㊴
辺りが急に静けさに包まれる・・・・・。ぽん太の目には、F工場内の全ての動きがスローモーションに見え始めた。ぽん太の集中力は極限に達し、空気の微かな揺れや動きさえ感じえてしまう。
もう長いこと闇の中にいる。ぽん太は、経験から闇に潜む気配を全て把握する。作業監視員の集中力が完全に途切れたのをぽん太は暗闇の中で敏感に、完全に感じ取った。
ぽん太は、織機の下の二着の鎖帷子に手を伸ばす。誰一人としてぽん太の存在を気にするものはいない。ぽん太は、自分サイズに編み上げた鎖帷子を一瞬で着込んだ。ぽん太が、鎖帷子の丸首から頭を出した瞬間に大きなチャイムが鳴る。八時間制の区切りを告げる音・・・・そして、それはぽん太とセナの脱走計画開始の合図。
ぽん太は走り出した。もう迷うだけの心の余裕がない・・・・ただ、走る・・・・真っ直ぐに走る・・・それ以外に頭にはなかった。ぽん太の走り出す足音は、終業と始業を同時に伝えるチャイムに掻き消された。ぽん太がF工場の扉に向かって走っていくことに誰一人気づいていない。ぽん太は、工場内に停滞した風を切り裂く。蝋燭の火がところどころで揺れて・・・消えた。ぽん太の姿は、完全に闇に消えていく。ぽん太は、何度も何度もイメージトレーニングを行ってきたから、目の前が暗闇でもどこに走っていけばいいのかわかっている。F工場内に二つある扉、大扉と小扉がある内の小さい方にぽん太は向かう。小扉の前では、作業監視員達が、形式ばった業務の引継ぎをしている。
「特に異常は?」
「ありませんでした」
「生産ノルマは?」
「計画通りです」
引継ぎをする声目掛けてぽん太は走る。四人の作業監視員が一斉に敬礼をするために軍用ブーツのかかとをあわせ、直立した音がした。
「ご苦労さまでした」と仕事を始める二人の作業監視員が声を合わせて言った。
「業務の安全なる遂行を願いま・・・・・」と仕事を終えた二人の作業監視員が形式的な言葉を言い終えようとした瞬間、ぽん太は背後からだれきったウサギの背中に飛び蹴りを喰らわせた。そして、倒れこんだウサギの股間にトォーキックを入れた。二つの金玉が粉々に砕けた音がした。もう二度と立たないだろう・・・・ご愁傷様。襲われたウサギは、叫びにならない叫びを口から吐き出し、口をパクパクさせて、微かに「うぅぅぅぅぅぅぅっ・・・・」とカニみたいに泡を吹き出しながら悶絶した。
ぽん太は、ウサギの腰から銃を抜き出し、安全装置を外し、高ぶるアドレナリンに身を任せるまま、三度引き金を引いた。三人の作業監視員の額に穴が開き、血が噴出した。ぽん太は、初めて生命を殺した。しかし、感傷に浸っている暇はなかった。ぽん太は、死体となり倒れこんだウサギから防具や武器を奪い取る。暗闇を見抜く赤外線サングラスを掛ける。拳銃四丁を手に抱え、ヘルメットを被る。そして軍用ブーツを履いた。そして、金玉を蹴り上げたウサギのズボンを脱がす。銃弾を貫かせない鎖帷子パンツを履く・・・・鎖帷子パンツは、F工場ではなくお隣のP工場で作られるもの。ぽん太は、サングラス越しに砕けた股間の有様を見た。酷かった・・・・悲劇だった。
ぽん太が作業監視員を襲ってから、フル装備するまで約一分半・・・・何度も何度も頭の中でイメージした動きよりも三十秒早かった。ぽん太は、F工場から外に出た。汚く凍った雪の上を軍用ブーツで走る。靴底に滑り止めの小さなスパイクがついているので、ぽん太は氷に足を取られることなくメインストリートへ向かった。
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ぽん太が、メインストリート手前まで一気に走り抜けた時、F工場から大きな緊急サイレンが鳴った。だらけきった時の澱みの中で、暴れた一匹の小魚の存在にようやく工場長が気づいたようだった。扉に転がる三つのウサギの死体と気絶するウサギ。異常を察知するまでの間に、警備がいなくなったF工場の小扉から他の敗者達も逃げ出した。F工場から数百人の大量の敗者がぽん太の後を追って・・・・・一心不乱に訳もわからず外に出て、近くにいる気の抜けた軍人ウサギ達に大勢で襲いかかり、武器を強奪した。F工場から鳴り響く緊急脱走包囲網のサイレンは、瞬く間に収容所全体に響き渡った。事態を完全に把握できていない軍人達がF工場から逃げ出す数百人の敗者達を統制しきれずに、銃を乱射する音がぽん太の背後から聞こえた。交代の時間だっただけに、収容所も事態に対処できていない。ぽん太は、脇目もふらずにメインストリートのど真ん中まで走り、セナと落ち合う筈の場所までやってきた。サングラス越しに暗闇を見つめる。ぽん太を発見し、メインストリートの影に隠れて銃を撃ってきた軍人ウサギが一人いたが、弾はぽん太には当たらなかった。ぽん太は、その軍人ウサギの方に銃を一発撃って威嚇した。
ぽん太は、メインストリートのど真ん中で立ち尽くす。方々からぽん太を目掛けて銃が散発される。まだ脱走の実体を把握できていない軍隊は、個人プレーで敗者に銃を向けていた。メインストリートにF工場からの敗者が溢れてくる。
ぽん太は、首が痛くなる程に何度も辺りを見回した。
セナが来ない・・・・・。
ぽん太の心に疑念がよぎる。
何かあったのだろうか・・・・?
裏切られたのだろうか・・・・?
計画通りであれば、既にこのメインストリートで落ち合い、収容所の入口目掛けて二人で走っていっている筈・・・・・。
ぽん太は、セナが来ないという事態だけはイメージトレーニングをしていなかった。
収容所内の軍隊がようやく事態を飲み込み、メインストリートに雪崩込んできた。メインストリートにうごめく敗者を片っ端から銃殺していく。
ぽん太は、自分に向かって攻撃を仕掛けてくる軍人ウサギ達に向かって銃を撃つ。
四丁の拳銃。一丁に六発の弾・・・・・合計二十四発の内のほとんどが乾いた銃声とともに虚しく失われる。セナが来なければ補充する銃弾はない。腐った現実に対する浅はかな抵抗は、一瞬で果ててしまう。
「セナ・・・・」
ぽん太は、セナを想ふ。セナは、最後の最後でこの敗者絶滅収容所を脱走することに命を賭けるよりも、生きとし生けるものが尊厳を失った環境下で生きながらえることを選んだのだろうか?
銃を放つ度にぽん太の痩せ細った腕は、衝撃に手を震わせた。ぽん太は、自分目掛けて乱射される銃弾を二発、みぞおちに喰らって喘いだ。鎖帷子が銃弾を通しはしないが、衝撃は内臓まで響く。ぽん太は、左手で腹を押さえ、肩膝をつきながら、軍隊に向けて銃の引き金を引いた。
二十四発目だった。銃を撃ち続けたぽん太の右手は痺れきり、最後の一発を放った後、力なく銃を雪の積もる地面の上に落とした。
「セナ・・・・」
もう腐った現実に対しても抵抗できやしない自分をどうしていいかわからず、ぽん太は友の名を呼んだ。そして、呟いた後、狂ったように叫び出した。
「セナぁ、セナぁぁ、セナぁぁぁ、セナぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
うずくまりながら叫ぶぽん太に向かって、十人ほどの軍人ウサギが向かってくる。
もう終わりだ・・・・・。何もかもが終ったんだ・・・・・。ぽん太は、終わりを迎える覚悟をした。
軍人ウサギが、気合の掛け声を叫ぶ。
「チェストーーーーー」
しかし、その叫び声は長く響かなかった。十人の軍人ウサギは全て死に果てた。
ぽん太の周りを囲んでいたウサギが地面に突っ伏して、視界が広がる。
ぽん太は、メインストリートの真ん中に突っ立って笑った。ぽん太の視線の先に、セナがいる。しかも、マシンガンを四丁も両腕の脇に抱えながら・・・・・。セナは、ヘルメットに入りきらない長い耳を左右に激しく揺らしながら、ぽん太の周りにいる軍人にマシンガンの銃口を向けて乱射した。セナは、絵描きとしての勘の良さからか、軍人ウサギが鎖帷子や防具を装備していない場所に狙いを定めて銃弾を撃つ。ほぼ全ての軍人ウサギが顔面を貫かれ、目玉や脳を汚い雪の上に飛び散らせながら果てていた。
セナは、一本の葉巻を吸っていた。軍人ウサギから奪ったものだった。暗闇を照らすために持たされていた百円ライターで火を点け、口に加えて煙を何度も吐き出す。セナは、ぽん太に向かって地球の公用語で叫んだ。
「へい、よーぉーる。そーりー とぅーびぃー れいと、ばでぃぃぃぃぃぃ。えにうぇい、わっっ あっぷ めーん?(遅れて悪かったよ、相棒。ま、でも特に問題もなかっただろう、な、親友?)」
ぽん太は、セナが中学生の頃、第二宇宙語で地球の公用語を学んだと言っていたことを思い出す。小さなの牢屋の中で、ぽん太とセナは何度かふざけながら英語で喋った。そのおふざけが、こんなに緊張した空間に広がった。ぽん太は、英米文学科・・・・ながら英語を流暢に扱えないが、つたない英語で、セナに返した。
「のーぷろぶれむ、ふぁっきん くれいじー ばにー(問題ないぜ、この糞ったれの気違いウサギさん)」
ぽん太は、素早く自分が落とした銃を地面の上から拾って戦闘態勢に入ろうとする。セナは、メインストリートに群がり始めた軍人ウサギに向かってマシンガンを乱射しながら、囚人服に手を突っ込んで、ぽん太に銃弾を投げた。ぽん太は、それを受け取り、素早く四丁の銃に込めて、辺り構わず引き金を引いた。もう手は痺れない。セナは、ぽん太と自分の身を守りながら徐々にぽん太に向かって来た。そして、ぽん太の臭い息が掛かるところまで来て、ぽん太の肩に自分の肩を当ててふざけた顔をしてぽん太に言った。
「悪かった。焦ったろ?俺も焦ったわ、こんな時間掛かるなんて。ちっぽけな銃じゃ心もとなくてよ、マシンガンの方が良いだろうと思って、マシンガン持ってるウサギの金玉狙ってたら時間掛かっちまったんや」
セナは、そう言ってぽん太にマシンガンを二丁渡した。そして、セナから小さな銃の二丁受け取る。
「これで俺らは、最強の敗者だ」とセナが言う。そして、セナは、囚人服から二千発の銃弾をぽん太に渡した。ぽん太は、セナに鎖帷子を渡す。
「銃弾の数は心配するな。好きなだけ撃ちまくれ。まだ、一万発以上ある」とセナが言うと、ぽん太は、「銃弾の数は心配するな。好きなだけ撃たれまくれ。その鎖帷子は一万発くらいはなんとかなるように、丁寧に編んである」と返した。
ぽん太とセナは、右手の拳を握り締め、まるで乾杯をするようにその拳をお互いぶつけ合った。そして、二人は、マシンガンを連射しながら、メインストリートを入口に向かって走り始めた。
F工場とG工場に属していた二人の敗者の無謀な賭けに乗るようにして、工場地区に溜まりに溜まった希望なき絶望が・・・・・動き出した。
「生きてても死んでても同じなら・・・・・」
敗者達は口々に同じ台詞を口にしては、軍人ウサギを襲い、武器を奪い入口であり出口である場所を目指した。収容所内に収容されている敗者の数は、駐在している軍人ウサギ達の百倍以上にものぼる。ただ、皆、権力と暴力の下で勇気を失っていた。だから、家畜のように扱われることを当然だと思っていた。でも、たった一人でもいい・・・・この絶望に満たされた絶滅収容所で自然と涙が流れてしまうほどの勇気を見せてくれる敗者がいるのなら・・・・彼等は勇気を持てる。
敗者絶滅収容所は、混乱に陥った。ぽん太とセナが動き出したのをきっかけに、次から次へと抑圧されてきた敗者が自由を求めて闘い始めた。汚い雪の上に、血の雨が降る。抑圧され続けてきた敗者の心の中で圧縮された密度の濃い憎しみが一気に爆発した。心の奥底に隠された核爆発よりも恐ろしい支配関係から来る潜在的な爆発力は、これ程までかと・・・・いたるところで炸裂し続け、メインストリートを走りながら辺りを見回したぽん太もセナも唖然とした。敗者の逆襲の恐ろしさ・・・・・・油断した勝者は一気にその波に飲み込まれる。
ぽん太もセナも走った。ただでさせ体力を削り取られた体・・・・肺活量の少ない二人は、一歩前に進む毎に喘いだ。サングラス越しに見る景色が一瞬歪むと・・・・疲れを実感する。でも、もう戻れない。収容所の入口まではまだ遠いのに・・・・入口に近づけば近づこうとするほど軍人ウサギの数が多くなっていった。ぽん太とセナは、走りきれずに何度も立ち止まり、前にも横にも後ろにも立ちはだかる軍人ウサギ達に向かってマシンガンを乱射した。それと同時に、囲まれた軍人ウサギの部隊が撃ち放った銃弾を二人はその体に何十発も受けた。鎖帷子や防具に銃弾がめり込む度に二人は、嗚咽した。唾に胃液と血が混ざって口元から垂れる。衝撃に意識は飛ぶ。それでも、二人は倒れない。命を賭けたことをそう簡単には諦められない。
二人は、歯を食いしばりながら前へ進んだ。
ただ・・・前へ・・・・・・。それしかない。
軍用ブーツの裏のスパイクが氷る大地を踏みしめる。
ぽん太とセナの後ろには、脱走を試みようとする敗者の数が数万人に膨らんでいた。
前線を行く二人の後ろから混乱が追いかけてくる。
セナは、ぽん太に言った。
「このまま前に進んでも・・・・この賭けは負ける」
ぽん太は、脇に抱えたマシンガンを撃ちながら、セナの言葉を聞いた。
「あああ、何?聞こえない」
ぽん太は、口をパクパク動かして何かを語ろうとするセナに向かって叫んだ、ぽん太は、あたりに響き続ける銃発音でセナの声が完全に聞き取れない。
セナは、後ろから追いかけてくる数万人の敗者の方に目配せをした。
「前に進むのも大切だが、ちょっと後ろに下がって引くのも大切な時がありそうな気がすんねん」
ぽん太は、セナの言葉を聞くために一瞬、マシンガンの引き金を引くのをやめた。
「了解」と、ぽん太はようやく聞こえたセナの声に向かって返した。ぽん太は、自分達の前に広がる現実を見た。死に掛けの二人の敗者じゃ、どう考えてもあっさりと打ち負かすことのできない抵抗勢力が隊列を組んでいた。
ぽん太とセナは、敗者の群れの中に向かって走った。姿を大勢多数の中に隠す。生気を完全に失っていた敗者達が、自由への逃亡という名の下に狂うようにして辺りを破壊していく。
「生きてても死んでても同じなら・・・・」
「生きてても死んでても同じなら・・・・」
ぽん太が身を隠した敗者の群れからはまるでお経を唱えるようにして同じ言葉が聞こえた。
皆、冒頭部分は、同じ台詞を叫んでいたが、生きてても死んでても同じなら・・・・の後の叫び声は、敗者一人一人違っていた。
ぽん太とセナは、生きていようが死んでいようがもう変わらないとある意味で命を諦め荒れ狂う敗者の群れに身を隠しながら、効果的に銃を撃ち放ち、前へと進んでいった。
敗者も軍人ウサギも収容所職員も次から次へと死んでいった。
しかし、武器を持つものと持たざるものの差が時間の経過とともにあらわれてくる。
脱走敗者は次々と混乱を収束した権力に弾圧され、親から授かった命に価値を見出せないまま体に穴を開けて、血を流して果てた。何万もいた敗者達の生存数は、あっという間に何千まで減った。
ぽん太とセナは、身を屈めながらメインストリートから工場地区の小道に逃げ込んだ。
闇の奥の奥に二人は身を隠す。荒れる呼吸が冷たく暗い空気の中に白い息を吐き出す。
「探せ、探せ。工場地区の隅間に逃げ込んだゴキブリを探せ」
軍人ウサギ達がメインストリートからどんどん工場地区の入り組んだ道に雪崩れ込んでくる。
ぽん太とセナは、荒れる息を抑え込んだ。そして、軍人ウサギの一団が通り過ぎた後、セナは小さく呟いた。
「まずいな」
ぽん太は、抑え込んでいた肺を急に解放したために、少量のゲロを吐いた。
「時間が掛かり過ぎたよ」
ぽん太は若干の苛立ちを込めて言った。
「奇襲は、スピードが命なのに・・・・・一度軍衆の中に引いたことで軍隊に前を完全に封鎖された」
「だけど、あのまま行っても駄目なものは駄目だ」
セナが、語気を強めてぽん太に言い返した。
「わかってる、わかってるけど・・・・」
ぽん太は、唇を噛み締めて悔しそうに言葉を落とす。
「もう、ここまで来たら、けど・・・・は通用しない」とセナが言う。ぽん太は唇を更に深く噛み締めた。スピードありきの奇襲的脱走劇は完全に幕を下した。メインストリートの方角から多くの敗者が生の淵から死の谷に蹴り落とされる叫び声が響き渡ってきた。
「ぎゃーーーーーーー」
「ぐぅぇぇぇーーーーーーー」
「ひでぶぅーーーーーーーーーーーぅぅぅぅ」
あまりに広すぎる収容所内、その中で一瞬の個人的な反抗は、組織化された権力というものに残酷に噛み砕かれ、飲み込まれる。組織と権力の前で、個人はいかに儚く弱いかを思い知らされる。夢も妄想も反抗も希望も・・・・それらの前では存在しえない。
「もうメインストリートから入口までの道は完全に封鎖されているだろうな」
セナは、メインストリートの方角を見て言った。
「この敗者収容所全てが封鎖されてるよ。ゴキブリ一匹逃げる隙間もないくらいに・・・・」
セナは、下をうつむいたままセナの言葉に返した。ぽん太は、少しのため息を吐いてしまった言葉に混ぜている自分に気がついた。ぽん太は、青山霊園で延々と漏らし続けた意味なきため息を、瞬間的に思い出した。あの頃の自分が脳裏に浮ぶ。そして、今、絶望的に困難な状況で工場地区の裏道の隅でどこにも行けずにスタックしている自分にダブらせた。何も変わってない・・・・・あの頃と・・・何一つ変わっていない自分に気がつく。頑張ってみる・・・・いいところまでいく・・・・でも、壁にぶちあたり・・・最後に何もかもをどうでもよくしてしまって諦める。小説を書いていた頃だって・・・・今と同じで・・・結末を見失うまでは歯を食いしばって書いてたんだ。敗者収容所の影の影で、また自分は自分の結末を見失っている。ぽん太は、自分のことを鼻で笑った。そして、心の中で自分に言ってみた。
「俺は、また運命に試されている・・・・果てのない直線・・・乃木坂トンネルで道に迷った時と同じ様に」
ぽん太は、死んでもいいと思った。いや、むしろそれを望もうと思った。
あの頃と同じ様な経験をしている。でも、違うことが一つある。それは、この結末の見えないトンネルの中でも、自分は一人じゃない。隣りにはセナがいる。それが嬉しかった。
自分が体を張ってこの敗者収容所に突っ込めば、セナはこの腐った現実から抜けて、愛するハルの下へと帰る可能性があるとぽん太は思った。もう・・・・自分には帰る場所もない。たんぽぽはいない。でっちあげた夢を叶えて風の噂になったところで、新たな恋をしているだろうたんぽぽの邪魔になる。自分は、消える人間なのだとぽん太は思った。それが自分が求める結末・・・・・。そして、どうせ消えるのなら・・・・誰かにこの命を捧げたい。ぽん太は、セナがマシンガンや拳銃に弾を込める横顔を見た。ぽん太は、生まれて初めて自分の結末を見た気がした。
セナは、闘う準備を整えながらぽん太に訊いた。
「完全封鎖だ。それでも行くか?」
ぽん太は、答える。
「もう戻れないところまで来ちゃってるよ。行くしかないじゃん。睡眠時間削って、あれだけ語り合った二人の運命なんだから」
「そうだな」とセナは、肯いた。
セナは、一つ大きく息を吸い込んで、右手の薬指にはめた指輪に口づけた。
ぽん太は、そのセナの仕草を愛しく思った。そして、セナに気づかれないように微かに微笑んだ。
ああ、我が愛しの結末・・・・。
やっと物語は、完結を向かえる。
長かった・・・・・・。
ぽん太は、そんなことを誰に伝える訳でもなく一人心の中で静かに思った。心の水溜まりに一粒の水滴が落ち、静かに波紋が広がった。ぽん太は、傷だらけのセナの右手を見つめた後、「行こう」とセナに言った。
月の女神よ・・・・再生を司る女神よ。
この月面にあなたの愛がまだ残るのなら聞いて欲しい。
我が身を生贄としてあなたに差し出す。
だから、天才を蘇らせ、愛をもう一度この腐った世界に実らせて欲しい。
闇に覆われたこの月の裏側であなたの存在を信じるのは容易なことではないけれど・・・・
わたしは、命を賭けてあなたを信じ、奇跡を慈悲として乞いたいと思う。
ぽん太の精神状態は、研ぎ澄まされていく。無駄な雑念はもういらない。
恐怖という感覚は、体の毛穴から染み出して・・・・消えた。
ぽん太は、ヘルメットの上に積もった雪を手で払った。
「ねぇ、セナ。ハルさんって美人なの?聞いてなかったけど」
工場地区の影を身を隠しながら静かに歩くぽん太は、セナに訊いた。
「何やこんな時に・・・・」とセナは、言ったが、ぽん太は「こんな時だからこそだよ」と言った。
「塀に囲まれたこの理不尽な収容所の向こう側を夢見なきゃ、この腐った現実に食われちゃう」
それを聞いて、セナは納得した。
「顔は普通やな。特に美人って訳でもない。胸はでかいが、背は低い。ま、でもおっぱいがでかいってのはいいもんだ」
セナは、そこまで言って口の端に皺を寄せて軽く笑った。そして続ける。
「でも、あいつはモテたわ。美女じゃないが、絶品の思いやりを持った女やったから。あいつの心の美しさには、神様だって惚れるわ」
セナのノロケを聞いて、ぽん太は少し妬く。やはり熱いものはよく妬ける。
「お前はどうなんだ、ぽん太。たんぽぽは美人なのか?」
セナの言葉は、ぽん太にもう二度と会うこともない元彼女を誇りを持って自慢させ始めた。
「ああ、絶世の美女さ。それにナイスバディ。そして温かくて、いいにおいのする心を持っていた女神だ。そんな女がいなくなったら、男は誰だって敗者になる。わかるだろ?ただ、今でも・・今も思う」
ぽん太は、遠い目で地球がありそうな方角の空を見た。
「たんぽぽは、自分にはありがた迷惑なくらいいい女だったから、でっちあげた夢でも語って別れるのがたんぽぽにとっても自分にとっても一番良かったんだって。二人とも大人になっていって・・・もう子供じゃいられないことを悟り、限られた世界で得られる最高の幸せを探していく。あの頃みたいな無邪気な愛は・・・・皆、十代で死に絶えるのさ。だから、思い出とともに葬って正解だったんだ。自分が今まで歩んできた道のりは間違いじゃない」
ぽん太は、薄味に少し味のしみたくらいの言葉を空に向かって、自分に言い聞かせるように呟いた。セナは、そのぽん太の言葉を静かに聞いた。一瞬の沈黙が二人の間に割って入った。セナは、収容所の景色を見回した。ここに辿り着くまでの自分の姿が収容所の景色と重なりあって脳裏に蘇る。
「難しいもんや・・・色々と。でも、大切なことは、忘れないことじゃないかなーって思う。忘れない限り、心に秘めてきた色々な気持ちって・・・きっと永遠だから。そして、取り戻せない時間を永遠に輝かせることに意味がある。永遠なんて過去にしかない。未来にあるのは、闘いだけやから」
セナが語る。敗者二人の言葉が、収容所の隙間で燻り続けている。ぽん太は、セナの言葉に肯いた。ぽん太は、永遠なる過去のために死ぬ覚悟を迷いもなく心の中に抱え込む。そして、セナの言う通り闘いしか待っていないであろう未来の方角・・・メインストリートを見る。そこには、月の軍隊が完璧な隊列を組み、敗者を次から次へと殺し続けていた。
未来には闘いしかない・・・・・永遠はない・・・・。
確かにそうかもしれない。でも、ぽん太は闘いの向こうにある永遠を想像した。
愛する人と永遠なる未来を夢見る女性が、美しい田舎町涙で待っている。
ぽん太は、たんぽぽが語り続けた永遠・・・・そして、その諦めてしまった永遠の余韻をセナとハルに重ねた。諦めてしまったものを、今なら取り戻せる・・・・・別の形で。
ぽん太は、セナの痩せ細った右手の薬指に光るぶかぶかになってしまった指輪を見て、神父のような気持ちになる。汝は、病める時も、健やかなる時も・・・・・なんて誓いの言葉を確認するための文句を一瞬思った。ぽん太とセナは、戦闘態勢に入った。残り少ない銃弾を全てマシンガンにセットする。




