【暗殺計画】銃の入手
「Xを殺す?」
諸県はもう一度、周囲の茂みを見回した。
これはいったいどういう罠だ?
だが、いつまで経っても学舎の青年団員たちは出てこない。まるで自分たち二人以外、誰もいないかのようだ。
陽射しはあたたかく、静岡湾から吹き付ける潮風に、かすかに柑橘の香りがただよっている。
ふもとを走る日産製路線バスの排気音がかすかに聞こえた。
「Y、お前が何のつもりでそんなことをいってるのか知らんが、俺がお前の言葉を信用すると思うのか?」
「もちろんしないでしょう」
「じゃあ、なんのためにここに来た」
「可能性があるからです。いまはもう戦後も遠い昔です。この国で銃を入手するのは難しい」
「お得意の猟銃があるだろう」
Yがメガネを叩いた。
「わたしの視力では免許を取得できません。それにお恥ずかしい話、いまのわたしの資金力では猟銃の購入費用を捻出するのも難しい」
たしかに、かつてのYは地味ながらも高価な布地のスーツを見に纏う伊達男だった。いまのように履き潰した革靴など死んでも履かなかったろう。
Yがいう。
「わたしはあなたが協力してくれる可能性は0.5パーセントと見ています。0でないなら十分です。ぜひご検討をお願いします」
目の前にいるのは殺したいほどに憎んでいた相手である。
学舎の大幹部。
政治家たちを操り、大勢の日本人を地獄の底に追い込んだ鬼畜。
刑事としての自分の人生を破壊した男。
諸県は肩の力を抜いた。
「とりあえず話せ。お前と学舎に何があった?」
ーーーーー
Xの法律上の妻が亡くなったのは、昭和○年○月のことだった。山手線鶯谷駅近くの陸橋から、汽車に飛び込んだのだ。
警察はすぐさま自殺と断定した。終戦直後である。将来を悲観して人生を断つ人間はいくらでもいた。ましてや、この妻の夫は怪しげな新興宗教の教祖であり、夫婦関係は完全に破綻していたという。殺人がいくらでも起こり、米兵による事件も続出するなかで、動き出したばかりの新しい警察組織が人手を割くゆとりなどなかった。
Xはおおいに悲嘆した。彼にとっては頭痛の種ではあったが、Xの妻はやはり女性であり、性行法さえ施せれば悟りに導くこともできたはずである。
また、結婚したのは彼が悟りを開く前、まだ愚鈍で純朴な青年だったころである。不器量ではあったが、妻は彼にとって初めてまともに会話した女性であり、彼のなかに残る愚鈍な部分の残滓は、純粋に心を痛めた。
彼は法律上の妻の死を悼み、三日間ほど女たちを抱くのを控えたのち、四日目の朝に悟りの深度を深めた。妻の死はたちまち彼の脳内ではとるにたらぬこととして処理され、彼は幸福を取り戻した。
法律上の妻の遺産の一部が彼の手に入り、学舎の財政にゆとりが生まれた。Xは酒や服、車を購入しようとしたが、Yに押し留められた。
「金は金を作るのに使うべきです」
Yがそういって持ち込んできたのは、米軍を納品先とした銃部品の製造だった。この頃、学舎の男性信者のなかに陸軍の兵器工廠で働いていたものが複数人いた。彼らが元職場から、半ば盗み出すようにして工作機械を運び出し、学舎の工場に運び込んだのだ。
Xたちは戦時中、反体制派として弾圧されていた。ここにきて、その経歴が生き始めた。大日本帝国と戦った運動家の工場ならば、安心して銃の部品製造を任せられるというものだ。
信者たちはせっせと働き、Yは稼いだ金を使って学舎の信徒が寝泊まりする建物を買い増し、貧困に窮していた女たちが新しい信者として加わった。そして、Xはそうした女たちを片っ端から抱いた。
昭和○年、Xは突如して「日本中の人間を救わねばならない」という霊感を受け、「全国救世巡行」と題して数人の女たちと共に日本各地を旅して回った。Xは無償で人々を救う偉い先生として、主に貧民たちに施しをしてまわり、そのついでに見目麗しい女がいれば東京に連れて帰った。
問題が生じることも多々あった。とくに深刻だったのは、やはり信者の女たちの亭主である。自分の妻がわけのわからない男に身を差し出し、場合によっては娘ともども親子丼で抱かれているのだ。我慢できるはずがない。一度などは、どこでどうやって手にしたのか、ヤクザ者の亭主が回転式拳銃を片手に乗り込んできた。
当時、Xは学舎の拳銃工場の隣にあった、二階建ての一軒家の居間で生活していたのだが、このヤクザ者は玄関の扉を蹴り壊して侵入すると、土足のまま入り込み、Xがまどろみながら足を突っ込んでいたコタツの天板に立った。2階から駆け降りてきたYが「やめろ!」と叫んだが、時すでに遅かった。ヤクザ者が引き金を連続して引いた。弾倉の六発すべてが発射され、すべてが外れた。ほんの数十センチの距離だったというのに、Xにはかすりもせず、背後の畳と布団に穴を開けただけだった。
ヤクザ者の拳銃が震えた。
女たちの一人がひゃあひゃあ喚きながら工場の方から駆けてきた。手には製造中の銃が握られている。彼らが作っている銃には激鉄がない。激鉄は別の事業主が製造し、米軍に納めているのである。おまけに、弾丸もなかった。が、ヤクザ者はそんなことを知るはずもない。大慌てで家から飛び出して行った。
一瞬の間をおいて、「先生!」「大丈夫ですか!」と信者たちがなだれ込んできた。
Xは立ち上がれなかった。小便をもらしていたのだ。彼は目覚めた者、ブッダであるが、彼の脳はいつでも深く悟っているわけではない。とくに睡眠にさいしては脳の自己操作力が弱まり、脳内物質の分泌も常人なみとなる。そして、このときは、午睡の最中だったのだ。あわてて悟りを再開した。死に対する本能的な恐怖は消え去り、膀胱もシャキッとしたが、漏れ出してしまった尿はどうにもならない。コタツから出れば、信者たちは大いに幻滅するだろう。
そのとき、Yが階段の途中から「X先生が無傷であったのは、Xが仏だからであり、その霊的な圧力が弾丸を退けたのだ!X先生バンザイ!」と叫んだ。
信者たちが「バンザイ!」と復唱する。彼らの目には涙すら浮かんでいる。奇跡を目の当たりにしたことへの感動である。
一通りの賞賛の嵐が澄んだところで、Yが信者たちを「ほらほら、先生もお疲れだから」と、家から追い出した。それから、自身も「新しい布団を探してまいりますので」といって2階に上がった。
Xはコタツから出ると、もそもそとズボンと股引きを脱ぎ、台所のゴミ箱に放り込んだ。クシャミをしながら、新しい股引きを履き、コタツに戻る。
コタツの底、木格子のなかで炭が熱を放っている。
Xはあたたかみを感じながら、命のありがたみを噛み締めた。ブッダの生まれ変わりというのはYが用意した設定でしかない。X本人は生はいま一度のみだと考えている。
Yはじつに賢い男だ。あらゆる場面で助けてくれる。Xは顔を顰めた。だが、あんなふうにわしを救ってくれたということは、やつはわしの醜態に気付いていたということか?




