一口まんじゅう
本作品は、小説家になろう公式企画「秋の文芸展2025」参加作品です。
これは、私――甘利優果が小学三年生のときのこと。
私は春の遠足で近くの運動公園を訪れていた。
そのお昼どき。雲ひとつないの空の下、芝生の上にレジャーシートを引き、私は友だちと楽しくお弁当を食べていた――。
「ねぇねぇ! せっかくだからさ、みんなでお菓子交換しない?」
「いいよ!」
みんなが昼食を食べ終えた頃のこと。
友だちの一人がそんな提案をしてきた。
楽しそうだと思った私はその言葉に賛成。
続くように他の友だちも賛成した。
そうして始まった交換会。
「はい、じゃあ私はみんなにコレあげる!」
私が差し出したのは、一口サイズのおまんじゅうだ。
実は私の両親が和菓子屋を経営しており、きっちり「おやつは200円以内」という決まりに則った上で和菓子を選ばせてくれたのだ。
そして、このおまんじゅうは一個10円。
よく余った分を食べていてので、その美味しさを知っていた私は自信満々だった。
ところが――。
「え? なんでおまんじゅう?」
「…………え?」
「いやっ、流石にそれはねぇって!」
「おばあちゃんじゃん!」
「え、えっ?」
返ってきた言葉に、私はひどく混乱した。
買いに来るお客さんもみんな「このおまんじゅうは安くて美味しい」と言ってくれていた人気のおまんじゅうなだけに、まさか拒否されるとは思わなかったのだ。
胸がじわじわと締めつけられていく感覚がする。
「で、でも、味は美味しいよ……? 私もよく食べてるし……」
諦めきれなかった私は、おずおずとおまんじゅうを差し出す。けれど。
「いらないよー、なんかダサいしー」
友だちは壁を作るように両手のひらを振ってみせたのだ。
ギュッと胸が締めつけられ、目が潤むのを感じる。
ふと他の友だちを見てみても、同じようなポーズを取っているか、目線を逸らすか、そもそも他の友だちと話しているか。誰もこのおまんじゅうに興味を示さなかった。
私は自分のことを否定されたようで――さらには家族までも否定されたようで、苦しかった。辛かった。
でも考えてみれば、おかしかったのは私の方かもしれない。なにせ、友だちもクラスメイトも、持ってきたおやつはグミや金平糖、ミニドーナツなどの駄菓子ばかりで、和菓子を持ってきている人なんて私以外に誰もいなかったのだから。
「……ごめんね」
不意にそんな言葉が漏れる。
その言葉は、交換してあげられなかった友だちに向けたものなのか、それとも作ってくれた両親に向けたものなのか。私にも分からなかった。
そして遂に、溜まっていたものが溢れそうになり、おまんじゅうを両手で包み込んだ。――その時。
「ねぇそれ、甘包堂の『一口まんじゅう』やないっ!?」
溌剌とした女の子の声が背後から聞こえてきた。
「……え?」
振り返ると、そこに居たのはこちらに指を差すショートボブの女の子だった。
ただでさえお日さまのように真ん丸なその目は、より一層見開かれていた。
多分、私も同じように目を真ん丸にしていたと思う。
すると、その子は慌てふためいたように言った。
「あっ、ご、ごめんなぁ急に。ウチ、そのおまんじゅうよう家で食べとってね、美味しそうやなぁ思うて声かけたんよ」
「そ、そうなの……?」
方言混じりに早口で言葉を並べる彼女に、私は呆気に囚われる。
なにしろ彼女とは二年間同じクラスになったことがない上、一度も話したことがなく、どう接していいのか分からなかったのだ。
一緒にいた友だちの声も、いつの間にかしんと静まっている。
ただ、困惑していたのも最初のひと時だけ。
「そのおまんじゅうをよう家で食べとって」という言葉に心の締め付けが緩んでいくような気がした私は、無意識のうちに更なる彼女の言葉を欲していた。
「せや。やからさ、よかったらウチと交換せん? なんでも交換しちゃるけん!」
「え、いいの……?」
「ええよええよ! なんならウチがおまんじゅう食べたいだけやし!」
そう言うや否や「ちょっと待っとってな」と言い残し、自分のレジャーシートに走っていく彼女。その背中には『瀬川』と書かれたゼッケンが縫い付けられていた。
彼女のレジャーシートの横では、私の担任であるおばちゃん先生が、他の子たちと一緒に笑いながらお弁当を食べている。
けれど彼女が戻って来ると、先生は微笑みながら何か話しかけ、彼女も頷きながら笑っていた。
座っていたから気づかなかったけど、彼女はかなり小柄だ。けれどその小さな背中が、私には不思議と大きく見えた。
程なくして戻って来た彼女の手には、お菓子の入ったビニール袋が握られていた。
「ほい、どれがええ? 言うてもうめぇ棒しかないけどなぁ」
彼女が屈むと同時に、ガサッと音を立ててビニール袋が開かれる。中を覗くと、味はいろいろあるけど、確かに全部うめぇ棒だった。
「じゃっ、じゃあ、これでもいい?」
「おっ、たこ焼き? ええよええよ! ウチ1番のオススメや!」
「そうなんだ! じゃあわたしからも、はい!」
「おおきに!」
そう言って、一口まんじゅうを片手にニカッと笑う彼女。
すると、すぐに透明な包みをビリビリッと破くや否や、立ったまま大きな口でパクりと齧りつき――。
「うーんめぇ! これよこれぇ!」
目をギュッと瞑って、うんうんと勢いよく頷いた。
全力とも言えるような感情表現。
その様子に、私の心臓は大きく高鳴った。
嬉しかったのだ。
自分で作ったおまんじゅうじゃないけれど、なんだか自分が褒められた気がして――何よりこのおまんじゅうが認められた気がして、堪らなかったのだ。
そのせいか、さっきとは違う意味で何かが溢れそうになってしまった。
「ねぇそれ、そんなにおいしいの?」
すると、私のグループにいた一人の女の子が、何やら彼女に尋ねた。さっき私に「おばあちゃんじゃん!」と言った子だ。
「せやで!」
彼女は快活に答える。
一方の私は、また何か言われるのかと身構えていた。
けれど、再びその子の口から発せられた言葉は――。
「その、さっきはごめん。あっ、あたしももらっていい?」
私には予想外なものだった。
「え? あっ、うん」
虚を突かれた私は、間の抜けた声でおまんじゅうを差し出す。――その直後。
「ごめんなさい。わたしもいいかな?」
「オレも!」
「陽奈もー!」
と、次々に手を挙げる子が現れたのだ。
そして遂には――。
「楽しそうね。先生とも一つ、交換してくれない?」
担任の先生も、私のところまで来たのだ。
それも小袋のお煎餅を、片手に持って。
「はっ、はい!」
私は急いで先生とおまんじゅうを交換。
続けて他の子ともおまんじゅうを交換した。
そして、その度に「ありがとう」の言葉を受けた。
私は、胸がだんだんと暖かくなっていくのを感じた。
――私も「ありがとう」しなきゃ。
だって、辛くて苦しかった私を救ってくれたのだから。
「ねぇ瀬川さん」
「んー?」
私が呼びかけると、彼女はおまんじゅうを頬張りながら振り向いた。私は自分にできる飛び切りの笑顔で言った。
「ありがとう!」
「……んっ!」
彼女もまた両頬を膨らませたまま、太陽のように笑い返してくれるのだった。
★
「なんてことあったよね。懐かしくない?」
「ほんまやなぁ。もう何年前のことやろ?」
甘包堂二階にある居住空間の居間。
くすんだプリントとシャーペンをちゃぶ台の上に広げ、透明なグラスに注がれた氷入りの麦茶をその端に置いたまま、私と夏希は昔に思いを馳せていた。
座布団にどっかりとあぐらをかき、前屈みでちゃぶ台に頬杖を突く夏希。斜めになった顔から垂れる、耳元までしかない横の髪の毛が冷房にゆらゆらと揺られ、ちゃぶ台の木目に付きそうになっては付かない動きを繰り返している。
ジージーシャンシャンと蝉の合唱が窓越しの室内に響く中、私はずっと聞きたかったことを尋ねた。
「ねぇ、聞きたいんだけどさ……。あの時、本当に『美味しそうやなぁ』と思って声かけたの?」
「んー?」
頬杖を解き、グイーッと両手を伸ばして背伸びする夏希。
そんな彼女を前に、私は続ける。
「自分で言うのもなんだけどさ、本当は悲しそうにしてた私を元気づけたくて、声をかけてくれたんじゃないかって。今でも思ってるんだけど」
瞬間、沈黙が室内に流れる。
蝉の声とクーラーの音が聞こえるだけで、後は静寂。
ちらりと夏希を見ると、彼女は再びちゃぶ台で頬杖を突いたまま微動だにしない。ただ一点に真っ直ぐ、表情の無い顔でこちらを見つめるばかりだ。
普段の明るさからは想像できない沈黙っぷりに、私は何かマズいことを言ってしまったのかと焦った。
けれど、それも束の間。やがて夏希は口を開いた。
「……さぁどうやろなぁ。昔のことやからよう覚えてへんわぁ」
そう言って夏希はグラスの麦茶を取ると、グイッと飲み干す。そして、コトンとちゃぶ台の上に置き戻した。グラス内の氷と氷がカランと音を立ててぶつかった。
「……そっか」
「なんや、ほんまに覚えてへんのんやからしゃーないやろ? あーてか、こんな話してたら一口まんじゅう食べたなってもうたなぁ。なぁ、休憩がてら下まで一緒に買いに行かへん? ついでに麦茶のおかわりも」
すると、私の言葉にいつもより早口で返す夏希。
焦ったときや照れ隠しのときに出る、彼女の癖だ。
そして「休憩がてら」なんて言うけど、プリントを見ると、上部に「瀬川夏希」と書かれた逆さまの文字以外あとは真っさら。
勉強を初めてから一時間は経っているのに――だ。
「……ふふっ、だね!」
「なんでちょっと間ぁ開けてわろうたん? もしかしてアタシのこと、食い意地張ったヤツやぁ思うとる?」
「思ってない思ってない! ほらはやく行こっ!」
「ほんまかいなぁ」
なんて疑いながらも、眉尻を下げて立ち上がる夏希。
私よりも小さかったその身長は、いつの間にか私を少し超えていた。
そんな彼女の真意に私は気づいてしまったけれど、敢えて言わないでおくことにした。
私だけが分かっていれば、それで十分なのだから。
「「一口まんじゅう二つ!」」
甘包堂に重なる二つの声。
その一つは、私の一番の親友だ。
お読みいただきありがとうございました。
久しぶりの公式企画参加作品、いかがだったでしょうか?
読者の皆様に楽しんでいただけたのであれば、私としても幸いです。
余談ですが、実はこちらの作品、一部私の別作品の要素を含んでいます。気がついた方はいらっしゃいますかね?
気づいた方もそうでない方も、ぜひ本作品の感想をいただけると嬉しいです。
それでは、また別の作品でお会いいたしましょう!