衝撃の発表(ショッキング・アナウンスメント)
銭は一般人が使う通貨。
青銅・白銀・黄金の三種があり、
修行者が主に使う“霊貨”はそのさらに上位通貨だ。
一般家庭なら、黄金銭一枚で一年を生きられる──
そう教えられたことを思い出す。
そんなことを考えていた、その瞬間。
(……な、なんだこれ……!?)
俺の目が見開かれた。
口の中に広がったのは、驚くほど上品で深い旨味。
薬草の香りが邪魔せず、スープのコクと絶妙に溶け合っている。
どちらかが強すぎるわけでもなく、
ただお互いを高め合うように調和していた。
(こんな味……初めてだ)
これが“珍味”と呼ばれる理由を理解した。
確かに、これは高価でも仕方がない。
「ええ、そうなのですわ」
静姝がほほえみながらスープを啜る。
「燕窩は、お金持ちの修行者なら“銭”どころか、
十万単位の霊貨でも欲しがる人がいます。
そのくらい、入手が難しいのです。
わたくしも──生まれてから今日までに食べたのは、これで三度目ですの」
彼女は嬉しそうにまた匙を口へ運んだ。
俺も再びスープを啜る。
……やっぱり、美味い。
静姝の話を聞きながら、俺はふと周囲の席へと視線を移した。
……あれ?
俺たち以外の席では、皆 “橙蜜鴨” を食べていた。
香りは良いし、滅多に食べられない高級料理には違いないが──
燕窩(えんか:食用燕の巣)ほど珍しくもなければ、希少でもない。
にもかかわらず、なぜ俺と美瑩だけがこの“極上の燕窩スープ”を与えられているのか。
(……数に限りがあるんだろうな。それにしても、より上の立場であるはずの長老たちに出さず、俺たち二人に振る舞うって……)
父が何を考えているのか、まるで分からなかった。
その時、父が杯を置き、皇帝へ問いかけた。
「順兄、今夜はこのままお泊まりになられますか?」
皇帝──**侯順・皇帝**は首を横に振った。
「残念だが、それはできぬ。
私は宮城を離れすぎた。
あの二人の息子どもが、また取り返しのつかぬ騒ぎを起こす前に戻らねばならん。
最近は特に手に負えなくてな……父親として“誰が上に立つか”を思い出させてやらねばならんのだ。」
(……皇都、大変なことになってるんだな)
正直、皇都の事情なんてこの田舎とは別世界の話だ。
俺たち庶民……いや、農村寄りの武家の子としては、全く関係ないと思っていた。
だが、こうして皇帝本人がここに来ている以上、何か大きな理由があるのだろう。
(しかし……どうして父上は“皇帝”を兄弟のように呼ぶんだ?
前に父上が“若い頃、帝国軍に出仕した”って話してたけど……そこでそんなに親しくなったということか?)
父は名残惜しそうに頷いた。
「そうですか……残念ですが、理解いたしました。」
すると母が両手を合わせ、穏やかに申し出た。
「せめて、鉄観音──特上の烏龍茶 を道中のお供にお持たせいたしますわ。
お急ぎでも、一服なさってくださいませ。」
母がまた勝手に口を挟んだことで、父は小さくため息をついた。
だが叱ることはしない──それを、侯順皇帝は見逃さず、くつりと喉の奥で笑った。
……皇帝陛下が笑ってるのを初めて見た気がする。
だが、もちろん余計なことは言わず、品よく頷くだけだった。
「ぜひいただこう。
……まさか燕窩に鉄観音まで、都から遠く離れた僻地で出てくるとは思わなかったぞ。
相変わらず太っ腹だな、陽士兄。」
「鉄観音は妻が直々に育てたものです。」
父は母の腰へそっと手を添える。
「植物の栽培と抽出技術に長けていてな。
彼女の鉄観音は**高麗人参の実**を使って仕込んでいる。」
「ほぉ……高麗人参の実まで栽培しているのか。
ますます帰り道が楽しみになったわ。」
二人のやり取りを聞きながら、俺はますます疑問が膨らんだ。
(皇帝がわざわざ田舎の一武家に来た理由って……
“晩飯を食べて茶をもらって帰る”ため、じゃないよな?
これだけの距離を移動する必要がどこにある?
父上と親しいとはいえ、そんな気軽な訪問じゃないはずだ)
その答えが明らかになったのは、夕食が終わってからだった。
使用人たちが器を片付け終えた頃、父が静かに立ち上がった。
言葉はない。
ただ立っただけ──それだけで、ざわざわと談笑していた場が一瞬で静まり返る。
俺も背筋が伸びた。
そして父は、荘厳な声で告げた。
「諸君。
侯順皇帝が我ら辺境の武家を訪れた理由──
それは、陛下の御息女に関わること、そして……武家の未来に関わる重大事である。」
空気が変わった。
誰も次の瞬間を予想できず、ただ父の言葉の続きを待つしかなかった。
父の言葉が落ちた瞬間、食堂の空気がざわついた。
誰一人声を出さないのに、視線だけが一斉に侯静姝へ向かう。
だが彼女は微動だにしなかった。
背筋を伸ばし、顎をわずかに上げ、
──まるでその身に王家の威厳をまとったように。
(……すげぇ。よくあんな堂々としてられるな)
俺なら、あれだけ見られたら椅子の下に隠れたくなる。
いや、確実に隠れる。
だが侯静姝は違った。
“見られるのが当たり前”という世界で生きてきたのだろう。
その場にいる誰よりも落ち着いていた。
そんな中、侯順皇帝がゆっくりと立ち上がり、場を見渡した。
「陽士兄の言う通り、余がここへ来た理由は、娘に関わることだ。」
柔らかい笑みを浮かべながら、皇帝は堂々と宣言する。
「本日ここに──
余の娘を、陽士兄の末子・武艶へ嫁がせることを発表する!
これより先、両家は婚姻によって強く結びつくであろう!」
……。
…………。
……………………え?
食堂に音という音が消えた。
先ほどまで聞こえていた外の蝉すら沈黙する。
時が止まるって、本当にあるんだな、と妙に冷静な感想が胸をよぎった。
周囲の視線が一気に俺へ、そして侯静姝へ突き刺さる。
口を開けたまま固まる者。
椀を落として割る者。
気絶しそうになっている者までいる。
で、俺と侯静姝は──
「……は?」
「……え?」
見事にハモった。
完全に、思考が追いついていなかった。




