⑥
太陽の軍隊は、核爆弾がはじけ飛ぶような破壊力で次々とウサギを噛み殺していった。
目を見開いたままの噛み引き裂かれた死体が月面を覆う。そして、次から次へと押し寄せる軍隊が屍を踏みつけては、憎んでも憎み足りない月の主のもとを目指す。
太陽が月を食っていく。
月の軍隊は壊滅寸前で、戦意すら崩壊しかけていた。若き月の主は、歯が砕けてしまいそうなほど、怒りを噛み締めては、太陽の軍隊を睨みつけ叫んだ。
「太陽の主。なぜ、お前はこの残虐で破滅しかもたらさない憎しみを増幅させるだけの暴発を止めなかった。例え、親友であったお前でも・・・・・今、俺は心の底からお前を恨む」
月の軍隊が退却を繰り返す。太陽の軍隊が月の首都に迫ろうとする。
「引くなー、引くなー。ここで引けば、お前達の家族が辱められるぞ。お前達の愛すべき者達を命を賭して守りぬけ」
月の軍の先頭で壊滅状態の第一師団長の傷だらけのカワジが叫ぶ。月の主は、月の市民達を全て首都に集め、軍人以外の誰一人として殺されることのないように守り抜く緊急非常篭城法を発令していた。月の首都には月の全市民達が、ごったがえしている。そして、みな心の底から祈った・・・・愛するもの、大切なものを失いたくない・・・・と。失う怖さに皆、震えた。
若き月の主は、愛すべきこの星の市民達を守るためにも負けてはならないと、何度も何度も自分に言い聞かせ、そして苦しむ勇気を叱咤した。しかし、闘いの果てには敗北しか見えなかった。月を襲う月蝕が月の存在意義を食いちぎり続ける。月は肉も骨も食われる。夢が食われ、幻想が食われていく。月の軍隊は太陽の攻撃を持ちこたえられそうになくなっている。現実に食わせる夢と幻想の肉は、皮の裏にこびりついた微かな旨みの部分しか・・・・・もう残ってはいない。
月の主の下にカワジからの伝令が来る。太陽はもう首都まで1・5キロの場所まで迫っていた。
「お覚悟を・・・・」
伝令は、それだけを言った。
月の主は、一筋の涙を流し、そして静かに肯いた。後悔などは何もない。だが、平和に幸せに暮らしていた月の市民達がこの月面から失われることを心から嘆いた。
事ここに到れば、月の力を持ってしても自らを再生する術はないだろう。先にあるのは敗北と破滅、そして絶望。現実に押しつぶされ、夢も幻想も失い絶滅させられる汚名を負うくらいならば、この星の愛すべき市民達に最後を告げようと月の主は覚悟を決める。
自らの生をまず断ち切ることにより民族総自決宣言を発令する。月の主は、短刀を握り締めた。それに伴い官房長官が民族総自決宣言の発表準備にかかる。あらゆる大臣クラスも月の主と伴に短刀を握り締めた。月の主は、自らに刃を向け、腹めがけて握り締めた短刀を引き寄せた。
その瞬間だった。攻め込まれ、食いちぎられ、廃墟と化した暗く重たく悲しい月面に光が溢れた。月面に満ちる傷ついた夢と幻想の隙間から再生の女神が月の主の前に現れた。再生の女神―月の女神は、厳しさを持って月の主を見つめた。
「あなた達はもう諦めてしまうのですか?太陽の影に隠された月の力とはそんなものなんですか?あなた達は、夢と幻想、そして生命の神秘を司る民族。それが現実に食い殺されるとは何事ですか?現実が全てなのですか?違う。太陽の支配する世界だけではこの宇宙は崩壊する。太陽の支配する世界においては、太陽以外のあらゆる生命が敗者となりゆくのは目に見えている。今のあなた達の姿がそうです。そして、あなた達が負けてしまうことで目に見える宇宙全体を覆いつくすであろう悲劇的な未来は現実のものとなるでしょう。
事実・・・・月は太陽に負けました。夢は敗れさったのです・・・・。この散々な結果と噛み切られた死体の山を見れば一目瞭然です。それでも選んではならない道があります。あなた達、生き残りしものがあの死体の山に加わろうとすること。いいですか?なぜ、あなた達はまだ生きているのですか?なぜ、あなた達は今まで生かされているのですか?数多くの者達が死んだ後でも・・・・まだあなた達は生きている。
なぜ?
それは、死んでいった者達があなた達を生かしているからです。それは遠い昔から変わらない。死にゆく者は生あるものに全ての希望を託してこの世界から消えていくのです。その希望は、たとえ敗者であったとしても今を生きるあなた達がやがては復活し、再生していくことへの希望・・・・・。
死んでいった者達が望んだからこそ、そしてあなた達を守ったからこそ、今でもまだあなた達は敗者ながらにして生きている。
いいですか、あなた達は、この今という時の中で生きているし、生かされている。そんなあなた達が望まなければならないものは唯一つ。
『敗者復活戦』
絶望に心を支配された死体のような・・・・生きる屍のような肉体、そして精神から幻想と夢を描き出すメロディーは生まれない。
口笛を吹きなさい。
そして、その音色があなた達を支配しうる夢の中に響く道筋を見つめなさい。そして、その手に幻想と夢をしっかりと掴むのです。それが月の民族の敗者復活戦。負けてもいい。それは恥ずべきことではない。そこから復活することに意味がある。あなた達は復活を宿命づけられた民族なのです。それが月が背負う宿命です。もう一度夢を見なさい・・・・」
月の女神は、月の主にそう言い伝え、月光の中に消えていった。光の残像が少しずつ消え、暗い現実がまた辺りを支配する。月の主は、握り締めた短刀をそっと床に置き、玉座から立ち上がった。官房長官に民族総自決宣言の準備を止めさせる。月の主は、生きている理由と生かされている自らの命の重みを背負いあげた。
✍
翌日、壊滅状態にあった月の軍隊は、太陽の総攻撃に敗れ、月の首都は太陽の占領下に入った。月の主は捕らえられ、太陽の私設軍隊から死刑を宣告される。
月の主は首都の真ん中に位置する中央広場で絞首刑にさらされることになった。月の市民の前で首を吊るされ、見せしめにされる。二度と月が太陽に逆らわないように、二度と夢が現実を脅かさないように・・・・極刑が執行される。
太陽の軍人に引きずられながら、月の主は絞首台へと足を進ませる。月の広場には、月の市民が溢れかえっている。月の主は、縛り上げられながらも自分が死ぬことは怖くはなかった。愛すべき月の市民一人一人の表情が恐怖にこわばり苦しみに固まっていく様を見るのが恐ろしかった。
月の主は、首都に呼び入れた全ての市民を中央広場の壇上の上から見つめた。誰もが不安に駆られている。月の軍隊の敗北、そして美しき月の文化・伝統の滅亡・・・・そして歴史の終着点・・・・つまり全ての終り。
再生なき未来が月の市民の前に広がっていた。ここで月の王としてクールにカッコよく決められればいい。でも、本当の強さはクールなカッコよさの中にはない。恐怖や苦しみ、苦味や醜さに震え上がるかっこ悪い自分を受け止め、笑うこと・・・・・そこに強さがある。月の主は、心震えながらぎこちのない笑顔を月の市民に向けた。その笑顔は本当にかっこ悪いひきった笑いだったけど・・・・・・そこには強さがあった。月の主は、太陽の軍人に引きずられながらも首都にごった返す全ての民に向かって叫んだ。
「月の民よ。これで全てが終りだと思うか?これで全てが終りなのか?違う。これからが始りなのだ。よーく見ておけ。どんなに惨めでかっこ悪くても私はこのままでは終わらない。終わらせやしない。月を死なせやしない。だから、月の民よ。虐げられ惨めな姿をこの宇宙に晒そうとも夢を捨てるな。まだ終わりじゃない。敗者復活戦を見せてやる。その目をよーく見開いて敗者の星の王を見よ。再生を司る月の伝統儀式を、現実を乗越えた先にある夢をお見せしよう」
無駄口を叩く月の主の態度を嫌ったキリノは、絞首台まで辿り着いた月の主を間を置かずに死刑にしようとした。月の主の首に縄をかけ、そして一気に吊り上げた。首元が一気に絞まり、月の主は酸欠状態に陥る。肺は失われた酸素を求めた。月の主は、醜くもがいた。足をバタつかせ、首元の縄に手を掛ける。それを見て太陽の軍人達は笑う。
月の主の目に涙が溜まる。苦しむ姿が月の民に晒されている。もう駄目だ・・・・・、月の主はそうは思わなかった。吊るされた喉元で苦しみながらも月の主は、微かに空気を吸い込み、肺からその空気を吐き出すとき、弱弱しい口笛を吹いた。その口笛は静まり返った月の中央広場に一粒の涙が水溜りに零れ落ちるような音を小さく響かせた。
最後の悪あがきだった・・・・。口笛を吹いたところで完璧に支配された現実を変えることはできないだろう。敗者復活戦を見せてやるというのは、月の主のでっちあげた夢・・・・。月の女神が言ったような夢がこの世に存在し得るとは思えなかった。口笛を吹いたところで敗者が復活するなんて到底信じられることじゃない。月の主の意識が遠のく。しかし、敗者の肺からすぼめた唇を伝い、響く口笛はいつまでも鳴り響いていた。白目を向きながら口笛を吹き続ける月の主が意識を失ったのを確認して、「さらば、太陽に楯突いた愚かな敗者よ」とキリノが叫んだ。
月が月蝕に丸飲みされ、光を全て失うその瞬間だった。
「ちょっとお待ちいただこうかな、現実の支配者・・・・いや、太陽の主の意向を汲まない現実の暴発者達よ」
ごった返す月の首都・・・月の民族達が中央広場に向かって道をあけてゆく。
水星の猫科の軍隊が恐ろしいほどの瞬発力で月の主の処刑台を目指して走ってくる。先頭を走るライオンキングは雄たけびをあげ、それに続く猫科の者達も、みな口々に雄たけびをあげた。そして、ライオンキングは、水星の中で最も足の早い二匹のチーターに目配せをした。その二匹のチーターは、その目配せにうなずき、先頭をゆくライオンキングを一瞬にして抜き去り、死刑執行が行われていた舞台に駆け上がり、月の主を吊り上げていた絞首台を破壊した。あまりのチーターの俊敏な動きに太陽の軍隊は全く反応できなかった。二匹のチータに首を締め付ける縄を解かれた月の主は、一時的な酸欠状態に陥っていたが、中央広場の群集の中から、太陽が支配する死刑台に駆け寄った勇気ある月の医者達の人工呼吸と心肺蘇生により、息を吹き返した。それを見て、月の市民は歓喜の声をあげた。
ライオンキングは、太陽の私設軍隊の幹部達を挑発的な眼差しで睨みつけ、事の経緯を語り始めた。
「水星は、敗者を再生させる月の信念と政策に、ついこの間の水星臨時国会において満場一致で賛成したんですよ。我々が慕い、愛し、そして敬う月の民族に手出しをするような星がこの宇宙にあるのならば、水星猫科の民族は決してその星を許さない。太陽の暴発者達よ・・・・月を潰そうというのであれば、まずこの水星を相手に闘われよ。我々は、世間一般に言われている恩知らずな猫達かもしれませんが、可愛がってくれる星を忘れたりはしない・・・・。猫に対する認識が間違ってますよ、現実社会では」
ライオンキングは、キリノを徹底的に見下した。
個人主義である筈の水星猫科の軍隊が隊列を組み、月の市民を守りながら、ライオンキングの号令を待つ。奇跡としか思えないありえない景色が宇宙空間に広がる。ライオンが、虎が、チーターが、ジャグワーが、パンサーが、そして普通の猫が太陽の犬達を睨みつめる。
太陽以外の連合軍は、水星の迫力に押され、皆、全て退却した。だが、太陽の軍隊は月から去ろうとしない。二度目の退却はない・・・・もうこれ以上生き恥は晒せないとキリノをはじめとする私設軍暴発幹部は歯軋りをした。その意固地な表情を一通り眺めた後、ライオンキングは、「犬に猫の怖さを教えてやれ」と叫んだ。
猫達は一瞬にして太陽の軍隊に襲いかかった。その素早く俊敏で組織化された圧倒的な攻撃に犬達は一瞬にして壊滅状態に陥った。しかし、犬は引こうとしない。狂ったように闘う。
「死に場所見つけたりー。死に場所見つけたりー」とキリノが叫びながら、闘う。
呼吸はかろうじて取り留めたが、意識を失い続けたままだった月の主は、強烈に鼻腔を抜けていく血の香りと連続する理性を失った闘いの叫びに目を覚ました。
月の主は、意識を取り戻した瞬間、とっさに立ち上がり闘争本能とともに辺りを見回した。目の前には、ライオンキングが優しく大きな笑顔で立っていた。ライオンキングは、興奮状態にある月の主を安心させるために、友情の証として、月の主の顔を大きな舌でひと舐めした。そして、月の主の前で膝まづき、事の経緯と忠誠を誓う。
「あなたの口笛に呼ばれ、急ぎ水星より駆けつけました。月の主、あなたは敗者復活戦を成し遂げられたのです。ご覧下さい・・・・太陽に飲み込まれた月の輝きが再びこの月面を覆っていく様を。この月明かりがこの宇宙に夢を投げかける。我々、水星の民族は再生の女神を崇め奉る月とともに生きていきます。あなた方が信じる奇跡を我々も信じます。再生という名の奇跡を・・・・・」
太陽の私設軍隊は皆、見つけた死に場所で死んだ・・・・・。もう二度と動くことのないキリノの見開いた瞳孔には、月への怨念が映し出されていた。終わらない闘いを予言しているかのようだった。
✍
征水論が失敗に終り、月で太陽の私設軍隊が全滅した後・・・・・宇宙サミットは、太陽と月、そして水星を和睦させようとした。だが、太陽も月も水星も世論がそれを拒否した。
残ったのは憎しみだけだった。
サミットは、やむ終えずこの三者の闘いを一時休戦という形で幕を引いた。幕が引かれた舞台裏には役者達の怨念がくすぶり続け・・・・・いつか幕を焼き・・・・・悲劇が行われることは誰の目にも明らかだった。現実と夢は完全に分離した。太陽と月の間には巨大で硬いしこりがのこり、現実と幻想は二度と宇宙空間で調和しなくなった。
太陽と月の不和が宇宙空間により多くの敗者を生み出した。
圧倒的な現実に潰される者達・・・・・中毒的な幻想吸引者・・・・・調和を失った心と体のバランス・・・・・。
敗者が次から次へと生まれていく。
その宇宙に溢れ始めた敗者を、月は国家予算を赤字垂れ流しにしながらも救い続けた。しかし、現状の先にある未来が描くシナリオは、月の財政破綻。敗者は増え続け、それを養い続ける月は、時の流れの中で自らの首を絞め始めた。
太陽の主が肥満で病床に伏せる中、太陽の民衆は弱りゆく月の光を楽しげに見つめていた。太陽は、月の破綻を待ち望み、そして再度月に攻め込むチャンスを伺っている。
破綻への道を歩みながらも、水星を助け、水星に助けられた月は、今でも宇宙に輝いている。
月と水星は同盟民族となり、水星の月を想う気持ちと圧倒的な戦闘能力の前では現実の支配者である太陽ですら容易に手を出せなかった。太陽の民衆達は、この月と水星の同盟を徹底的に憎んだ。宇宙サミットのメンバーは、あまり太陽と月の関係には関わりたがらず、どちらにもいい顔をすることを選んだ。太陽と月が調和しえなくなった世界はバランスを失い、ギクシャクし続けた。
しかし、月は一方的に弱っていった・・・・・。
月明かりは敗者を抱きしめ、あまりに多過ぎるほどの敗者に慈悲を施す。月は未来が書き下ろした破綻へのシナリオの舞台稽古に入る。まるで自作自演の悩める脚本家のような月は・・・・シナリオを書き直す術を持たない。均衡を失ったつじつまのあわないストーリー展開の断片と断片を組みなおしては、はまらないジレンマに嘆く。そして、月は227079文字目を書けずに苦しんでいた。
太陽は、そんな月の苦しみにほくそ笑み続けた・・・・。