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 細い腕・・・・失われゆく握力が、目に見える。お芋は、焦りながら瞳に涙を溜めていた。斧を持ち上げる体力を長い暴動の中で完全に失っていた。少しずつカウンセラーに優勢だった形成が、変っていく。どうやら収容所の外から月の軍隊が援軍に来た模様。少しずつ押されるカウンセラー達。そんな中で、お芋の牢屋破りを助けられるカウンセラーは皆無だった。皆、闘うだけで精一杯に鳴り始め、敗者を救い出すところまで手が回らなくなる。お芋は、斧の欠けた刃を地面につけたままで喘ぐ。

 「お二人とも待っていてください。今すぐに、今すぐに助け出しますから。今すぐに・・・・」

 肩で息をするお芋が、必死に呼吸を整え、斧を持ち上げるタイミングを計りながら二人に語り掛けている時・・・・お芋の言葉が途切れた。ぽん太もセナも声をあげた、その研ぎ澄まされた絶叫に二人の喉は切り刻まれ、大量の血を流し、胃の中には血液が溜まった。お芋の側頭部から銃弾が突き抜けた。お芋の小さな頭が砕け散る・・・・・・ぽん太の目には、その様子がありえないほどスローモーションで鮮明に見えた。血飛沫が監視戸から吹き込んでくる。ぽん太とセナの目の周りに付着したお芋の血は、まるで涙のように・・・・二人の敗者の痩せこけた頬の上を流れ落ちた。お芋は、脳を砕かれても、まだ少し息があった。そして、地面に力なく崩れ落ちながら、最後まで言い切れなかった言葉を・・・・唇を動かして伝えようとした。声は・・・音は、聞こえない。ぽん太もセナもそのお芋の最後の唇の動きを涙の溢れた瞳で瞬きもせずに見つめた。

 「ぐ・・・・に・・たすけ・・・・だし・・・ま・・・す・・・から・・・・もう・・・にど・・・と・・・・ま・・・け・・・ないで・・」

 お芋の唇は、声帯を震わすことのない言葉をそこまで語り息絶えた。お芋の体は、力なく崩れ落ち、四十二棟二階の血が床一面に洪水のように流れる血の溜まりの中に倒れた。その瞬間、ぽん太の心の水溜りに張っていた永久凍土のような氷のぶ厚い膜は、粉々に砕け散った。そして、もう・・・防ぎようのない涙の雨が・・・・直に、ぽん太の心に降り注ぎ始めた。心の水溜りは、落ちるその涙の一滴、一滴をその表面に受け止め、無数の波紋を広げていた。お芋さんが・・・お芋さんが・・・・お芋さんが・・・・・

 「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」

 ぽん太は、一瞬、下唇の肉が切れるほど悔しさに唇を前歯で噛み締めた後、激しく・・・・命の奥底から叫んだ。小さくて窮屈で憂鬱な牢屋が割れて、裂けそうなほどの叫びだった。鉄の扉は、激しく揺れた。セナは、右手の拳を何度も鉄の扉の裏側に打ち付けた。セナの右拳から骨が砕ける音がした。クールに装っていた耳の長いウサギの瞳から自らの無力さを叱責する涙が流れていた。セナが、食いしばる歯茎が、豆電球の光に照らされて、この醜く汚くグロい現実の中で、何よりも済んだ白色の輝きを放つ。ぽん太は、狂ったように叫ぶ。もう声など出ない・・・喉が裂けてしまって。それでも叫ばずにはいられなかった。口を裂けんばかりに開き、喉の奥から声にならない声で叫び、ぽん太は何度も分厚い鉄の扉に体を叩きつけた。ぽん太は、自分達を閉じ込めているこの壁を打ち破ろうとする。でも、鉄の扉はびくともしない。硬い鉄板に叩きつけた肩が内出血を起こし、青アザで腫れていく。でも、アザなんて痛くない・・・・・もっと痛いことがある・・・・。大切に思っていた人を失うこと・・・・。ぽん太は、何でもない軽い体の痛みを無視し、とにかく鉄の扉を開け、倒れこんだお芋の側に行きたいと思った。二人の敗者は、自分達の無力さを叩き壊すかのように鉄の扉を叩き続ける。

 

 廊下に倒れるカウンセラー達の死体の数が明らかに増えていっていた。大久保公は、少なくなっていくカウンセラーを束ねながら、なんとか月の軍隊に抵抗しようとしていたが、明らかに情勢は、フリだった。一瞬の諦めを、大久保公はその胸に抱いたのか、睨み続けていた月の軍隊から目をそらした。そして、初めてお芋が既に死んでいることに気づいた。もう動かないお芋の体の真上にある、牢屋の監視戸に大久保公は、見慣れた敗者の瞳を見つけた。大久保公は、残りわずかなカウンセラー達に攻撃の指示を出し、自分は、お芋の下へとゆっくりと足を進ませてきた。いつもの冷たい表情は、一歩一歩お芋に近づくたびに、溶けていき暖かな笑顔へと変っていく。大久保公は、銃弾をかいくぐりながらお芋の下へと辿り着き、その手でお芋の体を抱き上げた。そして、砕け散った頭を柔らかく、撫でて・・・・「よく、頑張った」と言った。

 「お前は、この不毛な歴史という土壌に根ざすことができた強い芋だった。お芋・・・お前の強さに救われた敗者は、何も感じ得ないこの時の中で、無償の優しさに触れることができた。いつか、不毛の歴史の大地に強く根を張り、芽を出し、花を咲かす芋が出てくるかもしれない。お前の優しさから養分を分け与えてもらったがために・・・・」

 大久保公は、少し多弁になっていた。目の端に溜まっている少しの水分が、辺りの緊急灯に反射して、光った。大久保公は、自分が敗者に追いやった幕末の大名の息子を力強く抱きしめた。そして、一つ間を置いて、牢屋に閉じ込められているぽん太とセナを監視戸越しに見た。その視線は、あのカウンセリングの際に見せていた厳しい目線ではなかった。ボロボロに傷ついた敗者を包みこむような大きな愛が、瞳に映っていた。

「ぽん太、よく今日まで生き延びた。立派だ。そして、セナ・・・。もう一度会うことができてほっとしている」

大久保公は、生き延びてきた二人の敗者の顔を一敗者カウンセラーとして、誇らしく見つめた。そして、闘いの絶叫を背景に、落ち着いた口調で、二人の敗者に言い聞かせるようにして、大久保公は語り始めた。

「お芋のお気に入りの敗者二人が、この理不尽で残酷な現実の中で押しつぶされずに、むしろ少しずつ強くなっていく成長する姿を見ることができて、誇りに思う。歴史は冬に入り、そろそろ雪が降り始める極寒の世界があなた達の命の凍らせようとするでしょう。歴史の一番寒い時、凍死してもおかしくない。しかし、わたしは、二人に、これから来る厳しい冬を乗越えて欲しいと切に願う。厳しい冬を乗り越えたもの・・・・生き延びたものにだけ、春はやってくる。極寒の厳しさを心と体で感じながら、逃げずに受け入れられたものだけが、春を夢見る希望を持つ。冷たさに埋もれた時、そこであなた達を待つものは、つらく、苦しいことばかりかもしれない。それでも、自分を律し、冬の厳しさ、異常の厳しさを持って自分という存在と向き合う。そこで見る夢を心の中で暖めながら、春を待ちなさい。永遠なる冬は、この世界のどこにも存在しない。冬が終れば、春が来る。ただ、一度も春を見たことがない者達は、冬の向こうにある春の存在を信じることができない。若い敗者は、皆、それで絶望し、耐えながらも春を待てずに死んでいく。いいですか?たった一度でいい。冬が終るまで厳しさに負けずに耐えに耐えて春を待ち続けなさい。そして、やがて来る春の景色をその心に沁みこませるのです。一度でも冬を乗越えて、春の訪れを迎えたものは、その後、何度冬がやって来ようとも、二度と冬の厳しさの中で彷徨い、凍死することはない。なぜなら、四季は巡り、いつか冬は終わり、春がやってくること心の奥底から信じることができるから。春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来る。そして、また春がやって来る。歴史と同じ・・・・四季は繰り返される。あなた達の目の前に広がる冷たい現実は、あなた達が初めて経験する一度目の冬です。だからこそ、この初めての冬を越えることに意味がある。春が来るまで、この冬の厳しさに耐えて季節が巡るのを待ちなさい」

多弁な大久保公・・・まるで死を悟っている老人がひ孫に語る遺言のよう。ぽん太もセナもその言葉を傷ついた胸に傷より深くえぐる記憶の彫刻刀で心に刻みつけた。なぜか・・・涙が出てくる。誰も・・・・。いや、愛した女性以外・・・・に、愛を持って、苦しみを乗り越えろと言ってくれた人を知らない二人の敗者は、大久保公の言葉に懐かしさを感じた・・・・。あの頃は、あんなにそんな偽善にみせかけた上っ面だと思っていた言葉を拒否したのに・・・・・二十歳を超えた今の自分には、傷の消毒液なんて比較にならないほど・・・・傷なんて表面の痛みじゃない肉体と精神の奥にある骨や神経に痺れる言葉だった。痛い・・・・痛すぎる・・・・何もかもが痛すぎる・・・・・・。痛みとは、一体何なんだろうとぽん太は考える。そこには、痛みの重さに潰されて死ぬか、それとも乗越えて生き残るかしない・・・という二つの選択肢しかいないように思えた。大久保公の目は・・・・・死ぬなと二人の敗者を見つめ続ける。ぽん太は、その二者択一の視線に違和感を感じた。自分は、生ききれるわけでも、死にきれるわけでもない・・・そんな状況にいる。ぽん太は、死でもなく生でもなく・・・無の中を彷徨う自分の心の行く先を聞く。ぽん太のその声は、まるで・・・・遠い昔にこの宇宙に存在し、一瞬だけ輝いた歴史の夜空を流れた遺伝子に願いをかけるようなものだった。

「先生・・・・・勝者とか敗者とかって一体何なんですか?先生は、勝者なのですすか?それとも敗者なのですか?」

ぽん太は、敗者絶滅収容所内・・・・絶望しかない世界の中で監視戸越しに涙を流し、声を震わせながら、大久保公に訊いた。大久保公は、その若く無邪気な質問を耳にして、微かに笑った。その笑いは、可愛い曾孫・・・・敗者に成り果てた日本人の餓鬼に何かを教えてやらなければいけないような表情・・・・そんな微妙な感覚が混ざり合った笑顔・・・苦笑いだった。大久保公は、何もわかっていない、今を生きる日本人という血筋に語りかけるように言った。語る前に、悟りきったようなため息がぽん太の耳にはいつまでも残った。

「ふぅーーーーー。いいかい、ぽん太にセナ。この宇宙には、永遠なる勝者もいなければ、永遠なる敗者もいない。それは、季節の変わり目のようなもの。勝っては、負け、負けては勝つ・・・・そんな繰り返し。その一連の流れに、特別な意味なんて存在はしない」

大久保公は、自分が生きてきた歴史を振り返るように、一瞬、ぽん太やセナの視線から目を逸らし、目を閉じて・・・・色々なことを思い出していた。そんな、大久保公の後ろでは銃声が響き渡る。そして、騒がしい時の流れの中で、二人の敗者に対して静かに続きを語り始めた。

「大切なことは、そんな勝敗に囚われずに、自らの信念に基づいて生きていくこと。私は、ただ信念に沿って生きてきた。そこに勝ちも負けもない。それだけだ・・・・・江戸幕府を倒し、明治政府を築きあげ、紀尾井坂で殺される、それは勝ちや負けなんて陳腐な言葉で片付けられる程、軽いものではなかった。信念の重み・・・・それを失った日本は、私が死んだ後に迷走を始めてしまった。そして、戦争に勝つか負けるか・・・・その陳腐な勝敗という価値観に囚われ、全てを失い、敗戦国と化した。ぽん太も、セナも・・・勝敗に囚われて生きるのはやめなさい。信念を背負って生きていく。そして、巡りめく季節の変化をその心で存分に感じ、生き抜きなさい」

 大久保公は、二人の心に言葉を静かに置いた。そして、二人の敗者に背を向けた。お芋の体を肩に担ぎ上げ、絶滅寸前のカウンセラー達を再び指揮するために戦場へと戻っていった。その死を覚悟した一人の侍の大きな背中が、あまりに広く大きかった。



 大久保公は、その体に百発以上の銃弾を受け・・・・死んだ。暴動は、鎮圧された。あたりには、冷たい沈黙が広がっていた。カウンセラー達は、絶滅し、後には無力な敗者だけが取り残された。死後硬直していくカウンセラー達は、まるで厳しい冬の冷たさに凍りついていくかのようだった。敗者を救ってくれる存在は、もうこの世にはいない。牢屋内の豆電球は、もう光らなかった。そして、闇の中でぽん太は、背骨を抜かれた軟体動物のように、牢屋でうずくまってすすり泣いていた。鼻水をすする音が、闇の中で悲しみに暮れたリズムを打った。ずるずる・・・・ずるずる・・・ずるずる・・・鼻水が奏でる悲しい音色。閉じられた監視戸・・・鉄の扉の向こう・・・・収容所中で、ウサギ達が冷ませない興奮を持て余し叫んでいた。興奮したウサギ達は、何人かの敗者を牢屋から引きずり出し、リンチして殺し、その膨れ上がった狂気を抜こうとしていた。ぽん太とセナの牢屋の扉は開かず、気張らしでウサギに殺されることはなかった。



 暴動は、終った・・・・・・。何もかもが終った・・・・。何時間立っただろう…..カウンセラーが絶滅してから。多分、二時間ぐらい。涙と血がどれほど流れただろう。収容所中、隅々まで体液で濡れていた。うねり狂った歴史の潮が引いた跡。一つの終わりは、次への始まりとでも言えばいいのだろうか。時は、留まることを知らず新たな日々は無感情にやってくる。

四十二棟内に強制労働の始まりを告げるブザーが鳴る。鉄の扉が開き、敗者は外に出る。廊下には、今までの五倍以上の看守がフル装備で敗者の動きを監視していた。闇が広がる広い廊下には、血の生臭い匂いが充満し、カウンセラー達の死体が片付けられもせずに転がっていた。見せしめのためなのだろうか・・・・看守達は、カウンセラーの死体を片付ける素振りすらみせない。敗者に「片付けろ」と命令を下す意志もないようだった。狭い牢屋から出たぽん太は、廊下のどこかに転がっている筈の大久保公とお芋の死体を探した。百円ライターの光で照らす闇の中では・・・・・大切な人の亡骸すら見つからなかった。

 「片付けろ」と命じてくれ・・・・ぽん太は、そう心の中で何度も看守に向かって叫んだ。片付けろと言われれば、少なくともぽん太には、大久保公やお芋を火葬してやれるだけの能力はある。このままこの収容所内で、二人を腐らせるのは、嫌だった。二人を探し出したい衝動も、看守に向けられた銃口で抑え込まれる。隣りを歩くセナも同じことを考えているのだろうか。狭い牢屋から出てきた無数の敗者達は、カウンセラーの死体を踏みつけながら、工場へと向かっていった。辺りを包む腐りゆく肉の臭いが、わさびのように敗者の鼻の奥に、つーんときた。涙を流すものもいた。



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