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不埒!

翌朝、目を覚ました俺は、自分の胸の上に美影がすやすやと眠っていることに気づいた。

……そして、寝間着が少し――湿っている。

一瞬、嫌な予感がして身構えたが、すぐに理由は分かった。

どうやら、美影が寝ている間に俺の胸によだれを垂らしていたらしい。

……本当に、やれやれだ。

俺は小さく息をつき、美影の髪をそっと撫でながら、数秒だけ気持ちを落ち着かせた。

今すぐ起こすわけにはいかない。

朝の男子にありがちな問題を、真っ先に気づかれたくはなかったからだ。

「……美影。美影。朝だぞ。起きろ」

「ん……んん……?」

美影は小さく身じろぎし、ゆっくりと上体を起こした。

何度か瞬きをしたあと、両腕を頭上に伸ばし、大きなあくびをする。

「ふぁぁ……おはよう、剣……」

目をこすりながらそう呟く美影を見て、俺は苦笑する。

「おはよう。そろそろ準備しないと。静姝が、俺たちが訓練場に来ない理由を不思議に思ってるはずだ」

「ん〜……そうね……でも、もうちょっと寝たい……」

「大人の話を盗み聞きするために夜更かししたせいだろ」

「じゃあ、次に大事な未来視を見ても、教えてあげないわよ?」

「それは困る。見たらちゃんと教えてくれ」

「うーん……睡眠不足になるなら、どうしようかしら?」

美影はそう言って舌を出す。

俺は反射的にそれを掴もうとしたが――

「えいっ」

美影はくすくす笑いながら身を翻し、俺の上から飛び降りた。

そのまま二人で軽口を叩き合いながら、背中合わせになって着替える。

美影は俺の引き出しを開け、そこから予備の訓練着を取り出した。

――こういう時のために、彼女の分が置いてあるのは、もはや当たり前になっている。

俺の方が先に着替え終わり、その間、背後から衣擦れの音が聞こえてきた。

「はい、準備できたわ」

振り返ると、美影は白黒の標準的な訓練着に身を包んでいた。

髪も一応ポニーテールにまとめているが、寝起きのせいで少し乱れている。

……それでも、妙に目を引く。

「行こう」

俺がそう言うと、美影は元気よく頷いた。

美影が忍び込んできた以上、正面玄関から出るわけにはいかなかった。

俺たちは窓から外へ抜け出し、建物の外壁に沿って回り込み、数十尺ほど離れた木立の陰から姿を現した。

周囲に人の気配はない。

遠くには何人か見えたが、俺たちに注意を払っている様子はなかった。

……助かった。

正直なところ、美影が俺の部屋で寝ていたなんてことが父上に知られたら、どうなるか分かったものじゃない。

訓練場に到着すると、そこには腕を組み、腰に手を当て、足をせわしなく地面に打ちつけている静姝の姿があった。

……明らかに機嫌が悪い。

嫌な予感を覚えながら近づくと、俺たちの足音に気づいた静姝が振り返り、鋭い視線を向けてきた。

「美影、どうして今朝、部屋にいなかったの?」

「昨夜、ちょっと大事なことがあったから、剣のところに泊まっただけよ」

美影は、まるで大したことでもないように言った。

「……は?」

次の瞬間。

「な、な、なに言ってるのよ?!

まさか、昨夜……呉剣と一緒に寝たっていうの?!

そ、そんなの……そんなの不埒よ! ふ、ふし——んむっ?!」

これ以上まずいことを叫ばれてはたまらない。

俺は慌てて一歩踏み込み、静姝の口を手で塞いだ。

「静かに……!」

顔を近づけて囁くと、静姝の頬と耳が一気に真っ赤に染まる。

……正直、俺の方もかなり動揺していた。

この距離で見る静姝の大きな瞳と透き通るような肌は、妙に意識してしまう。

だが、今はそんなことを考えている場合じゃない。

俺は必死に邪念を振り払い、事態を収拾することだけに集中した。

静姝は身をよじって抵抗したが、力では俺のほうが上だった。

俺は空いている腕を彼女の背に回し、逃げられないように押さえる。静姝は俺の腕を掴み、引き剥がそうとした。爪が食い込み、思わず顔をしかめる。

「聞いてくれ。言い方が悪かったのは分かってる。でも、ちゃんと理由があるんだ。どうしても伝えなきゃいけないことがある」

その言葉に、静姝の動きが止まった。

一拍置いて、彼女は腕を下ろし、俺をじっと見つめてくる。説明しろ、という無言の圧だ。

俺は小さく息を吐き、彼女を解放して数歩下がった。

腕はじんじん痛んだし、甘い香りもまだ鼻に残っていたが、どちらも無視する。

「それで?」

静姝は腰に手を当て、きっぱりと言った。

「いったい何がそんなに大事で、二人で一緒に寝る必要があったの?」

「昨夜、俺と美影は外に出て……父上たちの話を盗み聞きした。ザーン市で起きたことについてだ」

俺は、昨夜聞いた内容をすべて話した。

**居士ジュイシミン**の両家が手を組んだこと。

ザーン市の外れで目撃された傭兵団の存在。

そして、それが俺たち――俺、静姝、美影――にとってどれほど危険になり得るか。

話し終える頃には、静姝の表情はすっかり真剣なものに変わっていた。

「……それは、確かに良くない話ね」

彼女はそう認め、視線を落とす。

「もし本当に傭兵団が市の外にいるなら、理由もなくうろついているとは考えにくいわね……」

静姝の声には、さっきまでの怒りはもう残っていなかった。

「だから、しばらくはザーン市に行かないようにすることにしたんだ」

俺はそう言った。

「この間は、ここで修練に集中して、休みの日も族地の中で一緒に静かに過ごす。昨日みたいな衝突は、できる限り避けたほうがいい」

「……ごめんなさい」

静姝は小さく呟き、頬と耳を赤く染めた。

「気にしなくていい」

俺は首を振る。

「謝るようなことじゃないと思う」

美影も頷いた。

「あなたが先に動かなかったとしても、私が同じことをしてたと思うわ」

静姝は二人を見て、苦笑いを浮かべた。

俺たちは皆分かっていた。屋台が蹴り倒されたのを見たとき、俺と美影は引き返そうとしていた。気の毒だとは思ったが、あの場に関われば事態が悪化するだけだと理解していたからだ。

不正を見過ごせなかったのは、静姝だった。

「……でも、一つだけ聞きたいことがあるわ」

ふと思い出したように、静姝が言った。

「なに?」と俺が聞き返す。

彼女の苦笑は、どこか引きつったものに変わった。

まるで背後に、禍々しく不吉な影――悪意そのもののような亡霊が立ち上ったかのようだった。昼間だというのに、彼女の目元だけに濃い影が落ちる。まるで、彼女の周囲だけが日蝕に包まれたみたいだった。

背筋に、ぞくりと寒気が走る。

「盗み聞きした話の内容が深刻だったのは分かったし、私も同意するわ」

静姝は静かに続けた。

「でも……それと、あなたたち二人が一緒に寝た理由は、別の話よね?」

「う、うーん……それは、その……ほら……分かるだろ?」

俺はしどろもどろになりながら言った。

「分からないわ。全然分からない」

静姝はじっと俺を見つめてくる。

「だから説明してちょうだい、剣。私にも分かるように」

「え、えっと……」

俺は助けを求めて美影のほうを見た。

だが彼女はにっこり微笑むと、親指を立ててこう言わんばかりの表情を浮かべる。

――大丈夫。いけるわよ。

……ありがとう、美影。

見事に馬車の下に投げ捨ててくれたな。

「そ、それより見てくれ! 太陽がずいぶん高くなってるじゃないか!」

俺は空を指さした。

「もう遅いし、そろそろ修練を始めたほうがいい! そうだ、修練だ!」

「話を逸らそうとしないで、このヌルヌルしたヒキガエル!」

静姝が怒鳴る。

「どうして二人で一緒に寝てたのか、ちゃんと説明しなさい!」

結局、あれこれと言い訳を重ね、なんとか静姝を納得――させたわけではないが、とにかくこの話題を一旦終わらせることには成功した。

だが、彼女がまったく満足していないのは明らかだった。

そして俺には分かっていた。

この件は、近いうちに必ずもう一度蒸し返される。

その時のために、ちゃんとした対策を考えておかないといけない。

……その場で正直に全部話せばよかった、という発想は、なぜか一度も頭に浮かばなかった。

怒った女っていうのは、男の思考力をここまで奪うものらしい。


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