【東京大空襲】氷水
橋の上は避難民でごった返していた。
○○方面から逃げてきた人々と、○○島から逃げてきた人々とが互いに橋の向こう側こそ安全地帯と信じ、死に物狂いで渡り切ろうというのだ。二つの群衆は橋のど真ん中でぶつかり合い、必死のおしくらまんじゅうを演じた。
なお、あとから分かったことではあるが、米軍の爆撃は都心を環状に囲うように行われた。そのため、結局のところ、どちらに進もうが火炎に捕まるのは時間の問題ではあった。
Xたち一行は、橋の三分の一ほどまで進んだところで、身動きが取れなくなっていた。もちろん、Xは悟りにより、Yは生来の賢さにより、この橋が死地であることを十分に感じていた。それでも、いちど人波に巻かれてしまうと、容易には逃れられない。
橋の真ん中のほうで悲鳴があがった。
「息ができない!」
「こっちに来るな!戻れ!」
「そっちが戻れ!」
「押すな!」
怒号が飛び交う。
両岸からそれぞれ炎が迫りつつあるなか、誰もが我を失っている。火の粉が宙を飛び、空気は溶鉱炉のなかのように熱い。みな、進む先も燃え盛っているのはわかっている。それでも、前に行きさえすれば、この熱から逃れられると、なぜか信じている。
隣にいた背広姿の男の肩が、Yの肩をぐいぐい押してくる。Yは倒れまいと必死に踏ん張った。押し負ければ死ぬ。じっさい、橋の中央部ではあまりにも圧迫され、立ったまま力尽きている人々がいた。また、そこここで倒れている女性や子供の姿があった。転び、そのまま周りの人間に踏みしだかれたのだろう。生きたえたのか、ぴくりとも動かない。
Xが「みんな力を入れろ!」と声を大にする。
彼らの集団は男たちが円を作る形をとり、一体となって、中に入れた女子供を守っていた。
Xの人並外れた体格と馬力、意志力が今夜たまたま巡り合った十人ちょっとの人間を一つにした。
そのとき、ごう!と、ひときわ強く風が吹いた。
○○島側で大炎がふわりと浮かび上がり、ゆっくりと橋の上に覆い被さった。
ごった返している人々が次々と燃え上がっていく。
人の脂が焼ける臭いが広がる。
炒め物の匂いだ。Yは一瞬〝いい匂い〟だと感じたあと、吐いた。
留置場で食べたサツマイモのカスが胃液と共に橋の上にシミを作る。
全身に炎が回った人々が、絶叫しながらすべての力を振り絞って前進しようとする。人混みの圧力が増し、さらに身動きが取れなくなる。まともに動けないなか、人という燃料袋が燃え広がる。炎が近づいてくる。
Xが吠えた。彼は隣に立っていた少年警官を掴み上げた。
少年警官が「なにをするかっ!」とXの顎を肘で打つ。
だが、Xは気にもとめず、そのまま彼を橋の欄干の向こう側に放り投げた。
少年警官の喚き声は、橋の上の悲鳴と炎の音にかき消された。
「先生!?」Yは思わずいった。
Xは周りにいた避難民を次々に放り込むと、最後にYの首根っこを掴んだ。
Yは叫んだ。
「先生!真冬なんですよ!凍死するだけです!」
「焼け死ぬよりましだ!」
YはXに引きずられるようにして、橋から落ちた。




