【教団拡大】拷問
兵隊あがりの警官の拳が、Yの腹にめり込んだ。
Yは胃液を吐き散らしながら、取り調べ室のじめじめした床に倒れ込んだ。
兵隊あがりがYの髪を掴んで顔を起こす。
「言え」
「何を言えというんですか」
「お前らの、いや、Xの犯罪行為を証言しろ」
「いえません。先生は犯罪などいっさいしていないのですから」
兵隊あがりがYの顔をはたいた。
「寝ぼけるな」
もっともだ。
Xが成人女性のみならず、年端もいかないような少女の信者を〝導く〟ことは裁判官によっては婦女暴行とみなすだろう。
教団が所有する家々は信者の寄進によって購入したものだが、固定資産税は信者たちが負担している。会計的には際どい処理だ。
そして、Xの法律上の妻の件。
Yが事細かに供述するなら、警察がXを刑務所に送るのは、そう難しいことではない。
Yはいった。
「弁護士に会わせてください」
兵隊あがりが頷く。
「ああ、お前がうたったらすぐに呼んでやるよ」
初日の取り調べが終わる頃には、Xの腹部はあざだらけ、顔はおたふく風邪でもひいたかのように腫れ上がっていた。
終戦から四年が過ぎていたが、留置所の作りは戦前とほぼ同じ。小さなガラス窓はひび割れ、ガタついた窓枠からは冷気が忍び込んできた。複数の容疑者が同じ房に押し込められ、寝具といえるのはノミの湧いたボロ布一枚切りである。
昨晩までは教団の大幹部として、女の柔肌を堪能しながら寝ていたというのに、呆れるほどの転落ぶりだ。
翌日も厳しい取り調べが続いた。
兵隊あがりの若い刑事が、暴力を使いながら「怖い刑事」を演じ、ときおり大黒顔の刑事が交代して「いい刑事」を演じる。
警察のやり方は戦前や戦時中と大差なかった。
筋金入りの共産党員として、特攻警察の世話になったこともあるYである。
兵隊あがりの刑事のふるう暴力など慣れたものである。
そう思っていたが、勾留十日目に奇妙な棒が登場した。小さな刺股のような形状をしており、握り手からはコードが伸び出し、壁のコンセントに差し込まれている。
「なんですかそれは? 布団たたきですか?」
Yの精一杯の強がりだった。
彼は元々は理系の研究者である。
用途は見た瞬間にわかった。
兵隊上がりがいう。
「口を割るなら早い方がお互いに楽だ。勾留期限までまだだいぶあるからな」
余計な一言である。
本当に勾留期限まで間があるというなら、Yの身体に外傷ができても気にしないはずだ。
Yは、現在の法制度にはさほど詳しくないが、少なくとも戦時中のように人権がまるで存在しないというわけではないらしい。
口を割ったとしても、ある程度はまともな裁判を受けられるのだろうし、それ以前に、勾留期限まで耐え抜けば、いったん不起訴となるのだろう。
棒の二股の先端がゆっくりとYの肩に近づき、触れた。
神経が爆発したような感覚と共に、全身の筋肉が激しく硬直と弛緩を繰り返した。
Yは必死で意識を消そう、潜在意識に肉体をあけ渡そうとしたが、そう思えば思うほど意識は強まり、電撃による衝撃をより細やかに味わう羽目になった。
四度目か五度目の電気拷問のあと、よい刑事である大黒顔の方が、同情を込めた声でいった。
「ねえ、Yさん。あなたどうしてここまでXをかばうんです?」
Yは疲労困憊していた。瞼を開けることにすら強い集中が必要だった。
「人々を救うためです。X先生以外にそれをできる人はいません」
「なるほど。でもねえ、人々が救われて素敵な世の中になったとしてもそのときあなたが五体満足でいなければ、何の意味があるっていうんです? わたしの経験上、あなたはあと一度か二度、取り調べを受ければ一生涯にわたる障害を負うことになりますよ。場合によっては死んでしまうかもしれない」
「わたしは死んでもかまいません」
「なぜです? 輪廻転生とやらを信じているからですか?」
輪廻転生? Yは思った。わたしはそんな不確かなものを信じてはいない。悟りについては数々の証拠を目にしたし、Xの神がかりも確認した。それでも、魂の存在について確証を得たことはない。
刑事の言う通り、死んでしまえば終わりだ。なのに、なぜわたしは命をかけているのか。生まれたもった使命? 人生を費やすべき偉大な目標? 大義? どれも違う。
「X先生は、わたしの友だ。かつて先生はわたしのために炎の中で命をかけてくれた。わたしはあのとき、将来何があろうとX先生に尽くそうと決めたまでです」
自分自身でも思っても見なかった本音に、Yは驚いた。
大黒顔の刑事は「美しい友情ですねえ」と微笑み、取り調べを兵隊あがりの刑事と交代した。
ここからの三回の拷問で、Yは脳に非可逆的な損傷を負った。




