表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/162

兪氏の義兄弟、皇帝(ウー・ヨウシーのスウォーン・ブラザー)

兪氏ウー・ヨウシーは執務室に座し、

一族の財務状況と来年度の予算案に目を通していた。

それは誰からも感謝されぬ、退屈極まりない業務である。

しかし族長として、避けて通れぬ責務でもあった。

本来ならば鍛錬に時間を割きたい――

そう思わぬ日はなかった。

だが、一族の未来を優先する以上、犠牲は必要だ。

収入を記録し、支出を洗い出し、

翌年使える資金を見積もる。

それらを精査し、一族に最適な予算を割り振る。

これも族長たる自分の務めである。

ザーン市で“トップ”の座を維持してきたウー一族だが、

近年はさらに隆盛を極めていた。

――吴美瑩ウー・メイインという少女の不可思議な力のおかげである。

あの少女の予見によって、

ミスリル鉱脈を複数発見することができた。

確かに混じり物が多く、純度は低い。

だが、この片田舎においては

“不純ミスリル”でさえ高値がつく。

すでに周家(しゅうけ=Zhou Clan)と契約を結び、

大華ダーファ市の競売会まで輸送・出品してもらった。

その取引だけで――

十年は一族を養えるほどの利益

を得たのである。

欲深いと自覚はしている。

だが、欲望を抱くことと、一族の繁栄を願うことは同義だ。

できることなら、あの少女の力で

黒金こくきん天龍鉄てんりゅうてつといった

希少金属の鉱脈をも見つけたい。

もしそれが叶えば――

呉一族は、商国でも屈指の富豪一族となる。

それは夢物語ではない。

吴美瑩がいるかぎり、現実となり得る未来だった。

もちろん、そこまで都合よくはいかぬことも理解している。

商国しょうこくは土壌こそ肥沃だが、

高品質の修行資源や希少鉱物には縁遠い国だ。

農作物は豊富で他国へ輸出できるほどだが、

鍛造素材となる鉱石類はきわめて乏しい。

また、修行資源も

修羅境アスラまでが限界であり、

それ以上の境地へ進むための資源はほとんど存在しない。

さらに、国内の鉱山はすべて

王家か“三大宗門”のいずれかが所有している。

――欲して手に入るものではない。

その現実を、兪氏ウー・ヨウシーは深く理解していた。


彼は未来の商機(これも吴美瑩の予見に基づく)について

記された文書に目を通していた。

そのとき――

執務室の扉が勢いよく開いた。

朱司ウー・ジンスーが飛び込んできたのだ。

顔は真っ赤、息は荒い。

まるで数日走り続けた者のようだった。

「はぁ… はぁ…

 兪氏宗主ようし・ぞんじゅ… はぁ…

 か、駕籠かごが… 到着を…」

普段冷静で的確な判断を下す若き長老が、

ここまで取り乱すのは異常だった。

兪氏は眉根を寄せつつも、低く静かな声で命じた。

「落ち着け、ジンスー長老。

 深呼吸を数度し、順を追って報告せよ。」

朱司は胸に手を当て、数度息を整える。

そして、ようやく言葉を絞り出した。

「つい先ほど、**無紋の駕籠かご**が到着しました。

 最初は罠か、あるいはまた誰かが

 美瑩小姐の縁談を求めて来たのかと思いましたが……」

そこで一拍置き、声が震えた。

「……中におられたのは――

 侯君・皇帝ホウジュン・こうてい陛下でした!

 ただいま応接間にてご到着をお待ちです!

 そ、それで――」

そこまで聞いた瞬間。

兪氏ウー・ヨウシー

反射的に立ち上がっていた。

椅子が後ろへ大きくずれ、畳を擦る音が響く。

そして、

“走ってはならぬ”と分かっていながら、

走る寸前の速度で廊下を進み始めた。

胸の鼓動は激しく脈打ち、

思考は乱流のごとく渦を巻き、

まともな判断すら難しいほどだった。

――なぜ陛下がここに?

――護衛もつけずに?

――何の前触れもなく?

そのすべてが、

兪氏の心に重く、鋭く、のしかかった。

美瑩メイインは――

この事態を予見していたのか?

皇帝が今日この瞬間に現れると、

すでに知っていたというのか?

兪陽士ウー・ヨウシーの頭に疑念がよぎったが、

それを確かめる暇もなく――

応接間の扉を押し開けた。

鋭い視線で室内を見渡すと、

すぐに“彼”の姿が目に入った。

侯君・皇帝ホウジュン・こうてい

応接間の中を、

焦燥を抑えきれぬように往復し続けている。

その周囲では、

陽士の正妻・兪愛蓮ウー・アイリェン

側妻・兪桃花ウー・タオファが、

深い憂色を浮かべながら彼を見守っていた。

皇帝は陽士より数百年も長く生きている。

それでも老いを感じさせぬ威容があった。

髪にはわずかに白が混じり、

短い顎鬚は品格を漂わせ、

“豪奢すぎず、しかし絶対的な格を持つ衣”は

鍛え抜かれた肉体を見事に隠している。

陽士にとって、

誰よりも尊敬し、誰よりも義を通すべき人物。

「侯皇帝!」

その声に、

侯君は足を止め、振り返った。

目が合った瞬間、

彼の瞳がぱっと明るさを帯びる。

陽士ようし兄弟!」

その呼びかけには

焦りと、切実な願いが鋭く滲んでいた。

陽士は急ぎ跪こうとした――

だが、皇帝がその両肩を押さえて止めた。

「今は礼はいらぬ、陽士。」

声は低く、しかし緊迫していた。

「突然の来訪、どうか許してほしい。

 だが時間がない……頼みがある。」

侯君は深く息を吸い、

苦渋に満ちた表情で言い放つ。

「娘が――

 こちらへ向かう途中で、駕籠〈かご〉から抜け出してしまったのだ。」

空気が凍りついた。

「お前の屋敷へ向かう最中だった。

 ……陽士。どうか力を貸してくれ。

 私は――娘を見つけなければならぬ。」

陽士の背に、

冷たい衝撃が走った。

「……何と?」

それは、“武陽士”という男の

生涯で最も不吉で、

そして最も怒りに満ちた瞬間の始まりだった。

侯君皇帝ホウ・ジュン・こうていの娘が行方不明――

その事実を聞いた瞬間、武陽士ウー・ヨウシー

皇帝がここまで取り乱していた理由を悟った。

十年以上、顔を合わせてはいなかった。

だが、それは何の意味もない。

軍で共に戦っていた頃、

侯君が「娘を授かったら、こう育てたい」

と楽しそうに語っていた姿を、

陽士は今でも鮮明に覚えている。

――あの男が、娘を溺愛しないはずがない。

その娘が途中で姿を消した。

侯君が正気でいられるほうが不思議だった。

「陛――いや、俊兄ジュンけい。案ずるな。

 武家ぶけ総出で捜索にあたる。娘御は必ず――……む?」

急に言葉が止まった。

「陽士兄弟?」

侯君が怪訝そうに眉を寄せる。

陽士の脳裏に、

今朝、あの少女から告げられた言葉が浮かんでいた。

――

「本日、重要なお客様が参られます。

 お迎えの準備をしておいたほうがよろしいかと。

 ……あ、それから。

 “とても心配しておられる”はずですので、

 その方の娘御は無事だと、どうか落ち着かせて差し上げてくださいね。」

――

まさか。

この状況を、あの少女は見通していたのか。

この展開以外に考えられない。

陽士は胸の奥に、

敬意と恐れがないまぜになった感情が湧き上がるのを感じた。

(……あの娘は、一体何者なのだ?)

まだ修行も始めていない年端もいかぬ少女が、

どうして“未来を見通す”などという力を持つのか。

彼女の出自はいまだ不明。

武家の屋敷の裏手にある川に、

籠に入れられた状態で流れ着いていたのを

愛蓮アイリェンが拾っただけ。

しかも北から流れ着いたという。

ザーン市は南側だ。

北には双牙山脈と、

そのさらに奥に広がる氷凰ひょうおう山脈、

そして海――

人の住まぬ地域しか存在しない。

考えれば考えるほど不気味だった。

陽士は小さく頭を振り、

皇帝の両手を包み込むように握った。

「俊兄。ご安心ください。

 娘御は無事です。」

「……は? え? な、何?

 どうしてそんなことが分かるのだ?」

侯君皇帝が呆けたような顔をした。

あの男が、

ここまで間抜けな表情を見せるなど、

陽士は長い付き合いの中で初めて見る。

本来なら笑ってしまうところだが――

陽士には、どう説明してよいか分からなかった。

当然ながら皇帝の焦燥は収まらず、

室内には再び緊張が満ち始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ