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「たんぽぽがいなくなってから・・・・」
その後の言葉が続かない。ぽん太は、形になりきらない不恰好な感情に合う言葉を、葛藤しながら心の中で探している。大久保公は、相変わらず何も言わない。目をつぶったまま、ぽん太の言葉に耳を貸しているだけ。和室の雰囲気は、大久保公の放つオーラで厳しさに溢れピリピリしている。
「たんぽぽを愛すようになったんです。幸せで守られていた日々に気づき・・・・そんな思い出を愛すようになった。全てを失ってから・・・・あの頃、手にしていたものの暖かさに気づいた。でも、それは、もう二度と手に入らないものだから・・・・より愛しくなった。後悔しか残らないんですね・・・こういうのって」
自分の語ろうとしている過去が本物なのか、嘘なのか・・・・もう今となってはわからない。時が経ちすぎてしまった。過去は、無意識の内に自分に都合のいいように記憶の中で作り変えられている。客観的になりきれない、主成分が主観でできた過去の記憶にたまに頭痛がする。自分が過去に感じたことでも、本物か嘘かわからない・・・・思い出に風邪の諸症状が出る。ぽん太は、何度も鼻をすする。
何もない空っぽの自分。愛って何だろう?野球も愛していたさ・・・・・。でも、たんぽぽをそれ以上に愛していた自分を今更ながらにして思い知る。野球も好きだった・・・・でも、それ以上に、たんぽぽが好きだった・・・・。疲れた想像力が暴れ出しそうになる。お芋は、カウンセリングの小休止を促すように、芋麹全量の芋焼酎を差し出してくれた。年に一回、冬にしか出ない焼酎。ぽん太は、その焼酎をストレートで飲み干す。ぶっ飛んだ。畳の上で酔いつぶれて・・・・・誰に伝えるでもない、自分の心に絡むようにして語る言葉が自然と出る。絡み酒・・・・・。
「後悔の石を幾ら積み上げても、風の強い三途の川の側では、すぐに崩れ落ちてしまうんです、積み上げた後悔の塔は・・・。そして、また一から後悔を積み上げる。三途の川を渡れたらどれだけ楽かと・・・・何度、座り込んだまま思ったかしれません。でも、三途の川は渡れなかった・・・・心の中で、あの日、でっちあげた夢があったから。嘘でも・・・・僕の心の中に、夢が残っていた・・・」
ぽん太は、そこまで語って畳みの上に、倒れこんだまま眠ってしまった。
「もし・・・そのでっちあげた夢を叶えれば・・・たんぽぽが戻って来てくれるような気がしてました・・・・」
酔いどれぽん太の口から出た寝言は、ぽん太の気持ちに絡み、くだを巻いて、手に負えなくなっていた。
「勘弁してくれよ・・・・俺。戻ってくる訳ないじゃん・・・・馬鹿だな」
絡んできた言葉をぽん太は、目をつぶったまま払いのける。そこまで語るとぽん太は、もう寝言を言わなくなり、大きないびきをかいて、完全に深い眠りへと落ちていった。
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朝晩に出される食事の量が激減してきたことにぽん太以外の敗者三人が気づいた。
「お芋さん、なぜこんなに食事の量が少ないのですか?今年は、秋の収穫も多かった筈だ」
「これじゃ・・・・飢えて死んでしまいます」
「何のために・・・・あんなに汗を流して、畑仕事をしたと思っているんですか?」
朝食時に、焼き芋が一本ずつしか食卓に並べられなかったことでお芋に詰め寄る敗者達。お芋は、申し訳なさそうにうなだれていた。
「すいません・・・・でも、仕方がないのです」
「何が仕方がないのですか?ちゃんと説明して頂かないとこっちは、納得できませんよ」
自分と向き合わない敗者ほど、相手に向かってはよく吠える。お芋は、苦しげに仕方ない理由を説明した。
「月の政府からの敗者への援助が打ち切られたのです。だから自給自足で生きていくしかないのです」
「どういうことですか?」
「つまり、この星の敗者達は・・・・見捨てられたのです。今、月の首都近郊では敗者狩りが大々的に行われています。敗者絶滅収容所へ連れて行かれ、死ぬまで働かされる運命を・・・敗者達は背負うことになったのです。まだ、ここは田舎なので敗者狩りの対象区域にはなっていませんが、都市部が終れば、ここまでその手は伸びるでしょう」
「はっ?」
三人の敗者は、お芋に掴みかかって叫んだ。「なぜ、そんな重大なことを黙っていたんだ」
お芋は、胸倉を捕まれたまま罵声を浴びせられても何も言わなかった。こういう敗者には何を言っても無駄なことはよくわかっている。急に焦り出した三人の敗者は、必死に口笛を吹こうと口をすぼめ、肺から音のない息を吐き出し始めた。額には、どろっとした油汗が浮かび上がる。
「駄目だ、口笛なんて・・・・今からじゃ吹けやしない。敗者狩りから身を隠さねばならない・・・ここにいたら捕まる」
敗者の一人が、台所に走り、包丁を掴んだ。そして、お芋に刃物をちらつかせ、「恨まないでくれよ、生きていくためには仕方がないんだ」と興奮しながら話、物置にある食料を抱え込んで、屋敷から逃げていった。他の敗者達もそれに続く・・・・「ここにある食べ物は俺達が育てたんだ。俺達が持って行っても・・・誰にも文句は言わせない」
お芋は、物置小屋を物色する敗者達の姿を何も言わずに寂しい目で見つめていた。やはり敗者は、醜い・・・・・。この醜い生物を駆除しようとする・・・・月の政府は正しいのかもしれないとお芋は、思った。敗者に成り下った自分の父親の醜かった狂乱ぶりを思い出した。敗者が、食料抱えて逃げていく。一体、敗者はどこに行くのだろう?行くところなどどこにもない筈なのに。
お芋が、逃げていく敗者達の後姿を、門の脇で見つめていた時に、寝癖をたてたぽん太が起きてきた。二日酔いが若干頭の芯に残っている。
「おはようございます、お芋さん。どうしたんですか?悲しい顔して立ち呆けて・・・・」
お芋は、ぽん太の寝ぼけ顔を見た。とぼけた表情に見え隠れする深みがある。一味違う敗者に向かって、お芋は、食料抱えて逃げ出した敗者について語った。ぽん太は、口を大きく開けて、あくびをしながら、お芋に言う。
「逃げたい奴等は、逃げればいい。食料でも何でももって。逃げれば逃げるほど、深みにはまって、自分の首を絞めるだけ。今までの僕がそうでしたから。逃げたところで・・・・もう何も変わりはしません。動き出した歴史からは誰一人として逃げることなどできません。食料が少なくなったのなら、先生とお芋さんで食べてください。最近、僕体調悪くて、食欲ないですから・・・・とにかく僕は、狩られないように、一刻も早く口笛を吹けるように頑張らねばです」
ぽん太は、口をすぼめた。息を吐き出す・・・・・音が出そうで出ない。
「ああ、まだ駄目か・・・・時間がないのに」と、ぽん太は頭を掻きながら、少し苛立ちながら大久保公が待つ部屋へと足を進ませて行った。逃げ出さない敗者の後姿をお芋は、嬉しそうに見つめた。
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ぽん太は、静かに正座をして、大久保公の顔を見つめた。彫りの深い顔立ちが、目をつぶり・・・ぴくりとも動かずにいる。巨大な墓石のようにどっしりとその存在感がぽん太の前に座っている。
「もう二度と・・・・たんぽぽに会うことはないと思っていました。それは、わかっていた」
ぽん太は、昔の自分を思い出す。
「風の噂になりたかった・・・・・」
ぽん太は、正座した太ももの上にのせた両手の拳を握り締めた。
「もう会えないのはわかっていた。でも、あれだけ傷つけたのに、それでも最後の最後まで僕のことを愛してくれた・・・・あの人に・・・・・届けたかった。僕は、復活し・・・・でっちあげた夢を叶えたと・・・風の噂になってあの人の下へ知らせたかった。だから、時が経てば経つほど、愛しくも苦しい思い出に急かされて、僕は小説を書き始めたんです。僕は、真っ白な原稿用紙に、たんぽぽに届くようにと物語を書き始めました。でも、どれだけ書いてもその物語には終わりがなかった。どこまで書いても、いくら書いても終らない・・・果てのない物語が僕の中にあって、最後の結末は永遠に来ないように思えた。結末のない物語は、物語じゃない・・・・。そして、僕は無力な自分に絶望し、227078文字書いたところで書くことを諦めた。そして、その日・・・・トロが喋ったんです」
ぽん太は、あの西暦二千年三月二日の夜を思い出す。トロに殴られ続けたあの日は、もう前世のように遠い過去のことのように思えた。少しうつむいて、ぽん太は言葉を探した。情けなさ漬けにされた漬物のような当時のしょっぱい自分に向かってぽん太は、小声で言った。
「原稿用紙にして、約五百七十枚です・・・・。僕の絶望なんて・・・原稿用紙五百七十枚程度だったんです。野球を辞めた理由と同じ・・・・あの時と同じで・・・・かすり傷です。そのかすり傷に、僕は大袈裟に痛がる。わかってるんです・・・・わかってはいるんです・・・・・」
ぽん太は悔いて、しょっぱい過去の自分を奥歯で噛み締める。
「僕が、敗者から復活するためにやるべきことは・・・・・口笛を吹くことなんかじゃなくて・・・・あの終らない物語を書き切ること。そして、でっちあげた夢を叶えること・・・・・」
心の一番奥底に隠していた・・・無視し続けてきた真実をぽん太は、口にした。
「そう、僕は・・・・・あの物語を書ききらなければならない・・・・・」
大久保公は、ぽん太を厳しい視線の中に優しさを持って見つめた。髭を三度、右手で撫でつけた後、煙草に火を点けた。そして一口、煙を吸い込んで、吐き出すとともに静かにこう言った。
「それだけですか?」
ぽん太は、その問いかけに静かに肯いた。
「そのようにすればいいのではないでしょうか」
大久保公は、それだけ言うと立ち上がり、部屋を出て行った。ぽん太は、語りに語り続け、自分の一番触りたくない感情と向き合った。心も体も疲れきっていたが・・・・・触ってしまった感情の生生しさに、呆然として、神経は高ぶってしまっていた。
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ぽん太がカウンセリングを受けている間に、お芋は、敗者に奪われた食料の補完をすべく月の首都へ向かっていた。裏山にある厩から痩せた馬を一頭引きずり出し、馬車を引かせ、首都へ急いだ。もし何かがあった時に金を借りる先を大久保公から仰せつかっている。そして、金を借りるための手紙も大久保公からは預かっていた。
「早く・・・早く・・・・・」
お芋は、痩せこけた馬に鞭を打つ。痩せこけた馬の経歴は、競馬で負け続け、処分される寸前のところを、大久保公が貰い受けた。全く早く走らない負け馬に、お芋は、鞭を何度も打ち続ける。馬は、喘ぎながら、なんとか前に走っていく。
「冬が来る前になんとか集められるだけの食料を確保しておかないと・・・・」
お芋は、駄馬を焦らせる。苦しげに高速道路を走り続ける負け馬。
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ぽん太は、長屋の壁に寄り掛かりながら、書きかけだった物語のストーリーを思い出そうとする。
「思い出せない・・・・・」
ぽん太は、頭を何度か強く左右に振りながら、記憶を呼び起こそうとする。ぽん太は、かすれている記憶傷の間の血の色を注意深く見つめようとする。何を書いたんだ・・・自分は?
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「時間がない・・・・田舎での敗者狩りが始る前に、ぽん太さんにしっかりと食べさせて、敗者から復活するための体力をつけてもらわないと・・・・」
お芋は、車の来ない寂しい高速道路を行く。握り締めた手綱には、汗がべっとりと粘りつく。冷たく強い風がお芋の顔を押しつぶすように正面から吹いていくる。向かい風に負け馬は口を大きく開けて、息を乱す。お芋は、浴衣の袖から数少ない食料であるニンジンを取り出し、駄馬の上へと乗っかった。そして、馬の首にしがみつき、鼻面にニンジンを下げた。負け馬が目の前の餌に興奮する。心なしか足の回転が速まる。
「頑張れ、頑張れ。首都についたら、このニンジン食べさせてあげるから・・・」
お芋は、馬の首にしがみつきながら、たてがみを優しく撫でてやる。
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「ウサギが出てきたっけ・・・?」
思い出そうとすれば、昔読んだお伽話ばかりが頭をよぎる。
「月で、ウサギにリンチされるタヌキの話だったっけ・・・・?」
ぽん太は、頭を抱える、「そんな物語じゃなかっただろう・・・・・・?」
想像力が混乱してきている。月に来るまでの間に、あまりにも多くの幻想を見過ぎた。
「ビニールハウスで、たんぽぽを食い散らかして、罠にはまった・・・・タヌキが泣いる・・・」
ぽん太は、小さな空間で混乱する自分を抱えきれずに、長屋の部屋から出た。静けさだけが辺りを包んでいた。田舎の青臭さが辺りを包んでいる。ぽん太は、空を見上げる。空は広くて・・・果てが見えなかった。そんな大空の下にぽん太は、立っている。でっかい空の下、ぽん太の存在はあまりにも小さかった。
「思い出せば思い出すほど・・・今の自分とリンクする・・・・この想像上の訳の分からない物語に・・・・・終わりなんてあるのかよ」
ぽん太は、口をすぼめて、口笛を吹いてみる。音のない吐息は、大きな空に一瞬で吸い込まれた。
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首都に辿り着いたお芋は、恐れのあまり震えながら吐き気を催した。胃液が、喉まで逆流してきたのがわかる。地獄絵図が、そこにはあった。湖の多い月の首都・・・・その湖に、数え切れないほどの敗者の死体が浮いている。原爆か、空襲でもあったかのよう・・・・。街は、あちこち破壊されている。美しかった街並みやビジネス街は、暴動を受けた後のようにガラスの破片が飛び散り、砕けたコンクリートが散乱していた。敗者狩りに抵抗した敗者達の暴動なのだろうか・・・・・。街のあちこちに銃弾が落ちている。まるで内戦中の紛争地域のようだった。真っ赤な血が、街中にこびりついていた。
「時代は、ここまで切羽詰っていたのか・・・・・」
お芋は、幼すぎて記憶のない・・・・幕末という時代を思い浮かべた。
「この残酷な現実を乗り切ったのが・・・・一蔵先生・・・・?」
お芋は、辺りを注意深く見渡す。武装したウサギ達が、敗者狩りを行っている光景が見えた。
「おら、口笛吹けや!」
軍服を着たウサギが五人、ひ弱そうな土星人に銃口を突きつけて叫ぶ。首根っこを軍人ウサギは、握り締め、脅す。土星人は、震えて涙を流しながら・・・口をすぼめて息を吐き出した。音は響かない。
「敗者だ。収容所へ送り込め」
班長のようなウサギが、他の隊員に命令を出す。敗者は、縄で縛り上げられ、トラックに積み込まれた。トラックの荷台には、溢れんばかりの敗者が積まれていた。お芋は、ウサギの姿を注意深く観察した・・・・・あの長かった耳が少し短くなっている。
「とにかく・・・・食料だけは調達しなければ・・・・」
お芋は、一度軽く口笛を吹いてみた。ちゃんと上唇と下唇の間から音楽はなる。口笛が吹ければ、狩られることもない。お芋は、廃墟と化した古めのビルの影に、馬を繋いだ。大久保公の手紙を、しっかりと握り締め、金の都合をするために首都のビジネス街へと小さな体で走っていく。
月の狂気が膨らんでいくのをお芋は、肌にビリビリと感じた。強烈な紫外線が一瞬で皮膚を焦がしてしまいそうなほど、狂気は熱さと鋭さを増していた。もう手に負えないレベルにまで狂気は膨張し始めている。張り詰めた風船が、いつ破裂してもおかしくない。
お芋は、ビジネス街に辿り着いた。物々しい雰囲気が辺りを覆う。どの高層ビルも軍隊のような警備員を配置し、敗者の暴動に備えていた。警備員は、皆、マシンガンを装備していた。お芋は、震えながら、高層ビルの合間をビル風に吹きつけられながら走った。走るお芋は、何度も呼び止められ、口笛が吹けるかどうかを、各ビルの警備員にチェックされた。お芋は、震え上がりながら・・・・小さく恐怖に満ちた口笛を吹いた。足が震える・・・。それでも、自分は行かなきゃいけない。お芋は、自分自身の背負った使命を何度も何度も頭の中で繰り返し確認する。八十階建ての高層ビルのエントランスまで、お芋は、やって来た。地球の不動産と文化財に目をつける月のヘッジファンドが六十八階に入居している。お芋は、大久保公の手紙の内容を知っていた。
『地球という星の中でも最も地価の高い日本という国、青山という一等地の一区画を御社にお譲りする。また、地球という星の中でも、最も金を持った人間達が集まった日本という国で、歴史的価値のある文化財もお譲りしましょう。その代わりに金を都合して頂きたい。これらの財産の譲渡に関する最低オファープライスは、私の弟子、お芋に伝えてある 大久保 利通』
お芋は、エントランス前にいる警備員にその手紙の内容を伝え、ビルの中に入れてもらおうとした。しかし、警備員達のお芋を見る目がおかしい。警備員達は、その場で大久保利通という名を、月の政府から渡された人名名簿で調べた。職業:敗者カウンセラーと書かれている。
「口笛吹いてみろ」と、一人のゴリラみたいな顔したウサギがお芋に命令する。お芋は、口笛を吹いた。
「ふん、口笛は吹けるようだな。だが、残念だな。敗者狩りは、敗者だけでなくそのカウンセラーも捕まえるようにお上からお達しが出てるんだ。」
お芋は、それを聞いた瞬間、一気に生きている心地がしなくなった。ウサギ警備員達は、残酷な笑いを浮かべた。そして、リーダー格に思える雄ウサギが、「そこのチビ地球人、ひっ捕らえろ。そして、軍隊に引き渡してやれ!」と叫んだ。お芋は、一目散に逃げ出した。敗者カウンセラーの使いも捕まる・・・・そして、敗者絶滅収容所にぶち込まれる。張り詰めた空気の中で、お芋は走った。お芋を追いかけてくる警備員達が、プラスチック製の笛をビジネス街に響かせた。敗者狩りの合図。高層ビルの隙間隙間に配置された警備員や軍隊が一斉にお芋目掛けて走ってくる。お芋は、大久保公とぽん太のことを思った。伝えなければ、もうこの星の狂気は、口笛が吹けようが吹けまいが関係ないレベルに達してきている。過去に一度でも敗者というレッテルを貼られてものは、全て収容所にぶち込まれる。そして、過去に一度でも敗者と関わったことのあるものも同じ・・・・・そして、月面の敗者の履歴はあの警備員達が閲覧していた電話帳四冊分ほどに分厚い名簿に記載されている。
「先生ぇーーーーーーー。ぽん太さぁぁぁぁん。逃げてください。もう都市部の敗者狩りは終っています。次は田舎でぇぇぇす」
お芋は、小さな体で必死に田舎の方角に向かって叫ぶ。でも、お芋の叫びは田舎まで届く訳もない。お芋は、あっという間に囲まれた。お芋は、瞬き一つできずに固まる。見開いた目から一筋涙が流れた。軍服を着たウサギが、「狩れ」と他のウサギ達に言った。その号令を合図に、お芋へのリンチが始る。小さな体に蹴りがめり込む。つま先が内臓に達する。お芋は、真っ赤な血を口から吐き出す。その血に胃液が絡む。お芋は、四方から絶え間なく蹴り上げられ、全身に紫色の斑点を浮き上がらせ力なく倒れた。お芋が白目を向いて気絶して、地面に転がったところを月の軍隊は担ぎ上げ、敗者絶滅収容所行きのトラックに積み込んだ。トラックは、敗者でぎゅうぎゅう詰めで、下の方に詰まれた敗者は、自分の上にどんどんと積まれていく敗者の重みに圧死していた。
「これで、いっぱいか?」
お芋を積み上げたゴリラ似のウサギが運転手に問いかける。運転手は肯いた。ゴリラウサギは、名残押しそうにトラックの淵を撫でた。
「じゃ、これで、出発だな。俺達が狩った敗者が、また月の裏側にある敗者絶滅収容所に行く訳だ。これが首都からの最終便かな?ではでは、さいならー」
ゴリラウサギは、トラックの運転手に目配せをして、積み上げられた敗者に手を振った。月の首都のビジネス街から収容所への終電が出ていく。敗者を乗せたラッシュは終わりを向かえていた。トラックのギアが一速に入る。そして、二速、三速、四速とスピードを上げていく。トラックが月の首都を抜ける直前に破壊された古びたビルの合間で、馬がリンチされ、舌を口から垂らしながら死んでいた。奥歯と歯茎の間に、にんじんの食べカスが残っていた。この街では、もう敗者は生きられない・・・・・。そして、敗者をかばう者も生きられない。月の首都にいる誰もが敗者の存在を忘れ始める・・・・・。
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ぽん太は、日が暮れるまで空を眺めていた。邸内の木々や花々の間で虫がざわつくのを感じたが、そこに何の意味も見出さなかった。夜が来る直前・・・光が消えていく移ろいがなぜだか切なかった。秋の終わりと冬の始まりが混ざり合って、微妙で曖昧な色をなす。邸内の虫は、皆、鳴いていた。
ぽん太は、辺りに闇が広がったのを確認してから、力なく自分に向かって呟いた。
「早く口笛を吹けるようにならないと・・・・俺は、終ってしまう。物語を思い出さなきゃ」
ぽん太は、そう自分に言い聞かせて、口をすぼめ口笛を吹く練習をしながら、何気なく長屋の端の部屋へと足を運んだ。あのセナとかいう男が血で書いた抽象画を見に行く。
戸を開け、不気味な雰囲気が充満する闇の中で、ぽん太は血で描かれた一本一本の線の集合体である絵を見た。ぽん太は、なんとなくこの絵の作者は、苦しみの物語を血で描こうとしたんではないかと思った。そして、そこに終わりがないことに気づき・・・・・自殺した。暗闇に浮ぶ赤黒い線の一本一本を目を細めてみるとそんな気がした。
「終わりのない物語・・・・・・か・・・・」と、ぽん太は闇に浮き上がりそうな真っ白で虚ろな表情を少し歪ませ、血染めの壁画に向かって呟いた。
その時だった・・・・・。
辺りから一斉に鶏が絶叫するような叫び声が聞こえた。山という山からその叫びは聞こえる。ぽん太は、長屋から飛び出した。辺り一体の山という山に火が放たれている。再起不能と言われた敗者がほそぼそと暮らす山奥から敗者をあぶり出そうとする火が広がっていく。敗者に混じって、鳥や小動物や虫やなんか・・・あらゆる存在が山から降りてくる。
「・・・・・これが、トロが言っていた・・・・敗者狩りか?」
ぽん太は、絶句する。あまりに残酷な景色が目の前に広がり、その瞳に映る現実を旨く把握できないままに唾を飲み込もうとするが、喉が塞がって、ぽん太は恐怖心は飲み込めなかった。
炎は、貪欲に山を飲み込み、灰とすすの糞を出していく。逃げ出す再起不能な敗者達が山を降り、次々と殴られている音が、屋敷の外から聞こえる。叫ぶ声がした。
「おらぁーーー、どんどんとっ掴まえろ、敗者という敗者を収容所へ送り込め。掴まえきれないものは、すべて燃やしてしまえ。灰にしろ。灰にして、この大地の養分としろ。こいつらに生きる価値なんてないんだ。肥溜めウンコの方がどれほどありがたいか!」
敗者狩りをする月の軍人達の叫び声が聞こえた。ぽん太は、立ちすくんだまま動けなかった。月の軍隊は、ぽん太が生活する「敗者生活区域=第8083-4649区」の隅から隅まで燃やし尽くそうとする。邸内に、火のついたたいまつが次から次へと投げ込まれた。
母屋が、燃え始めた。ぽん太は、とっさに大久保公の下へと駆けつけなければならないという衝動に駆られ、近くにあった井戸から水を汲み、全身にぶっかけ、燃え始めた母屋に向かって走っていった。
「大久保公ぉぉぉぉぉぉぉぉ!一蔵先生ぇぇぇぇぇぇぇ!」
ぽん太は、喉が焼き切れそうになるほど、摩擦のある叫びを腹の奥から火を噴くようにして吐き出した。ぽん太が、母屋に駆け寄った時・・・・・大久保公は、縁側に立っていた。そして、遠い目で四方を焼き尽くす炎の揺らめきを見つめていた。炎を見つめる大きな瞳には、少しの悲しみと覚悟が浮んでいた。動き出した歴史を見つめる大久保公の立ち姿に、ぽん太は思わず見とれてしまった。その姿は燃え盛る炎の中でも、涼しげで、美しかった。まるで、歴史の流れの中で全てが燃やし尽くされて、灰になったとしても・・・・そこに永遠に存在する澄んだ湧き水のように・・・・美しかった。
大久保公は、炎に向かって語りかける。
「歴史よ・・・・・。また・・・・お前は、全てを焼き尽くし、灰にしてしまおうというのか・・・・?歴史よ、なぜそこまで命を欲する・・・・血を求める・・・・・そんなに腹が空いているのか?」
大久保公は、燃え盛る炎を全く恐れてはいない。眉毛すら動かさない。微動だにしない。幕末という地獄の業火を潜り抜けてきた男の姿・・・・・・日本史における最後の侍の姿を・・・・ぽん太は、その目に焼き付けた。門が、破り開けられた。月の軍隊が邸内に流れ込んで来る。百を越えるウサギが完全武装で、大久保公とぽん太に銃口を突きつける。ぽん太は、ウサギが銃を持っている姿を見て・・・・自分の書いた物語を一瞬だけ思い出した気がした。
「生け捕れぇぇぇぇぇ!」
濃い髭を生やしたウサギが叫んだ。一斉に、ウサギが大久保公とぽん太に向かって押し寄せてくる。
「口笛を吹けるかどうかは、確認しなくてもいい!そんなもんで、敗者かどうかがわかるなんて、昔の迷信。データベースから引っ張り出したこの敗者履歴に載っているものを全て捕らえよというお上からのお達しだぁぁぁぁ」
大久保公とぽん太は、有無すら言わされずに、一気に押さえ込まれ、縄で縛り上げられた。そして、屋敷の外に待機していた軍用の輸送車に積まれた。炎は、更に勢いを増して辺りを燃えつくしていた。田舎道に、重たい軍用ブーツの音があちこちで響き渡る。
「そっちの髭面は、カウンセラーだ。こっちに乗せろ。負け地求人は、ギリギリそっちに積めるだろ?」
ぽん太と大久保公は、別々の車に積まれる。ぽん太の積まれた車には、山から降りてきた敗者達が・・・・それこそ山と積まれていた。ぽん太は、その山の一角にねじ込まれる。生きた肉が重なりあい、皆、苦しみのあまりにもぞもぞと体を動かす。汗が散る。筋肉が蛇のようにぬるぬると輸送車の中で動き、絡まりあう。生臭い喘ぎ声とため息がぽん太の顔に掛かる。糞や尿を垂らしている敗者もいる。積み上げられ腹を圧迫されているために、肛門から体内のガスを出す音が、そこここで臭いながら聞こえる。無理矢理詰め込まれたぽん太の体は、肉と肉に圧迫されるあまり、肋骨が折れそうになる。ぽん太は苦しげな痛みの嗚咽を口から零した。肉という肉の穴という穴から痛みが押し出されている・・・・痛みが充満する車内。自分の痛みだけでなく、人の痛みも耳につく。頭蓋骨を万力で粉々に挟み潰される感覚がぽん太の神経に熱を持って伝わる。山が燃えているから・・・・誰もが熱さのあまり汗をかいている。それは、まるで涙のような汗だった。
「よし、敗者生活区域=第8083-4649区の狩りは、これで大体終わりだ。もしかしたらまだ敗者どもがどこかで隠れて生き延びているかもしれない。ここにウサポン隊が百人残れ。そして、後片付けをしろ。いいな・・・・」
濃い髭を生やしたウサギが指示を出す。そして、その髭ウサギは、各輸送車に向かって手を振った。出発の合図だった。二百台程、この田舎に雪崩れ込んできていた軍用車は、皆、ギアを一速に入れた。そして、アクセルを踏み込みとクラッチをつなぎ、一気にエンジンの回転をシャーシを通しタイヤへと伝えた。走り出した後、素早く各運転手は二速に入れ、そして三速、四速と入れていった。ギアが上がっていく度に、敗者を積んだトラックは残酷な悲劇に向かって加速していった。




