最終話
わたくしの祖国、アルテミス王国の王都は、死の色に染まっていた。
空は鉛色の瘴気に覆われ、陽の光は届かない。道端には枯れた花が力なく項垂れ、すれ違う人々の顔には深い絶望と疲労の色が浮かんでいる。
かつての華やかな面影は、どこにもなかった。
「……ひどい」
馬車の窓から見える惨状に、思わず息を呑む。
わたくしという『楔』を失っただけで、国はここまで急速に崩壊するのか。
「お前のせいではない。全ては、宝石の価値を見抜けなかった愚か者どもの責任だ」
隣に座るカイザー様が、わたくしの手を力強く握りしめてくれる。
その温もりに励まされ、わたくしは覚悟を決めた。
王城の広場には、やつれ果てた王侯貴族と、最後の希望を託され集まった民衆が、不安げな面持ちでわたくしたちを待っていた。
その中には、エドワード殿下とリリアナ様、そしてわたくしの両親の姿もある。
馬車を降りたわたくしに、どよめきが起こった。
「本当に、あの『置物令嬢』が……?」
「帝国に魂を売った裏切り者め」
「今さら戻ってきて、何ができるというのだ」
侮蔑と不信に満ちた囁き声が、容赦なく突き刺さる。
けれど、もう、わたくしの心は揺るがなかった。
「カイザー様。見ていてくださいませ。わたくしの、本当の力を」
「ああ。お前が世界で一番輝く瞬間を、この目に焼き付けよう」
カイザー様に見守られながら、わたくしは広場の中央へと一人、歩みを進める。
そして、深く息を吸い込み、天に両手を掲げた。
――お願い。わたくしの力よ。この地を、人々を、癒してあげて。
心の中で強く念じた瞬間。
わたくしの全身から、純白の光の奔流が、閃光となって解き放たれた!
ズオオオオオオッ!!
光は巨大な柱となり、天を覆う瘴気の暗雲を、まるで紙を破るかのように貫く。
光の波紋が同心円状に広がり、王都全体を、そして王国全土を、優しく、温かく包み込んでいく。
「こ、これは……!」
「瘴気が……消えていくぞ!」
人々の驚愕の声が上がる。
鉛色の空は瞬く間に浄化され、久しぶりの青空と、温かい太陽の光が地上に降り注いだ。
枯れていた街路樹はみるみるうちに瑞々しい緑の葉を取り戻し、広場の花壇には色とりどりの花が一斉に咲き誇る。
病に苦しんでいた人々の顔からは苦悶の色が消え、健やかな血色が戻っていた。
まるで、世界が生まれ変わったかのような、奇跡の光景。
人々は、あまりの出来事に言葉を失い、ただ呆然と立ち尽くしている。
やがて、誰かがぽつりと呟いた。
「……聖女様だ」
その一言が引き金だった。
一人、また一人と、民衆がわたくしの前に跪いていく。
「おお、聖女様!」
「我々をお救いくださり、ありがとうございます!」
熱狂的な歓声と、感謝の祈り。
かつて『置物令嬢』と蔑まれたわたくしが、今、この国を救った『救国の聖女』となった瞬間だった。
その神々しい光景を、エドワード殿下は顔面蒼白で見つめていた。
「ば、かな……。あいつが、ミアが……聖女……? 魔力なしの、出来損ないだったはずでは……」
隣にいたリリアナ様は、あまりの現実離れした光景に腰を抜かし、へなへなと地面に座り込んでいる。
「嘘よ……こんなの、嘘よ……!」
わたくしは、ゆっくりと彼らの元へ歩み寄った。
そして、氷のように冷たい視線で、かつての婚約者を見下ろす。
「殿下。あなたが見ていたものは、全てが偽りでしたのよ。あなたはその曇った目で、真実を見抜くことができなかった。ただそれだけのこと」
「あ……あ……」
エドワード殿下は、何も言い返せない。
自らが捨てたものが、どれほどかけがえのない宝だったのかを、今、骨の髄まで思い知っているのだ。
そこへ、わたくしの父と母が、血相を変えて駆け寄ってきた。
「ミア! おお、ミア! よくぞ……! さあ、我が家へ帰ろう! お前はアルテミス家の誇りだ!」
「そうですわ、ミア! お母様、あなたがこんなにも素晴らしい力を持っていたなんて……!」
その厚顔無恥な言葉に、わたくしの中で最後の何かが、静かに切れた。
「……黙りなさい」
地を這うような低い声に、二人はびくりと体を震わせる。
「あなたたちがわたくしを『出来損ない』と呼び、地下室に閉じ込めた日を、忘れたとは言わせません。わたくしが殿下に断罪されたあの日、あなたたちはわたくしを見捨てた。……わたくしに、もう家族などおりません」
冷たく言い放つと、二人は絶望に顔を歪ませ、その場に崩れ落ちた。
その後、エドワード殿下は聖女を追放し、国を滅亡の危機に追いやった大罪により、王位継承権を剥奪。リリアナ様と共に、北の辺境地へと永久追放されることとなった。
そして、アルテミス公爵家も、聖女の存在を隠蔽していた罪を問われ、爵位と領地を全て没収。両親は、残りの人生を小さな屋敷で、過去の栄光を懐かしむだけの惨めな生活を送ることになったという。
全てを見届けたわたくしは、静かにカイザー様の元へと戻った。
彼は、何も言わずに、広げた腕でわたくしの体を強く、強く抱きしめてくれた。
「……よくやった、ミア。俺の、ただ一人の聖女様」
その声は、どこまでも優しくて、温かい。
わたくしは、彼の胸に顔をうずめ、安堵の息を漏らした。
やっと、全てが終わったのだ。
◇
――半年後。ガルニア帝国。
「ミア、起きろ。朝だぞ」
優しい口づけと共に、柔らかな声が耳元に届く。
ゆっくりと目を開けると、朝日に照らされたカイザー様の美しい顔が、すぐ目の前にあった。
「ん……カイザー様、おはようございます」
「おはよう。今日は、湖までピクニックに行こう。お前のために、腕利きの料理人に最高の弁当を作らせてある」
わたくしは今、カイザー様の妻となり、カイザー・フォン・エーデルシュタイン公爵妃として、この上なく幸せな毎日を送っている。
帝国の民は、わたくしを『帝国の守護聖女』と呼び、心から敬い、慕ってくれた。
もう、誰もわたくしを『無能』だなんて言わない。
誰も、わたくしを蔑んだりしない。
「どうした? まだ眠いか?」
ぼーっとしているわたくしを、カイザー様が不思議そうに覗き込む。
わたくしは、彼の首に腕を回し、幸せを噛みしめるように、そっと微笑んだ。
「いいえ。……ただ、考えていたのです」
この世界でたった一人、偽りの評価に惑わされず、本当のわたくしを見つけ出してくれた、愛しい人のことを。
「わたくしの本当の価値を、最初に見つけてくれたのは、カイザー様……あなただけでした」
「当たり前だ」
彼は、まるで世界の真理を語るかのように、こともなげに言った。
「俺にとって、お前は最初から、何よりも輝く宝石だったのだから」
そう言って、彼は再び、深く、甘い口づけを落とす。
もう、わたくしが凍えることはない。
この世界で一番温かい、絶対的な愛に包まれているのだから。
窓の外では、柔らかな光が、祝福のように新しい一日を照らしていた。
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