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立ち聞きした会話

身分の高い人物との夕食ということもあり、

俺――呉建、美影、静淑は、

またしても普段よりはるかに派手な装いをさせられていた。

俺の漢服は黒を基調としたもので、

左胸には金糸で縫われた呉家の紋章が刻まれている。

足首まで垂れる黒い外套を羽織り、そこにも金の縁取りが施されていた。

腰には金色の帯を締め、漢服が乱れないように留めている。

――正直、暑い。

真夏のこの時期には、息が詰まるほどだ。

だが、見栄えを保つためには仕方がない。

これも一族の人間としての代償だ。

この漢服は、蜘蛛型の魔獣の糸で織られている。

強大な一族が身にまとうものほど高価ではないが、

それでも俺が所有している服の中では、間違いなく最高級品だ。

歩くたびに、

陽の光を受けて、きらりと控えめに輝く。

美影の漢服は、色合いだけ見れば俺のものとよく似ている。

同じく黒を基調に、左胸には呉家の紋章。

だが、そこまでだ。

彼女の衣は、明らかに女性のために仕立てられていた。

身体の線に沿うような流れがあり、

成長しつつある肢体の優美さを自然に引き立てている。

胸元には小さな切れ込みがあり、

白い鎖骨がわずかに覗く。

袖はなく、

翡翠色の肌をした肩が、光を受けてしっとりと輝いていた。

そして、最後の一人――侯静淑。

彼女が身にまとっているのは、

桃色と白を基調とした唐代風の皇族礼装だった。

色合いこそ俺たちとは揃っていないが、

その分、衣装の格と華やかさは、

俺や美影のものをはるかに凌いでいる。

何層にも重ねられた衣。

最も外側の一枚は、薄く透けていて、

その下にある内衣の袖が、うっすらと見えていた。

全体は柔らかな桃色でまとめられているが、

首元から脛のあたりまで垂れる長い飾り布だけは、清楚な白。

そして――

彼女が振り返ったとき、

その薄衣越しに、背中の線がかすかに透けて見えた。

……否が応でも、

周囲の視線を集める装いだった。

招待は本来、俺たち三人だけに向けられたものだった。

だが――

「万が一のためよ」

そう言って、桃華阿姨が同行を決めた。

理由は明白だ。

天豪が、また俺を攫おうとする可能性を警戒してのことだった。

あの錬丹師の女は、ここ最近は大人しくしている。

だが、それは諦めたという意味ではない。

父上や桃華阿姨が、これほど慎重になる理由も分かる。

人は――

警戒を解いた瞬間が、一番脆いのだから。

「……あの忌々しい女、まだ始末する方法は見つからないの?」

美影が、腕を組みながら不機嫌そうに尋ねる。

「残念だけど、まだね。

もし彼女が、少し力のあるだけの普通の修行者だったなら、

とっくに殺しているわ」

桃華阿姨は、淡々とそう言った。

「でも、ただの修行者なら、そもそもここに来られない。

それに――彼女は今、明家の屋敷に滞在している」

「……厄介ね」

美影が低く唸る。

「本当にな」

俺も同意した。

俺たちは今、城内へ向かう馬車の中にいる。

今夜の食事は、周家の屋敷ではなく、

**“ウータンズ”**という、城内の料理屋で行われる予定だった。

馬車がごとごとと揺れる中、

美影は腕を組んだまま、ずっと不満そうな顔をしている。

「どうして直接手を下さないの?」

静淑が、はっきりとした口調で言った。

「誘拐未遂は、商国しょうこくでは重罪よ。

しかも犯人は分かってる。

彼女の兄と、雇っていた傭兵が、実際に私たちを襲ってきたんだから」

静淑の瞳には、珍しく強い怒りが宿っていた。

「証拠としては十分よ。

文句を言う者がいたとしても、押し切れるはず」

……確かに、理屈だけなら正しい。

だが――

問題は、そこまで単純じゃない。

俺は、揺れる馬車の中で、

胸の奥にわだかまる嫌な予感を、静かに噛みしめていた。

商国の公主である静淑は、

この国の法について、誰よりも詳しかった。

幼い頃、父上に反対されながらも、

彼女は必死に法を学んだのだという。

――自分が、守られるだけの存在ではないと証明するために。

「……もし、物事がそんなに単純だったら良かったんだけどね」

桃華阿姨は、小さくため息をついた。

「もう分かっているでしょう、静淑国公主。

この世界で、法を守る人間なんて、

“守らざるを得ない者”だけよ」

静淑は、口を閉ざしたまま耳を傾ける。

「力こそが正義。

法を無視できるだけの力を持つ者は、

一瞬の躊躇もなく、それを踏み躙るわ」

「……でも、明家は、そこまで強くないはずです」

静淑が、反論するように言った。

「皇族の力を背にしているあなたから見れば、そうでしょうね」

桃華阿姨は、穏やかだが厳しい声音で続ける。

「けれど、あなたは忘れている。

ここは王都から遠く離れた辺境。

商国の影響力は、驚くほど小さいわ」

馬車の中に、重い沈黙が落ちる。

「治安を守る巡回兵もいない。

裁定を下す仲裁官もいない。

この地に住む者たちは、基本的に――

自分の身は、自分で守るしかないの」

それは、厳しい現実だった。

「確かに、呉家は明家より強い。

でも、明家と聚石家が手を組んだら?

今の私たちでは、勝てない」

桃華阿姨は、静かに言い切った。

「それに、天豪は傭兵も抱えている。

少なくとも三十名。

そのうち半数以上が、感応境よ」

――三十人。

しかも、その半分が感応境。

それは、

今の呉家が正面から相手取れる戦力ではない。

つまり――

今は、何もできない。

無理に仕掛ければ、

勝てたとしても、被害は壊滅的になる。

それでは、意味がない。

揺れる馬車の中で、

俺は拳を握り締めた。

……力が、足りない。

この現実が、

否応なく、胸に突き刺さっていた。

静淑は、苦々しい表情を浮かべたまま口を閉ざした。

ほどなくして、

俺たちは目的地――ウータンズへと到着した。

二階建てのその建物は、

一目見ただけで、威圧感と格の高さを感じさせる佇まいだった。

石段を上った先には、

石と木を組み合わせて造られた建物が立っている。

太い木製の支柱が屋根を支え、

屋根は建物の外へと大きく張り出していた。

そのおかげで、建物をぐるりと囲む縁側には、

たっぷりとした日陰が生まれている。

柱と欄干には朱色の塗料。

屋根瓦には、黄色い釉薬。

軒下の斗拱には、緑の彩色。

――とにかく、色彩豊かだ。

俺たち四人は、そのまま中へと足を踏み入れた。

内部は、空間を広く見せるためだろう、

柱の数が抑えられている。

その代わり、屋根の構造は非常に複雑だった。

斗拱と、持ち出し梁、横梁を巧みに組み合わせ、

木の垂木の下で重量を分散させている。

高度な建築技術がなければ、

到底成し得ない造りだ。

「……すごいな」

思わず、そんな感想が漏れる。

そんな俺たちの前に、

一人の少女が笑顔で現れた。

年の頃は、十代後半だろうか。

赤い漢服に身を包み、

髪は左右に丸く結われている。

……ぱっと見、

まるでパンダみたいだ。

「ウータンズへようこそ。

こちらへどうぞ、お席をご案内いたします」

「いえ、今回は招待を受けて来ています」

桃華阿姨がそう言い、

懐から小さな巻物を取り出して、少女に差し出した。

少女はそれを受け取り、

中身に目を通した瞬間――

さっと、顔色を失った。

慌てて巻物を巻き直し、

深々と頭を下げる。

「し、失礼いたしました!」

……その怯えた様子を見て、

なぜか俺は、少しだけ申し訳ない気持ちになった。

「も、申し訳ございませんでした……!

ご招待のお客様だとは、露ほども存じ上げず……!」

少女は完全に慌てた様子で、何度も頭を下げた。

「個室のご用意はすでに整っております。

周静華公主様も、皆様のお越しをお待ちです。

どうぞ、こちらへ……私がご案内いたします」

……やっぱり、

一族の外でも“公主”と呼ばれているんだな。

公主ゴウゴンジュ――

それは王族、あるいは一族の“姫”と認められた者に与えられる称号。

静淑も、呉家ではそう呼ばれることが多い。

周静華は、周家の後継者であるだけでなく、

若くして圧倒的な実力と才覚を備えている。

しかも、周家は小大陸全域に名を轟かせる名門。

彼女にその称号が与えられるのは、至極当然だった。

俺たちは、まだ落ち着かない様子の少女に導かれ、

階段を上って、いくつもの引き戸が並ぶ廊下へと入った。

それぞれの部屋の向こうから、

話し声や笑い声が漏れ聞こえてくる。

「さあ、飲め飲め!

上等な酒で、憂さ晴らしといこうじゃないか!」

……聞き覚えのある、騒がしい声。

「悪いけど、酔っぱらう気はないわ、明翰。

それより――欲しいものを出して。

でなければ、私は帰る」

この女の声も、

嫌というほど聞き覚えがある。

「まあまあ、そう固くなるなって。

俺にも、簡単に渡せないものってのはあるんだ。

少し腰を据えて話そうぜ。

互いに得をする形にできるはずだろ? なあ、鳳?」

そこに、三人目の声が加わった。

「……全員が望む結果を得ること自体は、不可能ではないと思う。

ただし、そのためには、より綿密な計画が必要だ。

状況を慎重に整理して――」

その先は、

俺たちが廊下を進んだことで、聞こえなくなった。

……だが。

俺たちは、自然と立ち止まり、互いの顔を見合わせていた。

明翰。

聚石鳳。

そして――天豪。

よりにもよって、

あの三人が、同じ店にいるだって?

偶然か。

それとも――天意か。

分からない。

ただ一つ確かなのは、

この状況が、俺たちにとって厄介な火種にならないことを、

祈るしかないということだった。

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