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月光のしおり  作者: 翠蓮草


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第九話

セレーネドーム内の公開裁判所は、かつて経験したことのない、深い緊張に包まれていた。


月光司令部の全市民が、その裁判の行方を注視していた。


グレゴリ・マルタン前総司令官に対する、公開裁判。


それは、単なる個人の責任追及ではなく、月光司令部全体の過去を問う、歴史的な裁判だったのだ。


グレゴリは、被告人席に座っていた。


かつての権力の象徴である彼の顔には、今、深い疲労と悔恨が刻まれていた。


裁判長を務めるのは、改革派によって選出された、公正で知識深い判事だ。


「グレゴリ・マルタン。あなたは、四十五年間、トレイター・プロジェクト及び改造人間プロジェクトに関する秘密を、月光司令部の市民に隠蔽していました。その行為について、どのように考えていますか」


グレゴリは、その質問に、ゆっくりと答えた。


「自分の判断は、月光司令部と人類全体のためだと信じていました。秘密を公開すれば、社会は混乱する。その混乱を避けるためには、秘密を守る必要があると考えていたのです」


「それは、市民たちに真実を知る権利がないという判断ですね」


「そうです」


グレゴリは、その事実を認めた。


「市民たちは、複雑な歴史的真実を理解する能力を持たないと考えていました。だから、指導層が、彼らのために判断し、管理する必要があったのです」


その答えに、法廷全体から、深い息が漏れた。


グレゴリは、自分の行為の本質を、まだ完全には理解していないのだ。


テレースが、傍聴席から立ち上がった。


「判事。証言者として、意見を述べさせていただきたいのですが」


判事は、テレースの申し出を認めた。


「テレース個体。どうぞ」


テレースは、被告人席の前に歩み出た。


彼女の存在そのものが、グレゴリの判断がいかに誤っていたかを、明確に示していた。


「グレゴリ・マルタン。あなたは、市民たちが複雑な真実を理解できないと考えていました」


テレースの声は、静かながらも、法廷全体に響き渡った。


「ですが、私は、四十五年間の眠りから目覚めてから、わずか数ヶ月で、複雑な真実を理解しました。そして、それに基づいて、月光司令部の改革に協力することを選択しました」


「市民たちも、同じです。秘密を知った時、彼らは最初、怒りを感じました。ですが、その怒りを通じて、彼らは、真実の重要性を理解しました。あなたが彼らに与えなかった選択肢を、彼らは自分自身で獲得したのです」


グレゴリの表情が、微かに変わった。


テレースの言葉が、彼の心に届いたのだろうか。


それとも、自分の判断がいかに誤っていたか、ようやく理解し始めたのか。


「市民たちの能力を信頼しなかったこと。秘密に基づいた支配を正当化したこと。その判断が、いかに根本的に間違っていたのか、あなたは理解していますか」


グレゴリは、長く沈黙した。


その沈黙の後、彼は、静かに答えた。


「理解しています。今、私は理解しています」


「だが、その理解に至るまでに、どれほどの時間を必要としたのか。どれほどの人々が、その秘密による被害を受けたのか。その責任を、あなたは、どのように取るつもりなのですか」


グレゴリは、その質問に、完全な答えを持たなかった。


その無言が、すべてを語っていた。


裁判は、数日間にわたって続いた。


複数の証人が、グレゴリの秘密による支配がもたらした、精神的、物質的な被害について、証言した。


月光司令部の市民たち。


地球の市民たち。


改造人間たち。


すべてが、グレゴリの判断による被害者だったのだ。


最終日、判事は、判決を下した。


「グレゴリ・マルタン。あなたは、市民たちの基本的な権利である『知る権利』を、侵害しました。その行為は、月光司令部の法律に基づいて、犯罪と認定されます」


「しかし、あなたが行った行為は、当時の月光司令部の組織文化の中では、正当だと考えられていた側面もあります。そのため、刑罰は、完全な自由の剥奪ではなく、社会復帰に向けた教育と労働サービスに限定されることとします」


「あなたは、今後、月光司令部の再構築に関わる教育プログラムに参加し、自分の判断がいかに誤っていたかを学ぶ必要があります。そして、その学習の過程を通じて、新しい月光司令部の市民として、再生することが求められます」


その判決は、完全な懲罰ではなく、教育と再生を主眼とするものだった。


それは、新しい月光司令部の司法制度の本質を示していたのだ。


復讐ではなく、再生。


破壊ではなく、再構築。


その原則に基づいて、新しい秩序が、築かれ始めていたのだ。


グレゴリは、判決を受け入れた。


彼の表情には、ようやく、真の悔恨が現れていた。


判事が、グレゴリに最後の言葉の機会を与えた。


「グレゴリ・マルタン。あなたが、市民たちに伝えたいことはありますか」


グレゴリは、法廷全体に向かって、静かに言った。


「私は、四十五年間、秘密に基づいた支配が、人類のためだと信じていました。ですが、その信念は、根本的に誤っていました。秘密は、信頼を作らない。むしろ、秘密は、信頼を破壊する。そのことを、今、私は理解しました」


「新しい月光司令部が、透明性と民主主義に基づいた組織へと変わることを望みます。そして、その変化の過程で、私も、新しい月の市民として、再生することを望みます。申し訳ありませんでした」


グレゴリの謝罪は、深い誠意を持っていた。


その謝罪が、すべての被害者を癒すことはできないだろう。


だが、それは、確実に、新しい月への一歩を示していたのだ。


裁判の終了後、テレースと怜桜は、改革派の指導部と、今後の月光司令部の運営について、議論した。


「グレゴリの判決について、どう思いますか」


エドガー・ヘルメットが、怜桜に質問した。


「妥当だと思います」


怜桜は、答えた。


「完全な懲罰は、復讐であり、新しい秩序の本質に反しています。ですが、教育と労働を通じた再生は、新しい月光司令部の理念を示しています」


「同意です」


テレースが、その言葉を引き継いだ。


「グレゴリは、秘密の時代の象徴でした。その象徴が、新しい秩序の中で、再生を求める。その過程そのものが、月全体の再生を象徴しているのです」


その夜、怜桜は、セレーネドーム内の図書館を訪れた。


そこには、月光司令部の歴史に関する、あらゆる文献が保管されていた。


かつては、機密扱いだった文献の多くが、今、公開されていたのだ。


怜桜は、隕石衝突に関する、複数の文献を手に取った。


それらの文献には、隕石衝突の詳細な計算、人口削減の目的、トレイター・プロジェクトの開発過程など、すべてが記録されていた。


秘密にされていた真実が、今、誰でもアクセスできるようになっていたのだ。


アレンが、その隣に現れた。


「何をしているんですか」


「月光司令部の歴史を、正面から学んでいます」


怜桜は、答えた。


「四十五年間、隠蔽されていた歴史を、今、私たちは、完全に知ることができます。その歴史から、何を学ぶのか。それが、新しい月光司令部の課題なのだと思います」


「そうですね」


アレンが、頷いた。


「グレゴリの判決も、その課題の一部です。彼の判断を非難するのではなく、その判断がなぜ生まれたのか、その背景を理解する。その過程の中で、私たちは、新しい判断基準を確立していくのです」


怜桜と、アレンは、図書館の中で、深い沈黙を保ちながら、月光司令部の歴史を、ページをめくりながら、学び続けた。


秘密の時代は、終わった。


だが、その時代が残した課題は、これからも、長く続くのだ。


その課題に向き合うこと。


その過程で、新しい月光司令部の真の姿が、浮かび上がってくるのだ。


月は、今、変わり続けていた。


その変化の過程で、人類全体の未来も、また、形作られていくのだ。


怜桜は、その過程の証人であり、同時に、参加者でもある。


その認識が、彼の心の中に、深く刻まれていた。


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