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時の流れ(パッセージ・オブ・タイム)

深く息を吸い込み、俺は鉄棒にぶら下がったまま身体を引き上げ、胸の位置まで持ち上げた。

力を込めた腕はトリセップが盛り上がり、肌の下で血管がくっきりと浮かび上がる。

腕、背中、胸――すべてが焼けつくように熱い。

そのまま八秒ほど姿勢を維持してから、ゆっくりと元の位置まで身体を下ろし、再び同じ動作を繰り返す。

「四十五……四十六……四十七……四十八……」

この鍛錬で一番大事なのは“制御”だった。

俺の一族の連中は腕立て、腹筋、スクワットなどの鍛錬をしているが、

多くは 少しでも回数をこなすことばかり 気にして、正しいフォームを保とうとしない。

それでは鍛えられるはずの筋肉も鍛えられない。

だから俺は、一つ一つの動きを丁寧に、正確に――

全身の筋肉をしっかりと使うことを心がけていた。

「四十九……五十!」

五十回目を終えた俺は地面へと降り立った。

背中を汗がつたっていくのが分かる。

筋肉には心地よい余韻が残り、俺はゆっくりと身体を伸ばした。

……そのとき、ふと横目に映った彼女に息を呑んだ。

年を重ねるごとに、武美瑩ウー・メイインはますます美しくなっていった。

艶やかな黒髪は高い位置でひとつに結ばれ、

彼女が舞うたびにポニーテールがしなやかに揺れる。

流れるような動きで武術の型を踏むその姿は、まるで影と戦っているかのようだった。

だが俺は知っている。

彼女の“未来予知”に近い戦い方は、影相手には意味がない。

これはただの準備運動であり、身体をほぐし、鍛えるためのものだ。

俺の鍛錬とはまったく異なるやり方。

それなのに、不思議と目が離せなかった。

彼女の顔立ちは以前よりずっと大人びてきたが、

その鮮やかな青い瞳は、幼いころのまま生き生きとしていた。

雪のように白い肌に、淡い桃色の唇がよく映えている。

武美瑩ウー・メイインは昔から可愛いと思っていたが――

最近になってようやく、“異性として”どれほど魅力的なのかを自覚するようになった。

まるで胸の奥で何かが目を覚ましたかのように。

「……綺麗だな」

思わずこぼれた呟きだった。

聞こえていないと思っていたが、どうやら予想以上に声が大きかったらしい。

彼女はぴたりと振り返り、にっこりと笑った。

その微笑みは、俺の息を奪うほど眩しかった。

「褒めてくれてありがとう」

「どういたしまして」

照れ隠しするでもなく、俺が肩をすくめると、

美瑩は少しだけむくれたように唇を尖らせた。

だがすぐに表情を緩め、タオルを干してある場所へ歩いていく。

戻ってきた彼女はタオルを二枚手にしていて、

一枚を俺に渡してくれた。

「ありがとう」

そう言ってタオルを受け取り、汗で濡れた腕、脚、胸を拭き取る。

その間、彼女は優雅な仕草で顔の汗をそっと押さえていた。

本当に、ふとした仕草ひとつが女性らしい。

この四年間で、驚くほど“淑やかな美しさ”を身につけたと思う。

時間の流れは、俺たちに良く働いてくれた。

俺は八歳のときのあの力試し以来、毎日欠かさず鍛錬してきた。

その成果は着実に現れている。

身体は岩のように鍛え上がり、実際に試してみたところ、

拳でも足でも――さらには頭突きでも石が砕けた。

……俺の頭突きは、もはや武器と言ってもいいほどだ。

美瑩メイインもまた、確実に強くなっていた。

あの子は決して怠けたりしない。

力試しの結果は、常に俺よりほんの数ポイントだけ低い程度だった。

最初は、わざと俺より少し下にしているのでは……と疑ったこともある。

しかし、そんな必要性はどこにもない。

もし本当に彼女の方が強いなら、俺はもっと頑張れるだけだ。

美瑩だってそれくらい分かっているはず。

つまり単に、鍛錬の方法が違うだけなのだろう。

「そろそろお昼だね。お腹すいてるでしょ?」

そう言った途端――

ぐぅぅぅ、と俺の腹が鳴った。

「っ……!」

顔が熱くなる。

美瑩は口元に手を当て、くすくす笑った。

「じゃあ、さっさと洗って食堂に行こ?」

「今朝聞いた中で、一番いい提案だな」

俺と美瑩は、三年前――

俺がウー一族の隔年競技会で優勝したとき、父上が作ってくれた専用訓練場を後にする。

そこには鍛錬に必要なものが全て揃っていた。

自重トレーニングができる器具も、俺と美瑩が組手を行うための道場も。

この場所は、俺が強くなっている証であり、

一族に認められた証でもあった。

俺たちは一度自分の住まいに戻って汗を流し、再び食堂へ向かった。

食堂に入った瞬間、ざわめいていた声がぴたりと止まる。

……いつものことだ。慣れている。

注がれる視線を気にせず、美瑩に席を勧めると、

一人の給仕の少女が二つの膳を運んできた。

お粥と蒸し肉まんが湯気を立てている。

肉まんの香りに、思わず喉が鳴りそうになる。

少女は頬をほんのり赤く染め、ちらちらと俺の顔を見ていたが――

俺はいつものように、完全にスルーした。

「ありがとう」と俺が微笑むと、

給仕の少女は真っ赤になりながら小さく答えた。

「ど、どういたしまして、ジエン公子ゴンズー……」

そう言って、逃げるように去っていった。

美瑩メイインがくすっと笑う。

「ふふっ、すっかり女たらしだね」

俺は片眉を上げて美瑩を見る。

「……嫉妬してるのか?」

「した方がいいの?」

鋭い返しだ。

俺は肩をすくめた。

「いや、別に」

八歳のときの力試し以来、俺はウー一族の若い世代の“期待の星”になった。

それに伴い、妙に人気も出た。

昔は目も合わせなかった少女たちが、わざとらしく話しかけてくる。

最初の数ヶ月は悪い気分ではなかったが……今はただ面倒なだけだ。

彼女たちは俺自身に興味があるわけじゃない。

俺の“地位”と“力”に夢中なだけ。

十二歳になった今、多くの人間が俺に「大成する未来」を勝手に重ねている。

その期待は、俺の肩に重くのしかかった。

……正直、そういうのは苦手だ。

もちろん家族を誇らせたい気持ちはある。

だが、期待されればされるほど、失敗したときのことが頭をよぎる。

(もし俺が期待を裏切ったら……それでも支えてくれるのだろうか?)

自信はなかった。

何より、家族を失望させるのが怖かった。

――集中しろ。余計なことは考えるな。

俺にはやるべきことが二つだけある。

ひとつ。

一族に恥をかかせないほど強くなること。

もうひとつ。

美瑩メイインを守れるだけの力を得ること。

俺にとって大切なのは、その二つだけだった。

「朝ごはんのあと、何しようか?」

美瑩メイインが肉まんをかじりながら言った。

俺は匙で粥をすくいながら少し考えた。

十二歳になり、同年代では最強になった俺たちは、以前よりも自由を与えられていた。

好きなときに一族の敷地を出てもよく、双牙山ツイン・ファング・マウンテンには行けないものの、

まちには二人で行ってもいいと許可されている。

十一歳以降、牙城ザーンシティへは何度も行った。

だが最近は、俺が自分の鍛錬を優先していたせいで、出かけることは減っていた。

「森を探検してみるのはどうだ?」と俺は提案した。

「また珍しい薬草とか見つかるかもしれない。前に行ったときは覚醒霊藤アウェイクニング・スピリット・ヴァインが見つかったし。今度はもっと珍しい――え? 美瑩?」

言葉が途中で止まった。

美瑩の表情が突然 無 になったのだ。

目は焦点が合っておらず、どこか遠い場所を見ているようだった。

――まただ。

俺は静かに待った。

こういうときの美瑩には、決して声をかけてはいけない。

数秒後。

美瑩がまばたきをし、俺の方を向き、いつもの明るい笑みを浮かべた。

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