第3話 暗き予兆
悔しさに濡れた涙が頬を伝い落ちる。
その瞬間、メイインはそっと俺の頭を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめた。
彼女の頬が俺の頭の上に触れ、優しい温もりが伝わる。
俺は声を殺して嗚咽をこらえながら、彼女の背に腕を回し、胸の奥に溜め込んでいた悔しさをすべて吐き出した。
「……少しはすっきりした?」
「……ひっく、……すん……うん、ちょっとだけ」
「よかった。ねえ、ジエン。――このままの自分でいたいわけじゃないよね? 変わりたいんだよね?」
「もちろんだよ。強くなりたい。もっと勇気のある自分になりたい」
「だったら、私の提案を聞いてくれる?」
「……提案?」
「今のままじゃ強くなれない。授業で教官ランに習うだけじゃ足りないの」
「じゃあ、授業以外でも鍛えろってこと?」
「うん。強くなりたいなら、それしかない。武勇たちだって、授業の外で修練してるもの。私、この目で見たの」
「……わかった。やってみる。家族に恥をかかせないように、すごく頑張るよ」
「その意気よ! それに、私も手伝うわ。私が――」
「ん? メイイン? どうしたの?」
言葉が途中で止まった。
メイインの瞳から光が消え、焦点の合わないガラス玉のように虚ろになる。
身体がふらりと揺れた。
この様子を見たのは、これが初めてじゃなかった。
頻繁ではないけれど、時々こうなるのだ。
――俺には分かっていた。
また“あれ”が来たのだ。
背筋に冷たいものが走った。
いつものように少し待てば戻ってくると思っていた。
だが――数分経っても、メイインはぼんやりと立ったまま、焦点の合わない瞳でどこかを見つめている。
こんなに長く戻らないのは初めてだった。
魂が抜けたみたいに見えて、胸がぎゅっと締めつけられる。
「メイ? メイ、聞こえる? 大丈夫?」
肩に手を置いて、軽く揺さぶった。
何度か瞬きをしたあと、メイインの瞳に少しずつ光が戻ってくる。
けれどその表情はどこか曇っていて、唇をきゅっと結んだまま。
泣くのを必死に我慢しているように見えた。
「どうしたんだ……? 何か、見たの?」
俺が尋ねると、メイインは唇を噛みしめたまま、そっと俺の頬に手を添えた。
親指で優しく撫でながら、やがて額を俺の額に重ねる。
その瞳の奥で、涙が今にもあふれそうに揺れていた。
「……見たの」
かすかな声で、彼女は告白する。
「何を見たの?」
「……言うべきか、分からないの」
「そんなに……悪いこと、だったのか?」
メイインは静かにうなずいた。
俺は深呼吸をして、震える彼女の肩を軽く握る。
「……それでも、教えてほしい。もしかしたら……俺に、できることがあるかもしれないだろ?」
「……わかった」
メイインは囁くように言った。
深く息を吸い込む。
「私、見たのよ……ジエン、あなたが……血の池に横たわって、動かないのを。何度も名前を叫んだけど、返事はなくて、届かなかった。誰かが私を引き離して、私は……私は……すごく怖かったの、ジエン。これってどういうこと?」
メイインが声を上げて泣き出す。
俺は言葉が出なかったが、今度は俺が彼女を抱きしめた。
メイインの予言はいつも大袈裟なものばかりではない。
以前、吳浩に「木に登ったら腕を折る」と言ったことがあって、彼は侮って登った結果、本当に腕を折った。
吳爺爺には「働きすぎると腰をやる」と告げたことがあったが、笑って聞き流した彼は一週間動けなくなるほどの腰痛を負った。
だから、今回のビジョンは、ただの杞憂ではないかもしれない――そう思うと血の気が引いた。
そんな未来が本当に来るのか。
俺が、メイインが見た通りに死ぬのか。
そんなの、断じて受け入れられない。
体の中で、何かが燃え始めるのを感じた。
正体のわからない熱が胸に灯り、今まで知らなかった感情を焚き付ける。
恐怖でも、悲しみでもない――ただ、強くなりたいという熱だった。
俺はその感情にしがみついた。
「何を意味するかはわからない。でも、そんな未来にはさせない。今から本気で修練する。もっと強くなる。絶対に、あなたが見た未来は起こらないようにする――約束するよ」
弱い自分なんて、もううんざりだ。
臆病な自分も、情けない自分も、もう嫌だ。
一族の恥だなんて呼ばれるのも御免だ。
父上に胸を張ってもらいたい。
一族に認められたい。
自分自身のためにも、強くなりたい。
けれど――それ以上に、俺はこの少女の涙をもう見たくなかった。
メイインの笑顔は、まるで新年に咲く桜のように儚くて、美しかった。
その微笑みを見るだけで、息が止まりそうになる。
この笑顔のためなら、火の海だって、溶岩の中だって歩ける。
天が行く手を遮るなら、この手で引き裂いてみせる。
それくらいに――この笑顔が、俺にとってのすべてだった。
「ありがとう、ジエン……本当に、ありがとう。私、あなたと離れたくないの」
「俺もだよ、メイイン」
彼女が再び腕を回し、俺を抱きしめる。
俺もその小さな身体を抱き返した。
世界で一番大切な親友と互いの温もりを確かめ合いながら、俺の心にただ一つの想いが刻まれる。
――強くならなきゃ。




