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四十二棟は、高くそびえる壁に埋め込まれるようにして建っていた。それは、三階建てのコンクリート作りで、窓も何もない箱のような建物だった。正面に比較的大きな入口があり、その前には収容塔を監視し、管理する看守ウサギ六人が暗闇の中でも視界を保てるサングラスを掛けて立っていた。次から次へと敗者がその建物に入っていくのをぽん太は虚ろな表情で見ていた。遠くから見ても、中がごった返しているように見えた。敗者をぎゅうぎゅう詰めにしているようだった。
ぽん太は、四十二棟に入るための列に並んだ。満員電車に乗り込む前のホームで立っている気分になった。ぽん太は、入口の前まで来て・・・・息を飲み込んで、意を決して、その敗者で混み合う建物中に足を進ませた。ぽん太は、敗者の隙間に押しつぶされながら前へと進んだ。顔が歪み、精神はもみくちゃにされる。建物の中は、飾り気など全くなくただ一本の廊下があって、その両脇に小さな鉄の扉が上段と下段に、二階建てベッドのようにして何百・何千と並んでいた。廊下は、外観からでは想像もつかなかったが、長く長く入口から右と左に伸びていて、その廊下幅はかなり広かった。十メートルはあろうかという幅と、二百メートルはあろうかという長さ・・・・・その廊下で、自分の収容されるべき部屋を見つけられず右往左往する敗者が多いために、これだけの混乱がこの四十二棟に起きていることがなんとなくわかった。今日届いた新鮮な敗者は、可能な限りこの収容塔にぶち込み、収容されるようだった。ああ、いずれ絶滅していく敗者新入生達・・・・・意志を持たない虫のよう。
自分の居場所を見つけられずに敗者同士お互いをもみくちゃにすることしかできない廊下に群がる虫の大群の間に、看守ウサギが何十人か入口から雪崩れ込んできて、蠅叩きの代わりに、棍棒を手に持ち、敗者を叩き潰して叫んだ。
「おら、早く、部屋に入れ。この害虫ども」
サングラスをしたウサギが、手当たり次第に敗者を殴るので、皆、恐れをなして・・・・・更に混乱した。ぽん太は、そのうずまく敗者の恐怖の隙間を身をかがめて追いかけてくるウサギから逃げた。
一階の部屋番号は、頭が1から始っていた。ぽん太が告げられた部屋は、2。二階だろうと検討をつけ、上に登る階段をぽん太は探した。それは、廊下の右端と左端にあった。真ん中にあった入口から敗者混みを掻き分けて階段に辿りついた時、ぽん太は既に疲れ果て、階段を抱えてしばらくうずくまった。階段を登るだけの体力の回復を待つ。ぽん太の脇に階段を登りきれない敗者達が溜まってくる。階段は、廊下に比べると驚く程に空いていた。
意を決して、二階への階段を登ったぽん太は、真っ暗な闇を目の前にした。囚人服からライターを取り出し、火を点けると、広々として・・・少し肌寒く無機質で壁や天井が剥げ落ちた薄気味悪い廊下の奥行きが姿を表した。一階とはかなり様子が違う。そこには、看守のウサギが十人程、うろうろと見張りをしていた。まるで廃墟とかした幽霊病棟のような空間。
「おい、糞敗者。てめぇの部屋は、どこだ?F33258?ちょうど真ん中だ、死ねボケ」
ぽん太の背後から声が聞こえ、ぽん太は腰の関節が少しずれるほど驚いた。看守のウサギがぽん太の首筋の焼印をじっと眺めていた。ぽん太は殴られる前に、ライターの火をかざして、廊下の真ん中まで四つん這いで進んだ。腰に力が入らなくて、立つことができなかった。そんな四足で前へと進むぽん太の後ろから、さっきの看守が歩いてくる。そして、ぽん太が自分の部屋の前まで辿り着くと、立ち上がれないぽん太の首根っこを掴み、小さな鉄の扉を開け、「入れ!」と怒鳴った。ぽん太の部屋は、悲しいかな二階建ての二階だった。ぽん太は、首根っこを捕まれ、ただ従順にチンチンするようにして立ち上がり頭からその鉄の扉の中へと頭を突っ込んだ。その後、看守がぽん太のおケツを無理矢理その部屋の中に押し込んだ。そして、ぽん太が押し込められたその空間は・・・・・絶望するほどに狭かった。押し込められたぽん太を閉じ込めるようにして、鉄の扉が閉まった。鍵を掛けられ、ぽん太はどこにも行けなくなった。小さくて真っ暗な闇がぽん太を押しつぶすようにして抱きしめる。
ぽん太は、暗闇の中でため息をついた。胃液臭いその吐息は、目の前の壁に跳ね返り、自分の鼻によく臭った。ぽん太が閉じ込められた部屋の床は約1メートル三十センチから一メートル五十センチ四方の正方形。そして、高さは、七十センチから八十センチくらい。膝を抱えて座っても、首は曲がったままだった。スーツケースに無理矢理押し込められたような感覚で、気が狂いそうに窮屈だった。しかし、それで気が狂ってはいられなかった。信じられない事実が、ぽん太の気を破壊する。このぽん太が押し込められた小さな牢屋のような部屋は・・・・・独房ではなかった。鉄の扉が再び開き、ライターを照らした敗者がもう一人、ぽん太の顔を精気を失った目で見つめていた。ぽん太は、その敗者の深く澱んだ目に身震いした。今まで見たどの敗者達よりも重たい視線をしていた。彼は、看守に命じられるままに、泥人形のような動きで、ぽん太と同じ狭い空間へと体をねじ込んできた。足が二本、スーツケースに押し込められたところで、鉄の扉は荒々しくしまり、鍵が掛かった。ぽん太とその敗者は、体を絡ませ、小さな空間で黙り込んで、闇を介在して見つめあっていた。ライターをつけないと闇が深すぎて、相手の表情も視線の動きも何もわからない。確か、さっき一瞬見た時・・・・・ウサギだったように見えた。月の住人で敗者なのだろうか・・・・。相手の呼吸音だけが、深い闇を越えて、ぽん太の顔に吹きかかってくる。そして、少しずつお互いの体温で、狭い牢屋は蒸し暑くなり、どんよりとした空気が闇に絡んでいった。
もともと敗者絶滅収容所は、月の罪人を押し込めるための収容施設だった。それを大幅に改築し、敷地を広げ、警察ではなく軍隊に守らせるようにしたのが現月の政府。ぽん太が閉じ込められた牢屋にも当時の月の罪人の苦しみを含んだ汗の臭いが染み付いていた。ぽん太は、その小さな空間でもう一人の敗者と体を寄せ合い、ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅと小さくうめく。元々、この牢屋は罪人一人を懲らしめるために作られたのだろうが、罪人よりも価値がないのか、罪が重いのか敗者二人で一室という劣悪な環境下で、ぽん太は一秒一秒、ストレスを溜めた。小さな鉄の扉に壁壁壁。扉に対面する壁は、どうやらあのそびえたつ大きな城壁のような壁の一部をそのまま四十二棟の側面として使っているようだった。他の部屋と隣り合わせの壁は、驚くほどに薄かったが敗者の力で突き破れるほど柔ではない。その薄い壁の向こうから隣に閉じ込められた敗者のすすり泣きやうめき声が聞こえ、真っ暗な狭い闇の中に、自分のものでない感情が流れ込み・・・・神経を逆撫でする。この狭い闇の中をいくら探したところで窓はない。空気の換気が極端に悪く、喉の奥が握りつぶされるような感覚が首のまわりに纏わりつく。ぽん太は、体の中で爆発しかかっているものを必死に抑え込んでいる。ここに閉じ込められてから、どれくらい経ったのかはわからなかった。
ぽん太は、小さな空間の中で天井から垂れ下がっているものの存在に気づいた。ぽん太は、手さぐりでそれを触った。コードのようなもの4・5センチの長さで天井からぶら下がっていて、その先には小さくて丸いガラスのような物がついていた。ぽん太が、気を紛らわすために何度も何度も触るそのコードのようなもののすぐ向こう側にいる負けウサギの吐息がひきつった痩せタヌキの顔に掛かる。生暖かいその吐息の臭いが排水口のヘドロのような匂いがして、ぽん太は苛立ちのあまりコードをぎゅっと握り締めた。すると闇の中が一瞬だけ光った。目の前のウサギが疲れた顔でぽん太を見ていた。光を放ったものは、コードの先についた小さな豆電球だった。なぜこんなに何もない空間に豆電球なんかが・・・・申し訳程度のおまけみたいについているのか、わからなかった。コードを握り締めたぽん太の手は、軽く感電した。痺れが心にも微かに伝わった。ぽん太は、もう一度コードを握り続けたが・・・豆電球は光らなかった。ずっとコードを握っていると何時間に一度、不定期でチカッ、チカッと切れかけた電球のように苦しげにその豆電球は点滅を繰り返した。爆発しそうなほど溜め込んだストレスの投げつけ場がなくぽん太は、ただ天井から垂れてるコードを握り締め、たまにやってくる感電する瞬間に刺激を求めた。豆電球がついた瞬間に、闇の中からウサギが浮かび上がる。目の前の負けウサギは、耳が長かった。
ぽん太は、右手をコードに伸ばし、左手で膝を抱えたまま、小さくまとまり、可能な限り無言で、窮屈な空間に閉じ込められる苦痛に耐えた。もう、どれくらいこの牢屋に閉じ込められたのかわからないが・・・・とにかく、気が狂う寸前で何もかもを我慢していた。うめくことはあっても、ストレスで叫びはしなかった。叫んでしまえば・・・・無駄な体力を使う。ぽん太は、歴史の濁流に飲み込まれ流されてきた溺れかけた運命の息づきだけで精一杯で・・・・疲れきっていた。ストレスは溜まるが、叫ぶだけの気力が心にはなかった。それでも叫びたい衝動は常に体中を回り続けるが、澱んだ空気を吸い込み結局、その衝動を諦める。押し込めば押し込むほどストレスは、感覚を研ぎ澄まし、感情を鈍らせていくように思う。肩も首も腰もすべての筋肉が固まっていく。窮屈な世界では、動いちゃいけないんだとぽん太は何度も自分に言い聞かせる。動けば、また運命が動き出してしまう。運命を固めてしまわなければ、また苦しみが始る。
「慣れろ・・・・。慣れろ・・・・。慣れろ・・・・。」
ぽん太は、闇の中で呟き続けた。
牢屋に換気口はなかった。息苦しさが重たく固まる運命に圧し掛かる。それでも、ある一定間隔で、鉄の扉に備え付けられた看守が中を覗き込むための小さな窓が開き、牢屋内の空気がほんの少しだけ入れ替わった。その瞬間だけ、溺れ死に、死体が硬直し、沈んでいく運命が成仏しかける感覚が体に広がる。濁流に飲み込まれ、空気を失ってくると自分という存在が深くて暗い海の底へと沈んでいく気がする。薄れゆく意識の中で、自分の心は溺れて、溺れて、海水を飲み込み続け、醜く膨れ上がり・・・・やがて魚の餌になろうとしている。鉄の扉に備え付けられた小さな窓が閉まるとき、生きているのか、死んでいるのかわからなくなる。
ぽん太は、同居人のウサギには一言も声を掛けなかった。闇の中、目の前に存在していることには気づいている。でも、自分のことで精一杯。人のことを気にする余裕など自分の存在のどこを探してもなかった。お互いの吐息だけが、狭い闇の中で行き場をなくし彷徨っていた。
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眠っていたのかどうかはわからない。目を閉じても開けていても闇の中だった。たまに光る豆電球は、夢が見せた幻影なのか、冷たい現実に輝く捨て切れない儚い希望の象徴なのか・・・・・。夢と現実の間が曖昧になって、意識と無意識の間がゆらゆらと溶け合って、眠りと目覚めの間の区別がつかなくなる狭い闇の中・・・・・。そんな暗闇の中にサイレン音が四十二棟に鳴り響いた。長い廊下の両脇の壁に埋め込まれた鉄の扉が、左右の両端から勢いよく開けられていくの音がした。ガチャン・ガチャン・ガチャン。その音が、真ん中に位置するぽん太が収容されている牢屋の鉄の扉の方へと近づいてくる。そして、鉄の扉は、勢いよく開かれた。目が潰れてしまうほどに眩しい懐中電灯の光が澱んだ闇の中を一気に照らし、目覚めていたのか眠っていたのかわからない何も見ていなかった目を覚まさせた。光の残像が、網膜を破って脳の中枢を破壊したかのように・・・・光を照らされた敗者ぽん太は、何も考えることができなかった。そんな放心状態のぽん太に看守ウサギは、看守の制服からスタンガンを取り出し、スイッチをONにし、ぽん太の脛に突きつけた。体中に電気ショックが走った。理性が粉々に割れる音がし、ぽん太はずっと押し込めていたストレスとともに激しく叫んだ。しかし、その叫びに看守ウサギは全く関心を示さず、ただ見下した口調で、「仕事に行く時間だ、敗者。起きろ」と言った。
ぽん太の同居人のウサギが先に身を屈めて牢屋の外に出た。ぽん太の体には、まだショックの後遺症が残っていて、うまく体が動かなかった。そんなうだうだするぽん太を見て、看守ウサギは、もう一度スタンガンのスイッチをONにした。ぽん太は、もう一度感電することを恐れ、動かない体を頭から鉄の扉の外に出し、バランスを崩し、二階建てベットの上から上半身から落ちるような形で牢屋の外に出た。右肩を激しく地面に打った。ぽん太は、痛みを感じながら辺りを見回した。広い廊下に看守ウサギが完全武装で百人程、閉じ込めた敗者を檻から出すのに出動していた。敗者は皆、背中を丸め、疲れた顔で看守に尻を蹴り上げられながら、棟から出て行くために下へ向かう階段を目指して歩いていた。赤外線スコープを搭載したサングラスを掛けた看守ウサギは、必要もないのに懐中電灯の光を使って闇の中を照らそうとする。一体、どれくらいの敗者がこの二階に閉じ込められていたのだろうか・・・・・高校の頃、通学の電車を乗り継いでいた・・・ラッシュアワーの新宿駅にいるような気分にぽん太はなった。ぽん太は、敗者の流れに押し潰されながら、流れに身を任せ、四十二棟を出た。そこに朝の風景はない。あるのは、ただ光の輝かない月の裏側の世界。皆、百円ライターを灯しながら、指定された強制労働場所・工場地区へと歩いていく。ぽん太も他の敗者も閉じ込められていた場所で、体を動かせずに固まっていたから、関節を動かすとぎこちなく鈍い痛みが体に広がり、どの敗者も疲れた顔、へっぴり腰で歩いていた。
ぽん太は、工場へと向かう途中の敗者居住地区の小さな広場広場で数多くの敗者達が首吊りにされて高い鉄棒のようなものに吊るされているのを目にした。工場へ向かう敗者達に「逆らえば、死」というのを教える暗黙の見せしめ。敗者絶滅収容所内に数多く点在する小さな広場は、皆、処刑広場と呼ばれていた。ぽん太は、首吊り死体を見て思わず胃を口から吐き出しそうになった。胃が心臓のようにドクン・ドクンと激しく鼓動する。悲しいかな・・・・吊られた敗者達の死体は、肛門から内臓や糞尿が垂れて落ちてきている。そして、それらの死体の周りを無数の蝿が群がっている。苦しいほど、悲しい死臭がぽん太の鼻腔に突き刺さる。ぽん太は、悲しみに浸ろうとしたが・・・・そうこうする間もなく、収容所のどこからか銃声が聞こえてきた。ぽん太は、そんな現実から響いてくる悲劇を知らせる渇いた発砲音をもう聞きたくなくて・・・・鼓膜を破りたくなった。ぽん太は、細くなった人指し指を耳に突っ込むが・・・穴が小さすぎて、鼓膜まで届かなかった。
ぽん太が働く工場には、首にFの焼印を押された敗者達が集う。工場の入口には、二十四時間営業と書かれていた。工場は、絶滅収容所メインストリートの西工場地区39番地にあった。大きな工場、小さな工房のような武器製作所が乱立していた。あたりには鉄が焦げる匂いが充満し、薬品が混ぜ合わされて危険な香りが工場の隙間から漂ってきていた。手に持った百円ライターを敗者達は、皆工場地区に入る前に没収された。あたりには、懐中電灯を持った軍人ウサギが闇を照らしていた。
『F』
そう書かれた工場の前で、Fな敗者が一列に並ばされた。Fの工場長ウサギが、真っ赤な作業着を着て、脂肪だらけの腹を突き出しながら、ゆさゆさ入口から出てきた。耳は、短かった。並ばさせられた敗者は、約二百人くらいいただろうか。工場長の脇にいた月の軍人十人が、敗者に銃口を突きつけ、「右へならえ」と叫んだ。ぽん太達、敗者は右へならう。列が一箇所、右へならえきれなかった敗者のためにずれた。その瞬間、銃声が耳をつんざいた。右へならえきれなかった者が吹き上げた血飛沫が、周りの敗者の顔にかかった。工場長は、大きな口を開けあくびをした。そして、あくびついでに開けた口で話始めた。
「私は、ここの絶滅収容所のヘス所長に、鎖帷子の緊急の増産を命ぜられた元カリスマデザイナーのトレンド工場長だ」
敗者の着るぶかぶかのつなぎをニタニタと笑いながら見下し、もう一つあくびをした。そんな工場長の後ろの工場入口の奥から「死にたくなったらいつでも死ね。かわりの敗者なら腐らそうと思っても腐らないぐらい大量にいるんだからよ、新鮮な敗者が」と叫ぶ声が聞こえた。そして、鈍器で何かを殴る音が何発か聞こえた。叫び声が一瞬聞こえて、そして儚く消えた。
「お前達、首にFの火傷を持った糞敗者は、今、この瞬間から鎖帷子を縫い上げるだけのロボットだ。作業は、単純。低脳なプログラムしか、腐った思考の中に持たない敗者でもできる。一日二十四時間働くくらいのつもりでやれ。実際は、二十時間労働の交代制。四時間の睡眠以外は、常に仕事だ。死にたくなったらいつでも死ね。代わりならいくらでもいる」
トレンド工場長は、短い耳の裏側が痒いのか、耳を何度か掻きながらそう言った。ぽん太は、背筋を伸ばしながら、前だけを見つめ、語られた真実に向き合った。でも、ぽん太の視線は、何も見てはいなかった。
「おい、あれ」と工場長は、脇にいた軍人ウサギにあごを突き出し何かを持ってくるように言った。軍人ウサギは、工場長に敬礼し、F工場内から木刀を持ってきて、それを工場長に渡した。
「さてさて、昼寝起きだが、工場長の俺直々、だらしのない敗者に恒例の気合い入れをやっててやろうかな。。仕事ってやつは、気合が一番大事だからよ」
整列させられた敗者達は、片っ端から工場長に木刀で殴りつけられた。工場長の脇にいる軍人ウサギに番号で呼ばれ、敗者は大声で返事をする。すると、工場長に思いっきり殴られる。
「F33257」
「はい!」
殴られる。そして、感謝しなくてはいけない、気合を入れてもらったことを。
「ありがとうございます」
感謝の言葉の後、敗者は工場長に唾を吐きかけられる。そして、もう一度感謝しなくてはいけない、御つばをありがたく頂戴したのだから。
「ありがとうございます」
敗者は、本心にない感情を口に出すことで・・・・・工場長に認められる。殴られた敗者は、倒れることすらできずに震えながら、もう一発殴られないように必死に作り笑いを表情に浮かべる。隣りにいる軍人に「行け」と言われ、殴られた敗者は小走りで工場内に走って、職場に向かった。
「次、F33258」
ぽん太の番だった。ぽん太は、まわりの職務規則のようなものにならって大声で返事をした。敗者である自分を実感する。そして、ぽん太は右肘の関節をトレンド工場長に思いっきり木刀で叩きつけられた。自分が敗者になった原因の古傷・・・そこを叩き割られるようにして木の棒で殴られると・・・敗者である自分をいつも以上に実感する。痛みが体に植え付けられた。誰が主人で、誰が飼われているのかを痛みで覚えさせられる。殴られて感謝しなきゃいけない現実を受け入れなければいけない悔しさがぽん太の心の中で悶絶するが、「ありがとうございます」と意志と反して声が出る。工場長の生暖かい唾液が、ぽん太の下げた頭の上、つむじのあたりにへばりついた。ぽん太は頭を下げたまま「ありがとうございます」ともう一度言った。「行け」と軍人ウサギに言われる。ぽん太の思考は、下げた頭の中で軽い金縛りに会う。動けなかったことで、軍人ウサギを苛立たせた。そして、軍用ブーツのつま先が左腿の脇に入った。その痛みが、ぽん太の思考の金縛りを解き、工場の中へと走らせた。ぽん太は、F工場の入口を抜けていく寸前に、心の中で「畜生・・・」と呟いた。その瞬間、後頭部に銃口を突きつけられた気がしたが、それは気のせい・・・・・。心の中まで恐怖に支配され始めていた。ぽん太は、闇の中へとまた体を浸す。その闇は、ガチャン・ガチャンと機械音が絶え間なく響いていた。ぽん太は、また鼓膜を破りたい気分になる。
ぽん太は、暗闇の中、どこに行けばいいのかわからずに入口を抜けた所で立ちすくんでいた。すると、首根っこの襟を工場監視員につかまれ、空いている席に座らされた。目の前には、鎖帷子を織る機械がある。ぽん太の首を根っこを掴んだ監視員は、そっけなく簡潔に、ぽん太にその機械の使い方を教えた。これができなければ、死を・・・・とも言った。ぽん太が座った椅子にはまだ温もりが残っていた。さっき、殴られ、並ばされていた時に銃声が聞こえた敗者が座っていた席なのだろう・・・・。そこの補充として自分が入る。何も言えない・・・・・・・。
ああああ
ああああ
ああああ
自分は、死人の温もりが残る椅子に座っている。ぽん太は、激しく涙を流す。そんな弱い生命体に待っているのは、暴力。ぽん太は、涙を流したことで棍棒で何度も殴られ続けた。この闇の中で、涙はご法度。視聴率を稼ぐためのお涙頂戴の番組の登場人物・・・・・・・それには、どう考えてもなれそうにない・・・・・なぜなら、ここはテレビ局に作られた世界ではないから。やらせなんかない。お涙頂戴もない・・・・・・ただ、敗者が死すべき現実が再放送で永遠と繰り広げられる現実が広がっている。
ああああ
ああああ
ああああ
(俺は、勝ち組の俳優の後ろで再放送のドラマの舞台を演じる三流役者。そんな奴が主役じゃ観客は一人もいない。おい、てめぇ・・・・・・一流といわれているちやほやされている役者さん達よ・・・・・・あんた達に本当の絶望を演じられるのかい?所詮作り物の悲しみしか演じられない者達よ・・・・お前達も早く、この敗者絶滅収容所に来いよ・・・・・・・・ちやほやされていい気になってんじゃねーーーーーよ。ここならいい演技が出来るぜ・・・・本物の苦しみを表現できる)
ぽん太の思考は混乱する。ああああ、自分は悲劇を演じている主役・・・この演技力・・・・いや、その演技に勝てる奴、月9でも何でももってこいよ・・・・視聴率主義。これほど、視聴率が取れるドラマもねぇーからよ。あああ、主演だからと言ってそこには痛烈な批判がある・・・・どれだけの演技をしたところで、それが生の核心に迫らない限り・・・・・。ぽん太は、それでも生の核心付近をうろうろしていることで主演男優賞は取れるかもしれない・・・・・。そんなもんだ、核心をうろうろするだけで皆に誉められる・・・・誰も、本当の絶望なんて見たかない、そして見れやしない・・・・見る前に死に逃げるから。
工場には、機械を動かすための以外の電気は流れていなかった。機械の前には、小さな蝋燭が立てられていた。電灯は一つもない。そのそよ風揺らめく火を頼りに、ペルシャ絨毯を編むような細かく、繊細な仕事。月の軍人ウサギは、鎧の代わりに非常に網目の細かい鎖帷子を軍服の下に着るらしかった。全身に着て、太陽の犬の噛み付きをこの鎖帷子でかわす・・・・・弱きウサギ達の姿がぽん太の目の裏側に浮んだ。
ぽん太達、敗者達は、蝋燭の火だけを頼りに暗闇の中で鎖帷子を編んでいた。作業は鉄で出来た経糸と横糸を絡ませていく単純なものなのだが・・・・小さな火を頼りに編むと所々経糸が絡むところに横糸が二重に絡んでしまったりする。その蝋燭・・・・・・。後から知ったことだが、死んだ敗者の死体を溶かして抽出した脂肪・・・・油を固めて作られたものだそうだった。敗者の怨念なのか、蝋燭の火はよく揺れた。手元を狂わす・・・・。ぽん太は、与えられた作業マニュアルを何度も死人の温もりを自分の温もりに変えてしまうほどに蝋燭の火の下で読み、ぎこちなく仕事に取り掛かった。
ぽん太は、作業マニュアルを鎖帷子織り機の脇において、何度も参照しながら、とにかく鎖帷子を織り続けた。ただただ経糸と横糸を絡ませていく。全ての一秒で同じことを繰り返す。心臓が鼓動するのと何ら変わらない・・・同じ動きの繰り返し。繰り返し・・・それが生きているということなのだろうか。ただ、ぽん太は織り続ける、些細な細かい結び目を気にしながら。失敗は許されない。結び目を間違えれば、工場の作業監視員ウサギに木刀で殴られる。ミスは許されない。でも、その失敗を恐れる重圧で繰り返しの一瞬、一瞬に緊張し、指先が震え、結局ミスする。ぽん太は、何度も木刀で殴られた。鎖帷子織り機前で何度も地面に這いつくばる。間違えることへの恐怖心がぽん太の意識の中で膨れ上がる。間違え続ければ、それは死を意味する。うまくやれるように震えながら、仕事をするけど・・・・この強制労働の中のどこを覗き見ても、どこにも成功などは見当たらない。ただ、同じ行動の繰り返しを、死ぬまで続けるだけ。ぽん太の耳に届くのは、ガチャン・ガチャンと針金を編む無常な機械音だけが響いて、自分の息遣いすら聞こえてはこない。




