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雪原の魔女  作者: R.D
2/14

始動

 意識は、冷たくて重い泥の底から、無理やり引き剥がされるように浮上した。


 まぶたが鉛のように重い。


 開ける、という単純な動作に、意思の力が追いつかない。


 全身を覆うのは、疲労とも倦怠ともつかない、粘りつくような無力感。


 昨夜、眠りについたはずなのに、疲労は欠片も回復していなかった。


 むしろ、心のおりはさらに深く沈殿している。


(……また、朝が来てしまった)


 思考が、ぬるま湯の中を漂うようにまとまらない。


 なぜ、また目が覚めてしまったのか。


 昨夜、暖炉の火が消えるのを、そのまま見届けていれば。


 そうすれば、この冷気が穏やかに命を奪い、二度と悪夢にうなされることのない、永遠の眠りを与えてくれたかもしれないのに。


 窓の外は、昨日と何も変わらない、白と灰色の世界が広がっている。


 果てしない絶望を具現化したような景色だ。


 どれほどの時間が経っただろうか。


 陽の光が少しだけ角度を変え、今は昼に近いことを告げている。


 腹の奥で、微かなうずき。空腹だ。


 生への執着などとうに失くしたはずの身体が、それでも生存を諦めていないことが、ひどく煩わしかった。


「……っ」


 軋む身体に鞭を打ち、ようやくベッドから這い出る。


 足元がおぼつかない。


 二年間、ほとんど誰とも言葉を交わしていない喉は、意味のある音を発することを忘れてしまったようだった。


 台所と呼ぶのもおこがましい、粗末な調理台へ向かう。


 棚には、干し肉と、石のように硬くなった黒パン、干からびた豆の袋。


 何を作るか、という思考が働かない。


 考える、という行為そのものが、今はあまりにも億劫だ。


 結局、一番手間のかからない干し肉を手に取る。


 ナイフを握る。


 だが、硬い肉に刃を立てる、その単純な動作が、ひどく難しい。


 手に力が入らない。


 数回、浅く刃を滑らせただけで、集中力は霧散した。


 私は、ナイフを置いたまま、壁の一点を、ただぼんやりと見つめていた。


(……どうでも、いいか)


 食事も、暖炉の火も。


 このまま、ここで動かずにいれば、やがて夜が来て、今度こそ本当の終わりが訪れるかもしれない。


 その甘い誘惑に、意識が沈みかけた、その時。


 壁に立てかけた、大鎌の禍々しいシルエットが視界に入った。


 親友の形見。罪の象徴。


 そして、果たされなければならない、誓いの証。


 幻聴が聞こえる。


『まだ、足りない』


『お前が奪った命の数には、まだ、遠い』


「……ぅ、く…」


 呻き声が漏れた。


 私は、震える手で再びナイフを握りしめる。


 今度は、全体重を乗せて、力任せに干し肉へと突き立てた。


 味などしない。


 ただ、砂を噛むように、乾いた肉とパンを胃に流し込む。


 それが、英雄のなれの果て。


「雪原の魔女」と呼ばれるようになった少女の、ありふれた一日のはじまりだった。

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