深夜
夜。
月明かりにわずかに照らされるだけの闇が、天林の動きを完全に覆い隠していた。
だが、暗闇は彼にとって障害ではない。
彼は**〈照明〉**と呼ばれる技能を持っていた。
気を目に流し込むことで、夜目を得る特殊な技法だ。
暗殺稼業の役に立つその技は、かつて競売で偶然手に入れたものだった。
――そして今のように、妹のために若い少年を攫う仕事にも役立つ。
木々の間を抜け、砂利の上を音もなく滑るように進み、
やがて呉家の屋敷を囲む塀の前に立つ。
天林は一切ためらわなかった。
脚に気を巡らせ、そのまま跳躍する。
十メートルにも満たない塀など、障害にもならない。
彼は軽々と空を舞い、屋敷の曲線を描く屋根の上に低く着地した。
――探知系の封陣すらないのか。
やはり、こんな小さな一族らしい。
大華城の一族屋敷なら、侵入者を感知する封陣が何重にも張り巡らされている。
彼ほどの腕を持つ暗殺者でさえ、あれを突破するのは困難だった。
そのため、標的が屋敷の外に出るまで待つことも珍しくない。
聞くところによれば、より大きな宗門や強国では、
封陣が侵入を感知するだけでなく、迎撃の術式まで発動するらしい。
やがて、見慣れた呉家の屋敷が視界に入る。
天林は、この一週間、毎晩ここを観察していた。
妹が「呉剣を自分の玩具にする」と言い出してからだ。
正直、妹の趣味は理解できない。
だが――彼女は妹であり、
錬丹師協会の老いぼれどもが何と言おうと、才能ある錬丹師だった。
そして何より、
彼が好き勝手に生きられているのは、すべて彼女のおかげなのだ。
だからこそ――
今夜も、ためらいはなかった。
――とはいえ、他人を裁ける立場でもない。
姉が歪んだ嗜好を持っているのと同じように、
天林もまた、周囲からは「異常者」と見られていた。
もっとも、彼の内面に巣食う本当の闇を知れば、
誰もが顔色を変えて言葉を失っただろう。
彼が何よりも好んだのは、命が失われる瞬間そのものだった。
恐怖、絶望、そして断末魔――
それらが混じり合う瞬間に、彼は得体の知れない高揚を覚える。
その嗜好がいつ芽生えたのか、彼自身にも分からない。
幼い頃の残酷な遊びが始まりだったのか、
あるいは初めて人を殺めた夜だったのか。
ただ一つ確かなのは、
初めて血を浴びたその瞬間、彼は吐き気ではなく、
言葉にできない歓喜を覚えたということだ。
それ以来、彼は「違い」を確かめるようになった。
誰を、どのように追い詰めた時、最も心が昂るのか。
北市場で見た光景が脳裏をよぎる。
呉剣の両脇にいた二人の少女――
その存在を思い出すだけで、天林の口元が歪んだ。
――あの場では手を出せなかった。
だが今夜は違う。
標的は一人ではない。
姉の望みを叶えるついでに、
自分自身の欲望も満たすつもりだった。
闇の中、天林は音もなく前進する。
胸の奥で渦巻く期待を抑えきれぬまま。
今夜こそ――
最高の“収穫”になるはずだった。
だが、その前に――
まずは呉剣と、あの二人を攫わなければならない。
熟練した暗殺者らしい動きで、天林は屋根から音もなく飛び降り、砂利の上に低く着地した。同時に、彼は別の技を発動させている。
緩衝。
気を足裏に流し込み、衝撃と音を吸収する技だ。一般的な静音技よりもはるかに高い制御力を要求されるが、天林は修羅境に到達する以前から、異常とも言えるほど精密な気の操作を得意としていた。
そして今――
この境地に至った彼の制御力は、同世代の中でも群を抜いている。
彼は木々と茂みの間を縫うように進み、やがて敷地の縁へと辿り着いた。そこで一度足を止め、茂みの陰に身を潜めると、次の技を発動する。
影隠。
全身を気で覆い、周囲の影と同化させる技だ。夜間かつ暗色の衣を纏っている時にしか使えないが、視認性を大きく下げることができる。ただし、影の動きを注意深く見れば見破ることも不可能ではない。
敷地内には多くの巡回者がいた。
だが天林は、すでに彼らの巡回経路を完全に把握している。
あとは――
隊列に生じる一瞬の隙を突き、呉剣の住まう建物へ向かうだけだった。
当然ながら、その建物には警備が敷かれていた。
正面の扉の前には呉家の族人が二人、そして呉剣の寝室へと続く窓のそばにも、さらに二人が立っている。忍び込む難易度は上がるが――それでも不可能ではない。
天林は背後へ回り込み、建物の周囲を巡回していた警備が離れるのを待った。そして一瞬の隙を突いて屋根へと跳び上がる。
屋根は、商王国の建物らしく緩やかな曲線を描き、四隅には装飾が施されていた。角に据えられた龍の像は金色に輝いて見えたが、彼の目には、それがただの金メッキに過ぎないことがはっきりと分かる。
彼は音もなく屋根の縁へと近づき、ちょうど窓の真上に位置取ったところで足を止めた。
そして、気を喉へと流し込み、声を放つ。
その声は、十メートルほど離れた、木々と茂みに囲まれた場所から響いた。
「今のは何だ?!」
「誰かいるのか?!」
愚かにも、二人の警備は声のした方へ叫びながら駆け出していく。
その瞬間、天林は地面へと降り、窓を開け、滑り込むように室内へ侵入し、即座に窓を閉めた。
一連の動作にかかった時間は、ほんの一瞬だった。
彼が入り込んだ部屋は、決して広くはない。
それもそのはず、室内には鍛錬用の器具が所狭しと置かれていた。筋力を鍛えるための道具があちこちに散らばり、他にも机、鏡、大きな箪笥、そして寝台がある。
――ここが、呉剣の部屋だ。
天林は寝台へと視線を向けた。
布団の下には、かすかに上下する膨らみがあり、そこからは穏やかな寝息が聞こえてくる。
侵入したにもかかわらず、呉剣は目を覚ましていない。深い眠りに落ちているようだった。
当然だ。
天林の隠密技術は一流だった。このような辺境の田舎町で、彼の存在を察知できる者がいる方が驚きだ。
彼はクロロホルムの小瓶を用意し、音を殺して寝台へ近づいた。そして布団を掴み、一気に引き剥がす。
狙いは単純――少年を押さえつけ、叫ぶ前に意識を刈り取ること。
だが、そこにいたのは少年ではなかった。
漆黒の夜のような髪。
刃のように鋭い眼差し。
そして、青砂漠――灼熱ゆえに住民でさえ理由なく太陽の下へ出ない乾ききった大地――さえ凍りつかせるかのような、氷のように冷たい表情。
「……なに?」




