危険への寄り道
侯静姝は、ザーン市の通りを気ままに歩きながら、並ぶ家々を興味深そうに見回していた。
首をかしげたくなるような建物ばかりだ。
皇都のような威厳はまるでないし、どれもこれも“古びている”――いや、もっと正確に言えば、素朴すぎる。
兄たちなら鼻で笑って「ちんけでつまらん」と言っただろう。
だが静姝は、むしろこの小さくて愛嬌のある建物群に、ほんの少し胸が躍っていた。
(こういうの、田舎ならではって感じで可愛いじゃない。)
皇都のような荘厳さはない。
でも、どこか温かみがある。
市内で唯一、“都っぽい美しさ”を持っている建物といえば――
遠くにそびえる大きな建物、ザーン市の目印でもある **競売場**だけだ。
(まあ、あれは“周家”の建物だし、当然と言えば当然か。)
周家はほとんどの国で競売場を運営している巨大一族。
ネットワークは諸外国にまで広がり、正体も目的もつかみにくい“謎多き家”として有名だ。
父も彼らの力を警戒していたが――
「他国の政治に干渉しない」という不干渉の掟があるため、下手に刺激しないようにしていた。
街を歩いていると、森林に囲まれているせいか、やたらと木々が多いことに気づく。
(これ……わざとなの? それとも“森の中に街を作った結果”こうなっただけ?)
皇都にも木はあるが、すべてが幾何学的に配置された美しい並木道。
だが、ここは――
バラバラ、好き勝手、思うがまま。
(……うーん、正直めちゃくちゃだけど。これはこれで面白いかも。)
そんなふうに、一人で勝手に評価を下していた、その時。
「ハハハハ! 見ろよ、このみっともない生き物をよ!」
「野良は街を汚すだけなんだよなァ!」
甲高さを帯びた笑い声。
そして、複数の少年の怒鳴り声。
静姝はピタリと足を止めた。
――今の、悲鳴?
しかし、それは 人の声ではなかった。
(……動物?)
胸の奥がざわついた。
次の瞬間、侯静姝は走り出していた。
「ほら! もっと泣けよ、コラ!」
「鳴き声が面白──って、おい! 逃げようとしてるぞ!」
「バカな動物め! 俺たちから逃げられると思ってんのかよ!」
静姝は思わず足を止め、周囲を見回した。
複数の少年たちが何かを追いかけながら走っている。
その“何か”の悲鳴らしき音も確かに聞こえた。
(……嫌な予感しかしない。)
好奇心、そして胸の奥で膨れ上がる不穏感に突き動かされ、静姝は少年たちのあとを追った。
細い路地を抜けると、そこはぽっかりと開けた一角――
大きな木を中心に木々が囲む、小さな **共同中庭**だった。
話に聞いたことはあっても、実際に来たのは初めてだ。
……そして、静姝は“それ”を見た瞬間、血が沸騰した。
五人の少年が、
大きな木を背にして震える 黒猫 を取り囲んでいた。
猫は怯えて身を縮め、必死に威嚇して鳴く。
それなのに少年たちは、嘲笑いながら石を投げつけていた。
「見ろよ、ほら! この威嚇の仕方!」
「汚ねぇ野良だな! 誰にも拾われねぇの当然だろ! 母親ですら愛せねぇ顔してるし!」
「ほら! これでも食らえ! あははは!」
(……最低。)
侯静姝のこめかみがピクピクと震えた。
胸の奥から、熱いものがこみ上がる。
“正義”の名のもとに育てられた皇女としての気質か。
それとも、ただ単に目の前の残酷さが許せなかったのか。
どちらにせよ――
黙って見ていられるわけがなかった。
(やめさせる……絶対に。)
静姝は一歩、踏み出した。
「――あなたたち、何をしているのですかっ!!」
鋭い声が中庭に響いた。
少年たちは猫をからかう手を止め、驚いたように振り返る。
静姝は迷うことなく彼らの間を駆け抜け、黒猫の前に立ちはだかった。
両腕を広げ、まるで身を挺して守るように。
背後では、怯え切った猫がまだ小さく威嚇している。
毛並みはボサボサで、痩せ細り、見るからに弱りきっていた。
(こんな子に石を投げるなんて……絶対に許さない!)
「よくもこの innocent な猫ちゃんを傷つけましたね!!」
怒りで頬を紅潮させながら、静姝は少年たちを睨みつけた。
五人の少年は、まるで訳が分からないといった顔で固まる。
そして彼らは静姝の服装に気づき、お互いに顔を見合わせた。
「誰だよこいつ…? 見たことねぇぞ」
一人が言った。どうやら彼がリーダーらしい。
黒く汚れた髪、薄汚れた茶色のズボン、黄ばんだシャツ。
見た目だけで、彼が平民の子だと分かる。
他の少年たちも同様の身なりだった。
ザーン市には三つの一族がいると聞いていたが――
目の前の五人は、そのどれにも属していないようだ。
年齢は静姝より少し上くらい。
リーダー格の少年は二、三歳年上だろうか。
ただし、顔じゅう泥だらけで判断しづらい。
(……平民の男の子って、みんなこんなに汚れてるの?
なんだか、ちょっと臭うし……お風呂に入ってるのかな?)
「知らねぇけど、見ろよあの服。めっちゃ金持ちの格好じゃねぇか?」
別の少年が言った。茶髪にグレーの目が特徴的で、
前歯がやたら大きく、まるで齧歯類じみた顔つきだった。
「なんかの一族の娘じゃね? どうする、リン?」
全員の視線がリーダーの少年に向く。
「“どうする”じゃねぇよ! このガキ一人に遊びを邪魔されてたまるかってんだ!」
年長らしき少年が吐き捨てるように言った。
「で、でも……あいつ、一族の子かもしれねぇし……」
「ビビってんじゃねぇよ、ミンク!」
リーダー格の少年――さっき仲間に“リン”と呼ばれていた――が怒鳴り返す。
そして彼は、静姝へと向き直り、下卑た笑みを浮かべた。
「おい、ガキ。今すぐどっか行け。じゃねぇと“しつけ”てやるからよ。
たとえ一族の娘だろうが関係ねぇ。終わる頃には、オレのことを“父ちゃん”って呼んでるさ。」
……その瞬間、静姝の中で何かが切れた。
胸の奥に広がった熱が、怒りとなってこみ上げる。
(……今、なんて言ったの、この下衆は?
私に“父ちゃん”……? 冗談じゃない!!)




