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銀蓮(シルバー・ロータス)の効果

日々はあっという間に過ぎていった。

俺はメイと母上の助言どおり、ひたすら鍛錬に打ち込んでいた。

まだ子供で、チーを練ることはできない。

だからこそ――俺にできるのは、身体を極限まで鍛えることだけだった。

腕立て伏せ。腹筋。懸垂。スクワット。ランジ。ディップス。プランシェ。

思いつく限りの鍛錬を片っ端からこなした。

昼の半分を身体の鍛錬に費やし、夜は座禅を組んで瞑想する。

もちろん、今の俺にとって瞑想には直接的な効果はない。

だが、いずれ修行者となる時のために――

正しい瞑想の仕方を身につけておくことが大切だと、母上とメイに教わった。

いま俺がしているのは「アーチャー懸垂」という鍛錬だ。

部屋の梁に二本のロープを垂らし、その先に拳の二倍ほどの金属輪を結びつけてある。

俺はその輪を両手で掴み、ぶら下がっていた。

ゆっくりと、できる限りゆっくりと――

右腕だけで身体を引き上げる。左腕は伸ばしたまま固定。

右腕の筋肉が悲鳴を上げ、全身に力がみなぎる。

顎が金属輪より上に来た瞬間、腕が震えだした。

焼けつくような痛みをこらえながら数秒その姿勢を維持し、

今度は左腕に切り替えて同じ動作を繰り返す。

アーチャー懸垂という名は、弓を引き絞る動作に似ていることからついたらしい。

普通の懸垂よりも遥かに難易度が高く、

普段の鍛錬では使われない筋肉までも酷使する過酷な鍛錬法だ。

汗が腕から、背中から、脚から、そして足の先から滴り落ちた。

床に落ちた雫が小さな水たまりを作っていく。

だが、俺は手を止めなかった。

アーチャー懸垂を終えると、今度は身体を反転させ、

逆さまにぶら下がったまま、両足を金属輪に通した。

そして両手を放す。

血が一気に頭へと上る。

不快な感覚だった。目の前がぐらつき、早くも目眩がする。

足には体重がずっしりとかかっていた。

深く息を吸い込み、両手を頭の横に添えて――

逆さのまま**腹筋シットアップ**を始めた。

身体を最大限まで起こしたところで八秒間静止。

筋肉が震え出すのを感じながら、ゆっくりと上体を下ろしていく。

それを何度も何度も繰り返した。

この金属輪だけでこなせる鍛錬法は数多くある。

俺はそれらを一つずつこなしていった。

汗が滝のように流れ、腕がもげそうになり、

背中の筋肉が燃えるように熱くなるまで――。

ようやく最後の動作を終え、地面に降りようとしたその時だった。

「はぁぁぁ……あっ!?」

床に広がった汗の水たまりのことを、すっかり忘れていた。

足が滑り、そのまま派手に尻もちをつく。

鈍い痛みが尾てい骨を直撃し、思わず声が漏れた。

「いってぇ……くそ、これ痛ぇな。」

顔をしかめながら立ち上がり、

しびれる尻をさすりつつ、深くため息をついた。

尻をさすりながら、俺は足を引きずるようにしてベッドまで歩いた。

だが、汗でびしょびしょの身体のまま座る気にはなれない。

シーツを汚したくなかった。

代わりに、棚の上に置いてあったタオルを手に取り、

顔の汗をぬぐい、床に広がった汗の跡を丁寧に拭き取った。

掃除を終えて間もなく、二人の召使いが部屋へ入ってきた。

一人は盆を手にしており、その上には果物とナッツが入ったお粥の椀、

そして脇に添えられた豚肉の焼き物が乗っている。

もう一人は金属棒の両端に吊るされた水桶をいくつも担いでいた。

二人のうち、水を運んできた方が風呂桶へ向かい、

桶の水をゆっくりと注ぎ入れる。

もう一人は俺のベッドに食事の盆をそっと置いた。

「ありがとう。」

そう笑顔で言うと、召使いの一人が一瞬だけ俺を見つめ、

無言で小さくうなずいた。

……それ以上の言葉はなかった。

俺の笑みが少し引きつる。

だが、何も言わない。

――これも罰の一環だ。

俺は誰とも話してはいけない。

同様に、彼らも俺に話しかけることを禁じられている。

召使いたちはすぐに部屋を出ていった。

一人残された俺は、ため息をつき、それから自分の頬を両手で軽く叩く。

「よし……食うか。」

香ばしい匂いが鼻をくすぐる。

腹がぐぅっと鳴った。

俺はすぐに箸を手に取り、

お粥と豚肉をあっという間に平らげた。

ほんの数十秒で空になった器を見つめながら、

名残惜しそうに喉を鳴らす。

……まだ腹が減っている。

猛烈に減っている。

たぶん、あれだけ身体を酷使しているせいだろう。

最近は以前よりもずっと食欲が増している。

だが――召使いが次に食事を運んでくるのは昼。

今はもう、待つしかなかった。

朝食を終えると、鍛錬の最終段階に入った。

俺は服を脱ぎ捨て、**銀蓮シルバー・ロータス**を手にして風呂桶の方へ向かった。

まず、茎の一部を小刀で切り落とし、それを水の中へ放る。

――ジュッ。

茎が溶けていく音がした。見た目はほとんど変わらない。

だが俺にはわかる。この水は今、周王国の名湯にも勝る栄養湯になっている。

次に、花の中から二粒の種を取り出し、水面に放った。

種もまた音もなく溶け、湯は乳白色に変わっていく。

最後に、銀色の花弁を一枚と、雄しべを一本口に含んだ。

そして、そのまま湯の中へ身体を沈めていく。

いつものような熱い風呂ではなく、ぬるめの湯。

けれど、それが今の俺にはちょうどよかった。

火照った肌を優しく冷ましてくれる心地よさに、思わず息を漏らす。

脚を組み、目を閉じる。

呼吸を整え、意識を内へ向けた。

世界の音が遠のき、心が静寂に包まれる。

――そのとき、感じた。

銀蓮の力が身体に染み込んでいく感覚を。

銀蓮にはいくつかの効果がある。

一つは肉体の強化。

筋肉の力、硬度、密度、柔軟性を大幅に高める。

もう一つは身体の浄化だ。

今の俺にはまだ恩恵が薄いが、修行を始めたときにこそ真価を発揮する。

人の身体には、食べ物や空気、そして取り込んだチーから生まれる不純物が溜まっていく。

気というものは本来、完全に清らかな存在ではない。

修行者は長い年月をかけて、それらの不純物を取り除く術を身につける。

だが、まだ修行の道に踏み出せない子供たちは――

ごく微量とはいえ、生きているだけで気を吸収し、

そしてそれを浄化する術を持たない。

つまり、この銀蓮は、俺のような者にとって、

**未来の修行に備えるための“下準備”**となる宝なのだ。

どれほどの時間が経ったのかはわからなかった。

ただ、気がつけば湯はすっかり冷え切っていた。

目を開けると――

湯の色が真っ黒に変わっていた。

……俺の身体から染み出た不純物が、

すべて湯の中に流れ出たのだ。

鼻を突くような臭気と濁った色が、

まるで毒を煮詰めたように見える。

慌てて湯船から出て、タオルで身体を拭う。

黒い汚れが布にこびりつき、何度も何度も擦った。

身体を乾かすと、薄い下衣だけを身にまとった。

どうせ部屋から出ることは許されていない。

誰に見せるわけでもないし、着飾る必要もない。

大きく息を吐いて、ベッドに倒れ込む。

全身が心地よい疲労に包まれ、瞼が重くなる。

「……メイは、どうしてるかな。」

思わず口からこぼれた言葉。

だが、当然ながら――

部屋は何の返事も返さなかった。


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