第4話 強さへの第一歩は知識から
「強くなりたいなら、まずは知識を身につけることから始めましょう。
強くなるための第一歩は、“賢く”鍛えることだって言うわ。図書館に行ってみない? 修練の基本が書かれた本があるかもしれないし」
メイインの提案に、俺は素直にうなずいた。
けれど、医療棟を出ようとしたその時、障子が音を立てて開いた。
入ってきたのは、一人の女性。
白と淡い青を基調にした花柄の襦裙を身にまとい、髪をきちんとまとめた落ち着いた姿。
俺やメイインより少し褐色の肌をしていたが、優しい微笑みがよく似合う美しい人だった。
「まあ、ジエン坊にメイちゃん。どうしたの? 怪我でもしたのかしら?」
その人は――俺の母上。
父上の正妻であり、つまり一族で最も地位の高い女性だ。
「アイーリアンおばさま」
メイインが丁寧に挨拶する。
けれど、その口元が一瞬ためらうように動いた。
――言おうとしている。兄さんたちにいじめられたことを。
「俺、ただ……雪で滑って顔を打っちゃったんだ」
母上が眉を上げる。
「本当に、それだけ?」
視線を逸らしながら、小さくうなずく。
数秒の沈黙のあと、母上は小さく息を吐いて微笑んだ。
「そう。ならいいわ。大したことがなくてよかった。
でも、気をつけなさいね。――私の可愛い坊やに何かあったら、悲しいもの」
その優しい声が、胸に沁みた。
嘘をついている罪悪感が少しだけ痛かったけれど、今はそれよりも母上の笑顔を曇らせたくなかった。
「母上……その呼び方、やめてよ」
小声でつぶやいたけれど、母上は楽しそうに笑って、俺とメイインの頭を撫でた。
「ふふ、恥ずかしがり屋さんね」
そう言って俺たちを送り出してくれた。
母上は父上の第一夫人――つまり正妻であり、一族の中でも最も立場の高い女性だ。
けれどその性格は、どちらかと言えば一族の中でも少し変わっている。
“自由人”とか“頑固者”なんて呼ばれているのを何度も耳にした。
やりたいことをやる人――それが母上だ。
一族の中で色んなことに手を出しては、周囲を困らせる。
けれど、それを止めようとする者がいれば、その人こそ後悔する羽目になる。
……たぶん、その自由さが、メイインと気が合う理由なんだろう。
もちろん、族長の妻としての責務もきっちり果たしている。
屋敷の管理、使用人たちの監督、家事の采配――どれも完璧だ。
だが同時に、彼女には冒険心がありすぎる。
俺は今でも覚えている。
母上が突然「鍵開けの技術を学びたい」と言い出し、一族の部屋を片っ端から開けて回った事件を。
父上――武偉は当然激怒して、何時間も説教した。
けれど母上はケロリとした顔で話を聞き流し、最終的に頭を抱えていたのは父上の方だった。
そんなことを思い出しながら、俺とメイインは図書館へ向かった。
医療棟よりもさらに大きい、二階建ての塔のような建物だ。
中へ入ると、木の香りと紙の匂いが混ざり合っている。
壁際には本棚がずらりと並び、巻物や書物がびっしりと詰まっていた。
人の姿はまばらだ。
多くの一族は身体を鍛えることを重視し、知識を求めて図書館に来る者は少ない。
たいていは、新しい武技や修練法を探す時にだけ利用するのだ。
修練――すなわち「気を練る」術は、十八歳になってから正式に学ぶのが一族の決まりだ。
その年齢になって初めて、丹田と経脈が完全に形成され、大人として認められる。
けれど、それまでは自分で学んでおくことは許されている。
「それでいいわ」
少し考えたあと、メイインはうなずいた。
「ありがとうございます、吳爺爺」
俺は右手を拳にして左の掌に重ね、頭を下げる。
これは武礼――いわゆる「武の礼」と呼ばれる一礼だ。
一族の子供は皆、この礼を幼い頃から教わる。
この大陸では一般的な挨拶の仕方だと聞いた。
「礼などいらんよ、ジエン坊」
ウー・イエイェは笑って手を振ると、棚の方へ向かった。
巻物が並んでいる棚から一つを取り出し、メイインに手渡す。
「これが今のお前たちにちょうどいいだろう」
「ありがとう、ウー・イエイェ!」
俺とメイインは声をそろえてお礼を言った。
二人で図書館の奥へ進むが、机に座るにはまだ背が足りず、足がぶらぶらしてしまう。
だから俺たちは、図書館と道場をつなぐ回廊に座るのがいつもの習慣だった。
お気に入りの場所からは、雪に覆われた中庭がよく見える。
吳一族の屋敷にはいくつもの中庭があり、春や夏には花や小川、木々で満ちる。
けれど今は冬。
葉を落とした枝の上に白い雪が積もり、まるで絵のような静けさに包まれていた。
「……さむっ」
思わず身を震わせると、メイインが心配そうにこちらを見た。
「寒いの?」
「うん、ちょっとだけ」
「じゃあ、もう少し近くに座ろ。そうすればお互い温まるでしょ?」
メイインはにこっと笑って、体を俺の方へ寄せてきた。
肩と太ももが触れ合い、ほんのりとした温もりが伝わってくる。
そのまま彼女は巻物を膝の上に広げた。
古びた羊皮紙に触れると、指先の下でカサリと音がした。
そこにはびっしりと文字が書かれ、人の体を描いた図もある。
俺たちは小さい頃から読み書きを教わっているから、内容を理解することはできた。
「なになに……『修練とは、気を体内に取り込み、己の力を高め、寿命を延ばし、常人には扱えぬ力を得る術である。修練の方法は天の星々ほどに存在するが、最も基本となるのは、天地の陰陽の気を丹田に集め、力を養うことにある』……」
メイインが声に出して読むたびに、白い息がふわりと空に溶けていく。
俺は彼女の声を聞きながら、内容を頭の中で反芻した。
陰陽の気を集める……なんて難しそうな。
どうやってそんなことをするのか、まるで想像がつかない。
――まあ、まだ俺の丹田は目覚めていないし、分からなくて当然か。
「次は……『人の修練の段階は九つの境界に分かれる。それぞれの境界には九つの小段階が存在する。ただし、鍛体境と天人境のみはこの限りではない。境界は以下の通り――鍛体境、飢餓境、魂魄境、修羅境、人限境、天人境、求道境、悟真境、円満境』……ふむ……」
「どうしたの?」
俺が尋ねると、メイインは巻物を見つめたまま、小さく首を傾げた。
メイインは眉をひそめながら、巻物に書かれた境界の一覧を最後まで読み上げた。
けれど、何かが気にかかっている様子だ。
俺にはその理由がまったく見当もつかない。
彼女が考え込む間、俺は足をぶらぶらと揺らし、靴の先が地面の雪をかすめて小さな白い粉を舞い上げた。
「うーん……この説明、なんだかおかしい気がするの」
メイインは唇を尖らせながら言った。
「おかしいって、どこが?」
「えっとね……うまく言えないんだけど、もっとたくさん“境界”がある気がするの。こんなに少ないはずがないというか……」
彼女は自分でも確信が持てない様子で首を振り、再び巻物へ視線を落とした。
「『鍛体境は最初の修練段階であり、そこを突破して飢餓境へ至ることは、成人を迎える子供たちの通過儀礼とされる。この段階には下位段階は存在せず、気を練ることよりも肉体を鍛えることに重きを置く。鍛体境における強さは、修練者の身体能力によって測られる』……あっ!」
メイインが勢いよく顔を上げた。
「これって、私たちでも鍛体境の修行ならできるってことじゃない?」
「えっ、できるの?」
「できると思う!」
彼女は指で巻物の一文を示しながら続ける。
「ほら、ここに書いてある。子供が修練を禁じられている理由は、経脈と丹田が十八歳になるまで完成しないから。でも、鍛体境は“気を練る”修練じゃなくて、“体を鍛える”修練。つまり、気を扱わなくてもできる段階なのよ。――だから、私たち吳一族の子供は、みんな小さい頃から武術を習うんだわ!」
なるほど。
そう考えると、確かに筋が通っている。
俺は目を丸くしながら、メイインの勢いに押されるようにうなずいた。




