始動
意識は、冷たくて重い泥の底から、無理やり引き剥がされるように浮上した。
まぶたが鉛のように重い。
開ける、という単純な動作に、意思の力が追いつかない。
全身を覆うのは、疲労とも倦怠ともつかない、粘りつくような無力感。
昨夜、眠りについたはずなのに、疲労は欠片も回復していなかった。
むしろ、心の澱はさらに深く沈殿している。
(……また、朝が来てしまった)
思考が、ぬるま湯の中を漂うようにまとまらない。
なぜ、また目が覚めてしまったのか。
昨夜、暖炉の火が消えるのを、そのまま見届けていれば。
そうすれば、この冷気が穏やかに命を奪い、二度と悪夢にうなされることのない、永遠の眠りを与えてくれたかもしれないのに。
窓の外は、昨日と何も変わらない、白と灰色の世界が広がっている。
果てしない絶望を具現化したような景色だ。
どれほどの時間が経っただろうか。
陽の光が少しだけ角度を変え、今は昼に近いことを告げている。
腹の奥で、微かな疼き。空腹だ。
生への執着などとうに失くしたはずの身体が、それでも生存を諦めていないことが、ひどく煩わしかった。
「……っ」
軋む身体に鞭を打ち、ようやくベッドから這い出る。
足元がおぼつかない。
二年間、ほとんど誰とも言葉を交わしていない喉は、意味のある音を発することを忘れてしまったようだった。
台所と呼ぶのもおこがましい、粗末な調理台へ向かう。
棚には、干し肉と、石のように硬くなった黒パン、干からびた豆の袋。
何を作るか、という思考が働かない。
考える、という行為そのものが、今はあまりにも億劫だ。
結局、一番手間のかからない干し肉を手に取る。
ナイフを握る。
だが、硬い肉に刃を立てる、その単純な動作が、ひどく難しい。
手に力が入らない。
数回、浅く刃を滑らせただけで、集中力は霧散した。
私は、ナイフを置いたまま、壁の一点を、ただぼんやりと見つめていた。
(……どうでも、いいか)
食事も、暖炉の火も。
このまま、ここで動かずにいれば、やがて夜が来て、今度こそ本当の終わりが訪れるかもしれない。
その甘い誘惑に、意識が沈みかけた、その時。
壁に立てかけた、大鎌の禍々しいシルエットが視界に入った。
親友の形見。罪の象徴。
そして、果たされなければならない、誓いの証。
幻聴が聞こえる。
『まだ、足りない』
『お前が奪った命の数には、まだ、遠い』
「……ぅ、く…」
呻き声が漏れた。
私は、震える手で再びナイフを握りしめる。
今度は、全体重を乗せて、力任せに干し肉へと突き立てた。
味などしない。
ただ、砂を噛むように、乾いた肉とパンを胃に流し込む。
それが、英雄のなれの果て。
「雪原の魔女」と呼ばれるようになった少女の、ありふれた一日のはじまりだった。