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都内最強のスポーツ公立中学校。寄せ集めでしかない学区内の少年・少女を名門私立中学の倍以上の練習量でタフに鍛え上げ、あらゆるスポーツで東京都を勝ち抜いていく。その運動部の中でも傑出した成績を上げ、勝つ使命を背負う野球部の練習は、そんじょそこらの中学教師から見れば、虐待かと思うほど過酷なものに見えるかもしれない。
運動部の伝統は、とにかく走ること。とにかく徹底的に走りこむことで、精神力と体力、そして下半身を鍛え上げ、闘う上での基礎を作り上げる。走れないものには練習に参加する権利すらない。仮入部のぽん太も本入部前から吐くほどに走りこまされた。ぽん太は、息を切らしながら走る。でも、先輩達は呼吸一つ乱さずに圧倒的なスピードとスタミナで走っていく。仮入部の新入生が実感する恐るべき差がそこにはあった。この先輩達に追いつき、追い越さなければ試合に出れないという現実を目の当たりにしながら、ぽん太は、なんとか日々ノルマの走り込みを肩で息をしながら終えた。そして、汗だくになりながらレギュラー達のバッティング練習の球拾いへと向かうぽん太の姿を、たんぽぽは校庭の端から見ていた。短距離が速いたんぽぽは陸上部で仮入部していた。
徹底的に走りこみ、頑張りが認められ、野球の実力を少しずつ試され、監督の頭の中にある全ての最低基準クリアした新入生が本格的に練習に参加し始めるのが五月。その基準に満たなければ、ずっと走りこみ。基準を満たした中でもレギュラー組とその控えの一軍と練習をサポートする二軍に分けられていく。ぽん太は数多い新入生野球部員の中から一軍練習に参加することを認められた五人の中に入った。
二軍や走り込み軍団の中に、昔、自分の野球を馬鹿にした奴等をぽん太は見つけた。優越感が小さな体に広がっていく。ぽん太は小学生の頃、弱小野球チームに所属していた。この町に父の仕事の関係で転校してきた時、訳も分からずに誘われるがままに入った少年野球チームは、まさかまさかの地区最弱。引っ越してくる前の町では、なかなか強いチームに所属していてレギュラーだったから、その最弱チームでぽん太の実力は際立っていた。本来であれば、辞めたいと思っても仕方がなかったが、転向してきた時期が六年生の夏・・・・。少し我慢すればすぐ中学生だと思い、そのままそのチームでプレーし続けた。しかし、同じ小学校に通う比較的チーム自体が強いところに所属する奴等からは、日々、弱いチームに属しているというだけで下手だというレッテルを貼られ、馬鹿にされ続けた。それは幼い少年心に結構つらかった。だが、同じグランドに立ち、徹底的に見比べられた結果、ぽん太を馬鹿にした奴等は一人として一軍の練習に参加を許される身分ではなかった。
「ざまーみろ」と、ぽん太は心の中で、所属していたチームがたまたま強かっただけの下手な奴等を見下した。
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ポジションを選べと言われ、ぽん太はサードを選んだ。少年野球ではピッチャーとショートだった。ただ一軍での練習を許された五人の新入生の中で明らかにぽん太より上手い二人がピッチャーとショートを選んだ。外野は守ったことがない。「サードしかないな」とぽん太は思った。しかし、この時、サードを選んだことでぽん太は野球を辞めることになる。
ぽん太は、ボールを投げる時にオーバースローではなく、スリークォーターで投げる癖があった。スリークォーターとは、オーバースロー(真上から投げる投法)とサイドスロー(真横から投げる投法)のちょうど中間で、斜め上から投げる投法。幼稚園児の頃からこの投法で投げていて、この投げ方以外は窮屈で速い球を投げられた記憶がぽん太にはなかった。しかし、この投げ方は肘に最も負担を掛ける。少年野球チームのコーチ達は、皆、ぽん太の投げ方を認めなかった。「いずれ肘を壊す」とぽん太に言いながら、誰一人としてぽん太に「肘を壊さない投げ方」と教えてくれなかった。なぜなら、ぽん太がスリークォーターで投げる速球が、どのチームメイトよりも速く、そしてコントロールが良かったから。スリークォーターから繰り出す速球でぽん太は三振を取りまくった。マウンドの上に立ちながら、小学生のぽん太は一体何を求められているのかわからなかった。速い球を投げればいいのか・・・それとも、肘を壊さないように投げ方を変えた方がいいのか・・・・。大人はいつも肝心な部分を濁す。それでも、たった一人、本音で語ってくれたコーチがいた。
「周りなんか気にすんじゃねー。好きな投げ方で、超速い球投げて、三振バンバン取っちゃえよ。苦しみながら、迷いながら野球やっててもおもしろくねーじゃん。俺は野球が好きなんだーーーーって思える投げ方で自由にやればいい。俺は、別にお前にプロになって欲しいとか思ってないし。でも、野球をいつまでも好きでいて欲しいとは思ってるよ。いいんだよ、そんなに悩むな。難しく考えるな。お前は、まだガキなんだから、楽しいと思えることを思いっきり楽しんでやればいい。大人にゃそれができない。子供なんだから子供らしく精一杯はしゃげ!!」
元野球少年兼ヤンキーあがりで煙草ばっかり吸ってるグランドで厳しく、ベンチで優しい若いコーチは、ぽん太が悩むと「あるがままでいいんだ」といつも言ってくれた。子供好きの新聞配達屋のせがれであるその若いコーチが、夕陽が映える大空の下、新聞を入れる籠付のカブに跨ってグランドを去っていく後姿をぽん太はいつも「渋いぜ、松井コーチ」と心の中で吠えながら見送った。それは転校してくる前の話。でも、そのコーチのお陰でぽん太は野球がより好きになった。
そう・・・・楽しむだけ、好きなだけで頑張れる少年野球はそれで良かった。でも、この日本には楽しむ野球から勝負する野球への変化を乗越えることができずに潰れていく野球少年達の例が毎年数えあげられないほど無数に存在する。ぽん太は、その中のサンプルの一人としてカウントされる運命にあった。
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口笛。グランドに響く口笛の音色は、透明で美しかった・・・・・。
野球を楽しんでいた頃のぽん太は、アウトを取ると軽く口笛を吹くという癖があった。少年野球でピッチャーをやっていた頃は、三振を一つ取る度に軽めのガッツポーズとともに口を尖らせて、口笛を吹いた。中学校に入ってもその癖は直らず、サードからファーストへ難しいゴロを処理してアウトを取った時などは必ず口笛を吹いてしまった。常勝軍団の監督は、そのぽん太の癖を嫌ったが、無意識にやってしまうことに気づくと目をつぶれる程度の悪癖だとした。勝つための野球に対する真剣さと楽しむ野球の溝が口笛の音色を挟んで存在したが、結果オーライならと周りの先輩からも許された。
校庭で野球部の練習の脇を走る陸上部の群れの中、たんぽぽはいつもその三塁ベース付近に響く微かな音色に耳を済ませていた。自分の呼吸音で口笛の音色が聞こえないことを恐れて、三塁付近を走る時は、息を止めて走った。ぽん太がアウトを取る音色が好きだった。ファインプレーの後に響くその口笛の音色は、自信に満ち溢れ、どうしようもなく男の子っぽくてカッコよかった。でも、その音色は時の流れに飲み込まれて消えていく。そして、メロディーを失った世界に零れ落ちたのはたんぽぽの涙とぽん太の成長痛・・・・・いや、成長しきれない痛み。
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体のできていない、まだまだお子ちゃまの中学一年生の右肘に名門野球部の練習量が痛い程にひびく。ぽん太の頬を伝う熱い汗は、そんな現実に少しずつ冷えて、火照った体に感じたことのない寒気を覚えさせようとする。他校の何倍もの練習する過酷な練習にぽん太だけでなく、周りの少年野球あがりの新入部員達も体の節々を軋ませ始めていた。疲れを隠せないまま喘ぐ侵入部員の吐息がグランドのあちこちから聞こえてくる。
ぽん太の守る三塁から一般的な内野ゴロを処理しボールを投げる一塁は・・・・内野の中では一番距離がある。マウンドからホームベースより長い距離を、ぽん太は内野ゴロを処理してはスリークォーターで投げ続けた。少年野球時代ピッチャーだったぽん太は、月日が経つ中でマウンドからバッターボックスへよりも遠い一塁へと、体勢が整わない状況でさえ素早いボールを投げ続けなければいけないポジションに違和感を感じ始める。途切れることなく投げ続けることが要求される内野守備練習。ただの内野ゴロだけでなく、ダブルプレーの練習、バント処理、外野からの中継、ランナーを置いた想定練習・・・・絶え間なく投げ続けたその一球、一球がぽん太の右肘の骨と骨を擦れ合わせ、関節を削っていった。負担のかかる投げ方を続けた結果、削り取られた右肘の骨格は変わり果て、右腕を少し動かすだけで激しい痛みを伴うようになった。切り傷やすり傷の痛みとは比にならない。体中の神経に高圧電流が流れるような感覚がぽん太の額から必要以上の汗を流す。それでもなんとかぽん太は耐え続けた・・・・・夏休みの炎天下、毎日朝から夜まで続く終わりが見えないような厳しい練習を経験するまでは。
厳しい練習を続ければ続けるほど、「本当に、自分は野球が好きなのだろうか?」と自問自答するぽん太。もう楽しい野球に身を置けないんだと、ぽん太は必死に大人になろうとした。脱水症状にならないように粉末のスポーツドリンクを夜寝る前に水で薄め、ペットボトル四本に入れて凍らせる。それを激しい練習の合間に一気に飲む。短い休憩時間に一息つく度に空を見上げ、そこに夏の沈まない太陽が燃え続けていることを確認しながら、飲み終えたペットボトルの蓋を閉める。練習がまだまだ終わらないことを悟り、ぽん太は激しい痛みに震え続ける肘に目を落とす。
夏の暑さは苦にならなかったが、痛みに飲み込まれ消耗し、削ぎ落とされていく自分の気力が苦しくてしかたなかった。今まで野球をやってこんなことを感じたことなかった・・・とぽん太は、陽が暮れた後の帰り道、夏の星空を見上げながら思ったりもした。
ぽん太は、お盆まで耐えに耐えたが・・・・・ついに気力云々の問題ではなく体が言うことを聞かない・・・どうにもならない現状と向き合わなければならなかった。肘が曲がりきらず、伸びきらなくなった。肘が九十度以上曲がらず、百八十度まで伸びきらない中途半端な角度で腕が痺れ続け、肘より先の手に力が入らなくなった。右腕に力を入れれば神経のヒューズがはじけ飛ぶような痛みの火花がぽん太の体の中で散った。ぽん太はボールを投げることすらできなくなった自分の弱さを憎んだ。投げることができなければ、グランドの上でできることなど何一つない・・・・。つまりグランドに存在意義がない・・・・。太陽の熱で干上がったクランドは、潤いのない砂漠のように思えた。ぽん太は、悔しさと疲れを表情に滲ませながら、無力な自分の体を引きずり、三塁線を跨ぎグランドの外に出た。ぽん太が痛みに耐え切れずに逃げ出したグランドでは練習が続いている。ぽん太の代わりならいくらでもいるとでも言わんばかりの光景が、グランドを出たぽん太の目に映った。ぽん太は、力なく肩を落とした。甲子園・・・・・・?そんなもの夢のまた夢のまた夢のまた夢の話・・・・そんなことを夢見た自分の馬鹿さ加減をぽん太は皮肉たっぷりに心の中で笑う。
夢にも思わなかった現実が目の前に広がっている。
夢に見ていたのは青空の下で白球を追いかける自分だったのに、震える右ひじを左手で抱きしめるぽん太には空に浮ぶ雲の形すら想像できない。グランドの外で佇むぽん太が見つめる現実は、青空がきれいに切り落とされたような夏の日の空間だった。
敗者は悔し涙を瞳にため、自らの敗北を見つめ続けた。
その後もぽん太は気力で痛みを押し殺し、何度も一軍の練習に加わったが、陽が暮れるまでグランドに立っていられたことはなかった。夏の夕陽を背負いながら、グランドの外で悔しさを瞳に滲ませながら声出しをしているぽん太の姿を何度も何度もたんぽぽは目にした。野球グランドに入れない野球少年の姿は見ていられないほどに、あまりに痛々しかった。肘は悪くなる一方で、良くなる兆候は全くなく、痛みが神経を伝い指先まで伝染し、掌を強く握り締めることすらできない。少しずつぽん太の存在感はチーム内で薄れていった。ぽん太は、何もできない自分をどうしていいのかわからないまま、一軍から離れ、二軍からも距離を置いた場所でグランドに転がるボールを自主的に拾い始めた。散らばる無数のボールの中に・・・・・自分の存在意義を探し求めるようにして、ぽん太は球拾いを終わりかけの夏の日差しの中で続けた。四本のペットボトルは、一本に減った。
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過去という泥沼の中で、あまりに色んなことを思い出す自分が嫌になる。ぽん太は、何かを振り払うように何度も何度も首を横に振る。忘れたい・・・・でも、忘れようとすればする程、思い出す。脳裏にへばりつくあの時の光景をもう何千回、思い出したり、夢に見たりしただろう。蘇り続けるその記憶のゾンビは、弱気になるとすぐに墓場から出てきてはぽん太の首を絞めた。嗚咽だけが喉元で鳴る。
ぽん太は、転がる時計に目をやった。待ち合わせの時間まで後十二分。青山霊園の霊魂達が情けないぽん太を笑い続ける。ぽん太はその笑い声を甘んじて受け入れる。言い訳したところで、もうどうしようもないところまで自分が来てることをぽん太はわかっている。
「そろそろ行くか・・・・」と、ぽん太は自分に言った。ぽん太はふらつきながら立ち上がった。体温を失った体は、この世から消え去りそうなほど弱っていた。ぽん太は枯れ草と煙草の吸殻を踏みつけながら、大久保公の墓の前を立ち去る。大久保公の墓に背を向けた時、ぽん太は「勝者とは・・・・敗者とは・・・・一体何なのか・・・?」と無意識に一人呟いた。でも、その言葉は自分の耳には届かなかった。いや、聞こえていたのかもしれないが、聞こえないふりをしたのかもしれない。考えたくないことばかり。聞こえているのに、聞こえないふりをするのが得意になる・・・・・特に自分の心の声に・・・。
形容詞を失った少年は彷徨い続ける。ふらつきながら墓場を後にするぽん太の足取りがあまりに頼りなかった。冬がぽん太の右腕に手をまわし、寄り添いながら歩こうとする。ぽん太は、それを振り切った。緑多き霊園の木陰からからすのいびきが聞こえてくる。野良猫達の激しい喧嘩の叫び声が遠くで聞こえる。月明かりがぽん太の歩く霊園中央の細い道を薄く照らしている。ソメイヨシノの並木道を歩くぽん太の脇を何台かのタクシーが通り過ぎた。朦朧とした意識を引きずりながらふらふらと歩くぽん太は、時折車道に出てしまい、タクシーに轢かれそうになった。急ブレーキの音が何度か青山霊園に響いた。そして、タクシーのオジサンの怒鳴り声が急ブレーキの余韻とともにぽん太に投げつけられる。
「馬鹿やろう、てめぇー。死にてーのか?」
ぽん太は、ヘラヘラと顔で笑いながら、目だけは笑わずにタクシーの運転手に小さな声で返す。
「馬鹿って言う方が馬鹿なんですーっ」
ぽん太はかったるそうに歩き続けた。ぽん太の泥酔ぶりを見て、タクシーのオジサンは何も言っても無駄だと悟った。
ぽん太は彷徨いながらも待ち合わせの場所に辿り着いた。墓場に捨てた筈の時計が、知らない間に左手に巻かれていた。自分で巻いたのか?それとも墓場に投げつけたという記憶は酔いの渦の中でみた幻想だったのか?それすらもわからない。わからないことが多すぎて、ぽん太の頭痛は激しくなった。
青山霊園中央の十字路を赤坂方面に進む道の先にトンネルがある。そこが、待ち合わせ場所。ぽん太は、十字路の真ん中に立ち、その穴を見つめた。そのトンネルの空洞は、形容詞を失ったあの日から今日までずっと心に開き続けた穴に似ていた。そのトンネルの名は、乃木坂トンネルと言う。ぽん太は、そのトンネルに向かって足を進ませた。側道脇に鬱蒼と茂る枯れたイチョウの木々がぽん太の行動を危なっかしく見つめている。ぽん太は、街路樹にもたれかかりながら挑戦的な視線をトンネルへと向けた。デジタル時計は、午前三時半を示す。