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陰獣X  作者: 白色矮星
第一部 悟りへの道
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【Xの生い立ち】肉体統一

高齢のごま塩頭の医師は、Xの額の凹みを無遠慮に撫でた。

「いや、きみ、これはたいへんなことだよ。弾丸のかけらが脳内に入ったというのに、生きて、目覚めたんた。世界的に見てもじつに稀な例だ。実におしい。英米との学会交流が途絶えていなければ、あちらの学会誌にも事例報告できたろうに」


Xは自室のベッドの上で横になっていた。

一時間ほど前に五度も交わった看護婦は、顔を赤らめながら医師の後ろに控えている。

腰がかすかに震えているのを見ると、まだ気をやり続けているのかもしれない。


Xは自分の側頭部を軽く叩いた。

「わしの石頭も大したもんですなあ」


「その通り、君の頭骨の厚みのおかげだ。あとは脳内に侵入したのが弾丸そのものではなく、カケラだったのが幸いしたということだよ。君の頭骨に空いた穴の大きさから見ると、弾丸本来の大きさの三分の一というところか。共産党軍に撃たれたそうだが、あちらの武器は質が悪いからねえ」


「しかし、わしはなんでこの○○におるんです?」

地名は先ほど看護婦に聞いた。


「もともと、君は大陸の病院で治療を受けておったんだよ。一月経っても目覚めないので、お偉いさんが内地に移したわけだ」


「わしみたいな二等兵のために、そこまでするもんですか?」


「そりゃあするだろうさ」


医師は病室の隅にあった小さな箪笥の引き出しから、新聞の束を取り出した。日付はおよそ三ヶ月前だ。三面がいちばん上に来ている。見出しに「中国民衆を守るために獅子奮迅。名誉の軍神帰還せり」とあった。誌面を追いながら、Xは驚いた。自身の部隊が千を超える共産党の大部隊から、たった四人で街を守り抜いたことになっていたことにではない。自分がすらすらと新聞を読みこなしたことに驚いたのだ。


「なるほどなるほど。ところで先生、ちょいと教えて欲しんですが、頭に弾のかけらが入ったことで、馬鹿になったりせんのですか?」


「君の心配はわかるよ。ひょっとしたら、そういったこともあるかもしれん。なにせ、脳というのはじつに繊細な器官だからねえ。わしは、○○炭鉱の落盤事故に巻き込まれた男を診たことがあるんだがね。岩盤が頭をかすめたさいで、右頭骨が大きく凹んでいたんだよ。生存しているのが信じられないくらいだった。彼は記憶に重大な問題が生じていた。新しいことを何一つ覚えられないんだ。痴呆症状といえる。しかし、代わりに彼は忘れることもいっさいなかった。ある意味では賢くもなったんだ。ま、あまり悲観的にはならんことだ。いまのところ、君の脳は元の通りに働いとる」


「ちなみに、脳に何らかの障害を負った結果、明確に賢くなったという事例はないんですかね?」


「なくはないはずだ。わたしの学友に金村という男がいるんだが、奴は脳領域を専門にしていてね。昔、そういう症例について話していたような気がする」


「じゃあ、たとえば〝声〟についてはどうでしょうか。こう、自分のものではない声が聞こえるとか」


医師が太い眉をひそめた。

「聞こえるのかね?」


「いや、まさか」


「ならいいんだがね。そうした症例も金村から聞いたことがあったよ。もし君が自分の状態に不安を持ってるなら、紹介状を書いてやってもかまわんよ。奴は脳領域においては間違いなく日本一の医者だろうからな。主治医にするのは、あまりおすすめはせんがね」


「どうしてです?」


「あいつは医師でありつつ、仏門にも帰依しとるんだよ。その宗派がなかなか珍妙でなあ。男女の接続が悟りをもたらすとかいっとったが、ようは胡散臭い新宗教なんだよ。もちろん憲兵にも目をつけられとる。ま、軍神の君ならその目も瞑ってもらえるだろうがね」


男女の接続。Xは医師の後ろにいる看護婦を見つめた。さきほどのまぐわいと、そのときに感じた〝つながっている〟感覚を思い出す。あれをいっているのだろうか。


Xは、金村という男への紹介状の執筆を依頼した。


ーーーー


長期間眠っていたにも関わらず、身体的な問題は生じていなかった。たしかにXの筋肉はこの病院に移送されてきたときよりも萎んではいたが、彼は以前よりもずっとうまく体を扱えるようになっていた。


夕刻、看護婦が彼の病室に忍んできたのをもう一度抱いたときは、以前の自分からは考えられないほど繊細に指を操ることができた。


事後、看護婦の案内で浴室に向かった。

脱衣所の大きな鏡に、自身の姿が写っていた。


頭髪は、治療の際に一度剃り上げられたのだろうか、三分刈りといったところだ。額には小さな傷跡がある。

体全体は、やや痩せた感じがする。

明確な外見の変化はそれだけだったが、どうにも何かが違う。

彼はじっくり観察して、立ち姿そのものが違っていることに気づいた。

個々の部位が、のんべんだらりとしていない。頭のてっぺんから、足の指の先まで〝意思〟が入っている。

意識は世界全体とつながっただけでなく、彼の肉体のあらゆる部位とあらためて関係を結び直したのだ。

脳が身体を完全に統率している。


彼は骨太で固太りな男だったが、いまの彼はただそこにあるだけでもある種の美しさを放っていた。

彼は、○○での新兵訓練を思い出した。

はじめは号令を受けてもてんでばらばらだった連中が、二ヶ月ほどすれば、まるで一個の生物であるかのように一指乱れぬ行進をみせ、ただ校庭に整列しているだけでも「絵」になる。


じっさい、脱衣所にいる他の入院患者の男の目は自然とXに向いていた。彼の介添をしている看護婦はいうまでもない。ほかの患者の介添えの看護婦たちの目線はどこか熱っぽい。


〝彼女らをみんな抱きなさい〟


不意に声が聞こえた気がした。

穏やかで、優しさと知性に満ちた声だ。

病室で目覚めたときから、かすかに頭のなかに響いていた。

ここまでは一種の幻聴だと思って気にしなかったが、いまのは思わず返答したくなるほどの大きな声だった。




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