気の障壁
俺たち三人は、呉爺爺の後について、さらに図書館の奥へと進んだ。
やがて辿り着いたのは、左右にいくつものアーチ状の入口が並ぶ、細長い回廊だった。
だが、それぞれの入口は――すべて塞がれていた。
銀色に淡く輝く、ほとんど半透明の膜。
それはまるで、光を含んだ絹のカーテンのように揺らめいている。
「……へぇ」
俺は思わず、最も近くにあった障壁に指を伸ばした。
――バチッ!
「っ!?」
次の瞬間、電撃のような衝撃が腕を走り、俺は慌てて手を引っ込めた。
「なにやってるのよ……」
静姝が呆れたような目でこちらを見る。
一方で、美影はというと――
「ふふっ」
と、楽しそうに笑っていた。
……気づいてないフリをしたが、耳が熱い。
間違いなく赤くなっているだろう。
これらの障壁は、飢餓境に到達していない者を近づけないためのものだ。
以前、俺は呉爺爺に、この奥に何があるのかを尋ねたことがある。
曰く――
ここには、より洗練された武術や修練法が保管されており、
扱いを誤れば命に関わるようなものも少なくないらしい。
「三族大会が近いから、武術を学びたいのかい?」
呉爺爺が静姝に問いかけた。
「……はい」
静姝は一瞬だけ言葉を選び、それから正直に答えた。
「参加したいと思っています。でも……私はまだ、武術を何も知りません。
少しでも有利になるものが必要なんです」
嘘をつく意味はなかった。
その声には、決意がはっきりと宿っていた。
「大会までは、あと数年しかない」
呉爺爺はゆっくりと言葉を続ける。
「通常、武術を極めるには、最低でも十年はかかるものじゃ」
そこで一度、こちらを見た。
「……だが、お前は“完全体質”を持っている。
多くの者には不可能なことも、お前なら成し遂げられるかもしれん」
静姝は小さく息を呑む。
「少なくとも――この短期間で“基礎”を身につけることは、十分に可能じゃろう」
その言葉を聞いたとき、
静姝の目に宿った光を、俺は見逃さなかった。
――この人は、きっと強くなる。
そんな確信が、胸の奥で静かに芽生えていた。
静姝は何も言わなかった。
だが――その瞳に宿った炎のような光を、俺ははっきりと見た。
やがて俺たちは回廊を抜け、別の区画へと移動した。
そこには書架は一切なく、代わりにいくつかの展示ケースが並んでいるだけだった。
すべてのケースは厳重に施錠され、さらに封印によって守られている。
封印は、淡く光る符文の形をしており、確かな防御力を感じさせた。
これを破るには、封印が想定している以上の気を叩きつけるしかない。
つまり――
飢餓境に達していない者には、触れることすらできない代物だ。
しかも、呉爺爺の話では、実際に封印を破れるのは阿修羅境の修行者だけらしい。
「ここが武技庫じゃ」
呉爺爺が、初めてここへ足を踏み入れた静姝に説明する。
「我ら呉氏一族の基礎的な武術と流派は、すべてここに保管されておる。
勝手に持ち出されぬよう、こうして管理しているのじゃ」
そう言ってから、爺爺は一つの展示ケースを指差した。
「お前に最も合うと思う流派は、ここにある」
ガラスケースの中には、いくつもの巻物が整然と並んでいる。
呉爺爺はそこで、素早く手印を結び始めた。
……速い。
俺は必死に動きを目で追い、記憶しようとしたが、
指先の動きがあまりにも滑らかで、判別できたのはせいぜい二つほどだった。
最後に、呉爺爺は淡く光る掌をガラスへ押し当てる。
すると、封印が一瞬だけ強く輝き――そのまま、静かに消え去った。
爺爺は中から一本の巻物を取り出し、静姝へと差し出す。
「これが、お前に最も適している武術じゃ。
武器を使いたいという希望を踏まえた上で選んだ」
静姝は、少し緊張した面持ちでそれを受け取る。
「この流派は、技を学ぶことよりも、基礎を築くことを重視している。
だからこそ、お前には最適なのじゃ」
呉爺爺は穏やかな声で続けた。
「技などは、後からいくらでも学べる。
だが、揺るがぬ土台がなければ、どんな武術も意味を成さん」
それから、少しだけ意味ありげに笑う。
「それから……運が良いと思うがいい。
本来、この武技庫に入れるのは、年に一度の呉氏一族力量大会の優勝者のみじゃ」
俺と美影は顔を見合わせた。
「だが今回は、族長直々の命で特例を認めた。
皇族であるお前の立場を考慮して、とな」
静姝は目を見開き、そして――
その巻物を、まるで宝物のように胸に抱きしめた。
……この選択が、
彼女の未来を大きく変えることになる。
なぜか、そんな予感がしていた。
俺は静姝の方へちらりと視線を向けた。
彼女が、自分の立場を使って物事を押し通すのを好まないことは分かっている。
これまで、強大な一族や宗門の人間たちが権威を振りかざす場面を嫌というほど見てきたのだろう。
同じことを自分がするのは、きっと耐えられないはずだ。
それでも――
今回は、大げさに拒んだりはしなかった。
「本当に、ありがとうございます」
静姝はそう言って、すぐに巻物を受け取ることはせず、
右拳を左掌に当てた武礼で、丁寧に頭を下げた。
「どういたしましてじゃ」
呉爺爺は、満足そうに微笑んだ。
「良かったわね!」と、美影が嬉しそうに言う。
「これで大会までに、もっと強くなれるわ」
「うん……でも、他の参加者たちと戦えるくらいまで成長できるかどうか……」
静姝はそう言って、不安そうな笑みを浮かべた。
「大丈夫よ。絶対にできるわ」
美影は迷いなく断言し、それから俺を見る。
「ね、剣?」
「もちろんだ」
俺は頷いた。
「俺たちは仲間だ。三人でやるんだ」
「……ありがとう」
静姝の声は小さかったが、その中には確かな決意が滲んでいた。
武術の目処も立ったところで、俺たちは図書館を後にすることにした。
この後は軽く喉を潤して、少し読書をしてから夕食だ。
その席で、俺から父上に――
明日、美影と静姝と一緒にザーン市へ出かけることを伝えるつもりだった。
……なんだか、明日が少し楽しみになってきた。




