1-3・通行料の酒樽
キリルは普段から表情の乏しい顔をしているが、今は十人中十人が不機嫌であると分かるほどに眉根を寄せ、顰めっ面をしていた。
そもそもキリルは神殿に多額の献金をしてまで未来を予言して貰うことに、何の意味があるのか分からないのだ。それはバシレイオス神殿だろうがどこだろうが同じだと思っている。
しかしの貴族たちがそうであるように、王である父もとりわけバシレイオス神殿をありがたがって献金を行うのだ。
今回、病床の父に代わり差し向けられたキリルはポリスの代表としてだけでなく、交易も任されている。残念ながら、算術を駆使してみたところで度重なる内戦が引き起こす財政難は簡単には回復しない。そんな中で頼まれた献金配達係だ。いっそ神殿への献金を打ち切れば財政難も少しは回復するのではないかと、ひそかにキリルは考えている。
おまけに託宣の巫女を初めて見たが、頭からベールを被っていようとも分かるほどに若い女で、もったいぶったお告げをした声は、有り難くもなんともない普通の声だった。
女は言った――『この航海は汝の財産となる』と。
だが蓋を開けてみればどうだ。タラッサテオスに捧げる酒を買い忘れただけで腕利きの乗組員達は騒ぎ惑い、投石機十台を配した最新型の帆船はどこでやったか知れない大穴を空け、今や船も積み荷も自分さえも失いかけているのだ。
乗組員たちは迷信深く、海神への通行料を払わなかったからだと嘆き、甲板は身も世もない騒ぎに見舞われている。
キリルは怒声こそあげなかったが、自分より遙かに年も経験も積んだ大人が、たかが神への酒樽一つで我を失う姿に怒鳴りたい気持ちで一杯だった。
「とにかく、荷は捨てない。船尾に空いた穴を至急、塞げ。最寄りの寄港地までなんとか持たせろ」
言うキリルに五才年上で茶色の髪をした侍従のデニスが心配そうに口を挟む。
「しかし、リレー作業で水を捨ててはいますが、穴が大きすぎてすぐには無理かと……。一部の積み荷を捨てるのもやむなしかと思いますが……」
控えめに言ってはいるが、それが現状で一番良いことくらいキリルとて良く分かっていた。だが、この積み荷を捨てたとて、船が沈むのを数分送らせるくらいにしかならないのだ。そんな暇があれば穴を塞ぐ努力で時間を割く方がどれほど意味があるか知れない。
「迷信に振り回されず、船を少しでも岸に近づける努力をし……っ」
「うわぁっ!」
「今度は何だ!」
流石にキリルも野太い悲鳴を聞き、冷静さをかなぐり捨てて怒鳴った。
託宣の巫女の言葉が蘇る。
『神を信じず災厄が訪れる、選択を見誤るな』と、澄まし面で告げた巫女の高笑いが聞こえるようだった。
その高笑いを破ったのは、船体の揺れだった。
高波で大きく揺れるのとは訳が違う。まるで地震のように、船そのものが大きく縦に横にと揺れ、収まったかと思えば、今度は誰も操舵していないにも関わらず船が動きだしたのだ。
先ほど声をあげた船員が海を指さしている。キリルは船縁に手をついて、目を見開いた。
「なっ……!」
船の下には黒光りする大きな何かがいた。頭の中で激しく警鐘が鳴る。託宣の言葉がグルグルと頭の中を回り始める。
『選択を見誤るな』
『神を信じぬ者に災厄あり。選択を見誤るな』
(占いなど信じるものかっ)
『汝の右手には神の御使いが、左手には悪魔が宿り、オデラは歴史にその名を刻むであろう。汝の右手は和解を、左手は戦乱を望み、その均衡によって、汝は望む物を手にする。この航海は汝の財産となるであろう』
ベールごしに巫女は、そう告げたのだ。
「おいっ、銛を持て!」
指示を出すキリルに、侍従は慌てて銛を取りに行く。船乗りたちは海の神の怒りだと泣き喚き、海神タラッサテオスに祈り始めている。
銛を構えた時、白い物が目の端に写った。
見れば事もあろうにソレは海の上を歩いて、両手を振っている。
「ダメダメっ、そんな事しないでっ!」
デニスは固まり、キリルは銛を取り落としかけた。
黒い生物の上を、普通に娘が歩いて来るのだ。
海にいるのだから当然かもしれないが、彼女は全身ずぶぬれだった。青銀色に輝く豊かな髪、アクアマリンの瞳、白いキトンは肌に張り付いていて、目のやり場に困る状況だった。
「……に、んげん……か?」
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【次話公開 → 本日 19:45 予定】
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