プロローグ
風は、死者の骸から肉を削ぎ落とすように、絶えず吹き荒れていた。
世界のすべてが白と鼠色に塗りつぶされた最果ての地。
色を持つものは、血の赤と、絶望の黒だけだった。
きしり、と雪を踏む音が、かろうじて生命の存在を告げる。
音の主は、少女だった。
年の頃は十代の終わりに見える。吐く息の白さだけが、彼女を風景から切り離していた。
肩に担ぐにはあまりにも不釣り合いな大鎌の刃が、鉛色の空を鈍く反射する。
その刀身も、彼女が纏うぼろぼろの外套も、既に乾いて黒ずんだ飛沫で汚れていたが、少女は気にも留めていなかった。
雪原にぽつんと立つ、今にも崩れそうな小屋の扉を開ける。
室内は、外とさして変わらない冷気が満ちていた。
消えかかった暖炉の残り火に、無造作に薪をくべる。
ぱちり、と火の粉が爆ぜる音も、今の彼女にはただの雑音だ。
鍋の底に凍りついていたシチューの残りを、ナイフで削り取って口に放り込む。
かつては何かの味がしたはずのそれも、今では舌の上を滑り落ちていくだけの、味のない塊でしかなかった。
生きるために咀嚼し、嚥下する。
ただそれだけの作業。
ふと、鼻をついた。
鉄の、生臭い匂い。
少女――フィーネは、自らの手を見下ろす。
そこには何もついていない。
だが、視界の端で、赤い幻がちらつく。
(やめて)
声にならない叫びが、喉の奥で凍りついた。
彼女は衝動的に立ち上がり、壁に立てかけていた大鎌を手に取った。
親友の形見。そして、自らの罪の象徴。
乾いた布で、刃についた幻の血を、何度も、何度も拭う。
鉄と油の匂いが、ようやく忌まわしい記憶を上書きしていく。
その時だった。
風の音が、変わった。
これまでとは違う音階で、風が哭いている。
それは、この地に住まう者だけが知る、古い契約の合図。
世界のどこかで、救いを求める魂が、禁忌の魔女の名を呼んだのだ。
フィーネは、ゆっくりと顔を上げた。
感情の抜け落ちた、硝子玉のような瞳が、扉の向こう、果てしない雪原を見据える。
贖罪の数が、また一つ、増える。
それだけが、彼女が今も呼吸を続ける、唯一の理由だった。