表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/45

 語るということ。心の奥底に隠しておいた秘密を誰かに伝え、そして自分に知らしめる・・・・・もう隠せないその事実と闘わなければいけないということを。もうその真実を無視することはできなくなる。そして、語ってしまったのなら、逃げられない・・・・解き放ってしまった秘密から。

 敗者がうだうだしている間にも歴史は動いていく。月面に存在する全ての敗者を飲み込もうとする歴史の大津波は、深海奥にある現実と幻想の岩盤のズレからいつマグニチュード100クラスの激震を起こしてもおかしくない状況がある。

 ぽん太は、形になりきれなかった心の奥に隠しておいた気持ちを一つ一つ・・・迷いながら、悩みながら、苦しみながら・・・言葉にして大久保公に伝え始めた。でも、それは大久保公に語りかけているというよりは、自分に語りかけているようなものだった。なぜなら大久保公は、ぽん太が語りかける言葉に、うんともすんとも反応を示さない。ただ、目を閉じ、ぽん太の言葉に耳を貸しているだけだった。ぽん太は、自分にわかり易く自分の過去を説明する。

 「野球を辞めた時は、確かに苦しかった。いや・・・違う。辞めたことが苦しかったんじゃないな・・・・もっと、こう、あれは違う感情だ・・・・った筈・・・」

 ぽん太は、心の底の闇の中に隠していた感情を手さぐりで探そうとする。

 「恥を掻いたことが苦しかったんだ・・・・。大好きだった野球を辞めたことよりも・・・・うん、確かに野球を辞めたこともつらかったけど・・・・なんというか、惨めな自分を皆に見られたことでどうしようもなくなってしまったんだ。しかも、僕が唯一・・・夢中になれたもので・・・・」

 ぽん太は、微かに震えながら、額に油汗を浮かべ、瞬きもうまくできないままに・・・畳の上で正座しながら語る。そして、体力が尽きるまでぽん太は、自分が今までの人生で感じてきた感情を一つ一つ丁寧に・・・その実体を探りながら・・・・体力が尽きる深夜まで語った。ぽん太は、お芋に毎晩担がれては、長屋に帰り、眠った。眠る前に布団の中で、何度か口笛を吹いてみる。でも、深い闇の中で音楽は生まれない。ぽん太は、あの頃から変わり果ててしまった自分を疲れた心で実感しながら、意識を消すようにして眠り落ちる。


 邸内の他の敗者は、動き出した歴史を感じる術がなかった。トロが手紙をくれる訳でもなく、かといってお芋や大久保公と積極的なコミュニケーションを図ろうとせずに自分の世界に閉じこもっているので、外で何が行われているのかがわからなかった。そして、お芋もあえて、敗者達を動揺させるようなことは言わなかった。邸内で、ぽん太のみがもがいていた。


 「たんぽぽが、望んだこと・・・・。それは、愛とか優しさとか・・・・・そんなことじゃなかった。僕が、失ってしまった自分を取り戻し・・・・・・もう一度夢を見て、生きていく姿」

ぽん太は、苦そうに唾を飲み込む。

 「・・・・・た・・・た・・・・・た・・・・たん・・・ぽぽは、たった一度の挫折・・・にくじけて、いじける・・・僕を、何度も抱きしめながら、暖めてくれた。今でも・・・・どれだけの時を経ても・・・・思い出せる、その温もり。でも、僕は・・・・夢見ることに、怯え続けた。もう、大人になっていく過程で、無邪気に見た夢に裏切られるのが怖かった。もう二度と苦しんだり、辛い思いをしたりしたくないと・・・・あの頃の僕は・・・いや、今までの僕は、幼い男の子がたった一度転んで、すりむけた傷をいつまでも痛がるようにして・・・・膝を抱えて座り込んで、嘘泣きをしていた。可哀想に思われたかった・・・そして、誰かにこう言って欲しかった・・・んだ。「もう二度と立ち上がらなくていいよ。そのまま座っていなさい。立ち上がれば、また転んでしまうかもしれないでしょう」・・・・そう言われたかった。でも、たんぽぽは、僕を立ち上がらせようとした。僕は・・・・・そんな、たんぽぽを・・・・傷つけた。座り込んだまま刃物を抱えて座り込む・・・・・そんな感じの手に終えない子供だった。終わりなき反抗期・・・・自分をもう一度立ち上がらせ、転ばせて、傷つけて・・・・笑いものに貶めようとする全てに対して・・・・反抗するために、僕は座り込んでいた。でも、そんな座り込んだ僕を相手にする奴等なんていない・・・・・意味がないから。敗者に構っている時間がもったいないから・・・・。たんぽぽは、そんな僕に唯一構ってくれる存在だった・・・・・それも、純粋で一途な愛を持って。」

 ぽん太は、自分で自分の語っていることの意味をわかろうとする。全くわかりきれてないような感覚が心に残る。大久保公は、目を閉じたままぽん太の話を聞いている。冷たい空気が、屋敷の隙間から和室へと流れ込んでくる。その後、ぽん太は、一言も発せなくなった。ただ、油汗を流しながら・・・過去の重圧に押し潰されて、畳の上に突っ伏す。

 「お芋」と、静かに大久保公は、お芋を呼ぶ。お芋は、気配すら感じさせずにどこからともなく和室にやってきて、ぽん太を長屋へと運んでいく。ぽん太は、お芋の肩に手を掛けてなんとか歩いて長屋に戻る。ぽん太は、小さな声でお芋に何度か謝る。

 「すいません。すいません・・・・・・本当に情けない敗者で・・・・・」

 その言葉に、お芋は言葉を返す。

 「敗者とは・・・・難しいものですね。自分の父親を思い出しても・・・・・恨むに恨みきれないところがあって・・・・・。それでも、苦しみから逃げないぽん太さんの姿は・・・・・」

お芋が、そこまで言うとぽん太は、唇をすぼめたまま眠っていた。口笛を眠りながらも吹こうとしているぽん太がそこにいる。ぽん太は、お芋に引きずられている。ここの邸内にいる誰もが気づかないお芋の筋肉の密度。女の子の憧れ、気は優しくて、力持ちとはお芋のこと。お芋は、話の途中で眠ってしまったぽん太の顔をお爺ちゃんが孫に向けるような笑顔で見つめる。

「・・・・・昭和という私が知りえなかった時代に生まれた子供が、ここまで悩みきれて、苦しみきれるのは・・・・幕末生まれの私には、少し頼りなげに見えて、幼い気もするが・・・・それでも生きている鼓動を感じられるだけ・・・・伝わるものはありますよ」

お芋は、眠ってしまったぽん太の頭をなでなでして微笑んだ。その顔は、悩めるひ孫を可愛がるお爺ちゃんのようだった。



 月の理性が、時の流れに飲み込まれていく。田舎までは、まだ届かないその時の大津波は・・・・首都で敗者を飲み込み始める。徐々に広がり始める敗者虐殺・・・・・・。街の影に転がる敗者の死体の数が日々増えていく。死体は、腐っていく。そして臭っていく。死臭で覆われ始めた月面の有様・・・・醜さが広がっていく。月面において、蛆虫の繁殖が盛んになる。蛆虫の大群が、旨そうに街の影に捨て去られた敗者の死体を食う。


 「それでも、立ち上がれなかった僕は・・・・愛と言う名の下に蝿のように僕の周りを飛び回るたんぽぽが・・・・うざったくなった。愛なんて、そんなキレイで清潔なものじゃないってこと・・・・なんとなくあの頃気づいた。僕は、その愛という名の蝿から逃げるようにして・・・・嘘をついた」

 心の皮を、ぽん太は一枚一枚剥いでいく。剥いだ皮膚と肉の間から血が流れる。血を滴らせ、心の皮膚は、はらはらと落ちていく。ぽん太は、過去の自分を眼球の裏側に映し出した。眼球の裏側に本当の気持ちは映らない。ぽん太は、頭を抱えて混乱する。どの気持ちが真実で、どの気持ちが後から作り出した嘘を混ぜた作り話なのか、わからなくなる。思い出が歪んでいく・・・・自分に都合よくひん曲がっていく。嘘が多分に混ざる過去を、大久保公は貸した耳で聞く。口は閉じたまま、一言も発していないのに、ぽん太の心に小さく大久保公の叱責が聞こえた気がした。

 「それは、違うだろう」

 大久保公の無言の言葉は、重みを持ってぽん太の心に響く。その重さを受け止めきれずに、ぽん太は気絶する。気絶しなれた自分を、無意識の中でむかついている。ぽん太は、お芋に担がれて、長屋に戻る。ぽん太は、疲れ果てた意識と無意識の狭間で一瞬だけ気を取り戻す。その瞬間にお芋は枕元に置こうとした水差しを持ったまま、ぽん太に語りかけた。

 「ぽん太さん、少しお水を飲みましょう。脱水症状になりかけてますから・・・」

 お芋は、ぽん太の口に水を流し込んだ。仰向けに寝たままのぽん太の口内は、水で満たされる。しかし、何を思ったのか・・・・ぽん太は、その状態から口笛を吹こうとした・・・それも無意識に。唇の隙間を音色付きの吐息ではなく、水が噴出す。まるで鯨が潮を噴くように。水が、ぽん太の口から噴射され、ぽん太の顔面に雫となって雨のように降る。口笛を吹けない男が、水を噴出しては、自分の皮膚を濡らしていく・・・・その水飛沫は、口から噴出す心の涙の噴水のようですらあった。


 「夢を見るから別れてくれ・・・・・僕は、最後にはそう言いました。もう駄目だった。座り込んだまま腐っていく僕の目には、たんぽぽの愛が蝿の大群に見えていた・・・・・食い尽くされると思った」

 ぽん太は、フルマラソンを走り終えた後のような呼吸の荒々しさとともに、そう語り、青ざめた表情が、一言語るたびに虚ろな紫に変わっていった。大久保公は、生と死の狭間をぶらつくぽん太の意識が語りたがっている言葉に耳を貸し続けた。

 「俺は、小説家になる・・・・・人を感動させる男になるから・・・・・・別れてくれ・・・・そう言いました」

 敗者のついた嘘の内容が、和室に空虚に響いた。全てから逃げ出したくなって語ったでっちあげた夢。なぜ、小説家なのか・・・・口走ったぽん太自身にもわからなかった。

 「でも、その言葉に、たんぽぽは泣いたんです・・・・夢を見る・・・そして、人を感動させる男になると語った・・・僕の苦し紛れの嘘に・・・・」

 ぽん太は、たんぽぽの涙の色を思い出す。それは、あまりに透明だったから、思い出す度に、その時のぽん太の心の色を映し出した。たんぽぽの涙に自分の感情がうつる。

 たんぽぽには、全てがわかっていた。ぽん太の語った言葉は、嘘。それでも、嘘だろうが夢を語ってくれたことが嬉しかった。夢なんて・・・・叶えられなければ全部嘘っぱちなんだから。たんぽぽが涙を流したまま見せた理解のある笑顔がぽん太の脳裏で今も笑っている。理解のある笑顔・・・・・何もかもを見通されていたから・・・・より自分の負けっぷりが重たくなる。

 「ぽん太が、夢をもう一度・・・・もう一度・・・・・もう一度・・・・あの頃みたいに・・・・、そこまでたんぽぽは、言って口を手で押さえました。最後の言葉を言えずにいた・・・・。同じ言葉を繰り返し、鼻をすすりながら、口を押さえる手は震えていた・・・・。最後の言葉を語らないように、たんぽぽは、口を押さえつけていた。でも、その後二人の間に冷たい沈黙が生まれたのを感じ、たんぽぽは、口から手を話し、こう言ったんです。別れよ。ぽん太が、もう一度夢を見れるように。わたしは邪魔だよね。別れる。だから・・・・ぽん太は夢に向かって頑張って・・・・」

 たんぽぽは、ぽん太と過した日々を思い出しながら、言葉を選んで口にした。どんなに信じられないことが多い恋でも・・・・こんな風に別れる日が来ることだけは、どんなに苦しくても信じてこなかった。それでも、始まりがあれば終わりがある・・・・全ての事象は、終わりに向かっていくのだと、たんぽぽは、思春期の心で実感した。永遠を信じたけど・・・・やっぱり永遠なんてなかったんだ・・・・。

 「たんぽぽの心は、キレイでした。でも、僕は汚れていた・・・・。男の本能なんて、そんなものなのかもしれないけど・・・・・別れが成立した瞬間に、男の胸をよぎる感情の汚さを・・・・僕は、今でも直視できずにいる。もう・・・・二度と・・・・この女とセックスをすることは・・・・ないん・・・・・だな・・・・ぁ。やれる・・・女が・・・・・去っていく・・・・もったいな・・・・さ・・・・が・・・・僕の・・・い・・・・しき・・・に広がった・・・んです。性の対象を・・・失う・・・ことへの・・・失望感・・・・別れの間際に・・・・強烈に、僕の脳裏を突き刺したん・・・です。あんな感情を持った自分を僕は、今でも許せずにいる。あまりにたんぽぽの心がキレイだったから、自分の心の汚さに唖然とした。自分を去勢したくなる・・・それは、今でも変わらない。この汚い感覚が、僕の中にあらゆる全ての不純な要素を持ち込み、感情と理性を濁らせる」

 和室で正座するぽん太は、心を雑巾絞りするかのようにして・・・感情を搾り出していく。疲労は隠せない。それでも、汚れた感情の話をし、たんぽぽの裸を思い浮かべた時、股間のいち物は軽く勃起した。なんで・・・こんなに・・・マジメな話をしているのに・・・・・息子よ、お前は不真面目なのだ・・・とぽん太は頭を抱えた。そして、もうこれ以上喋れないと思い、ぽん太はいち物を立たせたまま、和室を出、部屋に戻り・・・・・眠りに落ち、夢精をした。汚い自分に・・・・疲れ果てる。目を覚ました時、ぽん太の耳には、たんぽぽの最後の言葉の余韻が残っていた。苦しくなると、いつもたんぽぽを夢で見る。

 「もう・・・・二度と負けないでね。ぽん太」

 たんぽぽの最後の言葉を、忘れられない。ぽん太は、疲れの抜けない体を引きずりながら、長屋を出た。井戸まで歩いて、汚してしまった浴衣を手洗いする。素っ裸で精子を落とす体が寒さで震える。水は冷たく、手が真っ赤にかじかんだ。

 外の風に冷やされて、凍え死んでしまいそうな自分の存在を抱きしめてくれる人は、もういない・・・とぽん太は、実感する。暖めてくれる人はいない。どれだけ、自分が守られていたのか・・・・別れてから身を切るほどに感じる。座り込んでいた自分を立ち上がらせようとしていたのは、たんぽぽだけだった。たんぽぽがいなくなれば、立ち上がらなくてすむと思った。甘かった。結局、いつかは立ち上がらなければいけない時が来る。それを、きっとたんぽぽはわかっていた・・・・だから、もう二度と転ばないようにと、立ち上がった時の支えになってくれようとしていた・・・・別れた後に気づいた。ぽん太は、たんぽぽがいなくなって初めて、いつまでも子供じゃいられない時の早さに気づき、成長できなければ、社会からぼろ糞にリンチを食らう現実を知らされた。ぽん太は、立ち上がった。そして、転びまくった。かすり傷どころじゃない・・・打撲も、骨折も味わう。もう隣で慰めてくれる人、支えてくれる人はいなかった。時の流れに足をすくわれ、立ち上がっても立ち上がっても転んでしまう。そして、立ち上がれなければ、時の流れが止まって溜まった深い底なし沼みたいなドロドロした場所に堕ちていって溺れる。ぬめって、ドロドロする現実の足場の悪さにぽん太は、困り果てた。

 「失ってから気づく・・・・ってよく言うよな・・・。俺以外にも馬鹿な奴がいっぱいいるってことなんだろうな・・・・」

 ぽん太が洗った浴衣は、水を含んで、そのまま外気の冷たさに凍った。ぽん太は、カチンカチンの氷の浴衣を手にしたまま失った者達に語りかけるようにして呟いた。ぽん太は、秋の終わりに素っ裸で外に立ちすくみ、凍えて死んでしまいそうな自分の存在を鼻で笑った。そして、口笛を吹いてみた。音のない吐息が、冷たい風に凍りついた。



 お芋は、激しく途方に暮れていた。台所の隙間から吹き込んでくる風で冷やされた小さな体に、焦りの熱い汗が額に浮き上がる。台所から食料が消えはじめている・・・・・。あれだけあった秋の収穫は、もう既に底が見え始めている。

 「月の政府からの敗者への配給、食費及び援助金が強制終了されてから・・・・もうどれくらい経つんだ。自給自足でこの邸内にいる皆を食べさせていくのは、限界がある」

 いつからか・・・正確な日時はわからないが、月の政府は、敗者に金を出すことを止めた。それに気づいたのは、実は最近。浅はかな期待で、援助を待ちに待ったが・・・・いつまで経ってもやってこない。今まで有り得なかったことが、片田舎のここにまで起こり始めている。お芋は、再び歴史を感じ始める。大名だった自分の父親が、あらゆる特権と援助を奪われたあの日・・・・明治政府に対して呪いの言葉を叫んでいた・・・・あの日。

 「まだ、何とかなる・・・・。細々と食べていけば、芋は後数週間持つ筈。物置には、まだ味噌や保存食もある・・・・。でも、このままじゃ遅かれ早かれ・・・・餓死する運命」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ