なんだったら名簿もあるだ」
そういってガリが部室の隅のテーブルにおいてある分厚い書類を指差した。
……えーと。
「三十余名って……校内最大規模じゃないかな?」
「姫の魅力を鑑みればこれは当然のことであーる」
メガネがメガネを中指で押し上げて、不敵に笑う。
「美人、聡明、学力も申し分ないうえに運動能力も高く、家庭科も美術も好成績でありながら、それをひけらかす事をしない奥ゆかしさ。友達にも慕われ、男子の人気も高いが、今だ誰ともお付き合いをしたことがない。これで人気が出ないなら嘘なんだな」
聡明……奥ゆかしさ……君らはいったい誰の事を言ってるのかな?
「そんな彼女の魅力のおかげで我が隊の勢力は酒奉寺昴ファンクラブとサッカー部についで三番目の規模を誇るのであーる」
「あ、昴先輩の方が上なんだ」
「あそこは男子だけでなく女子まで入会しているから……」
「……あー」
わかる気がする。
男子にだけ人気の華黒と男女問わず惹きこむ昴先輩とじゃ単純に二倍差が出るという寸法だ。
ともあれ、
「つまり僕の妹のストーカー候補が三十人くらいいるわけだ」
「だ、だからストーカーじゃないだ! お、隠密親衛隊だ!」
「ちなみに活動内容は?」
「その日の姫の行動記録概要。隠し撮り写真集の創刊。姫への愛を叫ぶポエム募集などであーる」
「そこまでやっといてストーカーじゃないと言い張るのは逆に清々しいね」
こんなのが後三十人くらいいるかと思えば頭痛がする。
「それで? その陰湿ジメジメ隊が……」
「「「隠密親衛隊!」」」
「失敬……で? その隠密親衛隊がなんで僕を誘拐するのさ」
「それについては説明したのであーる」
「い、今、姫は一つの試練に立ち向かっているだ」
「君にその邪魔をしてもらいたくないんだな」
「試練って何?」
「告白であーる」
…………。
「…………」
「我々の調べによると貴殿こと百墨真白は、今まで男子から姫への愛の告白の場をことごとく乱しているとの報告が入っているのであーる」
冤罪だー。
「だ、だから姫への告白イベントが終わるまでここで拘束させてもらうだ」
「はあ……なるほど……」
たしかに表向き僕は華黒を男どもから庇っているシスコンだと思われている。
つまり、その対策なわけだ。
一対一で華黒にちゃんと告白ができるように。