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陰獣X  作者: 白色矮星
第二部 暗殺者
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終焉

Xはでっぷりと太った体をどうにか持ち上げると、若い女性信者たちの力を借りながら、演台に据えられた豪華な椅子に腰を下ろした。


彼の右に座るのは、与党の総裁職にある男だ。影の薄い小男であり、就任の際、世間からは「なぜあのような人間が?」と疑問の声があがった。もちろん、Xの後押しゆえの立場である。いまや学舎の公称信者数は二千万人を超え、選挙では絶大な影響力を発揮する。


左に座るのは、いまをときめく若手女優だ。学舎の芸能部門出身で、出演作品は軒並み高視聴率を記録し、映画はメガヒットを連発、企業CMも何十本とこなしている。昨年はついにハリウッド進出にも成功し、世界的な知名度を獲得した。学舎の広告塔の一人であり、信者獲得に大いに貢献している。もちろん、Xのお手つきである。


そのほか、演壇に並ぶ面々は学舎の関係者のなかでも政財界、芸能界の重鎮といえるものばかりだ。


そんな彼らを陶酔するような面持ちで見上げるのは、全国から選ばれた七万人の信者たちである。ここ〝修練場〟は二度の建て替えを経て、日本最大規模のイベント施設となっている。


耳のなかでマイクロフォンから秘書の声が聞こえた。

「先生、よろしくお願いいたします」


Yは軽く頷くと、おごそかに両手を合わせた。


左右の重要信者ならびに、五万人の一般信者が一斉に手を合わせる。

一指乱れぬ動きに、場内の空気が震えた。


〝観音様、いかがですかな。ついにここまで来ましたぞ〟


Xは心のなかで呼びかけた。

もちろん、観音はX自身であるのだから、Xが期待するように自画自賛の返答をするはずだった。


〝ここまで、ですか〟

心に届いた観音の声には失望の響きがあった。


〝ここまで、とは?〟


〝信者数はかつて生まれた大宗教に比べればまだまだ。しかも、肝心のブッダがいつまで経っても増えません。ただの一人として悟りの真奥に到達できたものはいないのです〟


〝ブッダはわたしだけだと?〟


観音が笑う気配が感じられた。

〝あなたの悟りは、過去のブッダのそれに比べれば波打ち際で遊んでいるようなものです。無の境地には程遠い〟


〝何をいうんですか? わしは全人類の救世主のはずでしょう〟


〝ええ、あなたは救世主です。これからそうなるのです〟


これが観音の最後の言葉だった。

Xが問いを返す前に、気配が消えた。

長年、彼と共にあった存在が一瞬でかき消えた。


どういうことなのか。彼は思った。観音様は彼の別人格のはずだ。それが消えてしまうとは。かつて脳に受けた傷、観音様をもたらした傷が、たまたまこのタイミングで治癒したのか。そして〝これからそうなる〟とはどういう意味なのか。


彼が心の中で再度、観音に問いかけようとしたとき、視界の隅に動くものがあった。


信者の列のなかから、一人の男がこちらに近づいてくる。


よくあることだ。神に等しいXに触れて、わずかでもご利益を得ようというのだ。


もちろん、万一の危険があるのでそうした行為が許されることはない。舞台の下に控えていた警備担当信者たちが壁を作り、優しくホールの外へ誘導する。


男は警備の動きを見ると、通路の途中で立ち止まった。懐から黒く大きな塊を取り出す。


Xはここでようやく男の顔に見覚えがあることに気づいた。もう十何年も忘れていた顔、かつて彼が救い、右腕とし、放逐した男だ。もはや名前すら思い出せないが、男の理知的な目は忘れようもない。


男が手にしているのは銃だった。


待て、と叫ぶ間もなかった。


銃口が火を吹き、Xは頭部に衝撃を感じた。


久方ぶりに悟りが開かれた。

半ば忘れかけていた感覚が全身をつらぬく。

知覚が強化され、時間感覚が引き延ばされる。

頭蓋を割り、ゆっくりと脳に入り込んでくる弾丸が感じ取れる。


脳細胞が掻き回され、これまで接続されていなかったニューロン同士がリンクし、記憶が爆発する。


空襲の炎、中国戦線での負傷、故郷の村での貧しい生活、金村の研究所、あらゆるビジョンが浮かんでは消えていく。


そのなかに覚えのないものが混ざっていた。

彼は自室のベッドの上にいた。

左右に若い女性信者が裸で寝入っている。

いまお気に入りの女たちだ。

記憶は最近の出来事らしい。

彼の腕が勝手に動いて、電話の受話器を取る。口と舌が言葉を発する。

彼が知らない彼は、銃弾の手配をしていた。

銃の製造工程においてもっとも難易度が高いのは弾丸を作ることだからだ。

学舎の警備部にヤクザ上がりの男がいる。

その男に命じて、どこかに発送させようというのだ。


なぜ? Xは観音に問いかけようとして止めた。


彼の悟りは過去になく深く、回答は泉が湧き出るように破壊されつつある脳裏に浮かんだ。

小さな点と点をつなぎ、状況を明らかにする。


送付した弾丸は、いままさに彼の頭蓋に入り込んできたそれだ。


観音はX以上に、あの男ーー名前が蘇る。Y、を使える人間だとみなしていた。


観音は、XがYを疎んじたとき諌めることもできたろう。だが、あえてXに任せて放逐した。Yを過酷な境遇に突き落とし、時を見て発火させる。


宗教を極大化するためには、教祖の劇的な死が必要なのだ。


観音は最高のタイミングでそれを実現させるべく動いていた。


銃弾が脳幹へと突き進んでいく。


Xに観音やYに対する怒りはない。彼の脳は死の淵に立ち、指数関数的に脳内化学物質の分泌を増やしている。膨大なドーパミンが多幸感をもたらし、彼の心から負の感情を一掃する。


自他の境界があいまいになり、彼はすべてになり、すべては彼になった。


究極の悟りが彼を柔らかく包み込み、個は無の幸福に散華した。


ーーーーー


演壇の隅に控えていたZは、父であるXの頭部が吹き飛ぶのを見ても、何も感じなかった。


幼少期からの悟りの訓練の賜物である。彼は100人を超えるとされるXの子供達のなかでも、とくに素養に恵まれた一人とされていた。まだ十二歳だが、すでに指導者として一般信徒への導きを行っているほどだ。彼の心に動揺はない。


万を超える信者、百人近い警備員たちは完全に固まっていた。みな、眼前の光景を信じられないのだ。我らが教祖がいきなり死んだのだ。彼らを涅槃に導いてくれる存在が消えてしまった。


Xを撃った犯人は、銃を構えたまま突っ立っている。貧相な学者風の高齢者だ。学舎の被害者たちの一人か、それとも敵対する宗教組織の信徒か。いずれにしても、立ち姿には強烈な意志が感じられた。


Zはそっと腰を浮かせた。犯人がどうでるか分からない。素早く逃げ出せるよう体勢を整えるべきだろう。悟りに到達したもの特有の冷静な判断が彼を動かしていた。


声が聞こえたのは、そのときだった。


〝立ち向かうのです〟


真横から聞こえた風でもありながら、真上や真下から聞こえたように感じられる。男性の声のようでもありながら、女性のようでもあり、年寄りのようでもありながら、若者のようでもある。


Zは心のなかで応えた。

〝観音様、ですか?〟


〝その通りです〟と、声がいう。


父がそうした存在と交信しているのは、組織の中でも有名な話だった。もちろん、Zは信じてなどいない。超常的な存在など非科学的である。悟りとは技術であり、神霊の入り込む余地はない。オカルトはあくまでも悟りに導くための方便であったはずだ。つまり、父が交信する観音は父自身であったはずだ。


〝なぜ、ぼくのところに?〟


こうして観音の声を聞いたいまも、Zの脳は上位存在としてのそれを否定している。神などいるはずがない。


観音が彼の心を読んだようにいう。

〝わたしが神だろうが、上位次元の存在だろうが、あなたの新しい人格のひとつだろうが、そのようなことは些細なことではありませんか? 重要なのはわたしがあなたに正しい助言をするかどうかです〟


そう、父親の死を目の当たりにしたショックで、一時的に同一性乖離障害になったというのが、もっとも科学的な答えだろう。父親が罹患していたものと同じ症状に陥ったということだ。遺伝的にそうした傾向があったのだとすれば、説明もつきやすい。


〝で、その助言が、立ち向かえ、ですか?〟


〝ええ、あの暗殺者を殺すのです〟


〝ぼくが?〟


〝いま偉大な導き手が数万の信者の前から消えました。彼らはあたらしい旗印を求めています。より若く、美しく、勇敢で、自分たちの想いを代弁してくれる存在です。あなたまず仇を討たねばならない。人類の歴史において、それは後継者となるための絶対条件です。大丈夫、あの男の銃には、もう弾はありません〟


なぜ、そんなことがわかる?とは聞かなかった。

声は絶対的な確信を持っている。


〝あなたの父親の懐には銃が入っています。それを使うのです〟


〝ぼくは銃の使い方なんて知りませんよ〟


〝わたしが教えます〟


Zは父親の遺体を見た。

自分もいつかあのような最後を迎えるのだろうか。


声があたたかな声色でいった。

〝大丈夫、なにもかもうまくいきます。ともに導きましょう〟


うーん、この作品は……難しかったです!

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