⑱
プスッ・・・・・プスッ・・・プスッ・・・・。
モンキーのエンジンが止まる。ガス欠・・・・・。ぽん太は、頭を抱える。もう何度目だろう。
モンキーに跨った時は、あんなに威勢が良かったぽん太も何十時間、走っても変わらない風景に頭痛を感じた。この距離を自分の足で歩いていたとしたら・・・・・、そう思うと吐き気が喉元にあがってくる。モンキーのガソリンメーターは、ぽん太の気持ちと連動しているらしい。ぽん太が、弱気に鳴り始めると、一気に燃費が悪くなり、その小さなタンクのガソリン量を減らしていく。ぽん太の心の疑念は、何もかもを弱らせた。
ぽん太は、頭を抱えたままモンキーに寄りかかる。原チャリに乗っても、抜けられないトンネル。本当に、このままこのトンネルの中で一生を過ごすのかと・・・・・ぽん太は、弱気になる。体力も精神力も、死ぬほど歩いていた頃に比べると疲れを知らない。でも、見えない力に支配されている自分に、頭を抱えるしかない。そんな時、ぽん太は、ズボンの中に押し込んだ色紙を取り出し、そこにあるメッセージを読む。すると、少しだけモンキーのガソリンメーターが復活する。
ぽん太は、再びアクセルを全開にして走り出す。。。。。。。
しかし、感覚的に二十分も経つと、すぐに心に疑念が湧く。
「マジかよ・・・・。このトンネル、まだ続くのかよ・・・・。ありえないよ。嘘だろ?もう・・・勘弁してくれよ。鳴り止まない沈黙を切り裂くエンジン音の連続は、もう聞き飽きたよ」
ぽん太が、そう呟くと、モンキーはいきなりエンストを起こす。急ブレーキが掛かる原チャリの上、慣性の法則にしたがって、ぽん太は倒れこんだバイクから吹き飛ばされ、体を地面に叩きつける。ガス欠の次は、エンスト・・・・そして、またガス欠・・・・そんな繰り返しだった。
一速・二速・三速・四速・・・・・そして、ガス欠、エンスト。ぽん太は、百本くらあばら骨を折ったんじゃないかと思うくらい、体に痛みを感じていた。そして、動かなくなったミニバイクの側で、ぽん太は毎回ふてくされたように眠った。そうしなければやっていけなかった。でも、昔と違うところ・・・・それは、眠りに逃げ込むのではなく、自分を回復させるためにぽん太は眠った。眠りから覚めた時、ぽん太は自分の体に少しの力を感じることができた。ほんの少しだけ、再生したような気分になる。そして、寝ぼけた目を擦りながらモンキーのガソリンメーターを見ると、微かにガソリンが入っていることを確認できた。ぽん太は、自分の体と心、そしてミニバイクの調子を確認し、何度でもモンキーに跨り、アクセルを回した。少ないガソリンで走るモンキーは、どこか頼りなく、速度が非常に不安定になったりもしたが、とりあえずは前に進んでいた。それで十分だと思わなければ・・・・どうしようもなかった。
✍
ぽん太の開いた口は、塞がらなくなる。あくびが洩れっぱなし。たまに、眠りながらバイクに乗っていたりもした。そろそろ、いつものぽん太の悲観癖が、ストーカーのように心の中にちらほらと顔を出し始める。ただ、ただ呆然とする・・・・・乃木坂トンネルに。
「先が長過ぎるよ。ざっと数えただけでもガス欠・エンストの回数は四千回をゆうに越えてる。これだけボロボロになっても走り続けるこの原チャも異常。まるで、亡霊バイク・・・・」
自分のバイクを亡霊と呼んだ瞬間に、速度が一気にあがり、そして、最高速度でバイクはエンストを起こした。ぽん太は、勢いをつけて、バイクから投げ出された。激しく体を地面に打ちつけ、血を流す。
「痛ってぇ・・・・・・。ちきしょぅ・・・・。なんで、こんなにボロボロに成り果てるまで走り続けても、このトンネルを抜けられない。モンキーを手にした時に、抱いた希望の浅はかさが頭にくる・・・・。なんで、こんなトンネルが東京都内に存在したんだ。意味が、わからない。なんで、未来が見えないんだ。過去さえも遥かに遠いよ。青山霊園で酔いつぶれていたあの日を、今じゃうまく思いだせない。俺は、時空を超えたところであがいている・・・・。月に行ける・・・・ふざけんな。行きたくもない」
ぽん太は、ふて寝しようとするが、神経が興奮していて眠れない。ぽん太は、死んでも思い出せるほどに見飽きた風景の中、ため息を一つつく。
「月・・・・・。月は、夜空に輝くものだろう。月に行くのに必要なのは、原チャじゃなくて、翼だよ。人類が、昔から欲しがっていたものは、空を自由に飛べる羽なんだ。モンキーじゃない。原チャに乗って、月を目指してるなんて・・・・一体、俺は、どこの詐欺師にはめられたんた。蝋で作られた翼で空を飛ばされている気分。なぜ、この世界にはこんなにも訳のわからないことが溢れているんだ」
ぽん太は、倒れ込んだまま、仰向けでトンネルの天井を見上げながら大声で話続ける。自分の声がいつまでもトンネル内に反響し、消えていかない思いがいつまでも鼓膜に響いていた。
「いい加減、死にたくなる。同じ事の繰り返しには、もうウンザリだよ。繰り返される時間の中で、もがくことが未来ならば、悲劇は永遠に心の中で幕を下ろさないじゃないか・・・・、いや、悲劇ではなく、喜劇か・・・・?とにもかくにも、役者は演じ続けるのか・・・・終りなき台本を。そして、その舞台は、トンネルって訳だな。糞・・・・ここにおいて自らの存在意義を探そうと思っても、それは不可能じゃないか。意味のない存在が、抜けられない檻の中で、悲しき血液の循環に疲れ果てる」
ついに、とち狂ったか、ぽん太は役者を気取りながら、薄い哲学を語ろうとする。そして、次は、科学者ぶろうとする。
「人類が月に辿り着くまでの道のり。それは、果てのない進化の過程だったのだろうか。気の遠くなるような夢物語が、俺の目の前に空洞となって存在している。猿が、月面に辿り着くなど、誰が石器時代に想像しえただろうか・・・・・」
ぽん太は、ガス欠・エンストの回数をもう一度、考え直した。それは、眠れない夜、羊の数を数えるのと同じ感覚だった。やはり、四千回は越えていた。ぽん太の前に終りなき道のりだけが、遥か向こうから笑いかけてくる。虚しい笑い声が、ぽん太の涙腺を刺激する。役者・・・・哲学者・・・・科学者的な見解を一通り述べた後・・・・ぽん太は、悩ましげな二十歳の青年に戻る・・・・。涙を流しながら、自分に言い聞かせる。
「なぜ・・・・・成長・・・・できない・・・・」
ぽん太は、眠れない自分に苛立ちながら、再びモンキーに跨った。ここにいてもしょうがない。何かをやらなければならないんだと自分に言い聞かせる。焼け石に水をかけ続ける感覚だけが、ぽん太の存在全体に広がっていた。
長く・・・・終わりなき・・・・・道のり・・・・
ぽん太は、五千五百回目のガス欠で、バイクを下り、狂いながら、自分の髪の毛を抜きはじめた。頭皮から毛は引きちぎられる。指の隙間の髪の毛が痛々しい。極限のストレス状態だった。実験用のマウスのような気分。ぽん太は、髪の毛を抜くだけでは飽き足らずにトンネルの壁まで歩いていき、頭をコンクリートに何度も叩きつけた。頭蓋骨が砕けていく。割れた額から血が流れ落ちる。目に、真っ赤な血が流れ込み、視界は、真紅の色彩に染まっていった。自殺を図っているのか・・・・。それとも、流れ出す血液の温度を確かめて、自分が生きていることを感じ取ろうとしているのか・・・・それは、ぽん太自身にもわからなかった。トンネルの壁に大量の血液が、流れ落ちる。
「もう勘弁してくれ・・・・」
ぽん太は泣きながら、見えない何かに向かって必死に謝った。涙と血が混ざり合う。血液という油絵の具に、涙を足すと薄い水性絵の具のような体液へと変わる。水性絵の具が、アスファルトに零れ落ちる。ぽん太は、頭を壁に叩きつけるのをやめられなかった。頭蓋骨を割って、中から全てを取り出したい衝動に駆られていた。止血という行為がなぜだか許せずに、ぽん太は血を流し続けた。一体、どれ程の血液が、この無意味な存在の管の中で流れていたのだろう。ぽん太は、血を掌と指に塗りたくり、トンネルの壁に落書きを始めた。ぽん太の生きてきた証拠を無表情にコンクリートに殴り書きする。ぽん太は、自分史の年表を、狂うように血と涙で書き続けた。静脈から溢れ出す黒く染まった血液が、体内から抜けていく度に存在が浄化されていくような気分になる。血液を失っていく体は、急速に体力を失っていく。ぽん太は、それでも息を切らしながら、狂いながら、瞬きはせずに、壁に落書きを続ける。傷口から湧き出す絵の具で、この心の葛藤を壁画として残しておきたかった・・・・。そして、書き連ねた自分史の年表は、ただの不可解な抽象画のようにしか見えなかった。
ぽん太は、貧血を起こし、後ろへと倒れこんだ。その勢いで、後頭部をコンクリートに強打する。割れた頭蓋骨から脳みそがしみ出てくる。意識が、大きな何かに溶けていく。薄れゆく意識は、ある言葉の集まりに吸い込まれそうになる。ぽん太は、耳を澄ました・・・・滝の流れる音、はじけ飛ぶ水しぶきの音が、聞こえた。
「悠々たる哉天懐、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以って此大をはからむとす。ホレイショーの哲学、ついに何等のオーソリチィーに値するものぞ。萬有の真相は唯一言にしてつくす。曰く「不可解」。我この恨を懐いて煩悶終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし。始めて知る大なる悲観は、大なる楽観に一致するを。」
でっちあげた夢を叶えるべくギリギリで入った大学の英米文学科。ハムレットの授業で参照された藤村操の『巌頭の感』が、ぽん太の鼓膜に響く。ハムレットに登場する脇役、ホレイショー。彼は、悲劇の傍観者。ホレイショーが、ぽん太を見て笑っている。シェークスピアは、何もかもお見通し。見通せないぽん太は、不可解な事象に飲み込まれながら、気絶していく。ぽん太は、消える直前・・・瞳孔を見開きながら、見えない何かに向かって、英米文学科の学生らしからぬ・・・・下手糞な英語で呟いた。
「ああああ、I am an Fuckin, Loser・・・・・・」
嘆きだけが、喉元に後味を残して・・・・それ以外の全ての存在意義は消えていく。
✍
「不可解なる事象で空間は、占められる。しかし、最も不可解なるものは、自分自身。世にも我にも語りつくせぬこと多し。故に悲しき事、空を覆い尽くす」
闇が喋る。乗り手を失った原チャが、悲しげに瞳孔を開いたまま一ミリも動かなくなったドライバーを見つめる。悲惨な交通事故の後のように、何もかもが粉々に破壊されて、砕け散っている。色を失っていく頬の上に流れた血と涙が・・・・渇いていく。上を向いたまま目を見開いた動かない肉の塊は、思い出の夜空に浮ぶ月を見上げている。その月に手が届かなくて・・・・絶望した果てに、自分の存在意義の全てを失った。瞳孔に焼きつく渇ききった夜空・・・・雨雲は、どこにも見当たらない。
肉と心が、分離し、引き剥がされていく。肉は、もう動かない。心は、思い出の海を彷徨う。溺死するのは、時間の問題。その思い出を、思い出の海を月明かりが照らしている。満ちては引く、思い出の海。未来も過去も見えないところで、肉体と分離を起こした心は、波の満ち引きに心を委ねる。すこしずつ、心は海に沈んでいく。そのぽん太の心を月は、岸まで波の満ち引きにあわせて、運んだ。
妖しげに笑う月・・・・・。透き通るような白い光を駆使して、夢と幻想を司る・・・・・。
ぽん太の心は、浜辺に打ち上げられた。磯の香りが、心の鼻腔に抜けていく。月明かりは、その磯の香りに、やばいくらいにスパイシーな香りづけをする。ぽん太の心は、心臓マッサージを受けているかのような激しく命を揺り起こすような匂いを嗅ぐ。引き剥がされ、溺れ始めていた心が、打ち上げられた浜辺で再び肉体と絡み合っていく。意識が、少しずつ明るくなってくる。ぽん太は、自然と目を開けた。体は、相変わらず血や涙にまみれ、頭蓋骨は激しく痛み、ズボンはノーパンの下はノーパンのまま。現実は、何一つ変わっていないように見えた・・・・・でも、そこにもうトンネルは、なかった。ぽん太は、トンネルがない景色に驚き、痛みに顔を歪ませながらも、上半身を起こし、周りを見た。
月面だった・・・・・ぽん太は、野外駐車場のようなところにいた。そこで、見る空に・・・・・地球が浮いていた。ぽん太は、自分の周りをもう一度確認する。あらゆる形で傷ついた生命体が、スーパーの屋外駐車場のようなところ、四角に囲まれたスペースを一人ずつ持ち、倒れこんでいた。ちらほらと意識を覚まし、立ち上がる人達もいたが、駐車場に転がっている殆ど全ての人達は、気絶しているようだった。野外駐車場は、二千や三千の収納スペースは、ゆうに持っているように思えた。とにかく巨大だった。ぽん太は、自分のすぐ後ろ、割り当てられた区画内に、モンキーがいるのに気づいた。そして、振り向いた先に巨大な看板があるのに気づいた。その看板には、訳のわからない文字が無数に書かれていたが、その中で、見覚えのある言葉を見つけた。
「EXIT(出口)」
地球の公用語である英語が、出口の場所が示されていた。ぽん太は、今いる現実をうまく把握できずにもう一度あたりを見回した。見回しても、よくわからないので、もう一度空を見上げた。確かに、そこには地球が浮んでいた。
「ここが月なのか・・・・・」
ぽん太は、痛みに耐えながら、モンキーに跨った。ガソリンは満タンだった。跨いだ瞬間、モンキーが少しチューンアップされている感覚をぽん太は、持った。
「こいつ、進化したんかなー」と、ぽん太は、ジロジロとモンキーを見つめた。見た目は特に変わっていなかったが、アクセルを回したら、すぐにわかった。エンジンの排気量が、二倍近くになっている
「誰かが改造したのか・・・・、それともこいつ自身が自ら進化したのかわからないけど・・・・お前、すごいことになってる」と、ぽん太はモンキーのギアを上げていきながら、ミニバイクを撫で撫でした。ぽん太の、頭蓋骨から少し脳みそが垂れてくる。
「やばいよな、脳みそ垂れてたら・・・・。うんこ垂れてるのと違うからな・・・・」と、ぽん太は、左手で頭を掻くようにして頭蓋骨の割れ目を押さえた。
出口まで、遠かった。モンキーのメーターにある距離計がちゃんと動き出す。二キロ・・・・出口までは二キロだった。どでかい駐車場を走りながら、出口に近づくと、これまた色々な文字が看板に書かれていた。そこで、英語を発見する。
「To Losers from the Earth. Welcome to the Moon, the Immigration office of the Moon(地球から来た敗者の皆様。ようこそ月へお越しくださいました。月の入国管理事務所より)
ぽん太は、少し頭痛がした。目の前にある理解できない世界が頭に響く・・・・・。




