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陰獣X  作者: 白色矮星
第二部 暗殺者
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【教団拡大】女子大生事件

Yは教団本部ビルの執務室で、革張りの椅子に座り、呼吸を整えた。ドアの向こう事務作業に励んでいる信者たちの物音や、窓の外から聞こえる工事現場の作業音を心から追い出す。


ゆっくりと深呼吸を繰り返し、横隔膜や肺、喉を通る空気の感覚に意識を向ける。


わたしはいま呼吸している。


呼吸だけに思考の全てを向け、そのほかのことすべてを頭から締め出そうとする。


以前なら、こうしていれば思考が消えていき、最後には無意識が肺を動かし体に酸素を取り込むのを感じ取れた。


だが、どうにもうまくいかない。頭の中で、教団の運営管理について悩みがぐるぐると渦を撒き続ける。


Xは警察から釈放されたばかりだというのに、早くも女あさりを再開している。いまのお気に入りは、この教団本部から比較的近くにある女子大学の女性教諭である。年齢は三十前だが、未婚であるためか若々しく、外見は二十代前半でも通用する。とはいえ、教団内にいる若く美しい女たちに比べれば10人並みもいいところなのだが、Xは女子大のインテリというところにそそられているらしく、三日と間を空けず、○○に新築した自宅に呼びつけている。


もちろん七人の妻たちは面白くない。とくに子供がいない三人の妻は、嫉妬心が燃え上がっており、頻繁にこの執務室に押しかけ、Yに対して「あの女を遠ざけなさい!」と命じるのだ。


Xにいっても無駄だとわかっているゆえだ。Xはその場では「わかった。もちろんそうする」と答えるのだが、平気で新しい女を呼び続ける。もう随分前からそうだ。妻たちはほぼ全員が三十を超え、なかには四十の峠を過ぎたものもいる。若い女好きのXが彼女らを疎ましく思い始めているのは間違いない。


女性関係だけではない。教団の運営費用も悩みの種だった。YはXや自身に司直の手が二度と伸びないよう、政治家への献金を強化した。さらに、信者の一部を選挙の「応援」に行かせる。もちろん、応援中の信者の生活費は教団が持つ。金は羽でも生えたかのように消えていく。


信者は万を超えるまでになっているが、運営面を任せられる人材は少ない。じっさい、自分が警察の手にあった数ヶ月、学舎が組織の体裁を保てたのはまさに神のみわざというべきだった。


Xは釈放されたが、新聞社や雑誌社の記者たちは常に学舎のまわりをうろついている。それらの者の広告欄を買うようにしているが、政治家と違ってこちらは鼻薬が聞きづらい。


思い悩んでいると、脳がぼんやりしてくる。

悟り特有の心地よさはなく、ただ疲労感だけがある。

本部付きの女性信者にコーヒーを入れてもらい。

三杯ほどおかわりして、ようやくましになった。


だが、これもカフェインが切れるまでだろう。


こんな状態が続けば、いずれ頭がどうにかなってしまう。


Yは執務室を出ると、「先生のところに行ってくる」といって、本部ビルーービルとはいっても細長い雑居ビルだがーーを出て、徒歩で○○町にある教団の講堂に向かった。


夏が近づいている。植えられたばかりの新しい街路樹にアブラゼミが張り付き、若々しい鳴き声を元気いっぱいで響かせている。


工事現場の人足が「どいたどいた!」といいながら、土嚢をかついで彼の脇を通り過ぎる。


米袋を満載したオート三輪が黒い排気ガスを吐きながら激しくクラクションを鳴らした。どこかマヌケな音がいつのまにかビルだらけになった街をこだまする。呼応するようにまた別の車のクラクション。


終戦から○年、東京は新しい生き物へと生まれ変わろうとしている。


十五分ほどで講堂についた。かつて、学舎とはまた別の仏教系新興宗教が所有していた建物である。木造で大きさは学校の体育館ほど。東の隅が焦げているのはいつかの大空襲によるものだ。あの炎から生き延びた数少ない建物の一つではあるが、所有していた教団はケチがついたと長年売り先を探していた。教団は金をうなるほど持っており、学舎が購入する前に、すでに○○駅のすぐ近くに真新しい巨大施設の建設に取り掛かっていた。


売買契約のさい、YはXとともに、学舎のそれよりはるかに巨大な十階建ビルの最上階で、その教団の教祖なる男と顔合わせした。歳の頃は五十ほど。身長はXどころかYよりも低い。小男である。髪の毛はハゲ散らかし、巨大な鷲鼻に鋭い目つきと相まって猛禽類のような印象を抱かせる。着ている袈裟はボロボロで、高野山から降りてきたばかりの修行僧といった風情だ。


「どうも」猛禽じみた教祖がXに手を差し出す。


Xが「おお」と握り返す。


Yは教祖に威圧されていたが、Xは何ら意に介していない。大柄な体格と満ち溢れる余裕が、教祖の厳しさを跳ね返しているように感じられた。


教祖はXの態度に、厳しい眉をしかめた。

「年長者への礼儀を知らんな」


Xが笑った。

「わしらはブッダ同士ではないですか。年齢などというささやかな違いで、どちらが上ということもないでしょう」


ブッダとは、仏教用語で「目覚めしもの」を意味する。ゴウタマ・シッダールタを筆頭に歴史上には幾人ものブッダがいる。


「たいした胆力だな。俺の前では世の大臣すら萎縮するというのに」

教祖が手を振ると、控えていたドレス姿の女がグラスに注いだウイスキーを持ってきた。教祖がぐいと煽り、カー!っと息を吐く。


袈裟のなかから、舶来物の葉巻を取り出し、火をつけさせる。

薄い煙がゆらりと立ち上る。


Yは心の中で眉を顰めた。

この教祖が率いる教団は、信者数が八万、新興宗教のなかでは中規模ながら急激に拡大を続けており、教祖は清貧を旨とする聖者そのものという噂だ。しかし、じっさいはとんだ破廉恥漢らしい。聖者風なのは外見だけだ。


Yは信条として破廉恥感だろうがなんだろうが、本人に人々を導き、救う意志があるならそれでよいと考えているが、この男はXのような本物なのだろうか。それとも、単なる詐欺師か。


悟っている人間は、同じく悟りに到達した人間がわかるというが、脳に障害を負ったYには相手の本質が掴めない。


Xを横目で見ると、Xはいつになくニコニコ顔だ。

これは何を意味しているのか。


教祖がいう。

「君はなかなかやる漢だと聞いている。何でも妻だけで七人いるらしいな」


「いやはや、なにぶん導いてやらねばならん女が大勢おりますもので」

Xが頭をかいた。


「ああ、その通りだ。じつにその通り」

教祖が飲み干したグラスに並々と注ぎ、Xに渡す。


「いただきましょう」

ひとのみだ。Xの見た目は飲み屋で管を巻く底辺労働者だ。アルコールが回ったのか、頬に赤みが刺す。ますます社会の落伍者然とした。とても、宗教指導者には見えない。Xこそ、善良な市民を口八丁でたぶらかす詐欺師のようだ。


教祖も「同類」だと判断したのだろう。


一通りの返杯の応酬の後、すばりと口にした。

「提携しようじゃないか」


「提携?」Xはへべれけになったような口ぶりだ。


「ああ、俺たちの教義は似通っている。何かと融通し合えるはずだ。たとえば、お前が欲してる○○町の修行場は、互いの信徒が自由に使える形にすればいい。警察への鼻薬の効かせ方や、税逃れの方法なども教えてやれる」


「その代わりに、うちは何をすれば?」


「名義を貸してくれればいい。国に報告を出すとき、そっちの信者をこっちの信者として扱わせてくれ」


バカな。そんなことで済むはずがない。はじめはほんのわずかの交流だとしても、向こうのほうがはるかに組織規模が大きいのだ。あっという間に食い散らかされるのがオチだ。


YはXに警告しようとしたが、その前にXが酔い潰れた。

むーん、と唸りながら机に突っ伏してしまう。

おえっという声とともに、軽く嘔吐する。

高価そうな赤い絨毯にシミができる。


教祖もYも唖然とするしかなかった。


教祖が「おい!」と怒鳴ったが、Xからはいびきが聞こえてくる。

「なんだこいつは。本当に宗教団体の長なのか?」


Yはこれ幸いとXの肩に手を回し、腰に力を入れて彼を持ち上げた。

「申し訳ありません。先生は少々体調がすぐれないようですので」


そそくさと、Xを半ば引き摺るようにして教祖のビルから退散する。


ビルを出てすぐに、Xの足に力が戻った。

「Yさん、助かったよ」


Yは額に浮いた汗をぬぐった。学舎肌の彼は肉体労働が不得手だ。

「身体を張りましたね」


「お互いにな。ああでもせんと、あの男はわしらを返してくれんかったろう」


「しかし、修練場の件は振り出しですね」


「なぜだ? 適正な価格で購入すればいいだけだ。向こうだって、使いもしない物件が金になるなら、悪い話じゃないだろ」


もっともである。

後日、Yがあらためて先方に電話を入れると、事務方の人間は、Xの粗相など何も知らないのか、それともあの教祖が言い含んでいたのか、淡々と取引を進めてくれた。


取引価格は、某ターミナル駅の近くということもあり、いまの学舎の本部ビルの十倍近かった。信者を動員して改築し、立派な「講堂」ができたが、財政は一気に悪化した。


手を打たねばならない。これまでのように、信者からの自発的な寄進に頼っていてはいけない。学舎を維持発展させるためには、もっと積極的に金を集めなければ。


Yは金策方法を考えながら、講堂に入った。

受付の男性信者がYを両手で拝む。

学舎のなかでは、YはXに次いで徳の高い人間とされているのだ。


「講堂」は二千人近くが入れる大ホールを中心に、大小二十の「修練室」が備わっている。そのうち、最も奥まったところにある七番修練室は、もともとの持ち主だった教団の教祖が私室としていた部屋である。


売買成立後、Yは部屋の中を確認して呆れ果てた。舶来もののキングサイズのベッドに、専用のシャワールーム、ワインセラー、おまけに立派な暖炉まである。


一方、一緒に確認して回ったXは「性行法の指導場として、じつに相応しいな!」とご満悦で、改修時には流行り始めていた北欧式蒸気風呂まで付けさせ、以降は女性信者たちを導き続ける日々を送っていた。抱くべき女は文字通りいくらでもいる。


女性たちにとって、Xは神そのものであり、神に抱かれることは至情の祝福に他ならない。そして、そうした女性たちの一部が、一般の男性信者に祝福を施す。


そうした中から、極一部ではあるが悟りの素養を見せる信者が現れていた。学舎設立の目的が叶い始めたといえる。


一応は順調である。あとは新聞社の批判を躱しつつ、地道に規模を拡大していけばいい。


Yのそんな思いは、七番部屋の扉を開けた瞬間に水をさされた。


部屋ベッドには全裸のXのほか、八人もの女がいたのだ。ぎゅうぎゅうに身を寄せ合っている。しかも全員裸だ。女の一人は、例の女性大の教諭だ。ほかの七人は見たことのない顔だった。全員、ギョッとするほど若い。


女たちはXに導かれたあとらしく、惚けたような顔でYを見つめた。


Yは咳払いした。

「先生、こちらのお嬢さん方は?」


「ああ、○○大学の女学生さんたちだ」

Xがさらりといった。


嫌な悪寒がYの背筋を撫でた。


三週間後、大手新聞の三面に「女子大生集団入信」の文字が踊った。

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