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 空間と次元に吸い込まれる。そんな感じだった。もう空は見えない。上を向いても、そこにはトンネルの上っ面しかない。ぽん太は、オレンジ色のライトに照らされながら、前へと進んでいく。オレンジ色に照らされた空洞は、何かそこに意味があるようで・・・・・でも、そこには何もない・・・・そんな空間を演出していた。なかなかの味わいなき舞台照明の中をぽん太は歩いていく。水みたいな安いワインと素人が弾いた調子外れのクラシック音楽が似合いそうな雰囲気の中で、ビールに酔ったぽん太は、吐き気を喉元に感じている。与えられた舞台演出に違和感を感じ、頭痛で視界がふらつく。


 車がやって来ないことにぽん太は、若干の違和感を感じた。歩行者立ち入り禁止のトンネル内、車に轢かれないようにと壁づたいに端を歩く。いくら深夜四時前だからといって、都心のど真ん中でタクシーの姿が消えることはない。少しぽん太は早歩きになった。この道が月ではなく、赤坂に通じていて、始発で家に帰り、眠って、もうどうでもいい人生の続きをしようという気になっていた。

 「何もかもが嘘だったと・・・・・証明させてくれ」

 ぽん太は、トロが電話ボックスで起こした奇跡も、たんぽぽが自分の側にいてくれた季節も、野球を辞めた過去も、小説を書き始めてしまった自分も・・・・・何もかもが嘘だったと言い切ってしまいたかった。それを証明するために、乃木坂トンネル・・・・一般歩行者侵入禁止区域を月ではなく、赤坂に向けて歩いていく。乃木坂トンネルのカーブを通り抜けたところに、月はないんだとぽん太は、自分が現実的に生きていることを、自分に証明してやりたかった。そう、今まで生きてきた過去は、何もかもがまやかしで、幻で、嘘。きっついダーティージョークを笑い飛ばすために、ぽん太はトンネルの壁を手で触りながら、よろめきながら前を目指して歩く。このトンネルを抜けた先に、全てを諦めた現実が広がっている筈。それを心から飛び出した苦しみの手が喉を突き破り欲しがっている。


 ぽん太は、飲みすぎたビールっ腹をたぷんたぷんと揺らしながら、道なりの左カーブに差し掛かり、その道の流れに従い歩いた。このカーブを曲がりきると何百メートルか前方、少し左よりに、ほんの微かだが乃木神社の一角が見える筈。木が茂り、獅子舞の像が立ち、大きな鳥居が見える筈。右側には、地下鉄千代田線乃木坂駅が見える筈。ぽん太は、一度このトンネルを原チャリで走ったことがある。忘れてはいないその時の光景を未来予想図として頭にイメージしながら、ぽん太はそのカーブを曲がっていく。全ては、現実の法則通りに動く筈。そして、その法則通りに動く現実を見ることができた時、ぽん太は何もかもを諦めて、全てが嘘だったと信じることができるだろう・・・・そう思っていた。何もかもが悪い冗談だったと・・・ぽん太は自分を笑える。そう、そして、過去をゴミ箱に生ゴミ扱いで捨てて、明るく希望のない未来を歩んで行ける。

 トロの思いやりを忘れた訳じゃない・・・・。でも、何もかもが弱り、終わっていく現実を受け入れるために、ぽん太はこのトンネルを歩いている。

 敗者復活戦・・・・・?敗者を保護する惑星、月?

 ぽん太は何も信じてはいない。何もかもが笑い話。笑いながら震える心・・・・。言葉に訳せない気持ちが凍ったぽん太の心の水溜りに零れ落ちる。持て余す漠然とした氷の膜の下の自分の本当の気持ち・・・それが、少し波立っている。社会で真っ当に生きている人間からしてみれば、ぽん太の流す涙なんて、傘を濡らす一滴の雨水程度の価値もないだろう。小さな島国の立派な方々のお叱りの声がトンネル内に響き渡る。

 「何が敗者だ。くだらない。本当にくだらない。お前みたいな小さな人間は、この国からとっとと消えちまえ」

 ぽん太は幻聴を聞きながら、幻聴の言い分に大賛成する。もう、それこそ満場一致で衆議院も参議院も通過の『敗者糞ったり、とっとと消えちまいな法案』である。

 「常識ある人は最もだ。現実的な人達は素晴らしい。何が敗者だ。生きる価値のない命なら消え去ればいい。でも、この世の何もかもが無意味。だから、全て消えて失せろよ。常識も、何もかも死ね。俺も死ぬ。生まれてしまった呪縛に苦しみながら、窒息死するよ。全てが無意味なんだから・・・。ねぇ、立派な人達・・・偉い人達・・・・なんで、それを義務教育で教えてくれなかったんだよ?教わっていれば、こんなに苦しまなかった・・・・・・」

ぽん太の右目と左目から一滴ずつ涙が零れ落ちた。


 ぽん太は、カーブを曲がり切る前に立ち止まり、ポケットから煙草を取り出した。そして、煙草に火を点け、一口吸って心を落ち着けた。そして、一瞬の間を置いて、ゆっくりと煙を吐き出した。一口で十分だった。ぽん太は、煙草をそのままアスファルトの上に投げ捨て、ちっぽけな人生を踏みにじるようにして、スニーカーの靴底で煙草の火を消した。ぽん太は、火が消えた後も煙草を踏みつけるのをやめない。煙草を巻いている紙が無残に破れ裂け、焦げた葉っぱが汚らしくアスファルトの上で死んでいた。ぽん太は、一度深呼吸をして足を前に進ませ、カーブを曲り切った。ぽん太の背後、踏みつけられた煙草の吸殻から儚く昇る煙が突然消えた。そこが、現実とそうでないものの境目だった。異次元に吸い込まれるようにして消えた煙草の煙・・・・。カーブを曲り切った時、そこにあるべきものは何一つなかった。



 神社も地下鉄の駅も・・・・・何もかもがなかった。そんなに長いトンネルじゃない。カーブを曲り切れば、すぐにも出口が見える筈なのに・・・・・ぽん太の前に出口はなかった。出口の見えない・・・・終わりのないトンネルが延々と続いている。果てのない直線が延びている。

ぽん太は、震えながら立ちすくみ、恐怖を和らげるために声を出した。

 「嘘だろ・・・・・・」

 ぽん太は、前に出口がないならば、後はどうだ?と反射神経で考え、焦るようにして後ろを振り向いた。しかし、そこにはもう歩き切ったカーブはなかった。アスファルトに目を落とす。さっき踏みつけた筈の煙草の吸殻が消えてなくなっていた。ただ、直線が延びている。ここに入ってきたトンネルの入口が見えない・・・・・。オレンジ色のライトで照らされた気の遠くなるような道が真っ直ぐ後ろに延びている。

 「嘘だろ・・・・・」

 ぽん太は、呆然としながら、もう一度同じ台詞を繰り返した。ぽん太は、出口も入口も見失った。

 「嘘だと言ってくれ・・・・・」

 ぽん太は、誰かの言葉を待った。でも、そこには誰もいない。ぽん太の前に、またも理解の範囲を越えた現実が広がっている。現実・・・・?いや、そうじゃないものの集合体が圧倒的な熱量を放ちながらそこにある。ぽん太は、汗をかく・・・・でも、その汗は冷たい。冷汗がぽん太の頬を伝う。その冷汗が、頬を流れつたい、顎の先からアスファルトに一滴零れ落ちた。汗が地面にぶつかり、はじけ、砕け散る音がトンネル内に響く。その反響音は、果てのないトンネルの中で、ぽん太を置き去りにして前と後に砕け散りながら分裂し、そして消えていった。孤独な自分だけがトンネルの中に取り残される。


 ぽん太は、入口も出口もないトンネルの中で、前にも後ろにも動けず、ただ立ちつくす。神様の笑い声が聞こえてくる。ぽん太は、凍ったように動けずにいる。動けない者達を神々は敗者と呼ぶのだろう。そこに救いはなく、あるのは神の嘲笑。

ぽん太は、もう一度、自分の周りを見渡した。そこには何の希望もない。慈悲もない。同情もない。哀れみもない。・・・・・・・敗者になった自分を慰めてくれるものは何もなかった。そんな状況を、今まで一度として経験したことのないぽん太・・・・・。

 「どうすりゃいいっていうんだ・・・・。何をすりゃいいっていうんだ・・・」

 ぽん太は、うろたえた。そして絶望した。未来予想図は、理解を超えた現実の中で、そうでないもの達に飲み込まれ、残酷に破り捨てられ、容赦なく燃やされた。

 ぽん太は、瞬きすらできずに目を見開き続けた。でも、その目は何も見ていない。何も見えない。視界を持った盲目性が表面上は大人しい素振りで・・・・・何かを見ようと努力はするが、その実、何も見えない世界へと引きこもるとやっきになっている。引きこもりゆく先に薄っすらと何かが見える。・・・・・・死刑台。ぽん太の眼球に、死刑台が薄っすらとまやかしのような曖昧さで、希望という偽りの名を名乗り、映し出されている。死刑台が設置されている光景が矢のようにぽん太の眼球に突き刺さる。矢じりがめり込んだ瞳は、おびただしい量の血を流す。血が何も見えやしない視界に混じる。ぽん太は、ただ呆然とオレンジ色に照らされたトンネルの中、傷つき、血が流れる瞳孔を見開きながら未来の奥の奥に設置された絞首台を見つめた。それ以外は何も見えない。



 動けずに立ちすくんでいたぽん太は、痛んだ網膜の先に見える死刑台を目指して、一歩、足を踏み出した。絶望の果てに見える最後の希望は、それしかないように思えた。おびただしい量の汗が出る。体が水分を失っていく。少しずつ干からび始めるぽん太。

 「ふっ・・・・、これが俺のあるべき姿か・・・・。あそこにあるのは待ち望んでいた未来だな・・・」

 ぽん太は、少し狂いながら自分を取り囲む全てのものを笑った。

 「そうだよ、あそこに俺が求めていたものがあるじゃないか・・・・・・」

 ぽん太は、恐怖に震えながら、トンネル内で独り言を続けた。高度一万メートルの崖っぷちから足を踏み外すようにして、ぽん太は自分の足を更にもう一歩前に踏み出した。地面が底にない感覚を死の恐怖とともに味わいながら、二歩目をアスファルトにそっと下ろす。そして、三歩目が意識せずとも前に出る。幽霊の大群に背中を押されているかのように、ぽん太は歩き始めた。死後の世界を歩いていく感覚。空を自由に歩く感覚に似ているのだろうか・・・・地が足についている感触がない。ぽん太の意志とは関係なく、吸い込まれるように、押されるようにして、ぽん太は前進を続けた。時間の流れに足元がすくわれ始めた自分がコンクリートの上で溺れ始める。潰れた眼球に映る絞首台を目指し、時の上流から下流に流されていく。


 トンネルの中で絶望の流れに飲み込まれ、溺れる敗者を笑う神様が、ぽん太に常識を語る。

「生まれた時から、お前達は死刑囚。終わりに向かって足元をすくわれていく存在。死にたくないだろう?でも、死ぬのさ。それでもやっぱり死にたくないかい?」

 ぽん太は、時の流れに足元を救われ、止まることを許されずに歩き続けた。体が消耗していくのがわかる。体力が削ぎ落とされ、精神力が失われていく。ゴールのないマラソンを走るかのように、ぽん太は、その神様の声を聞きながら、歩き続けた。自分の存在が少しずつ痩せ細って、飢えていくのがわかる・・・・それがわかった途端、急に死ぬのが怖くなった。

 「死にたくない」とぽん太は溺れる意識の中で答えた。その言葉を吐いた瞬間、ぽん太は更なる深みにはまり、溺れ、空気なき水溶液の中で窒息しそうになった。

 「死にたくないか?」と、神様は溺れるぽん太を助け、もう一度訊いた。

 「死にたくない」とぽん太は、答えた。それを聞いた神様はぽん太の頭を時の流れの中に押し込んだ。ぽん太は、また深みに溺れ窒息死寸前までいった。苦しい・・・・苦しくてたまらない・・・・。

 「死にたくないか?」と神様は、また訊いてきた。

 何度、死にたくないと答えても、時の激流の中、窒息死からは逃げられないような現実にぽん太は溺れ続ける。ならば、楽に・・・・苦しまずに・・・・死なせてくれ・・・・と、ぽん太の生存本能は、結論を出す。

 「苦しまずに死ねるなら」と酸素のないまやかしの水中でぽん太は神様に向かって叫んだ。

 「死にたくないか?」と、更に神様は訊き続ける。

 「今すぐ、苦しまずに、死ねるのなら、死なせてくれ」

 ぽん太は、口から泡を噴き出しながら、発狂しながら叫んだ。体内を駆け巡る酸素が水中で行き場を失い、肉体は内から膨れ上がる。破裂しかねないぽん太は、生きていくことに現実性を求められなくなる。

 「死にたくないか?」

 「とにかく・・・・死なせてくれ」

 それしか、ぽん太に選ぶ道はないように思えた。ぽん太は、涙を流し続け、発狂し続け、トンネルのどこにいるのかもわからない神様の問いかけに答え続けた。ずぶ濡れの幻想の中で、窒息しているぽん太は、空気を求める。

 ぽん太は、生きる屍のような表情を顔に浮べ、ただただ終りのないトンネルを前へ前へと猫背で歩き続けた。意識は、狂ったように三途の川近くに転がっていそうな幻想を見続ける。

幻想の中で、ぽん太が死にたいと神様に答える度に、意識の中の体は引き裂かれていった。股の付け根からぽん太は真っ二つに裂かれていく。筋肉が鶏のささみをむしるようにひきちぎられ、右の金玉と左の金玉が永遠の別れを告げ、肛門が裂き切れ、究極的で芸術的な最高の切れ痔を生み出す。ぽん太は、脳みその中で肉が引きちぎられる痛みに絶叫しながら、真っ二つに割れゆく自分を悲しく思う・・・・・。死刑台に向かって、右足を一歩踏み出すと、過去に向かって左足が一歩後ずさりする。二歩、右足が未来へ向かえば、二歩、左足は過去へと引きずられていく。ぽん太の細胞は、痛みの中で分裂し、裂けていく。


 出口も入口もないトンネルの中、ぽん太の発狂は終わらない・・・・・・。


 ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ


 断末魔の叫びが、永遠にトンネル内に木霊する。


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