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 まるでだらけて・・・彷徨った文章ばかりの読みづらさで、ストーリーの展開が進まない小説のような生活の中で、ぽん太は結末を必死に探す。ぽん太は、牢屋の中、長い耳のウサギと体を触れ合わせながら、眠る直前にふと思い出したことがあった。

 「大久保公・・・いや、一蔵先生にお芋さんは、一体・・・今、どうしているのだろう。生きているのだろうか?」

 この一言が・・・・いずれこのストーリーを結末に結びつける・・・・・いつまで経っても結末を書ききれない小説家志望の一人の青年は、自分を追い込んだ末に見失ったストーリーの鍵をふとした瞬間に思い出した。

 ぽん太は、鎖帷子を編みながら、肝心なことに忘れていた自分に気がついた。自分のことだけで精一杯で、誰かのことを心配することなんて思いもよらなかった。体の動きがぎこちなくなり、せわしなくなる。そして、落ち着きを失った動作が作業監視員の気に触り、ぽん太は何度か殴られた。二人の安否を確認したくて仕方なくなる。ぽん太の鎖帷子を編む手際は、一気に悪くなった。心に引っ掛かるものがあってミスを連発する。あまりに集中力を欠いたぽん太の仕事ぶりに怒った作業監視員は、ぽん太の口の中に銃口を突っ込み、頭を吹っ飛ばそうとした。ぽん太は、口に突っ込まれた銃口で、前歯が欠け、その欠けた歯を喉の奥に飲み込みながら、何度も銃を突っ込まれ動かない頭を下げる仕草をして、謝った。

 「ふひま・・・へ・・ん・・・てし・・・た・・・・しゃんとはた・・・らきま・・・しゅ・・・・ころさ・・・ない・・・で」

 「は、聞こえねーよ。てめぇー、何言ってんだよ」と、作業監視員は、ぽん太の言おうとする言葉を聞き取れない。ぽん太は、もう一度、今度は歯切れよく同じ言葉を言おうとした。歯が、銃身を何度も噛む。ウサギは、罠に引っ掛かり、痩せ細り死に怯えるタヌキの表情の滑稽さに苦笑した。あまりに醜い。作業監視員は、ぽん太の口から銃を取り出して、捨て台詞を吐いて、去っていった。

 「次は、もっとうまくしゃぶれよ、マゾタヌキ。そして、感謝の言葉を忘れんな」

 ははははははははっと笑い声が、工場内の闇に響き、蝋燭の火が震えた。ぽん太は、織機の前に再び座り、縫いかけの鎖帷子の続きを編む。しばらくは仕事に没頭したが、ふとした瞬間にまた大久保公とお芋のことが気に掛かる。二人のことを頭の中から消し去ることができない。

脳味噌が二人のことを考え始めると、命に今まで以上に余計な負荷がかかり始めた。悩み・・・・心配・・・・不安・・・・考えれば考える程、頭の中で膨張し始め、巨大な象のように成長していく恐怖・・・・大切な人達を失ってしまったかもしれないという恐怖がぽん太の心に圧し掛かり始める。ただでさえ、生きているのが不思議なほどにギリギリの首の皮一枚で生きていたのに、自分の命だけでなく自分以外の人間の命の心配もする。体力も気力も一気に失っていく。残り一リットルしかガソリンを積んでいない軽自動車の荷台に象を積んでいるようなもの。ぽん太の心の消耗は、体に残っていた微微たるエネルギーすら消費していく。ぽん太の体に、末期症状が現れ始める。ぽん太の肌は、荒れに荒れて、皮膚に浮き上がるうろこのような吹き出物が危篤寸前末期症状のぽん太の命の具合を表していた。顔、頭皮、腕、胸、背中、腹、下半身、そして性器さえも吹き出物にまみれた。不衛生極まりない環境で、心労が溜まると、人の姿は、変わり果てる。痒みが体中を駆け巡るが、引っ掻く力もぽん太には残っていない。ぽん太は、仕事を終え、なんとか牢屋まで辿り着いた。発電所を出る時、パートナーの冥王星出身のオッサンが、ぽん太の変わり果てた姿を見つめ、寂しそうな表情で別れを告げた。

 「気をつけて、帰れよ」

 ぽん太の耳にその言葉は聞こえなかった。実際、ぽん太は発電所ではほとんど働かなかった。オッサンが、ぽん太の体調を気に掛けてくれて、極力、ぽん太を休ませるようにオッサンが1・5人分働いてくれた。


 全ての苦味を凝縮させたような閉ざされた空間で、膝を抱えてうずくまり、ぽん太は死を覚悟した。眠ったら・・・もう二度と目を覚ますことはないだろうと思った。日々の強制労働の中で機械化されていった最後の微かな人間性を持ってぽん太は、自分の人生を思い出した。走馬灯が見えるというのは、あながち嘘じゃなかった。あんなに苦しかった筈の自分の過去・・・それでも敗者収容所に来るまでの自分の人生は、あながち悪いものじゃなかった・・・・そんなことを今更ながらぽん太は思った。同居人の耳の長いウサギの寝息が聞こえる。結局、このウサギと言葉を交わすことは一度もなかったなとぽん太は思った。ぽん太も耳の長いウサギも、お互いのプライベートな領域を侵そうとはしなかった。狭い空間、伸びることの許されない体の節々に溜まったストレスに内在する爆弾のような爆発力を二人は最後まで抑え込んでいた。相当の忍耐力がなければできないこと。周りの牢屋からは絶えず叫び声や暴れまわる敗者のあがきが聞こえたのに・・・・この二人の牢屋は静かだった。たまに、豆電球が小さな空間に点いた時、その小さな光がなんとなく曖昧に照らす世界に、浮かび上がるウサギの輪郭は、まるで、下書きのためのスケッチをしただけの未完成の色のない絵画のようだった。そう思った時、ぽん太は無意識に豆電球のコードを握った。豆電球は、消えそうな光をその体内に宿し、一瞬だけ牢屋の中を照らした。未完成の絵画がぽん太の弱った視界に映った。そして、また電球は消え、闇がやって来た。ぽん太は、静かに目を閉じた。同居人の足がぽん太の上腕三等筋に当たっていた。その肉が触れ合う感覚が、若干気になるが、それでも若干気にならない微妙な感覚。脂肪を失い、骨と皮と干からびた肉が擦れあうと、誰かの側にいるという勝手な安心感を得る。不思議なもんだ・・・・一人で、この小さな牢屋に閉じ込められたら、もうとっくに気は狂っていただろうな・・・とぽん太は思った。窮屈だけど、二人だから・・・・ここまで生きてこられた。ぽん太は、小さくため息をついた。さあ、永遠の眠りに落ちよう・・・とぽん太は自分の心を抱きしめ、意識が語れる最後の言葉を存在の隅々にまで伝えた。今まで、眠りの中で見てきた夢は、四時間という限られた時間の中でみる限られた夢だった。限られた夢の広がり具合を今まで見続けてきたが、それももう終わり。もう二度と目を覚ますことはない。永遠なる夢を見よう。



 寝息が二つ・・・狭い牢屋に響く。この狭い牢屋に、風は吹かない。空気は流れ込まない。たまに監視戸が開き、行く先を見失った風が牢屋に閉じ込められ、苦しみ、どこにもいけずに佇む。ここに未来なんてない。沈黙がある。でも、寝息が二つ・・・・その沈黙の小さな池に浮びながら揺れている。静けさを打ち消す・・・熱く燃える熱風が、収容所の入口から左に曲がった地区で巻き上がる。熱風は、燃え上がった炎の背中を押し、理不尽なもの全てを焼き尽くそうとする。



 沈黙を叩き割るほど、激しいサイレン音が四十二棟に響いた。ぽん太は止まりかけた心臓に電気ショックを受けるような衝撃で目を覚ました。ぽん太は、ここはあの世かと一瞬思ったが、煌々と輝く豆電球の光が今まで闇に隠れていた、うずくまっていた現実の姿をありありと浮き上がらせていた。豆電球は、ちかちかと点いたり消えたりしない。光っぱなし。尋常じゃない緊張感をぽん太は感じた。まだ生きている自分を意外に思いながら、ぽん太は目に溜まる目ヤニを指で急いでキレイに取って、瞬きを繰り返しながら、小さな牢屋の中を見回した。壁の向こう、鳴りっぱなしのサイレン音の向こうで何かが叫んでいる。それが何だかはわからなかった。目の前にいる同居人も目を覚ましていた。ぽん太の目を見つめ、彼はぽん太に言った。

 「まだ、朝じゃないな。それに、このサイレンは、強制労働の始まりを知らせるサイレン音とは違ったものだな。なんだか、切迫している」

 ぽん太は、初めて同居人の声を聞いた。想像していたものと違って、深く伸びのある声だった。ぽん太は、その同居人の言葉に肯いて、「なんか・・・・おかしいよね」と返した。繰り返される日常の常識を超えた何かが閉じ込められた空間の外で起きている。ぽん太と長い耳のウサギは、鉄の扉に耳をつけて外の音を鼓膜に拾おうとした。波の音が聞こえた・・・・歴史が激しく波打つ音が聞こえた。雄たけびが飛沫を打ち、怒号がうねりをあげる。音の津波が何度も何度も沈黙しきっていた世界を叩きつける。地響きがした。マグニチュード500クラスで収容棟は激しく揺れる。ぽん太と同居ウサギは、激しい揺れに歯を食いしばり、地面にへばりつく。地鳴りがコンクリートの建物を粉々に砕いていくような音が聞こえた。音の津波が、激しく鳴っていたサイレンを掻き消した。ぽん太と同居ウサギの心音は、高鳴るが・・・・自分の耳まで届かない。二人の敗者の体中に張り巡らされた管という管は、震え上がり、血液やリンパは沸騰し、穴という穴からは熱い水蒸気が吹き上がった。狭い牢屋は、熱気で蒸される。二人の敗者は、だらだらと汗を流し、その体に水分を失っていく。外で何が起きているのか・・・それを知りたいという好奇心と恐怖心が渇ききり、真実を求める。緊迫感が矢のようにぽん太の心臓に突き刺さった。その矢をぽん太は、焦りながら心臓から抜こうとするが、抜けやしない。同居ウサギは、鉄の扉の裏側から絶対に開くことのない小さな監視戸を必死に引っ掻き、開けようとした。豆電球が激しく光る。鉄の扉の隙間から光が差し込んでくる。緊急時、この収容所は電力が行き渡り、電球の光で曖昧な闇を隅々まで照らすのだろう。ぽん太は、同居ウサギの右手と左手の手首に深い切り傷の跡があるのを見た。その両手は、何を掴みきれずに、そんな傷跡を残したのだろうと一瞬思った。でも、そんな考えも一瞬で消える。外の音がより激しくなる。ぽん太は、鉄の扉にあてた耳を硬い鉄にねじりこむようにして更に押し付けた。鉄のぶ厚さを感じた耳の軟骨が砕けそうになる。膨張し、はじけ飛び続ける音の泡。ぽん太と同居ウサギは、そのはじけ飛んだ音を同時に聞いた。

 「暴動だぁぁぁぁぁぁぁぁ。敗者収容所左地区に押し込めていたカウンセラー達の暴動。左地区は既にカウンセラー達の暴動で壊滅。バリケードを突破しカウンセラー達が、中央に雪崩れ込んできている。とにかく食い止めろ。敗者が復活しかねない。ころ・・・・」

 軍人ウサギが、訳もわからない収容所の看守達に事態を説明しているようだった。しかし、その声は最後まで語りきる前に銃声で掻き消された。ぽん太は、外から聞こえた真実に身震いした。この敗者絶滅収容所の左側は、カウンセラー達が収容されていた。もしかしたら、大久保公もお芋さんもまだ生きているかもしれない。そう思うといてもたってもいられなくなる。ぽん太は、鉄の扉の隙間に爪を突っ込み、扉をこじ開けようとした。爪が二枚吹っ飛んだ。でも、痛みは感じなかった。それくらいの痛み・・・・・もっと苦しくて痛いことをここで経験してきていた。鉄の扉の向こうから、自分の信じるもののために戦い、殺し合い、傷つけあう音がした。その中の一つの音が激しく叫ぶ。

 「一人でも多くの敗者を救え。いいいかぁぁぁぁぁぁぁ、あいつらを救ってやれるのは俺達しかいないんだよ。俺達以外に敗者に手を差し伸べてやろうなんて思う物好きはいねぇー。思い出してもみろよ、大学で経済学部じゃなく、就職先のない心理学科に進学したあの時の心持ちをよ。別にあの頃の俺達は、金儲けをしたくて心理学科に進んだ訳じゃねーだろう。一人でもこの宇宙で苦しむ奴等を救いたくて・・・こんな割のあわない道を選んだんだ。それが俺達の誇り高き存在意義だろーよ」

 そのカウンセラーとおぼしき男の叫びに、まわりのカウンセラーは鼓舞されたのか、軍人ウサギに向かっていく。

 「この星は、俺達にとっちゃ天国だった。敗者をとことん愛せる。変わり果てたこの星の責任は俺達にもあるかもしれない。敗者を復活させきれなかった。だからかもしれないが・・・少数の腐ったみかんが全体を腐らせるように・・・この星は、完全完璧に隅々まで腐った、腐りきった。腐りきった星の悪影響が、宇宙に広がりきる前に、俺達がここでこの理不尽な現実をぶっ壊す」

 カウンセラー達は、自らに言い聞かせるようにして叫び続ける。暴動を起こすカウンセラー達は、口々に自分達が面倒を見て、可愛がった敗者達の名を呼んだ。まるで、迷子になった自分の子供を探す親のような悲痛な叫び・・・・・カウンセラーというカウンセラーが、まるで自分の子孫達の未来を切り開こうとする守護神のように叫び続けた。四十二棟だけではなく、敗者居住区中央で暴動が行われているようだった。暴れまわるカウンセラー達を月の軍人達は、次々と射殺する。無数の死にゆくものの叫びが収容所内に次から次へと響き渡る。カウンセラー達は、誰一人として逃げようとはしなかった。そんな勇気は、更なる勇気を呼び、呼ばれた勇気は、更にお隣さんの勇気とご一緒する。暴風域に入った勇気達は、寄せては返さない・・・寄せ続ける大波を起こし、敗者中央居住区に押し寄せた。血の臭いが、鉄の扉の隙間から漂ってくる。ぽん太達は、とにかく鉄の扉をこじ開けようとしたが・・・・びくともしなかった。



 燃え上がる暴動の熱に、ぽん太と同居ウサギは、どれ程の長い時間、蒸されただろう。ぽん太の額からは、汗がとめどなく流れる。サイレンは、まだ鳴り続け、豆電球は光続けた。ぽん太は、開かない扉の前に屈し、ただ力なく耳をそのぶ厚い鉄板の上に押し付けていた。何万という敗者が閉じ込められている四十二棟の鉄の扉を破壊しようとするカウンセラー達の叫びが聞こえた。

 「鍵は、どこだぁぁぁぁ。看守から奪い取れ。そして、斧や鈍器を持つ者は、徹底的にこの鉄の扉を破壊しろ。敗者を解放してやれ」

 叫ぶカウンセラー達が、看守ウサギを殺して、鍵を奪っては次々と鉄の扉を開けていった。激しく鉄の扉を破る音が、ぽん太の耳たぶの先を震わせる。解放された敗者は、闘いのど真ん中で何をしていいのかわからずに、逃げ出したり、カウンセラーとともに闘ったり、激しすぎる現実に腰を抜かしたり、呆然として口を開け立ちすくんだり、色々だった。ぽん太は、そんな荒れる海に漂う微生物のような敗者の存在の儚さを、閉じ込められた空間の中にいてもひしひしと感じた。音の集合体が合体して、膨張し、破裂していく。そんな暴動の中で、ぽん太は聞き覚えのある声を耳にした。

 「ぽん太さーーん。ぽん太さーーーん」

 お芋の声が、殺し合いの渦の中から微かに聞こえた。焦りを内包しながら、激しく叫ぶ、そのお芋の絶叫の音程の根幹部分に、聞き慣れた、あの優しくて暖かい柔らかさがあった。ぽん太は、その声を聞き、一瞬・・・表現しようのない安堵感を感じてとめどなく涙した。自分がこの窮屈な牢屋からお芋の手によって救い出されるかもしれないという安堵感ではない。あの心優しい少年が、まだ生きているんだということを確認できた安堵感だった。ぽん太は、薄い胸を撫で下ろした。でも、撫で下ろした掌に汗が滲んでる。一気に不安になった・・・・あの少年が、爆発を繰り返す殺戮の真っ只中にいることを・・・。

 「ぽん太さーーん。ぽん太さーーーーん」

 お芋は、ぽん太の名を呼び続け、ぽん太を探し続けた。ぽん太は、この誰もが名前を失い番号で呼ばれる敗者の大群の中で、自分のあだ名を力の限り喉を振るわせ叫び、自分を探し出そうとしてくれる人の存在に胸が熱くなった。でも、ぽん太は、牢屋の中で必死に首を横に振る。駄目だ、来ちゃ駄目だ・・・・・俺なんか、この世に存在する価値もない敗者を救い出すことよりも、あなたのような優しさを持つ少年の生命の方が大切。もう、俺は、今日、明日にも過労死する運命。助け出されたところで、そう長くはないのだから・・・・探さないでくれ・・・・とぽん太は、首を横に振り続ける。お芋が、その小さな手で、次々と鉄の扉の監視戸を開けていく音が、ぽん太には聞こえた。お芋が、四十二棟二階の広い廊下の壁に並ぶ数え切れないほどの牢屋からぽん太を探そうとしていた。監視戸を開け、ぽん太がその中にいないと確認するやすぐに次の牢屋に移る。お芋と目があった敗者達は、皆、口々に「助けてくれぇーー。ここから出してくれ。こんな収容所から連れ出してくれー」と叫んだ。お芋は、開いた監視戸から聞こえる絶叫を耳の奥に痛いほど聞きながら、「ごめんなさい。ごめんなさい」と謝りながら、彼等を通り過ぎた。

 「ぽん太さん、生きていてください。先生が面倒を見られた敗者は・・・・ぽん太さん以外、既に皆さん、この過酷な現実を生き延びることができずにお亡くなりになりました。せめて、あなただけでも・・・・あなただけでも、地球にお戻しせねば」

 お芋の汗が滲む興奮した叫びが聞こえてきた。ぽん太は、首を横に振り続ける。お芋の声の周りから、火炎瓶が爆発する音が幾重にも重なって聞こえてくる。肉が弾け飛ぶ音、絡まり組み合い殴りあう筋肉の音、骨を砕く鈍い音、絶叫の余韻は、一向に消える気配がなかった。鳴り止まない銃声、鉄の扉の向こうで繰り広げられる闘いに・・・・ぽん太は参加することすらできない・・・小さな牢屋に閉じ込められたまま。自分の無力さに、ぽん太は寒気を感じ、激しく震えた。その時だった。ぽん太が閉じ込められた牢屋の鉄の扉の監視戸が開いた。小さな監視戸の向こうには、傷だらけで血にまみれ、息を切らせたお芋がいた。

 「見つけた・・・・ぽん太さん」

 お芋は、ぜぇぇぜぇえいいながら、そう言った。「良かった・・・まだ、生き延びていてくれて。そう簡単にくたばる人ではないと思っていましたが・・・・」

 やつれて疲れきったお芋の顔は、劣悪な収容所の環境のせいか、皺だらけになっていた。それでも、お芋は、ぽん太の顔を見て笑った時・・・・あの無邪気で優しい笑顔の面影が苦労の合間に垣間見えた。色々なものを少しずつ諦めてきた色あせた瞳が、懐かしそうにぽん太の骨ばった顔を見ては、少しの悲しさをその網膜に映し出した。お芋は、ふとぽん太の同居人の顔を見た。諦め色の濃かった瞳孔が一瞬、透き通るようにしてその色あいを消した。お芋は、身動きが取れずにいた。そして、その美しく澄んだ瞳に、同居人の姿が鮮明に映し出された。

 「セナさん・・・・・」

 お芋は、遠い昔に諦めた命がまだこの世に息づいていることの奇跡に身を震わせた。

 「お化けじゃないですよね?お亡くなりになったと聞いていたので・・・・」

 セナと呼ばれる耳の長いウサギは、お芋の顔を懐かしそうに見つめていた。

 「また・・・会えるとは思ってもみなかった、お芋ちゃん。それもこんな場所でね・・・・。場所は最悪だけど、お芋ちゃんにもう一度会える奇跡を今まで信じてこなかったから・・・・信じる者だけじゃなくて信じない者も救われるっていう気持ちになるよ」

 「わたしは、ずっと信じてましたよ。セナさんにも、ぽん太さんにももう一度会えると」

 「そうか、なら、やはり信じる者は救われるだね。お芋ちゃんが起こしてくれた奇跡が胸の傷口に沁みて、痛気持ちいいよ。死んだ筈だったんだ・・・・。街の路地裏の人目につかないところで手首を切り落としたつもりになって。出血多量で死に掛けたが・・・・俺も馬鹿だよな・・・・自殺しようとした路地裏のビルの合間・・・・寄り掛かった壁の内側は、患者が五年も来ないようなもうろくした敗者ジジイがやっていた病院で・・・・助けられちゃったよ。藪医者かと思っていたら、なかなかの腕前で。高額の医療費を請求されたけど・・・俺を手術して疲れちまったんだろう。その後、脳卒中で死んじまった。一人もんのジジイだったから、俺が埋葬してやったけどさ。ま、その後は、自分で自分の死亡診断書をジジイの名前で書いて、役所に送って死んだことにしちゃったわけさ。もう誰にも迷惑を掛けないように、細々と細心の注意を払いながら、こっそりと死んだように生きていくためにね。今は、気楽な敗者やってるよ、この収容所で」

 「手が混んでますね」

 お芋は、セナの顔を見て笑いながらも、必死に手に持った斧で鉄の扉を叩き続け、二人をこの窮屈な空間から連れ出そうとしていた。

 「セナさんもぽん太さんもいい意味で軽いからいいですよ。そういう敗者、大好きです。でも、その軽さが、自分の心を暗闇を隠すためで、自分の弱さを他の人の目に触れないようにびくびくしている心持ちから来るものだと知っているから、ちょっと悲しくなりますけどね」

お芋は、何度も何度も斧を鉄の扉に叩きつける。飛び散るお芋の汗が、監視戸から牢屋の中へと入ってきて、二人の敗者の顔を濡らした。その汗は、暖かかった。お芋の背後で、争いは渦巻き、更に激しさを増す。ぽん太は、さっきまで音で聞いていた闘いの全容を監視戸から自分の目に焼きつけた。それは、まさに視界に焼きつくほどの熱を放出し、命あるものを燃やし尽くす歴史のカロリー消費の新陳代謝のようだった。その光景をぽん太は、見つめながら、あの大久保公の屋敷の長屋に書かれた・・・・ここにいる長い耳を持ったウサギが血で描いた抽象画を思い出した。あの激しく、残酷で、醜い抽象画、思い出した絵がくもの巣のようにぽん太のちっぽけな虫のような想像力に絡みつく。

 「ぽん太さんもセナさんも、わたしがここから救い出します。だから、ぽん太さんは地球に、そしてセナさんは月で最も美しいといわれる田舎町『涙』で待つハルさんの下へ帰ってあげてください。あなた方、二人をここから救い出すことが・・・・もう帰るべき場所を持たない一蔵先生とわたしが命を賭けてして差し上げられることです。一蔵先生は、親友で故郷の英雄を殺したことで、二度と鹿児島には帰れない。そして、わたしも・・・・もう家族はいませんから」

 お芋は、つらそうに斧を振り上げる。斧を握り締める腕が・・・・・やせ細って、見ているだけで苦しかった。あのか細い腕じゃ、いくら斧を叩きつけたところで、この頑丈な鉄の扉は開かない。ぽん太は、言った。

 「お芋さん、僕達のことはいいから、早くこの収容所から逃げて・・・・この世界のどこかで幸せに暮らしてください。あなたには、まだ輝かしい未来がある。僕には、それはもうないから」

 セナも続けた。

 「お芋ちゃん、早く逃げろ。俺は、もう死んだことになってるんだ。死人を救うことに意味はない」

 そんな二人の言葉に、お芋はムキになって首を振る。

「いや、お二人には・・・・帰る場所があるんですから。もう気づかないフリはやめてください。わたしもいい加減本気で怒りますよ」

 お芋は、斧を一旦地面に下ろし二人を睨みつけ、そして叱った。二人は、見たことのないお芋の真剣な怒りに言葉を失った。お芋の後方に、見慣れた一人の男が見えた。その男は、カウンセラーの大群を指揮し、軍人ウサギ達の動きを見ては、適切な攻撃を行っていた。大久保公だった。大久保公の7・3に分けていた髪型は、今や丸坊主に刈り上げられ、あの豊かな髭は全て剃り落とされていた。そして、敗者の囚人服を着せられていたが、むしろそのシンプルでいさぎよい姿は、ぽん太の知る元内務卿の威厳を持った大久保公よりも格好よかった。ぽん太は、一瞬思う・・・・これが、もしかしたら幕末、時代を切り開いた大久保利通の姿だったのではないかと・・・・・。大久保公の顔に銃弾がかする。ぽん太は、身震いする・・・・銃弾の雨に一瞬すらひるむことのない男の度胸と死をその背中に背負い、その重みにつぶされることのない侍の姿に・・・・・。

 「あああ、この人を誤って殺してしまった日・・・・・日本は、敗戦国への道を辿り始めたんだ」

 ぽん太は、左胸に手を当て、日本人として受け継がれてきた自らの血に語りかける。爺ちゃんの爺ちゃんくらいの血の名残りが、明治時代初期を覚えているだろうと思った。月に来る前の地球は西暦2000年ちょっと。紀元前までさかのぼれば果てしない。その歴史の記憶を刻んで受け継いだ血がぽん太の体の中に流れている。ぽん太は今、血管の中で煮えたぎりはじめた先祖から受け継いだ複雑な歴史の深みの記憶が細胞レベルでよみがえってきて、ただただ喘ぐ。大久保公は、顔色一つ変えずに、淡々とカウンセラーの軍隊に指示を出し続ける。的確かつ効率的な攻撃に、収容所に配置された月の軍隊は後手に回る。こんな絶望しかない現実を前に、汗ひとつかかない・・・この月の裏側でも圧倒的な存在感を放つ男・・・・・それが、大久保利通だった。そんな男が、敗者を救うために闘っていた。

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