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第四章・薬


   1


 孫権は犯人をかばっているわけでもなくて……ただ教えてくれない。

 自分でつきとめろと。


 真実を知れば病死の理由に納得がいく?


(どうして?)


 胸の凝りがさらに固く、そして苦く突っかかる。

 叫んで、暴れてしまえばこの凝りは融けるだろうか?

 それはただの八つ当たりだ、でも!


「ああくそ! 真相に近づいたのに!」

 ダンッ、と怒りの拳を柱にぶつけ、さらに固い拳を作る。

「子英、」

 孫登に心配げに見つめられて気まずくなり前髪をつかんで視線をそらす。

「……、ごめん、」

「すこし休んだ方がいいんじゃないか? 顔色が悪いよ」

 周瑾の手をやんわりと包んで開かせる。

 強く握りしめていたため指がこわばって、開いた掌は爪が刺さり血が滲んでいた。

 それは悔しく不甲斐なく……自分が許せないあかし

「痛くない?」

 孫登は傷ついた手を手巾で巻く。

「痛いのは心だ……」

「子英」

「……ごめん。僕、僕は子高に近づけば孫権に逢えると思っていたんだ。

 僕は庶子だし、周瑜の息子といっても信じてはくれそうにはないし、孫権は雲の上の人だもの。『なら孫登なら?』って考えたことはあったよ。

 でも、あの日、偶然であって、義兄弟になって……。……あは、でも本当に利用して義兄弟なんていえないよぁ。僕のことキライになっただろ? 許してくれとは言わない。

 もし、いやなら縁を切ってくれてもかまわない、もう子高の前に現れないから」

 朗らかに笑いたいのに、口元が強ばって自嘲気味な笑いになってしまう。そして涙があふれる。

 孫登はゆるく首を横にふった。

「そんなこと気にしてない。君との出逢いは運命だから。君も同じ気持ちでいてくれてもうれしかった」

「え?」


「君は父上にいったじゃないか、

『魂の半身』だと。私もそうおもっている」

 傷ついた周瑾の手を優しく孫登は包み微笑む。


(子高……)


 心が救われた気持ちになって目を閉じ、重ねた手を額にのせた。

「……やさしいね。だから一緒にいて安らぐのかも、うちにいても息苦しいだけだったから。兄上たちは僕に父の代わりを押しつけるきらいがあったから……子高は僕が好き?」

「ああ、好きだよ」

「僕自身を?」

「もちろん。自分をしっかりと持っている君が素敵だと思う、羨ましく思うよ」

「子高……」

『お前がいないといって母上が大変だったんだ』


 私じゃなくて父さまがいないといって騒いだのでしょ?


『……。』


 やっぱり。


『……薔妹じゃなきゃ父上の代わりはできない』


 私は周薔よ、周瑜とうさまじゃない…。


 ちゃんと、私をみてほしい。


 代わりでなく。


『自分をしっかり持っている君が素敵だ』


 とても嬉しい言葉だけれど、でも。


 周瑾は架空の人物だ、周薔じゃない。


 周瑾は孫登の瞳を見つめる。

 その瞳に映っているのは周薔でなく。


 周瑾ニセモノでしかないに決まっている。


 じゃあ、周薔はだれが受けとめてくれるのだろう?


 そうだ、この凝り。

 犯人がわからないもどかしさ、真実を知りたいという気持ち以外はすべて母の思念。


 犯人を殺してやりたい、怨んで、周瑜を愛している……これは、母の気持ち。


 やはり私は、だれかの代かわりにしかなれないのかもしれない。

「疲れた……」

 そうつぶやいて周瑾は孫登の胸にもたれた。張りつめていた糸が切れてドッと疲れが押しかかったみたいだ。


 まだ犯人はわからない。


 そして不安も渦巻く。

 周薔を見てくれる者などいないなら、このまま周瑾になってもいいかもしれない。

 とりとめのない感情モノが重石になって瞼を重くさせる。

「少し、休むといいよ」

「うん……」

 孫登が抱きとめてくれる。すこし安心して周瑾は眠りに揺蕩たゆたう。


  ☆


「華奢だな……」

 すっぽりと腕の中に収まる周瑾。

 平均の男子と比べれば背も低くて。


 少女のようにみえるが剣技の腕はたしかで、どんな人物の前でも屈しない、強い少年。

 しかしこうやって目を閉じて眠っているとあの周薔をこの腕の中に抱いていると錯覚してしまう。


 ……っ、何考えているんだ、私はっ、


(子英は男だぞ)

「……さま、」

 突然、周瑾に胸の衣を掴まれドキッとし、恐る恐る顔を覗く。

「……私をみてほしい、父さまじゃなくて、私を」

 私を…、そう呟いて周瑾は涙を浮かべた。


 孫登はその涙を指でやさしくぬぐって周瑾をギュッと抱きしめた。

 抱きしめずにはいられなかった。


 愛しく、そして悲しい存在を。


 本当に私たちは似ている。

 愛しの母は愛する者しか見ない。

『母』でなく『女』であることを望んで愛する者の面影を息子に重ね、愛しつづける。




 自分を見て欲しい……。




 子として愛して欲しい。




 周瑾はもしかしたら一度も母の愛を感じたことがないのかもしれない。

 求めているのにかえってくることのない愛。

 そう思うとさらに切ない。



   ☆


「おお、張公。まっていたぞ」


 孫登たちが退室した少し後、張昭は孫権の元におとずれたが、その顔は暗い。

孫権はそれをあえて指摘しなかった。


「さきほど、周瑜の庶子……たしか周瑾がたずねてきたと存じますが」

「相変わらず情報がはやいな。それにしてもおかしなものだ。容貌は似ているのに性格が違う……いや似ているのかもしれない」

 く、く…と笑って、遠き過去むかしを思い出す。


 まだ『東呉』という国がなかった群雄割拠の時代。


 孫家はその一つにも見なされなかったが孫策の元に周瑜が馳せ参じ、時代が廻りはじめた。

 二人は幼なじみで『金断の仲(無二の親友)』

 無敵だと、そして可能性が無数の綺羅星の如く瞬き目の前に開けていた。

 ふと、兄・孫策と周瑜のやりとりを思い出す。

 たしかに周瑜はその温雅な容貌と反してかなり苛烈な物言いをしていた。

 若い頃は。


『この戦に勝てるかどうか、うまくいくだろうか公瑾?』


 あまりに不安げな孫策に対して周瑜は深く頷いて強く言い放った。

『どうしても不安なら伯符は私のいうとおりに動いてくれるだけでいい。勝利はきっと君の手の中に入る、必ず』


 慇懃無礼で自信家、そして遠い未来まで思い描くことができた男。


 孫権は青い昊を見つめ呟く。


「兄が死んでから公瑾は変わった。なにも望まなくなった。そして生きているのも辛そうだった…あの戦が始まる前まで」


「……もう昔のこと。公瑾が望んでいたことは若き者たちに託されました」


「だが公瑾が生きていたら、こんなに時間はかからなかったはずだ。天下はすでに二分されていた」

「後悔はなにも生みますまい。未来をみることが重要だと存じあげます」

 孫権は怪訝に張昭をみやった。

「……そなたは懐かしむことはないのか?」


「この年になると未来さきに憂うことが多いのですよ」


 一気に老け哀愁をおびたおもて、けれど一瞬にしていつもの厳しい面に引き締める。

「話をもどしますが、周瑾は周瑜の死因を主公におたずねに参ったのではないのですか?」

「く、…私をかたきだとおもっていたらしい、……誤解はとけたが」


「では真実を告げたのですか?」


「いいや。告げていない。お前の方がうまいのではないか? わしが言いうより真実が伝わる」


 張昭は深くため息を吐き、シワだらけの掌をみつめた。もちろん手には何も持ってはいないが。重い。


「……もう潮時でしょうな…この秘密を守り通す意味はもう無いのかもしれません」

「あはは、子英の性格からして、お前に目測をつけて今夜あたり忍んでくるのではないか? わしの他にもっとも怪しいといったらそなたしかおらぬ」

 張昭は目を瞬いて苦笑した。


「忍んで、ですか。ならば間諜として登用したいですな」


「いいや、間諜よりもよい先がある……登の妃に置くことがなにより、わしの望む形となる」

「それは名案ですな」

 このとき初めて張昭は微笑んだ。

 二人とも周瑾が周瑜の庶子ではなく『周家の華』だとしっていた。


   2


「周瑜は益州に進軍するつもりだったけれど夢は叶わず殺された。当時、父を邪魔だと思っていた人物は沢山いたとおもうんだ。たとえば蜀漢や魏。曹操……劉備……あたりかな? ああ、当時益州を治めていた劉章かもしれない。うーん……こう考えると父上はかなりの恨みをかってるなぁ」


 頭が痛い、といいながらも候補をあげて、名を竹簡に連ねていく。

 当時のことは周瑾の年上の従兄弟の周竣に教えてもらっていた。

 周竣は周瑜のことを崇拝しており、そしてまた周瑜もこの甥のことを目にかけていた。

 容貌こそ平凡なものの、軍才は周瑜の息子たちより優れていた。

 けれど彼も周瑜の死因は病死だと認めていた。

 認めていた…と言うよりそう納得せざるえなかったのかもしれない。


「でも、部外者だけが犯人とは限らないよ。

 確か、曹操と一戦を交えようとしたとき、群臣は降伏派と開戦派で分かれていた。

 降伏派の筆頭は清流派出身、張昭だ。で、曹操が大軍で攻めてくるときいてほとんどの臣が降伏に意見が傾いていた。

 けれど周瑜の言によって開戦に決まった。先代の討逆将軍は今際に、内政を張昭、軍事を周瑜に頼んだ、ふたりとも立場の違いから対立をしていたし……ああ、そういえば、あの時も対立していたな」

「あの時って?」

「私を曹操に送るか否か議論がおこったとき、そう……そのとき私は初めて周瑜とであったんだ」

 孫登は周瑾を見て柔らかく微笑んだ。

「とても、美しく強かった。幼かった私の目にずっと焼き付いている。君に似ているけれど周瑜は体格がよくてね、低く艶のある声をしていた」

「悪かったね。華奢で声高くて、女みたいで」


 ふん、とそっぽをむくけれど孫登の声に憧れが含まれよく知らない父のことを語られるのは嫌じゃない。


(子高がもつ周瑜の印象は僕がもつ憧憬とにている。だから子高が語るとさらに形がつく)

 そう感じて周瑾は孫登の言葉に耳をかたむけた。父の記憶はないが『こういう人だったんじゃないか』という印象をやさしく与えてくれるから。

「話を戻すけど、曹操の人質要求に答えるか否かで議論が起こった。ほとんどの臣は私を曹操に送ることを主張した。曹操におもねることを。

 けれど父は一度、会議を中断して周瑜と私をつれてお祖母様に伺いをたて、その議論ことを報告した。

 その時まで周瑜はその件に関してなにも発言していなかったらしい。

 けれどお祖母様に周瑜自身の考えを問われ、彼は不敵な自分の考えを告げたんだ。


『その要求は無視すればいい。曹操は今、東呉に派兵する余裕はない。そして国賊に築いた国を売る気はさらさらない。だから御子を人質として差し上げることはない』



 穏やかだけれど強い言葉だった。

 双眸には冷ややかな光が宿っていた。


 ……そうあれを軍師の双眸というのだろうか?


 私は忘れることができない。

 その言葉に、父は従って曹操の要求を無視することを決めた。

 そうして周瑜のいうとおり、曹操は袁紹の一族掃討や朝廷の整理に追われて私の人質の件はうやむやになっていた。


 私は正直、曹操のもとに送られることを覚悟していた。

 けれど周瑜の言葉があって、いまの私がここにいる」

 孫登は腹部で手を強くにぎって、少し口をつくんだ。

 懐かしく、忘れることのできない。


 周瑜の声。



『君は幼いのに覚悟ができているんだね。泣かなくていい。どんなことがあっても私がまもってあげるから』


 

「それから、周瑜と張昭はことある事に対立した。けれどいずれにしても父は周瑜の言をとった。だからこそ張昭が恨み持っていてもおかしくはない、と思う……本当に推測にすぎないけれど」

「あの張昭が?」

 たしかに可能性はあるけれど、他人にも、そして自分にも厳しい目を持つ人のようにみえたけれど。

「確かめる必要がある…か。そうか! 彼は中枢の長、父上の死の真相を知らないはずはない!」

 周瑾は孫登の手をとって立ち上がった。

「まずは張昭に会う。ねっ、一緒に来てくれるよね。子高。子高がいてくれたほうが、僕は冷静でいられる。もし犯人だとしても僕の短慮をしっかり止めてくれるとおもうし」

「ふふ、ほんと君は、有言実行だね」

「それが僕という人間だよ」


(でも)

 

 この件がおわったら「周瑾」は子高のもとから消えないといけない……だから少しでも長くいたいんだ。

 ぎゅっと、無意識に強く手を握った。


 3


 夜分に訪ねてきた周瑾と孫登を張昭はこころよく出迎えた。

 どうやら彼は周瑾達がたずねてくることを見越していたようだった。

 案内された堂内は人払いされているらしく灯明に照らされる張昭の顔をじっとみつめ周瑾は、はやる鼓動を感じながら単刀直入に切り出した。


「あなたと父は意見が対立していた。

 ……子高を人質に曹操の元に送るか否かのときあなたは送るべきだと唱えたのに対して父・周瑜は無視すべきだと主張した。結果主公はあなたの言ではなく父の言をとり、そして烏林の戦いの時も…周瑜の言一つでくつ返され口惜しく思っていたのではないのですか?」


 張昭はクッと笑った。


「そんなことで公瑾を殺そうと、嫉妬に狂う狭量ではないわ」

「ちがうのですか?」


「見くびるでない!」


 ぴしゃりと放った怒声は堂内どうないを揺るがし、周瑾はビクッと肩を震わせ竦んだ。

「わしと公瑾は敬愛しあい、ともに天をとる夢をみていた。意見はたしかに対立はしたがどちらも孫家の未来をみての発言。

 わしは文官の立場から、公瑾は武官の立場から。用は主公に二者択一の選択をせまったのだ。だが公瑾の言は引きつけるものと根拠があった。そしてその先のことを見通しての言が多く、わしは目先のことしか考えなかったまで、一時的平和を、な」

「じゃあ…、あなたが父を殺したのではないのですね…」

 苦渋に満ちる周瑾の表情をみやって張昭は微笑する。

「なにを悔しがる。お主は真実をもとめにきたのだろう?」

「え?」

「ここまでたどり着いたのだ。真実を明かそう。そのために人払いをさせたのだから……近う。そなたに真実を〈渡す〉」


「真実を、〈渡す〉?」


 周瑾は訝しながら近づき、張昭は小さな包みを懐からとりだした。

「これは……薬?」

 張昭はこくりと頷いて薬を周瑾の手におとした。

「公瑾の死がにわかに信じられなかったわしは公瑾が死した地、巴丘に足を運んでこれを見つけたのだ。公瑾が盛られ続けた毒を」

「誰が、盛ったのですが?」

「……知っているはずだ。そなたは最後までずっと公瑾に付き添っていた女を…」

「!」


 ゆっくりと掌に落とされた薬が鉛のように重く感じた。

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