第三章・真相
1
雀の聲が耳をくすぐり、格子窓からさし込む優しい朝日がまぶたを白く灼く。
(…ん? もう朝ぁ? うう、お酒くさい……)
寝返りをうって「ん?」と疑問がよぎった。
重たいものが身体に覆いかぶさっていて……。
上掛け? でも上掛けにしては厚い感じが。
それに妙に心地よい重さに、まぶたがまだあけられない。
けれど耳のそばで寝息をきいて、つられて顔を傾ると朝日に照らされた孫登の寝顔が間近に。
(子高…)
え? ええ~!
「う、きゃああ~っ!」
叫んで、寝台から転がり壁にベタッと背を貼り着けた。
「な、な、な、なんで子高と一緒に寝てるんだ!」
昨夜はそばにあった袍を引っかけて横になったのに、目が覚めたら孫登としかも一緒に寝てるなんて! 一つの寝台で! 一体どういう事!
しかも抱き込まれる形で添い寝!
とりあえず服はきていて、何もされていないことに安心しながらもキッと孫登を睨む。
もしヘンなことになったら責任とってもらうからな~っ! せ、責任って…お妾さんはいやだ…って、何考えてるんだ私はっ!
周瑾は不埒な考えを追い払うおうとぽかぽか頭を叩いた。想像しただけでも恥ずかしいお年頃。
すっかりして混乱していると孫登がう~ん……? と唸って目を覚ました。
寝衣が乱れて、はだけた胸にさらにドキドキしながら、顔を真っ赤にして視線をそらす。
「おはよう」
「おはようじゃないっ! なんで一緒に寝てるんだっ 子高、僕に何かしたか!」
犬歯を見せて唸る周瑾に孫登は首を傾げた。
「何って、一緒に添い寝しただけだよ」
「ほ、ほんとうかって、添い寝も問題!」
孫登はあくびをかみ殺して、周瑾を不思議そうにみやった。
「いいじゃないか義兄弟なんだし。親しい人と一緒の寝台で寝ることなんてヘンじゃないだろう? 私は男色じゃないし、君の寝顔がきれいだからって男にヘンな気は起きないよ。ふ・わぁぁ、寝たりない……」
「あ、あたりまえだっ、ばか! でも何で勝手に!」
「ああ、夜中、ちょっと目をさましてね。そしたら君が寒そうに丸まってるから一緒に寝たほうが風邪を引かないと判断して。子英は軽いから運びやすかった」
「軽くてわるかったなっ、……って、そういうことを言ってんじゃなくて」
「それとも床のほうが良かったか? 翌朝身体のあちこちが痛くなるよ」
「……えっと」
周瑾は大きなため息を吐いて頭をかいた。
妙に話がかみあわない。
(この辺が循兄にそっくりなんだよなぁ…)
別の話を、とおもっていると孫登の方から話題を変えてくれた。
「そういえば、薔どのも庶子なのか? 君の寝顔を見て似ているとおもった。もしかして双子?」
「え? ええっと……ちがうよ、あいつは本家の姫君。でも僕と似てて。生まれた年は同じだから、……まあ双子みたいなもんだよ」
双子っていうか本人だけど。
「兄弟の中で僕は薔妹ととても仲が良いんだ。薔妹は大切な大切な妹で、……あ、昨日お前が薔妹のことばかり語るもんだから、僕の大切な妹をねらってるなぁ~! なんておもったりして、半分むかっ腹? だったなぁ」
あ、ははは…と笑ってごまかした。
2
すぐにあえると思っていた孫権は執務や軍議でいそがしくその間、周瑾は孫登から交流のある名士を紹介してもらった。
彼らといろいろと国のあり方、行く末などを語り合ったり意見の交換は楽しかった。
とくに、諸葛恪という青年はなかなか面白い感性と知己を含んでいた。
諸葛恪に対して冗談を言えば皮肉を込めた頓知で返ってくるというか。
周瑾があいさつしたとき、諸葛恪は興味深げに、周瑾の頭の天辺から爪先まで何度も何度もなめますように見つめ、唇を皮肉っぽくつり上げた。
「ふン、君があの周瑜の庶子か。実際、周瑜をこの目で見たことはないが、子高さまがとても似ているとおっしゃっていたから楽しみにしていた。……ふーん、なるほど、周瑜は女だったんだな」
「なにぃ!」
あきらかな的を射た皮肉に周瑾はその胸ぐらをつかもうと手を伸ばしたが、先に孫登に肩をつかまれて引き寄せられた。
「まだ少年だ。ここ二、三年すればきっと男らしくなるよ、ね、子英」
諸葛恪はふくみ笑う。
「そうならよろしいのですが…でもほしかったですな…女に生まれてくればきっと傾国の美女となりえただろうに。そうだ、こんど君に服を送ろう。鴇色の衫に浅葱の裳……似合いそうだ」
(こいつ、暗に僕が女じゃないか、って)
「なら僕もお前に馬具を贈るよ。その馬面にはよく似合うと思う」
「それはありがたい。頂いたら是非に我が父におくる。父は驢馬面なのでね、馬具を付ければさぞ立派にみえるだろう」
「じゃあ、親子分贈呈してやる。馬車を引くには双頭のほうが見栄えが良いだろうからな」
諸葛恪の表情がムッと歪んだ。
それを見た孫登以下名士達がぷっと吹き出し、どことなく張りつめていた空気がはじけた。
「いやはや、元遜(諸葛恪の字)どのを言で負かせるとは」
「子英どのは言がたくみでございますな、ということは周瑜も? その辺はどうなのですか子高さま?」
「似てるかもしれない…ふふ、ははは」
そういって爆笑の渦を巻き起こした。
周瑾は勝ち誇った気分になったけれど、殺気を感じてすぐに凍りつき、諸葛恪を振り返った。
やば……。
諸葛恪も笑ってはいたが、けれど異様に右頬が引きつっているのを周瑾は発見してしまった。
(あまり突っかからない方がよかったかもしれない……な、)
あは、と苦笑し、頬をかいて後悔したけれど、それは後の祭りだった。
☆
「星群、皓々輝いて、銀江瞬く…」
周瑾は下に蓮池が流れる欄干に腰をかけて夜空を見上げながら即興の詩を口ずさんでいた。
詩歌が好きで、でも書物に載っている詩よりも創作したもの。
だから韻とか無視して心のまま歌う事が好き。
ふと、夜空を見上げたら銀江が流れてきれいだったので、その感動をどう詩にしようかと口にして推敲していた。
たまにきいていた周胤に言わせれば「前衛的な詩だな」とのこと。
下手ではないが詩の基本を踏ず自由詞だからなのかもしれない。
(いいじゃん。気持ちよく歌えれば形式なんてどうだって)
と、いうのが周瑾の考え。
夜、孫登は名士を呼んで執務をこなすことが多いらしく、いまは諸葛恪をよび執務を行っていた。周瑾はあまり諸葛恪と関わりたくないし、孫登の邪魔をしてはいけないと室外に出て歌っていたのだ。
そういえば孫登の近くに妾や側女の影がない。
女嫌いってわけでもなさそうだけど、かといって龍陽でもないし……ま、そのほうが私の身は危なくなくていいんだけど……でも仮にも太子さまになる人がそんなことでいいのかな?
でももしかしたら、周瑾に遠慮して姿を見せないだけかもしれない。
「……はぁ、んなわけないよ」
自分の都合が良いことを考えていることに気づいて、大きくため息をつく。
まあ、別にいいんだけど。
……僕には関係ない。子高にとって僕は義弟なのだから。
そういえば、循兄はなにもいってこないな。
名士の中に兄の姿を見つけたけれど、にこにこ笑っているだけで「帰ってきなさい」といわなかった。
少しぐらい「なにもされてないか?」ぐらい言ってくれたって。
妹の身を少しは案じてくれてもいいんじゃないかと寂しく思う。
なんだって、独り身の孫登のところに男装しているとはいえずっといるのだし。
でもやっぱり、私を子高にあわせるために女装させたのかな……?
つらつらとりとめのないことを考えていると、ふ…と灯篭の光にきらめく池に目を奪われなんとなく見つめていると、背後で扉があき、ふりかえる。
そこには無表情の諸葛恪が立っていた。
なんか怖いんだけど?
悪寒を感じたが、あえて何でもない口調で話しかけた。
「なーんだ、元遜どのか。子高と話がおわった?」
「周 子英」
「ん?」
スッと手を差し出したと思ったら、掌をひるがえしトン…っ、と肩を押された。
(え?)
刹那の浮遊感。
視界に諸葛恪のにやりとした表情を捕らえ、灯篭の光が太く軌跡を曳く…流れ星の如く。
バシャンッ
しばらく何が起こった理解らなかった。水の冷たさで池に落とされたと知ってもしばらく呆然としてしまった。
なぜ、落とされなくちゃいけないのか?
その疑問が怒りにかわり、わき上がる。
落ち方が悪く背中から落ちてヒリヒリ痛いし、服はびしょぬれ。肌に張り付いて気持ち悪い。
「…ったく、何するんだよ諸葛恪!」
「おや、私はちょいと肩を叩いただけなのに、池に落ちるとは…案外弱い」
諸葛恪は含み笑い、灯篭を掲げてこちらを覗き、厳しく表情をあらためた。
「はやり、女か」
「え?」
周瑾はハッと自分の身体を見て舌打ちした。
服が張り付いて胸の、小さな膨らみがあらわになっていた。とっさに胸を隠したけれどもう遅い。
「ち、ちがうよ、これは病気なんだ!」
「ふ、滑稽な言い訳だな」
「~~~!」
「どうした、いま派手な音が……」
孫登が音におどろいて怪訝な様子で部屋から出てきた。
「ああ、子高さま大変です、子英どのが池におちてしまったのです」
「池に?」
周瑾はしゃがんで身体を隠し、光があたらない場所へ逃げる。
この姿を見られたくない。
「早くあがってきなさい、それともどこか」
「私もそう何度も申しているのにあがってこれず……どうやら足を挫いたらしいのです…」
心底心配そうに嘘をつく諸葛恪の言葉を信じて孫登は顔色を変え慌てた。
「なんだって! 待っていろ、今助けにいく行く」
「い、いいって、大丈夫っ!」
けれど孫登はきかず、泥に服が汚ごれるのもかまわず周瑾を抱きあげた。
(まずい!)
「子高、ありがとうたすかったよっ」
「わあっ、いきなり抱きつかないで、足が水草に取られるんだから」
先手必勝!
抱きつけば胸は隠れる。
こういっちゃ何だけど、自分はまだ女としては未発達。
胸も小さいし、剣を扱っているので少々腕は筋肉がついているし、肩幅は広いし、少年体型そのもの。
(………なんだか女としてむなしいけど。でもばれたら、どうしようっ!)
鼓動が激しく耳をうつ。
(まだばれたくない!)
「ふぅ…」
孫登はため息を吐くと周瑾の頭を優しく叩き自分の袍をさりげなくかけて抱きなおした。
「え?」
その予想もしなかった孫登の行動に周瑾は目を瞬いた。
孫登は騒ぎを駆けつけた侍従に二言三言命じ、やんちゃな弟をしかりつけるように、額をかるくこついた。
「まったく君はそそかしいのだから」
「……え~と…」
一瞬気後れしてしまったが、冷いなまなざしでこちらをみている諸葛恪に気づいて声を荒げゆびをさす。
「あ、危なっかしいのはあいつだよ! あいつ! 諸葛恪! 僕を突き落としたんだから!」
けれど諸葛恪は「心外だ」という風に眉を顰める。
「おや、人聞きの悪い。私は肩を軽くたたいただけですよ、ここにいては危ない、……と」
「しらじらしい!」
「しらじらしいのは、どちらかな?」
諸葛恪は周瑾の上着をはぎ取ろうと手を伸ばす、が。
先に孫登が諸葛恪の手を掴んだ。
「元遜、いい加減にしろ、このように人を陥れるのは卑怯だ」
低く唸る声に諸葛恪はハッと孫登をみやって青ざめる。
普段大人しく穏やかな孫登が本気で怒っている。
覇気と怒気。
爛々とした瞳が諸葛恪を射竦めた。
「……申し訳ございません」
「今後このようなことをするな、わかったな?」
「はい」
返事を聞いて怒りを解き、微笑む孫登をみやり、諸葛恪は何がおかしいのか口元に手をやりクツクツと笑った。
「まったく、あなたは恪より策士であられる。……そうですね、たしかにこのようなことで自分の価値を落とすのは不本意。子英どの」
「ん? なに?」
「汚してしまった衣服はあとで弁償して新しい物を送る。本当に済まなかった」
慇懃に諸葛恪は頭をさげた。
抑揚のない声音なので、いまいち反省しているのかどうかわからないが。
「まったくだよ」
ふん、と顔も見たくないと周瑾はわざと背けた。
汚れた服を脱ぎ捨てて、胸にきつく巻いていたさらしをほどいていく。
戒めるもののない素肌に湯をかけるその開放感は何ともいえない。
けれど衝立の向こうには孫登がいるのだし油断はしてはいけないと気を引き締める。
「ありがとう、お湯まで用意してくれて」
周瑾は衝立越しの孫登にお礼を言いながら布に湯を浸して身体を拭った。
孫登の苦笑が衝立の近くで聞こえてくる。
「それにしても、君の前ではヤツもずいぶんと子供になるんだな、あいつの皮肉に勝つものは少ないから、よほどくやしかったのだろう」
「こっちはめーわくだよ」
諸葛恪と別れたあと、別室に湯と新しい服を用意しくれて助かった。
とりあえず、孫登にはばれていないので安堵したけれど、あの諸葛恪が周瑾の正体をばらさないとも限らない。
そう想像するだけでとゾッとしない。
(あー…やっぱり、ヤツに関わったのが失敗だったぁ)
嫌なことを洗い流すようにごしごしと身体を強くこする。
それで気分が少しは晴れるようなきがしたが。
「お湯足りる?」
「!」
ひょこっと衝立から顔を覗かせた孫登におもいっきり濡れ巾をなげつけた。
顔に命中した孫登は派手にのけぞって転けた。
「のぞくな、ばかっ!」
「わ、いいじゃないか男同士なんだし」
「嫌なものはいやなんだっ!」
わめいて否定すると、孫登がため息を吐き衝立から離れる。
ドキドキする心臓を落ち着かせるため大きなため息をついた。
(こういうのを油断大敵っていうんだ)
3
着替えが済み、衝立からでると孫登は明日孫権が謁見を許してくれたことを告げた。
とたん、周瑾の顔が輝く。
「え、本当?」
「君が着替えているとき使者が来たんだ、明日時間をあけると、父上も君にあいたがっていたよ。きっと喜ぶ。あ…違うかな君は周瑜に似ているからおどろくかも」
「なら…大いにおどろかせてやるかな?」
脳裏ではあわてふためく孫権を思い浮かべた。
実際、あわてふためく、ということはないだろうけど、彼が父を殺した張本人だとしたら少しは動揺するはずだ。
やっとここまできた……真実を求められる場所に。
その思いが熱く胸をくすぶった。
翌日。
「う~ん、着慣れない」
周瑾は真新しい正装の袖をもって後ろ前、くるっとまわって変じゃないかたしかめた。
頭に小冠をいただき青を基調にした衣裳は活発な周瑾をすこし落ちつかせてみせるけれど少し寸法が大きく、着てるというより着せられている。
「似合うよ、とても」
孫登がすこしこまったように言うので、周瑾はがっくりと肩をおとした。
微妙だということか。
「いいよ…無理にほめなくて、でもこんなの着るの初めてだから、沓もなんか変な感じだし転けたりしないかな?」
爪先が反りあがった沓をとんとんと爪先でたたき不安げになる。
いつもは動きやすいように柔らかい革靴か、実家では布沓。この沓はなんだか窮屈で違和感がある。
「歩いているうちになれるよ、大丈夫。転けそうになったら支えてあげるから」
「そ、そんなことはないから! 変な心配しなくていいって、ん?」
周瑾は孫登が後ろ手に何かを隠しているのに気づいて訊ねた。
「なにをかくしてるの?」
「ああ、これは元遜が……ま、子英は気にしないでいい」
苦笑いして、そそくさと行李に隠そうとするのが怪しい。
「あいつが? 一体何を寄越したんだ? みせてよっ」
「見ない方が良いかも」
「そんなこといわれるときになるじゃん、」
「わあっ」
無理に奪い取って、行李を開けると女物の正装がしまわれていた。
鴇色の衫、鮮やかな浅葱の裳…おまけに萌葱色の紗被巾が。
「これって……もしかして僕に?」
ふと、諸葛恪の言葉が脳裏によぎった。
『そうだ、こんど君に服を送ろう。鴇色の衫に浅葱の裳——似合いそうだ』
『汚してしまった衣服はあとで弁償して新しい物を送る……本当に済まなかった』
ということは、この衣裳は……。
(諸葛恪!)
これをきて孫権の前に出ろって、ことか!
女だと言うことをばらせと!
そう言う意味合いを理解して、周瑾はきれた。
「陰険なっ! やっぱり今、しめてやる!」
「おちついて、子英っ!」
「なんか一発殴ってやらなきゃきがすまない~! ……って、うわ!」
裾を踏んづけてしまって前に転ける。
つま先立ちしても反りあがった沓では身体を支えられない。
目の前には壁が。
「危ない!」
孫登の悲鳴じみた声と同時に周瑾を抱きとめた。
そして、行李の中身をぶちまける派手な音が室内を支配した。
「大丈夫か?」
「…ん、うん」
気づくと孫登に抱きとめられる形で、倒れていた。
「ふふ、まったくは君は」
孫登は苦笑して拳を唇にあててわらう。
「な、なんだよ着慣れないだけじゃないか!」
「はは、だって言ってるそばから、だろう? アハハ…」
「でも、そ、そんなに笑うことないじゃなか!」
こんどは恥ずかしさのあまり顔を孫登の胸に埋める。
そういえばこないだもこけて同じように兄と孫登に支えてもらった。
それをきっかけになんで自分が足に絡みつく服装を好まなくなったのかを思い出す。
ようは、よく転けるからだ。
何にもないところで。
「今の音は一体! 大丈夫ですか子高さま!」
騒ぎをききつけた侍従が扉を開けたが一瞬後には固まらせてしまい、「しつれいしましたっ!」とバタンっ、と扉が閉った。
「え? ってああ!」
周瑾は孫登からとび降りる。
支えられている形ではなく孫登にだきついていたのだから。
ハタからみたら……。
「もしかして、男色だと間違われたりして……」
ポツリと孫登は指摘する。
「なんかいやだぁ! あーっ、あれもこれもそれも、諸葛恪の所為だ!」
「あはは、それって言いがかりだよ」
孫登もさすがに困った顔でなだめた。
なんとか溜飲を下げて孫権の元に向かう途中、二人は威風堂々たる老臣と出逢った。
胸元まで届く白髭が歩くたびに揺れる。
立派な小冠を頭にいただき、顔にいくつかのシミ、年輪のシワを深く刻む厳つい顔。そして、つと、真っ直ぐな瞳と白々と、けれど太い眉に視線がいってしまう。
いや、魅入られてしまう不思議な強さかある。
「あの人は……?」
「ああ、あれは張公だ。長年東呉につかえて国を支えてくれている父上の師傅」
「内政を張昭にって伯父上がたのんだ、あの人が、張公……か」
唯一、孫権が頭の上がらない人物だったけ、たしか。
張公というのは彼に敬意を込めてのものだ。
張昭、字が子布。
この東呉政権内で一番の年長者で七十を越えても背筋のびて堂々としている。そのためか実際の歳よりうんと若い。
「うーん…、でもなんかあの人、きっと若い人のやることなすことにいっちゃもんつけて嫌がられるかんじが……っんぐ!」
「黙って!」
孫登は慌てて周瑾の口をふさいだけれど、張昭の耳に届いたらしく、方向転換し白眉を怪訝にひそめて近づいてきた。
(地獄耳?)
とりあえず膝をつき、顔を伏せる。
「張公、お久しぶりです」
孫登は上の者に対する礼をとって朗らかに微笑み、張昭も同じく礼を返すが表情は厳しくじろり、と拝礼する周瑾をみやった。
「この者は? 」
「周瑜の庶子で、私の義弟です」
「……公瑾の庶子ですと?」
張昭は周瑾の顔を上げさせ、驚愕の表情を浮かべた。
口元がかすかに震えて…けれど、次に声を発したときには含みある笑いを交えていた。
一瞬にして驚愕を覆い隠して。
彼は鷹揚に頷き白髭を撫でつける。
「そうか、あの堅物にな……そなた名は?」
「周瑾、字を子英といいます。先年、子高さまと出逢い、義兄弟の契りを結びました」
「子英、か。子高さま、よき青年とであいましたな。こんどゆっくりそなたと話がしたい。いつでもたずねてきなさい」
「はい、ありがとうございます」
「良い返事だ」
もう一度拝礼し、密かに老臣が去るその背を見みとどけながら少し引っかかりを覚えた。
あの表情は一体なんだったんだろう?
その表情が頭からはなれなかった。
4
「そなたが、周瑾か」
周瑾は玉座の男をしっかりと見据えた。
国の信を置く男を。
先日はろくに顔も見られなかったが、威風を…他を従わせる魅力がある、そして、威圧するような厳も。
だが、この男が父を殺し、母を狂わせた張本人だと思うと憎しみが湧いて、すべての徳も悪徳に思えてくる。
「周瑾、字を子英と申します。今年十五になりました」
周瑾は朗と響く声で名を名乗った。
孫権は玉座から身体を起こし、周瑾の顔をあげさせじっくりと見つめる。
「たしかに公瑾の面差しが強い。しかし、公瑾はどんな感情も笑顔の裏に隠し通せる男だった」
殺気を含んだ周瑾の双眸を孫権は余裕でうけとめた。
「……よく、父を覚えていらっしゃいますね」
「義兄で、そして頼れる大切な臣だったから、忘れろという方が無理だ」
切なさが滲む孫権の口調。
それが周瑾の癇に障った。
(しらじらしい、父さまを殺しておいて!)
周瑾は押し殺した声で、単刀直入に訊ねた。
「……その大切な者を何故、主公は殺したのですか?」
「わしが公瑾を殺しただと?」
孫権は訝しげに眉をしかめた。
「はい。父は病死でなく、あなたに殺されたのです」
そのとき周瑾が望んでいた驚愕の表情を孫権は浮かべ絶句した。
「母は心の病におかされ、『夫君は主公に殺された』と『仇をとってくれ』と泣きすがるのです」
孫権は周瑾を捕らえようと動く近衛を手で制して、逆に問う。
「そなたはわしを仇だとおもって殺しにきたのか?」
「いいえ、ただ父の死の真相をお聞きしたく参上しました」
「わしに近づくために、登と義兄弟になったのか?」
「違います。彼とは本当に心通じると思ったからです。子高は私の魂の半身。けれど結果としては主公のおっしゃるとおり、庶子の私など主公に拝謁は叶わない、……ならば彼を利用することにしました」
「そうか」
孫権は周瑾の顎をすくい顔を深くのぞき込む。
真実を宿す双眸が周瑾を映す。
周瑾もその瞳から逃げない。
孫権は答えてくれる。
求めていた真実を。
孫権は厚い唇をすこし笑みに形どり、
「まず、はじめにいっておく。公瑾を殺したのはわしではない」
「え……?」
意外な答えをきいて目を瞬く周瑾に孫権は怪訝に言いった。
「なぜ、公瑾を殺す理由がわしにある? むしろ、ぜひとも益州攻略を心より望んでいた。
『瑜が漢土を平らげて見せましょう』
公瑾の強烈すぎる言葉にわしは身体が震えた。公瑾なら成せる、と、わしはそう思っていた」
その瞳は熱を帯び、周瑾に周瑜の面影を映し告白するが、その情熱はとたんに冷め声を押し殺した言葉に変わった。
「……だが、公瑾はこの世を去った。どんなにわしは悔い、どれだけ天を呪ったか……。しかも病ではなく、毒を盛られ続けて死んだのだから」
(やはり毒殺)
病死だと聞かされたけれど、本当のところ、どのように殺されたかは不明だった。
毒殺ならば病死だと押しつけることができる。
「公瑾の死と共にくわしい報告をうけてしった。公瑾が毒殺されたと知るものはごくわずかだ…。皆は先の戦の傷がもとで高熱が続きそれで死したのだと思いこんでいるが……しかし、わしが殺したのも同然、か。見殺しにしたのも」
瞳が後悔こうかいに飲まれるのをみた。
大切な者を亡くし、ずっと気に病んでいる目……。
それは母が浮かべる失望の双眸と同じ。
(孫権は犯人じゃない、)
でも、
犯人を知っている。後悔しながら、悔しいと思いながらその者を罰していない……なら孫権が必要としている人物が犯人ということじゃないか。
周瑾はぎゅっと拳を強く握って切実に孫権をみつめた。
「主公は、犯人を存じておられるのですね? お願いです。どうか教えて下さい、私は仇をとりたいのです!」
孫権には仇をうちに来たわけではない、と告げたのに、仇をとりたいとおもっている自分の本心におどろいた。
母の気を狂わせた者を、そして父の命を、夢を奪い去った者を殺したいという感情。
その情熱に突き動かされて今の周瑾がいる。
けれど孫権は首を横に振って仇の名を口にしない。
周瑾はキッと歯を食いしばり孫権を烈火の如くにらむ。
「主公は犯人をかばうのですか!! その者も大切な臣だから……」
「そういうわけではない。わしの口から真実をつげてもお前がいま以上に混乱するだけだとおもうのだ。それに最後まで自分の力でつきとめるがいい。真実を知れば、わしが彼の者をかばい病死という理由に収めなくてはいけないわけがわかる……それとも、すぐに知りたいのならば…」
「…っ!」
突然孫権は周瑾を抱き寄せ、耳朶に囁いた。
「男装の周姫……、いっそ我が後宮に入らば、真実を優しくささやいてやってもよいぞ?」
「ご、ご冗談を! じ、自分でつきとめます!」
あわてて押しのける周瑾に、孫権は快活にわらった。
「は、は、は。冗談だ。お前は私の子同然。いつでもわしを頼ってほしい。とにかくお前に逢えて嬉しかったぞ」
優しく周瑾の肩を叩いた。




