【教祖への道】隣組包囲
帝都に出て三月もする頃、Xのもとには七人の女ができていた。
全員が、Xが上野近辺で声をかけた女である。
彼らは、Xが最初に救った未亡人宅で共同生活を送っていた。
日中、女たちのほとんどは働きに出かける。
まだ帝都が空襲にさらされる前の話である。
一芸がなくとも軍需工場に出向けば、女子供であろうとも仕事はいくらでもあった。
九十式鉄帽の顎紐作り、銃弾の検品、バネの荷詰め、何でもやる。
夕刻、彼女らは家路につく。
炊飯係を任された二人は、八百屋や魚屋で全員分の食材を仕入れる。
戦況が悪化してからは、総出で食糧探しをすることもあったが、この頃はまだのんびりしたものだったのだ。
家に帰った女たちは、てきぱきと家事に励む。
さて、ここまでの間、Xが何をしているのかといえば、日長一日縁側に座って観音様と話しているのである。
あるとき、Xは、豆腐売りのラッパの音を聞きながら、観音様にいった。
「ようは宗教を作るってことですか?」
〝その通りです〟
「でも、金村のじいさんが話だと、悟りってのは技術であって信仰とは違うってことでしたが」
〝そう。しかし、悟りを科学的に伝えたところで、世間の人間に理解できるでしょうか。愚かなものたちを救うためには、彼らに理解できる形に仕立て直す必要があるのです。まさに、過去の仏教の指導者たちがそうきてきたようにです〟
「はー、しかし、そんなことできますかね。わしは悟って、多少は物を考えられるようになりましたが、いかんせん、小学校にすらまともに通っとらんのですよ。わしのなかには、悟りの技を宗教として伝える言葉がない。こうして話してる観音様にしたって、わしなんですから同じでしょう」
〝大丈夫。過去の導き手たちも、皆同じ事をいいました。それでも、世の中には立派な宗教として後の世に伝わっているのです。彼らにできて、あなたにできないはずがありません〟
「まったく、観音様はのせるのがうまいですなあ」
この話以降、Xは自身が観音の声を聞いている事を隠さなくなった。
女たちは、Xが神霊と繋がっていると知り、なおさら深く彼にのめり込んだ。
アマテラスオオミカミが大真面目に信じられていたご時世である。
天皇陛下は生き神様。
なら、観音様の化身が現れてもとくに不思議ではないのだ。
さて、宗教として広めていくことが決まったからといって、Xは金村に教わった性行法を止めることはなかった。
嗜好品もろくにない世情では、結局、性行法以外に効率よく悟りに導く方法なかったし、導き抜きにしてもXは溢れ出す性欲を発散する必要があったからだ。
夜半、Xが女たちを〝導く〟さいには獣のような叫びの大音声が響く。
男一人に女七人でも、尽きることのないXの精力はものともしなかった。女たちを順繰りに犯し続け、二周、三周もするころにはX以外の全員が腰を抜かし、魂が呆けたようになり、Xだけがグデンとのびた女たちの一人に後ろからのしかかり、まだまだ残った精を吐き出さんと動いている始末だった。
近隣住民は、あの軍国夫人の鑑のようなお宅で何事かと訝しんだ。
あるとき、5軒隣の家に住む痩せっぽちの国語教師が文句を言いにきた。女たちの一人が玄関を開けると、きぃきぃ声で喚き始めた。
が、巨漢のXが「まあまあまあ」と奥から顔を出すと、あっという間にしおれて退散した。
女たちはXの頼り甲斐を誉めそやしたが、X本人は、まずいことになるかもしれんなあ、と思っていた。何か根拠があってのことではない。勘である。
だが、勘というのは脳の無意識が、それまでに得た情報をバックグラウンドで処理し、そっと意識の表層に押し上げる行為である。
このあとも、Xの人生を通じて勘は冴え渡るわけだが、これは悟りを得て、脳機能をより効率的に使用できるようになった人間がすべからく手に入れる能力であり、決して運ではない。
Xの無意識は、教師の言葉のイントネーション、かすかな体臭、目線の動き、これまでに新聞や回覧板で得てきた情報から、次に来るであろう相手を感じ取っていた。
翌日、「隣組」が押しかけてきた。
これは、大政翼賛会の下部組織ともいわれる町内会内部の集まりである。お上の軍国主義をかさにきて、少しでも反戦的なものがあれば糾弾し、憲兵にご注進する。
X自身は覚えておらず、無意識だけが知っていたが、痩せっぽちの国語教師は、この組織の末端構成員であり、回覧板に小さく名前が出ていたのである。
もちろん、Xは反戦運動とは無縁である。彼が作りつつある教義は悟りに導くためのものであり、政治的な運動とはいっさい関わりがない。
しかし、反戦的かどうかを判断するのはそれぞれの隣組を率いる町の有力者たちである。ようは、彼らが気に食わなければ、相手の行動はすべて反戦的、非国民的な行動とみなされるのだ。
Xの一人目の信者たる未亡人は、界隈でも指折りの美人であり、近所の男衆はのきなみ目をつけていた。その彼女を奪われた上に、傍目には、他にも幾人もの女たちを囲っているのだ。
黒い気持ちが男たちを団結させ、彼らは角材を手に、小さな家を取り囲んだ。




