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ぽん太は、もう何も生み出せない自分の右腕を見つめた。夢という夢を見失ってきた右腕・・・・・。冬の夜の暗闇に抱きしめられながら、右腕は震え続ける。痺れる感覚は、もう何年も消えずに居座る。痛みは消えている。でも、神経に根付いた痛みを思い出し続ける癖が消えない。一層、切り落としてしまいたいと思う・・・・・この役に立たない右腕を。
「負けないで・・・・・」と、肘を壊し、野球を辞めたぽん太にたんぽぽは言い続けた。
「もう一度、一緒に夢、見よ。もう負けないよ。側にいて、私がぽん太のこと支えるから。もう二度とぽん太が負けないように、私がぽん太を守るから・・・・。お願い、もう一度、あの頃みたいに夢、追いかけよ」
たんぽぽは腐りきったぽん太を抱きしめた。何度も抱きしめた。でも、たんぽぽの温もりは、ぽん太の心の傷跡を深くえぐっていく・・・・・・。
「お前、それ、自分でどういうことかわかってて言ってんのかよ?負け犬が夢見たところで、その先には残酷な結末しかないってこと。夢って何だよ?夢夢、言うなよ、うるせーから。一体、お前に、俺の何がわかる?」
ぽん太は、自分を抱きしめるたんぽぽをふりほどいて、突き放した。何もかもがうざったかったあの頃・・・・・もう二度と戻れない後悔に彩られた過去の話。
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たんぽぽを失った現実の中で、ぽん太は、二度と辿り着けない過去を追い求めるためにでっちあげた夢を叶えようともがいた。
あの日、たんぽぽと別れるためにでっちあげた夢・・・・。
でも、もがいた果てにあったのは、結末まで辿り着けない原稿用紙の束。そして、でっちあげた夢すら諦めたぽん太は、本当に全てを失った。
ペンを持つぽん太の右手は震え続け、心の中の言葉は枯れ果て、空缶のように空っぽになった想像力は絶望し、何も生み出せない葛藤は自殺しようとした。
「夢、夢・・・・って俺にうざいくらいに訴え続けたあいつと別れるために、適当にでっちあげた夢が・・・・なぜ・・・小説家になるだったんだよ。もっと他にあっただろう、どうでもいい、もっと現実的で楽勝だった夢が・・・・。なんて俺は、馬鹿なんだ。それに、なぜ口から出た嘘を真実に変えようと今でも無駄なことしてんだ。別れてから何年も経つ女についた昔の嘘なんて、もうどーでもいいじゃないか。なのに、なぜこんなに心に引っ掛かる。糞っ・・・・俺は一体何をやってるんだ・・・」
ぽん太は喘いだ。
227078文字書いた原稿用紙を破り続けながら、自分がでっちあげた夢の重たさに喘いだ。それは、昨日の夜の話。
もうたんぽぽはいない。
こんなことを続けたって意味がないのはわかり過ぎる程、わかりきっている。でも、書かずにはいられなかった。ぽん太の焦燥感は、自分自身を傷つけてきた。失った過去を求めることほど、理屈から外れる行為もない。失ってから気づいた大切なものを取り戻そうとしても、それはもう既に失ったもの。二度とは戻らないことなんてムカつく程にわかってる。でも、もう一度だけ「負けないで」とたんぽぽが自分に語りかけてくれるのなら、もう二度と自分に負けないような気がした。そして、負けない自分を彼女に見て欲しかった・・・・。でも、この冬空のどこを探してもたんぽぽなんて咲いてない。ぽん太は、凍えながらたんぽぽが語りかけてくれた言葉を探してる。
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ぽん太は227079文字目を書けずに墓場でうずくまる。もう一文字だってぽん太の心に言葉は生まれてこない。
ぽん太は、自分の右手をもう一度見つめ、自分が敗者であるという現実を再確認した。右手の震えは止まらない。冬の冷たさが、右肘に沁みる・・・・。
『月の話』
むかーし、むかし、月と太陽はとても仲が良かった。大親友だった。太陽は現実の支配者として朝と昼を動かし、月は夢と幻想の支配者として夜の闇を照らし現実に疲れた生命を慰めた。太陽も月もお互いを尊重しあっていた。宇宙全体としても、特に大きな問題もなく平和な時を過ごしていた。銀河系は華やかで穏やかな時間の流れに身を任せていた。太陽は勝者を眩しく照らし、月は敗者や死者を柔らかな月明かりで照らし、寛大な心をで弱き者を包み込んでいた。太陽と月が宇宙空間内の勝者と敗者の間の不均衡のバランスを取りながら、勝者も敗者もお互いの立場をうまく理解しあいながら、爽やかに暮らしていた。
でも、でもね、残念ながら、それはむかーし、むかしのお話。
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月についてのお話を薄味パラっパラの一人前のチャーハンにいれるくらいの塩の量くらい少ししちゃいます。
神秘的な黄金の光で宇宙を照らす月は、引力を支配し、潮の満ち引きを統制する不思議な魔力の持ち主。そんな月はありとあらゆる生物の体内の水分とホルモンのバランスをコントロールし、生命の鼓動を優しく包み込みながら支配する。女性の方は、その体に思いっきり月の神秘を感じながら生きている訳ですよね、生理等等を通して。初潮って言いますもんね・・・・月が支配する波の満ち引きの初めの波を感じることを。潮は満ちては引く訳ですから。怪しげな月明かりに知らず知らずに影響を受けて生きている宇宙人達。そんな月の黄金の光を司り、引力と生命のバランスを抱きしめるのが月の女神。そして、月の女神が持つ力の核は・・・・・・再生。それはそれは、お美しい月の女神は、優しさを夢と幻想に混ぜ込んで、この宇宙に思いやりを投げかけてくれる無償の愛を持つ宇宙一のいい女ならぬ、いい女神。。。。
とある本に月の神秘の根源を物語る一説がある。
『満ちる月は、孕んでゆく豊穣の月、母なる月。
欠けゆく月は衰えゆく月、老成の月。
そして闇の中に呑み込まれた月は、新たな若い月、乙女の月となって再び生まれ変わる・・・・。
この永遠の繰り返しにより、月はいつしか豊穣と再生の女神となっていった(月 MOON青菁社引用)』
満ち欠けを繰り返す月の有様は、再生の象徴。そして、月に住む民族達は再生の女神である月の女神を最も尊き神として崇め奉っている。
月の女神のいい女っぷりったらありゃしない。いや、マジで。だって、現実に疲れた生命達が夜の闇に抱かれて目を閉じた時、そこにあるものっていったら、月の女神が導いてくれる安らかな眠り。そして、生まれる前の胎児だった頃を思い出すような温かな羊水の中に浸された意識は、無意識となりそこで美しき夢を見る・・・・・そう月の女神のお腹の中で。そして深い眠りに浸された後に目覚めた生命は昨日と今日の狭間を乗り越え、新しく生まれ変わる。そう、眠って起きる度に毎日・・・・一度死んでは・・・・また生を得る・・・・月の女神の再生の力の下で。月明かりはあらゆる生命を再生させる作用をこの広い・・・・無限大に思える広大な宇宙に投げかけている。もう十分おわかりだろうと思うけど・・・・遠い昔から月明かりはこの宇宙に奇跡をもたらし続けてきた。
でもね、そんな月の奇跡を司る力に太陽は嫉妬することはなく、眠りの中で一度死んだ意識が生まれ変わって目を覚ます朝には温かく現実に迎え入れた。そうやって皆、意識レベルで何度も死んでは何度も蘇った時代があった・・・・・。でも、それはむかーし、むかしのお話。むかーしって響きが胸をきつく締めるほどにこんなに悲しくて苦しいのはなぜだろう。それは、もう二度とこの手に触れることがないからなのだろうか・・・・。むかーしの後に来たのは、現実と幻想がいがみあい闘う分離し始めた時の流れ。昼と夜が分離し、生と死が分離し始めた。現実と幻想、そして夢の対立は、宇宙に不調和な音楽を奏で始めた。
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太陽と月は、遥か昔から深くわかりあって、信頼しあっていた筈なのに、ほんの些細なことで戦争を起こし、殺し合い、憎しみ合うようになった。宇宙史に今でも深く刻まれる暗記事項・・・・水星問題が全ての始まり。
おっとっととと・・・言い忘れてたけど、太陽の民族はイヌ科の生命体、月の民族はウサギ科の生命体。信じられないけど、昔は犬と兎が仲が良かった時代があったんだね。さてさて話の続きだっけ?
太陽、月、火星、水星、木星、金星、土星、天王星、海王星、冥王星・・・・地球・・・そして無数の星達。宇宙は、様々な個性がいりみだれながらも、平和な秩序を守り、美しく輝き続けていたように見えた・・・・ただ一惑星・・・・宇宙最強の戦闘集団にして、最強に気まぐれで身勝手な猫科の生命達が好き勝手に暮らす水星を除いては。