第17話 七倍の力を求めて
第17話 七倍の力を求めて
鍛錬を終えたあと、俺は自分の棟へ戻った。
風呂を沸かす時間がもったいなかったので、濡れ布巾と石鹸で体を拭くだけで済ませる。
汗を流し終えると、再びメイインと合流し、二人で食堂へ向かった。
席に着くと、若い侍女が湯気の立つお粥の器を二つ運んできた。
さらに、木の実やベリー、そして蜂蜜の入った小瓶が添えられる。
俺はそれらを全部粥に入れ、木匙で混ぜながら周囲を見渡した。
この時間帯に食堂へ来ているのは、同年代か少し年上の連中が多い。
枝家の子たちの姿も目立つ。
左手のテーブルには、ウー・リウフェンの姿があった。
彼は十八歳で、つい先日、成人の儀――つまり飢餓境への突破を果たしたばかりだ。
その時の祝いの宴は盛大で、一族中が彼を称えた。
多額の褒賞金を受け取り、さらに今年の帝立学院の入試を受ける資格を得たらしい。
……そして、あのときもやはり、メイインの予言は当たっていた。
彼が突破する日も、試験に一度落ちて翌年に合格することも――彼女はすでに知っていた。
リウフェンの周りで笑顔が溢れるのを見ながら、俺は改めて“強さ”の意味を考えていた。
――強くなれば、人を笑顔にできる。
たとえ、それだけの理由でも。
それは人のために努力する十分な動機だ。
けれど、俺にはもう一つ――もっと切実な理由がある。
匙を動かしながら視線を横にやる。
そこには、静かに粥を口に運ぶメイインの姿があった。
その所作は、まるで舞のように優雅で――ただ食べているだけなのに、目を奪われる。
彼女は俺の視線に気づいたのか、ふと顔を上げ、柔らかく微笑んだ。
「どうしたの?」
「いや……顔に、ちょっと粥がついてた」
言いながら、俺は手を伸ばした。
彼女の頬に指先を触れさせ、白い粥をすくい取る。
そのまま――指先についたそれを舐め取った。
「……取れた」
「……っ!」
メイインの頬が一瞬で桜色に染まり、匙を握る手が止まった。
――やばい、やりすぎたかも。
メイインは数度まばたきをしてから、ふっと笑った。
「ありがとう。――それより、今あんまり見ないほうがいいけど……ウー・ヨンが来てるわ」
「……え?」
“見るな”と言われた瞬間、逆に反射的に振り向いてしまう。
そうして彼女の言葉通り、俺はすぐにウー・ヨンを見つけた。
食堂の入り口から入ってきた彼は、堂々とした足取りでテーブルの一つへ向かっていく。
だが、俺の視線に気づいたのか、途中で立ち止まり、こちらを振り向いた。
一瞬、目が合う。
そして、あの嫌な笑み。
唇の片端だけを吊り上げた、あの意地の悪い笑い方。
そのまま、何事もなかったように視線を外して座った。
「ふーん……何もしてこないのね」
メイインが匙を回しながら呟く。
「もっと絡んでくると思ってたのに」
「いや、あいつは今は何もしないさ」
俺は首を振った。
「父上も長老たちも、俺とウー・ヨンの決闘を正式に認めた。
今ここで何かすれば、“妨害”と見なされる。
あいつは自分が負けるとは思ってないから、下手な真似で立場を悪くするようなことはしないよ」
「なるほどね。確かに、ウー・ヨンらしいわ」
メイインはうなずき、頬にかかった髪を指で耳にかけた。
その仕草が妙に大人びて見えて、思わず息を呑んだ。
彼女は再び粥を口に運び、数口噛んでから、少しだけ身を乗り出し、俺の目をまっすぐ覗き込んできた。
「ねえ、ジエン。――あいつに、勝てると思う?」
問いかけに、思わず息が止まった。
すぐに答えは出ない。
勝てる自信なんて、正直なかった。
けれど――
「……関係ないよ」
目を閉じて、ゆっくり吐息を整え、再び開く。
「自信がなくても、勝たなきゃいけない。
それだけは、絶対に譲れない」
メイインの唇が柔らかく綻んだ。
「――いい答えね」
「ありがとう……って言いたいけど、問題はそこじゃないんだよな」
俺は匙を空の器の上に置き、深く息を吐いた。
「そもそも、俺がウー・ヨンに勝てるだけの力を持ってるかどうかが問題なんだ。
前回の力試しで、あいつの数値は三千二百ユニット。
俺は……やっと千を超えたくらいだった。
今は少しは強くなったと思うけど、あいつだって遊んでるわけじゃない。
たぶん、今はもっと強くなってるはずだ」
ウー一族では、半年に一度「力試し」が行われる。
試験石に拳を叩きつけ、その衝撃を数値化する仕組みだ。
それによって、誰が飢餓境への突破条件に近いかを判断する。
授業で習った話では――突破に必要な最低値は五千ユニット。
だが、それは“最低限”であって、筋力があればあるほど気の循環は安定し、突破も容易になるという。
「……心配、してるのね」
メイインが静かに言った。
「当然だろ」
俺は髪をかきあげ、額の汗を拭った。
「いくら強くなっても、あの差は大きすぎる。
地べたを這いながら天を掴もうとしてる気分だよ」
「――つまり、もっと早く強くなれる方法を探してるのね」
彼女の声の調子が、ふっと変わった。
瞳に光が宿り、その奥がぼんやりと霞んでいく。
この表情――。
メイインが“視ている”ときの顔だ。
「それなら――双牙山へ行くの」
「……え?」
その言葉と同時に、背筋が凍った。
彼女の瞳は焦点を結ばず、どこか遠くを見ている。
「双牙山には、身体を強化する力を持つ霊薬がたくさんある。
今すぐに行けば――“七倍”の力を引き出す薬草を見つけられるはず」
彼女の声は、夢の中から響いてくるようだった。
“自然の宝”――そう呼ばれる霊薬や薬草には、さまざまな効果がある。
肉体の強化、感覚の鋭敏化、さらには修練の途中で訪れる“瓶頸”――つまり限界を突破するための補助にも使われる。
もちろん、その効果は錬丹で作られる丹薬には及ばない。
錬丹師が複数の霊薬を調合して生み出す丹薬は、天然の薬草とは比べものにならない力を持つ。
けれど――俺たちのように丹薬を手に入れにくい者にとっては、“そのまま食べる”という選択も立派な手段だ。
そして、精製せず摂取することで得られる恩恵もある。
純粋な自然の気を体に取り込むことができるからだ。
「なるほどな……それなら、今日の授業が終わったあとに父上へ行く許可をもらいに行こう」
「ええ、そうしましょう」
メイインも頷いた。
二人で器を手に取り、残りの粥を口に運ぶ。
食堂のあちこちから、子どもたちの笑い声や談笑が響いてくる。
けれど、俺の心はすでに別の場所にあった。
――双牙山。
未知の森。
危険と宝が混在する、冒険の地。
胸の奥が、わずかに高鳴った。




