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ガチャンガチャン。(あああああ)。ガチャンガチャン。(あああああ)。ガチャンガチャン。(あああああ)。ガチャンガチャン。「あああああああああああああああああああああああーーーーーー」。
何も感じないように努力するぽん太は、あまりに自分の感情を体内に押し込めるあまり時おり激しく気を狂わせ発狂するようになった。溜めに溜めた無感情を吐き出すようにぽん太は叫び、自分が浸されている現実を現実の中、自己嫌悪と責任転嫁の荒波に飲まれた。陰鬱な環境、塩酸のような空気に、ぽん太は自分の全てが溶けていくのを感じる。苦しみばかりを生産する工場で、ぽん太は絶叫し、地面に体を投げ出し、のたうちまわる。地面で真っ二つに引きちぎられたみみずのように激しく身をくねらすぽん太の元へすぐに作業監視員が走ってやってきて押さえ込もうとする。それでも、ぽん太は絞めて殺される前の鶏のように飛べない羽をバタつかせ、暴れる。作業監視員三人がかりでも狂ったぽん太を押さえ込めない。
「あああああああああああああああああああああああ」とぽん太は叫び続ける。手に負えないと思うと作業員達は、銃を抜き出し、ぽん太の額に突きつけた。殺される。ぽん太は、そう思った瞬間に我に返る。突きつけられた銃口を眺め、おぼろげな冷静さをぽん太は取り戻し、ひくひくと震えながら立ち上がり、再び鎖帷子を編むために織機の前に座った。しかし、責任転嫁の独り言が痙攣する心から震えながら零れてくる。
「一体、何がいけないんだ。なぜ、こんな目にあわなきゃいけないんだ。なぜ、月なんかにいる。トロだ。トロがいけないんだ。いや、たんぽぽか。あの大久保か。月の民族が寛大だなんてね嘘をついたのはどこのどいつだ。なぜ、俺が・・・・・。なぜ、俺が・・・・。なぜ、俺が・・・・・。なぜ、俺がこんな目にあわなきゃいけない」
責任の所在を探すぽん太の独り言は、血管内をも駆け巡り、血を沸騰させるほどに熱くなる。そして、責任転嫁に集中するあまり、鎖帷子の縫い目を間違え、ぽん太は作業監視員に木刀で殴られ、ぽん太はまた大声で叫び、狂い出す。
ガチャンガチャン。ぶりぶりぶり。ガチャンガチャン。シャーーーーーーっ。ガチャンガチャン。ぷぅーーーー。ガチャンガチャン。(ああああああああああああああああああああああ)。
何もかもが臭い・・・・体臭も、垂れ流れる尿も糞も・・・・・。
自分の手で排泄を片付ける敗者達。敗者居住区には、敗者達が自分達で地面を掘って簡易のトイレを作っているが、工場にはウサギ用のトイレ以外はなく、そこを使うことは敗者には許されていない。いや、使用が禁止されているという以前に、敗者は、休息を許されていない。もちろんトイレ休憩も。死ぬまで働く。作業を中断することは、暴力を受けること同意義。だから、敗者は手を動かすのを止めることなく、力なく震えながら、その場で用を足す。そして、仕事の終わりには、舐めるようにして、キレイに片付けて帰ることをウサギ達に強要される。工場の闇の中、充満する汗の臭いに混じり、汚物の悪臭が脳みそをかき混ぜるようにして顔面の奥で免疫を作り出し、黄色い鼻水となって、鼻腔を詰らせようと自己防衛手段が働く。工場は、アンモニア臭く、内臓の臭いがあまりに強かった。便秘を望む敗者達・・・・でも、皆、汚水を飲み水として与えられるので、下痢・・・・。ぽん太の肛門も常にゆるい。
糞にまみれた掌を囚人服の腿の部分で拭き、ぽん太は火力発電所の仕事に移る。敗者の死体を荷台に積み上げている時に、背後から敗者達が争う声が聞こえた。争いのざわつきがくすぶって、燃え上がろうとしていた。ぽん太は、背中に熱を感じ振り返った。そこには二人の天王星人敗者が一人の天王星人敗者の足を引っ張って、引きずっていた。足を引っ張る敗者二人は中年で、引きずられる敗者は、若者だった。三人とも鎖帷子工場で働いていた。顔は見たことがあった。そして、中年敗者達は、若者に苛立ちながら言った。
「俺は、死ぬ訳にはいかないんだ。天王星に妻や子供がいる。家のローンだって、まだ返せていない。俺らみたいな天王星バブル期入社の大量採用時代で経済の縮小期にあぶれた敗者に仕事なんてできるわけがないだろう。いきなり厳しい時代になりやがって。俺は、ここで次に仕事、ミスったら、ウサギに首をナイフで切られる」
「俺も同じだよ。リストラされて、途方に暮れて、こんなところまで流されちまった。お前みたいな奴が、手際よく仕事をしやがって、鎖帷子の製造の生産量をあげていくから俺達の仕事が劣っていると作業監視員に思われる」
ぽん太は、引きずられている天王星の若者の顔をよく見た。顔に影はあるが、言われたことはキチっと機転を利かせながらこなしそうな青年だった。彼が敗者になった理由は、夢に破れて、望むべからずサラリーマンになって、人に強いられるままに働くことに耐えられなかったかなんかだろう。
「独身で家族もいないんだ。お前が死ねよ」
若者の足を引きずる中年は、憎しみを込めてそう言い放った。
「全て、お前が悪いんだ。ウサギの前でいい子ぶりやがって、仕事とかできるからよ。だから、俺らの立場がなくなる」
切羽詰った中年敗者は、若者の足を引っ張り続け、そして作業監視員に乞い、工場長を読んでもらっていた。工場長は、F工場からゆさゆさと腹を揺らせながら赤い作業着を着て出てきた。中年は医者の前に若者を突き出した。二人は、若者のミスを捏造し、嘘なる作りあげた真実を真顔で語り、工場長に自分達の犯したミスは、全てのこの若者に起因すると熱く語り、許しを乞おうとした。それを聞いて、工場長は笑いながら「そうか、そうか」と肯いた。そして、工場長は脇にいた軍人ウサギか持っていた銃を手にし、若者の眉間に銃口を突きつけた。若者は、だくだくの汗を流し、震えながら、「違うんです。違うんです。この二人が嘘をついているのです」と真実を訴えようとした。しかし、その言葉に工場長は耳を貸す素振りはない。そして、工場長は引き金をゆっくりと引いた・・・・が、引ききる前に銃口の向きをとっさに変え、中年の敗者の一人の頭を撃った。頭蓋骨が割れ、脳みそが飛び散った。それを見て、もう一人の中年敗者は、腰をぬかし地面に尻餅をついた。
「ひひひぃぃぃぃぃぃーーーー」とただ怯えることしかできない中年敗者に向かって、工場長はもう一度引き金を引いた。噴出す血が工場長と若者に降り注いだ。血のシャワーを浴びながら、工場長は、若者に冷たい笑顔でこう伝えた。
「期待してるぞ、若者。死ぬまで働け」
若者は、その言葉に殺された。心に残酷な現実が突き刺さる。若者の中で何かが割れた。それは、微かに抱き続けた夢なのかもしれなかった。
「死ぬまで働き続けるのか・・・・・」と若者は、呆然と闇を見詰めながら呟いた。そして、若者は、その事実に絶望し、五〇〇メートル先にある電流が流れる有刺鉄線へと走っていき、体を投げ出し、自殺した。工場長は、それを見届け、ぽん太の方を見て言った。
「後片付け、よろしくな」
ぽん太は、三体の遺体を片付ける、更なる仕事を押し付けられた。心の中で、勘弁してくれよ・・・・と疲れた声で呟く。死を悼む気持ちはない。日々、労働の中で敗者が死んでいく。敗者なんて腐るほどいる筈なのに、次の敗者が補充されるまで一時的に人手不足に陥る。今、現在、作業に従事している敗者の負担は重くなる一方で、更に命をすり減らし、削っていくことになる。
ぽん太は、弱りきった視界、白と黒の二色しか見えない現実に疲れ果てる。さっきまで、その瞳に写っていたものは、ウサギと敗者の対立ではなく・・・・敗者と敗者の対立。敗者同士の醜い争いが至るところで勃発し、皆、共倒れしていく。権力に媚びようとする敗者達は、ウサギの手下となり、敗者間で行われていることのスパイとして動く。軍人にうまく取り入ろうとする敗者がどんどんどんどん増殖していく。敗者同士が密告し、けなし合い、憎しみ合い、権力に近い場所で生き延びるために殺しあう。足を引っ張り合い、罵倒し合う敗者達の駆け引きに疲れ果てたぽん太。感受性は鈍っていく一方。光を浴びることのない労働は死ぬまで続くだろう。それでも、すべてを諦めてしまいがちの鈍い感受性の奥底に生への執着心を見つけてしまう。死んでしまいたいと思うのに、そう思えば思うほど、折れた心をつなぐガムテープのような粘っこい生への執着心は、べとべとべとべと心臓の鼓動を助長する。ぽん太は流れる汗を拭いさることすらできないまま、三体の死体を片付けた。ただ、ただ、眠い・・・・・。
ぽん太は、仕事を終え、居住区へ戻る途中に目を開けながら眠り、ふらつきながら倒れこんだ。冬の夜空は、そろそろ月の裏にも冷たい雪を降らせそうなほど凍えこんでいた。ぽん太は、そのまま過労死と凍死を一度に経験しようとしていた。死体のように目を開けたまま道端で眠るぽん太。死体と間違えて、発電所の敗者達がぽん太を回収に来た。ぽん太は、担がれそうになったが、心臓が微かに動いて、泣いていた。ぽん太自身も発電所で働いているからよくわかるが、例え微かでも心臓が動いている体は、震える。震えない死体を何万も回収してきたベテランであれば、その違いに一瞬で気づく。ぽん太を担いだ敗者達は、そんな微かに震えるぽん太の体を地面の上に投げ捨てた。
「生きてる奴等は、燃やせねーよ。祟られそーでよ。火葬じゃなく、殺人になる」
ぽん太は投げ捨てられた衝撃で目を覚ました。弱った視界の端々に膿がたまり、目やにが瞼から溢れてきていた。よく回りが見えない。今いる現実の形を把握できない。ぽん太は、体力がないあまりに立ち上がることもできずに、ただ転がっている。そして、鼻水をすすりながら、体力の回復を待った。凍えていく体と心・・・・・・。他の敗者の嘆きが、収容所のあちこちから聞こえてくる。
「ああああ、敗者絶滅収容所・・・・。なぜ、俺達は、ここに閉じ込められ、出ることを許されずに・・・ただ、強制労働の果ての死を待っている。もうなぜ敗者になったのか・・・・・そんな原因すら忘れてしまった。何もかもが遠い過去。そして、あまりに過去は美しく・・・・・未来は醜い。そして、今という過去と未来の間で、私はただ嘆く。ああああ、敗者絶滅収容所よ・・・・・私に慈悲を与えたまえ」
どこかで、闇の中のどこかで、敗者がすすり泣きながら、叫んでいた。ぽん太は、思った。
叫ぶ体力があるだけ・・・・お前は、まだ大丈夫だよと。センチメンタルに嘆きすぎだ・・・・と。
『暴動の炎、咲き乱れる火花の最後・・・。そして、火花が残した理不尽な現実との闘争の種子』
生きているのか死んでいるのかわからないまま生き続ける。死を待ち望み、生に執着し、もうどれくらいの時が流れたのだろうか。多分、立ち上がれないまま外で転がっていた日から三日と経っていないだろう・・・・。それでも、なんとか生き残ったその三日は、永遠という時間を三乗したほど、巨大で深かった。ぽん太は、意識の中で自分の墓を大地に掘り、今にもその中に飛び込みたい妄想に駆られる。それでも、空腹がぽん太が掘った墓の穴に再び土を投げ込み、埋めてしまう。ぽん太は仕事を終え、居住区内にある敗者食堂に足を運ぶ。睡眠時間を減らしてまで食べる飯には、それだけの価値が欲しい。でも、敗者の食う飯に味を求めることは贅沢。ぽん太は、自分を鼻で笑った。
「贅沢って・・・・そんな言葉の意味を味わうことは、もう二度とないだろう」
労働後の食事だけは、月の政府から支給された。
「食事?鼻で笑うしかない・・これはゴミだ」
ぽん太は、食堂に並ぶバイキング形式のゴミ袋を見つめて毎回、呟く。そして、最後に付け加える言葉は、「家畜用の餌ですらない・・・」。
月の民族達の食い残しの残飯が幾つものゴミ袋に詰め込まれ、食堂に並べられている。そのビニール袋をカラスの口ばしほどに鋭くもないプラスチックで先のまるまったフォークで突き破る。好きなものを好きなだけ食べられるが・・・・食べるられるものは少ない。欠けた食器を片手に、ぽん太はゴミ袋を突いた。なぜだか、電子レンジだけは食堂に備わっている。一体、なぜ・・・・と思うが、この世には理解可能なことの方が少ない。電子レンジでゴミを温めて食べる奴もいるが、ぽん太は温める勇気を持てないまま、冷たい残飯を、平衡感覚が狂って揺れる簡素な長テーブルの上で、口にした。
敗者の食事なんてこんなもんだろう。そう思えば、そう思える。洗われていない食器の上、残飯と汚い器の臭いが鼻腔を抜け、脳を刺激する。神経を麻痺させる腐った香りは、味覚を麻痺させ、胃液を逆流させ、内臓の酸味が喉に戻っては、その喉ごしたるや、心の渇きをより渇くものにする。ぽん太は、思い出す。収容所に来てから、初めの一週間は、ここの食堂に並べられたものは何一つ食べられなかった。ぽん太は、食堂のゴミが食えなくて餓死してきた敗者を何万と見てきた。心は、ゴミを見て、ぽん太の理性を説得した・・・・・「食べろ、食べろ、食わなきゃ・・・・・・死ぬぞ」
食えと言われて食えるものなら・・・・・もうとっくに食っている。胃は絞めつけられ、ゴミを拒否する。でも、食わなきゃ死ぬ・・・・・なんで、こんなに無意味な存在な自分なのに・・・・意味なんてなくてもいい・・・とにかく生きたいと食欲は俺に訴えるのだろう。生きていく意味を見つけ出せないまま、ぽん太は八日目、ふらふらになりながらゴミを食った。残飯の味は、ぽん太の胃に胃液の逆流を一気にもたらし、吐き気は喉元まで吹き上がり、食べたものは全てそのまま、そっくり戻した。あの頃のぽん太の骨と皮は急激に寄り添い始め、なんだかふしだらな不倫でもしかねない勢いだった。肉は干からび、いつ潮を噴かない感じ得ない塊になるかわからなかった。
「ま、男は潮は噴かねーけどよ。噴かせたこともねーけど」
ぽん太は、ゲロった後に、自分の意識を繋ぎとめるように意味のわからないことを言って、自分の意識の所在を確認した。そんな、おセンチな時期は、初めの一ヶ月で終った。どれ程の時が越えたかわからないが・・・・・今や、いくらでも残飯が食えるぽん太。慣れていく自分がいる・・・害虫のように、どんなに虐げられて、疎まれようと生に執着するしぶとさと醜さが身につく。
いつものように仕事。使い捨てられる運命のぽん太の視力は、どんどんどんどん現実を見つめる能力が曖昧でぼやけていく。瞼は、暗がりの下で鎖帷子を編み続けたせいで野球ボールほどに膨れ上がっていた。目ヤニが・・・溜まりすぎて、視界は狭まる。白黒の色彩しか持たない視覚神経は、その細い線を両端から引っ張られるような感覚がある。今にもプチンっと切れてしまいそうだった。瞬きを繰り返し、潤いを取り戻そうとする渇ききったぽん太の眼球に、F工場の工場長の演説シーンが、アニメのワンシーンのように映し出される。
「敗者は、勝者の消耗品でしかない」
「ありがとうございます」
一列に並んだ敗者達の感謝の声・・・いつかの気合入れの場面。
もうどれくらいこんな生活をしてきたのだろう・・・・・。誰か、教えてくれ。でも、俺のことを知る奴なんて・・・・この世界では、俺以外には誰もいない。誰に聞いたところで答えは返ってこない・・・・そんなことをぽん太は、思う。そして、同じ質問を自分に問うたところで、変わらない。記憶は、時の流れの中で喪失されゆくもので・・・・失ったものは二度と手に入らないから。




