【Yの告白】導き
お導き? Yはスミコの奉仕を受けながら思った。たしかにわたしはXのなかの観音様と直接的に話したことがある。だからといって、自分が他者を導けるほど悟っているとは思えない。彼女は丁寧に尽くしているが、わたしがその代価に彼女に与えられるものはない。
やめましょう。そういえばいいだけなのだが、Yの舌は動かなかった。身体は快楽を受け入れている。
YはXの経典の中身を思い出した。そう、快楽こそが悟りの鍵なのだ。
人は己の意識が常にそこにあると考えているが、じっさいはそうではない。人の本質は無、無意識である。無意識が肺を動かして酸素を取り入れ、バランスをとって二足歩行し、ペンを持ち、動かし、正しく仮名や漢字を表記する。人間の生活の大部分は無意識が司るのである。
では意識とは何か。無意識では処理できないほどの複雑な要求に応えるための、一種の運転手である。ピタゴラスの定理を証明し、マルクスの言葉を翻訳し、乱雑なXの経典を整える。
意識は大変に便利なものだが、使用すれば大量の糖分を消費する。また、常に問題を解決しようとする性質があるために「悩み」を生じさせる。悩みとは不幸そのものだ。悩みがなければどのような出来事も不幸ではない。
そこでXは、無意識の活用を説く。意図的に意識を切り、無意識に思考と身体の操縦を明け渡すのだ。そうすれば、あらゆる不幸は消える。
さらに、人の脳はよくしたもので、燃費の悪い意識が消えるとき、快を感じさせる分泌物を出す。意識を消すことは二重の意味で幸福をもたらすのだ。
では、どうやって意識を消し、無意識を生かすのか。
慣れである。人は誰しも無意識を使って生きている。無意識が身体を操っている瞬間を自認しつづければ、切り替えに慣れるのだ。
そして、慣れに必要なのはやはり快楽である。無意識を自認するたびに身体に報酬を与えれば、脳はますます無意識を尊ぶ。
暖かな風呂に入りながら無意識を感じる。
甘い菓子を食べながら無意識を感じる。
性行為にふけりながら無意識を感じる。
とはいえ、人にとって意識と肉体は不可分だ。
気軽に、無意識に肉体を明け渡せるようになるには、よほどの後押しがいるだろう。
とりわけ、Xの流儀はこれまでの悟りの技法から、あまりにもかけ離れている。
人々に真剣に取り組ませるためには、神的存在の看板が不可欠だ。
Xがこのスミコに、わたしも導き手だと告げたなら、それを否定してはならない。Xは絶対なのだ。神性を傷つければ、彼女が悟りの技法を習得するのがそれだけ遅れることになる。
Yは奉仕を受けながら、ペンを手に取り、考えを藁半紙に書き留めた。
Xは仏である。
市井の人間は、仏を神と同一視している。
神と性交渉を持つのは、人間にとって最高の喜びである。
性に対する価値観を根底から覆すのだ。
性は美しく素晴らしいことであり、神がさずける福音である。
場合によっては女たちがXの子供を孕むこともあるだろう。
だが、それも問題にはならない。
神の子を得ることを拒否するものなどいるだろうか。
Yは書き終えると、ペンを置き、スミコとの行為にふけった。Xに教えられた悟りを心がける。ようは意識ではなく無意識のまま、身体が自然に動くがままに性行為に取り組むのだ。それを感じ取るべし。
しかし、Yは根っからの学者肌である。
理性が強く、意識も強い。
獣のようによがり狂うスミコを眺めながら、自分が無の境地に辿り着くのはまだまだ先だな、と感じざるを得なかった。
行為後、スミコはそのままYの部屋で眠りこけ、Yはまた経典の執筆に取り組んだ。
夜中の1時を回ったころだ。
にわかに楼閣内が騒がしくなった。
一階のほうで女たちが騒いでいる声が聞こえる。
それにガラスが割れる音も。
Yが階段を駆け降りると、大きな玄関で見知らぬ女が箒を持って大暴れしていた。どこか田舎の方言で喚きながら、Xと女たちを叩き回っている。
女は痩せぎすで、傲慢そうな顔をしており、着ているモンペも安っぽい。だが、姿勢はまっすぐで妙な気品があった。
女が手にしているのは所詮は箒である。刃物すら物ともしないXならば、取り押さえるのも容易だろう。ところが、そのXは借りてきた猫のように大人しく叩かれている。
Yは舌打ちした。
何をしているのか。これではXの神性が台無しだ。
Yは物置から竹刀を取り出した。かつては、芸妓を折檻するのに使われていたものだろう。
「ご婦人!」Yは強く声をかけた。
やせぎすの女がびくっと震える。
Yは階段を降りると、女の眼前に竹刀を突きつけた。
が、なんとXが竹刀の先を掴み、「まあまあ、Yさん。ちょっと落ち着いて。な」といった。
Yは眉を寄せた。
「この方はいったいどなたなんですか」
「わしの妻だ」
Xが申し訳なさげにいった。




