第18話 禁じられた計画
「――絶対に駄目だ。
双牙山へ近づくことは、私が許さん」
「で、でも、父上――」
「“でも父上”ではない!」
父上の声が雷のように響いた。
空気そのものが震える。
「やっと少しは骨が通ってきたようだが……あの山は子どもが行っていい場所ではない。
魔獣も盗賊も出る。
命を落としたくなければ、その考えは捨てろ」
――完全な拒絶だった。
授業を終えたあと、俺とメイインは“自然の宝”を探すための許可を得ようと、父上の屋敷を訪ねたのだが……見事に撃沈した。
武悠士――一族の族長であり、俺の父。
その邸宅は、ウー一族の屋敷群の北端に位置している。
俺の部屋よりはるかに広く、そこには父上のほか、母上と第二夫人のタオフア夫人も住んでいる。
だが、意外なことに屋敷はそれほど華美ではない。
壁にはいくつかの肖像画と山水画が掛けられている程度だ。
この家で最も印象的なのは――屋敷の一角に広がる禅庭だろう。
今は雪に覆われているが、雪解けの季節には盆栽と花々が一面に咲き誇るらしい。
俺とメイインは、その屋敷の応接間にいた。
父上が来客を迎える場所だ。
……そして今、俺は彼の前で拳を握りしめていた。
その鋭い眼光に射抜かれるたび、まるで全身が縮こまっていくような錯覚に襲われる。
言い返したい。
反論したい。
でも――言葉が出ない。
胸に重くのしかかる“威圧”に、喉が固まってしまう。
「……は、はい。父上……わかりました」
ようやく絞り出した声は、ひどく情けなく震えていた。
父上がなぜそこまで頑なに双牙山を禁じるのか――正直、俺にはわからなかった。
別に、無謀に行くつもりなんてなかった。
護衛をつけてもらえればそれでよかった。
一族には強い修練者が大勢いる。
たとえ山に魔獣が出たとしても、最上級のものさえ避ければ危険はないはずだ。
……それでも駄目なのか。
時期が悪かったのか。
それとも、俺の言い方が悪かったのか。
理由はどうあれ、もう遅い。
父上が「駄目」と言った以上、その言葉が覆ることは絶対にない。
「……ふん」
父上はしばらく俺を見つめたあと、鼻で息を鳴らし、踵を返した。
まるで何かに失望したような眼差しだった。
後ろに残っていたタオフア夫人が、その口元にうすく笑みを浮かべる。
挑発するような、勝ち誇ったような笑み。
「……」
何も言い返せず、ただ拳を握り締めるしかなかった。
そのまま二人が部屋を去るのを見届け、しばらく無言のまま、俺は応接間に立ち尽くした。
やがて息を吐き、重い足取りで外へ出る。
◆◆◆
外では、メイインが待っていた。
その整った顔には、珍しく不満の色が浮かんでいる。
青と桃色の襦裙が風に揺れ、彼女の白い肌と青い瞳を引き立てていた。
動くたび、裾がふわりと舞い――まるで仙女のようだった。
「信じられない……。
叔父上、どうして止めるの?
これは全部、ジエンの修行のためなのに。
息子が“強くなりたい”って言ってるのよ?
普通なら喜ぶところでしょ? なのに、あの頑固さったらもう!」
俺は何も言わず、彼女の差し出した手を取った。
指先に、かすかな温もり。
――当然の結果だ。
父上が許すわけがない。
双牙山は危険な場所。
魔獣も、盗賊も、何が潜んでいるかわからない。
族長の後継者を、そんな場所に行かせるはずがないのだ。
分かってはいた。
父上が正しいのも、危険を避けたい気持ちも。
けれど――胸の奥では、どうしても小さな反発が燻っていた。
「……はぁ」
ため息をついても、虚しさは消えない。
ウー・ヨンに反抗することはできた。
でも、父上に逆らうなんて――そんなこと、できるはずもない。
相手の重みが違う。
少年と族長。
その差はまさに“天と地”だ。
……情けない。
父上はいつも言っていた。
「ウー一族の男は、胸を張れ。
背筋を伸ばし、決断は恐れるな」
でも俺は――その勇気をまだ持てていない。
ウー・ヨンに立ち向かうだけで精一杯だった。
あのときだって、足が震えていたのを覚えている。
こんなんで、本当に父上の期待に応えられるのか?
◆◆◆
父上からの許可が得られなかった俺たちは、気持ちを切り替えるために図書館へ向かった。
いつもなら物語を読むところだが、今回は“族法”や“伝統”に関する書物を選んだ。
退屈な内容だが、族長になるには避けて通れない知識だ。
無言のままページをめくり続けて、十五分ほど経ったころ。
「……これから、どうしようか」
俺がぼそりと呟くと、メイインが顔を上げ、きょろきょろと周囲を見回した。
誰もいないのを確認すると、彼女はすっと身を寄せ、俺の耳元で囁く。
「――夜になったら、抜け出すのよ」
一瞬、心臓が跳ねた。
「え……?」
その瞳には、決意の光が宿っていた。
「……本当に、そんなことできるのか?」
俺は思わず聞き返した。
「もちろんよ」
メイインは胸を張り、得意げにウィンクしてみせる。
「誰に聞いてるの? 私は誰だと思ってるの?
ウー一族の巡回ルートなら、全部暗記してるわ。
それに、南側の塀に警備の手薄な場所があるの。
そこを登れば、誰にも見つからずに外へ出られる」
「……でも、それはさすがに危険じゃ……」
「危険かもしれないけど、このままでウー・ヨンに勝てると思う?」
「それは……」
「無理よ。どれだけ努力しても、今のままじゃ追いつけない。
努力は大事。でも、それだけじゃ“差”は埋まらないの。
あの人たちだって、授業以外の時間に自主鍛錬してるわ。
授業で教えられるのは基礎だけ。
自分の意志で努力できる者だけが、一族の資源を得る資格を持つ。
ウー・ヨンだって、きっとそうしてる」
「……確かに、それはそうだけど……」
「ジエン」
メイインは俺の名前を呼び、その青い瞳をまっすぐに向けてきた。
「私、あなたを失いたくない。
だから――もっと強くなって。
私たちが、ずっと一緒にいられるように」
その言葉とともに、心がぐらりと揺れた。
怖い。
父上の逆鱗に触れるのが怖い。
でも――それ以上に。
メイインを失望させることのほうが、何倍も怖かった。
……結局、俺は折れた。
「……わかった。今夜、抜け出そう。
頼りにしてるよ、メイ」
「うん。ぜーんぶ任せて」
メイインの笑顔が、春の日差しのように明るく輝く。
その笑顔を見ただけで、胸の奥の不安が少しだけ軽くなった。




