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超妹理論  作者: 揚羽常時
カルネアデスロマンス編
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お正月カプリッチオ3


 正月二日目。


 暖房全開かつコタツで下半身を暖めながら僕はジュブナイルを読んでいた。


 昨日古本屋で買ったやつね。


 日本刀を持った少女が大立ち回りする話だ。


 殺人鬼という言葉が出る。


 人を殺す鬼。


 けれども僕は鬼と云うものを見たことが無い。


 となれば殺人鬼はファンタジーの存在と言っていいだろう。


 人はあらゆる理由で死ぬ。


 夏にスズメバチに二度刺されてアナフィラキシーショックを起こしたり、冬にインフルエンザが肺炎に悪化したり。


 人が人を殺すことを特別視するテーマはそりゃ色んな小説に載っているけど正直なところ僕としては人が死ぬことと人に殺されることは別問題……というより後者は前者の小さな一点でしかなかろうと思っていたりして。


 誰だって死ぬ。


 病気。


 怪我。


 障害。


 災害。


 エトセトラエトセトラ。


 では殺人と人死の違いは?


「裁判にかけられるかどうかでしょう」


 華黒は梅こぶ茶を飲みながら僕の疑問にそう答えた。


 ある種正解。


 地震が起きて人が何千人死のうと大地を逮捕なんてできないわけで。


 台風が起きて親が死んだからとて雲を起訴することはできないわけで。


 裁判……つまるところ責任の在処がこの際の分かれ目だ。


 究極的に言えば人は命と云うものを神聖視していない。


 人が神聖視しているのは人だ。


 もうちょっと正確に言うならば偶像だ。


 三秒に一人が死んでいくこの地球で人の死に心を痛めるのならば人類はすべからく漏れなく精神病で死んでいる。


 あるいは涙が止まらず水分欠乏に陥っている。


 実際僕も数えるのも馬鹿らしいほど朝のニュースで殺人の報道を目にしたことがあるけど涙を流したことは一度足りとてない。


 何故か?


 僕が薄情な人間だから。


 ある意味ではそうだ。


 だけどしょうがないだろう。


 テレビ越しの人死に慟哭していたら生きてなぞいけない。


 つまり僕にとって人死……つまり人命に価値は無い。


 価値があるのは人命ではなく大切な人の不幸だ。


 華黒が死ねばおそらく僕は壊れてしまうだろう。


 僕が死ねばおそらく華黒は壊れてしまうだろう。


 心を預けている人間の究極的な不幸即ち死が大切なのであって人命が大切なわけではない。


 地球の裏側で万人が死のうとコタツの暖かさに敵わず、華黒が怪我をすればコタツの中でも心は凍えるだろう。


 結論。


 命に価値は無い。


 命は皆平等だというのなら発言者はウィルスの定義にどう答えるのか?


 興味は尽きないけど無駄だから実際にそんなことはしない。


 そもそも死とは生物の持つ『能力』の一つだ。


 道に転がっている石は死なない。


 僕が今飲んでいる梅こぶ茶も死ぬことはない。


 無機物は死を持たない。


 有機物……その中でも生命だけが死ぬ権利を持つ。


 こういうと誤解が生まれる。


 何事にも例外はある。


 少なくとも死という能力を持たない生命も存在する。


 そしてそれ故に。


 その発見故に。


 生命の死は生まれつき組み込まれた能力なのだと科学者たちは理解したのだから。


 例えばベニクラゲ辺りが有名だろうか?


 不死の存在。


 正確には再生と云った方が正しいのかもしれないけど。


 それは不死鳥を想起させる。


 時至らばシナモンによる巣を造り、その身を燃やして灰となり、幼鳥として再生し、また再生の期間までの生を謳歌する。


 時間による劣化をサイクルの一環として取り込み生き続ける生命。


 別種の不死もある。


 酵母がソレに当たる。


 古き生命。


 栄養さえ与えれば決して劣化しない条件付きの不死性。


 つまり死とは生命の能力であり特権でもある。


 何ゆえ生命が死を持つにいたったかは非才の身にはわからないけど、人間原理に沿うならばロマンスの産物なのかもしれない。


 あるいは自然の流転において生命に限界を与えなば自滅するから……とか?


 閑話休題。


 で、ある以上やっぱり人の死は感傷でしかないわけで。


 殺人と云うのは人の持つ結末の一端でしかない。


 社会的殺戮は何も人間に限った話じゃないしね。


 それに科学が進んで死者を復活させうる手段が発明されれば殺人は無意味と成り下がる。


 これは、そんな時代が来るんじゃないかと云う僕の楽観論だけど。


 そもそも死の絶対性を僕は信仰していない。


 不可逆とさえ思っていない。


 人の死は化学反応の停止でしかなくて、そを克服する手段が現時点の人類には有り得ないから人命が尊重されているだけだ。


 要するにやり直しの能力を『まだ』持っていないだけだね。


 で、ある以上、医学や科学が進歩して死者を万全の状態に戻せる技術が見つかれば人類はきっと死を克服できる。


 宗教的には有り得ない思想だろうけど。


 とはいえ、


「憂世は苦界だ。死して極楽に行きたければ以下略」


 という思想には賛同しかねる。


 生きて幸福にならねば嘘だ。


 それでこそ人命は初めて輝く。


 もっとも……それを気にするのもまた同じ人間でしか有り得ないっていうのも皮肉だけどね。


 人が死ぬことに意味は無い。


 けど死を恐れることには意味があるはずだ。


 世界平和の第一歩。


 ……なんちゃって。


 僕が言えるタチじゃないのは重々承知しているのさ。


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[良い点] 面白い 妹がかわいい [一言] 連載?頑張ってください
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