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私の商売に乗らない?

会話の途中、数人の給仕が台車を押して部屋に入ってきた。

彼らは卓の周囲に台車を配置し、次々と料理を並べ始める。

若い男が、大きな金属製の鍋を卓の中央に据えた瞬間、

濃厚で食欲をそそる香りが、ふわりと空気を満たした。

鍋の中央には仕切りがあり、

中には二種類のスープが入っているのが分かる。

一方は淡い赤褐色、もう一方は辛味の効いた鮮やかな橙色だ。

その周囲には、

ほうれん草のような葉物野菜、白菜などの歯ごたえのある青菜、

根菜、茸、豆腐、トウモロコシ。

さらに、牛肉、羊肉、鶏肉、豚バラ――

加えて、豚タンのような内臓肉まで、生のまま皿に盛られていく。

俺は、料理が目の前に並べられるのを見ながら、

|周麗華へと視線を向けた。

「……火鍋、か?」

彼女は、くいっと口角を上げた。

「ええ。ウータンズは、火鍋で有名なんですよ」

その言い方は、

まるで火鍋を食べるのが当然のことのようだったが――

俺には、その意味がよく分かっていた。

火鍋は、

誰とでも一緒に囲むような料理じゃない。

同じ鍋をつつく、という行為そのものが、

相手を信頼し、好意を持っている証になる。

もし彼女が、ただの一般人だったなら、

そこまで深い意味はなかったかもしれない。

だが、彼女は周家・歯城支家の後継者だ。

権力も影響力も持つ人物。

その彼女が、

俺たちと火鍋を囲もうとしている。

――それは、

俺たちを対等な存在として、

友として扱っている、という無言の意思表示だった。

正直、胸にくるものがある。

「火鍋……食べたこと、ありません」

そう言ったのは静淑だった。

箸を手に取り、指先で器用に鳴らしている。

「それなら、今日は良い経験になりますよ」

|周麗華は、

どこか狐のような笑みを浮かべた。

「私は火鍋が大好きなんです。

でも……一緒に食べたいと思える人がいなくて、

これまで、あまり機会がありませんでしたから」

その言葉を聞いて、

俺は改めて思う。

――この席に呼ばれた意味は、

想像以上に重い。

そして、

この夜はきっと、

ただの食事では終わらない。

個人用の火鍋を用意することも不可能ではないが、

本来、火鍋というのは大人数で囲む料理だ。

親しい者同士が集まり、語らいながら同じ鍋をつつく――

そんな親密な社交の場として使われることが多い。

そしてその「親しい者」というのは、

多くの場合、血縁――つまり家族を意味する。

「では、堅苦しいことは抜きにしましょう。

どうぞ、召し上がってください」

|周麗華の一言で、場が和らいだ。

「えへへ。じゃあ、遠慮なく」

美影はそう言うと、

豚タンを一切れつまみ、

橙色のスープへと放り込んで、しゃぶしゃぶと泳がせる。

静淑は、その遠慮のなさに注意したそうな顔をしたが、

結局は小さくため息をつくだけだった。

そして、自分も牛肉を一枚取り、

静かに鍋へと入れる。

ほどなくして、

俺たち四人全員が、

思い思いに肉や野菜を鍋へと放り込み始めた。

二種類のスープは、

まさに天と地ほども違う。

赤褐色の方は、沙茶サーチャー風の濃厚なスープで、

大豆油、にんにく、エシャロット、唐辛子、

魚介、干しエビなどが使われているらしい。

俺は、

何もつけずにラム肉をそのまま口に運んで――

思わず目を見開いた。

舌に叩きつけられるような、

圧倒的な旨味と辛味。

確かに辛い。

だが、辛すぎて味が分からなくなるほどではない。

むしろ、その刺激が癖になる。

もう一方のスープは、

鶏をベースにした、ずっと穏やかな味わいだ。

こちらは、

つけだれとの相性が抜群だった。

特に、

醤油・胡麻油・唐辛子粉の組み合わせは――

正直、危険なほど美味い。

食事の間、

誰もほとんど口を開かなかった。

だが、

全員がきちんと火鍋の作法を守っている。

火鍋には、

一緒に食べる者同士が気持ちよく過ごすための

暗黙のルールがいくつもある。

たとえば――箸洗い。

牛肉や茸、豚バラを入れたのを忘れてしまい、

気づけば、

魚団子や野菜、豆腐の海に埋もれている。

それを探し出したい気持ちは分かる。

だが、

箸で鍋の中をかき回すのは御法度だ。

そういう時のために、

専用の火鍋用すくい網が用意されている。

――火鍋は、

料理であると同時に、

人との距離感を試す場でもあるのだ。

火鍋の作法には、まだ他にも重要な決まりがある。

それは――食べる前に、それが自分のものか確認することだ。

鍋の中には、

今にも「食べてくれ」と言わんばかりに漂う一切れの肉や野菜がある。

だが、それが誰のものか分からない時は、

勝手に口にしてはいけない。

必ず、周囲に確認する。

それが礼儀だ。

そして、

火鍋でもっとも大切な掟――

双湯ダブルスープ

複数のスープが用意されているのは、

決して無意味ではない。

辛いものが苦手な人もいれば、

魚介に弱い人もいる。

だからこそ、

一つの食材を途中までこちらで煮て、

仕上げに別のスープへ移す――

そんな行為は絶対にしてはならない。

鍋の中央にある“境界線”は、

尊重されるべきものなのだ。

「はぁ……美味しかったぁ」

美影がそう言って、

満足そうに背もたれへ体を預けた。

ぽんぽんと自分のお腹を叩いて、

満腹だと全身で主張している。

「ええ。本当に」

|周麗華も同意し、

穏やかな微笑みを浮かべる。

その表情は清々しいのに、

……なぜか俺は、

やっぱり狐を連想してしまう。

「また、ここに来たいな」

「でしたら、またお誘いしますね」

「ふふ……やっぱりね。

麗麗リリー、あなたとは気が合うと思ってた」

「……麗麗?」

麗華は一瞬きょとんとしたあと、

すぐに楽しそうな表情になった。

「もう、あだ名を付けてくれるんですか?」

「もちろん。どう? 気に入った?」

「ええ、とても。

あなたたち二人も、ぜひそう呼んでください。

公の場でも、内々でも構いませんよ」

「……分かった。そうする」

俺はそう答えながら、

胸の奥で小さく思う。

――距離が縮む音が、

確かに、聞こえた気がした。

静淑は何も言わなかった。

麗華と美影があまりにも自然に打ち解けているのを見て、

彼女の表情に、ほんのわずかな不満が浮かぶ。

……嫉妬、だろうか。

静淑は軽く咳払いをし、

話題を先へ進めることにしたようだった。

「お招きいただいた理由は、

ただ食事をご一緒するためだけ――ではありませんよね?」

そう切り出し、

彼女は真っ直ぐに|周麗華

を見つめる。

「あなたほどのお立場の方が、

それだけの理由で私たちを呼ぶとは思えません」

「ええ。確かに、また三人と食事がしたかった、という気持ちはあります。

ですが……それだけではありません」

給仕たちが静かに卓を片づけ、

新たに茶と、年糕の簡素な甘味を用意すると、

一礼して部屋を出ていった。

扉が閉まるのを確認してから、

|周麗華は卓に手を置き、

指を組み合わせる。

「|天豪が、

最近、周家にとって無視できない問題になりつつあります。

ですが……ご存じの通り、

我が一族は不干渉の方針を掲げています。

そのため、私たち自身の手で彼女に対処することができないのです」

周家は、

小大陸十三か国すべてに拠点を持つ、

数少ない国際一族のひとつだ。

普通なら、

それほどの力と影響力を持つ一族は、

各国にとって脅威と見なされる。

だからこそ周家は、

「他国の内政に干渉しない」

「国家の方針を変えようとしない」

という不干渉政策を採ってきた。

その結果――

莫大な富と情報網を持ちながらも、

自ら世界を動かすことはできない。

俺は前腕を卓に置き、

少しだけ身を乗り出した。

卓が、

ぎしりと小さく軋む。

だが、そんなことは気にも留めず、

俺は|周麗華を、

真っ直ぐに見据えた。

……どうやら、

ここからが本題らしい。

正直、俺は葛藤していた。

美影に食べさせてもらうのも捨てがたい。

だが――女の子同士が食べさせ合っている光景には、

また別の癒しがある。

……なんて難題だ。

「建、あなたもどう?

はい、“あーん”」

|周麗華が、

年糕を一切れ差し出してきた。

「……あーん!?」

反射的に口を開けてから、

誰が食べさせようとしているのかに気づく。

――遅い。

彼女が、俺の口の中に年糕を放り込んだ。

じゅわっと広がる、

揚げた黒糖餅の甘さ。

その瞬間、

俺は完全に固まった。

近い。

近すぎる。

長い睫毛。

澄んだ瞳。

その一つ一つが、はっきりと見える距離だ。

「……どう? 美味しい?」

もぐもぐと咀嚼し、

ごくりと飲み込む。

「……す、すごく美味しい。ありがとう」

頬が、熱い。

俺は咳払いをして誤魔化し、

美影のくすくす笑いと、

静淑の不満そうな視線を必死に無視した。

「……と、とにかく!

話を戻そう。

やっぱり、天豪に対する計画があるんだな?」

「ええ。ありますよ」

|周麗華は一瞬、言葉を切った。

空気が、ぴんと張り詰める。

そして――

意図的にゆっくりと、

彼女は悪戯っぽく微笑んだ。

「|武剣、

|呉美影、

|侯静淑――

三人とも、

私と一緒に“商売”をしてみる気はありませんか?」

……なるほど。

どうやら本当に、

ただの食事会では終わらないらしい。

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