1ー1・ウソの代償
神官長たる者の職務は神殿のあらゆる執務を総括するものである。
当代の神官長を務めるネストルは『雑務処理が私の仕事です、みなさんあっての長ですから』と謙遜するが、その執務能力の高さと穏やかな人柄は神殿に勤める者ならば皆が皆、褒めそやすほどの人物だった。
「こんのっ、大馬鹿者ーっ」
そのネストルの部屋から老婆の怒声が響く。白石仕立ての廊下を歩いていた神官たちは一瞬、体を竦め、同時にまたかと苦笑いをして通り過ぎていく。
「恥を知れぃっ、恥をっっ」
今やドーラの目は血走り、血管の浮き出た骨張った手はあらん限りの力で杖を握りしめているせいでプルプルと震えていた。後ろに立つネストルは苦笑いを浮かべてニアとドーラを見つめている。
「だって!」
「まだ言い訳する気かえっ」
引退したと言ってもドーラは一番の古株巫女であり、その怒声と眼光を前にすれば、大抵の者が口を噤み平身低頭に至る。ニアとて普段ならば、もちろん己に非があると気付いていた時は同じくここで謝罪の言葉を述べている。
だが、今回はニアにも言いたいことが山ほどあるのだ。
「だって、あいつ言ってたんだよ! お金、払いたくないってっ、今度から止めるー的なことっ」
「黙らっしゃいっ!」
一喝されて、ニアも流石に身を竦ませる。
しかしそれも一瞬のことで、また勢いを取り戻し、負けないくらい大きな声でドーラに食ってかかった。
「だってだってっ、あいつら自分たちで内紛ばっか起こしといて、全っ然、難民の面倒みないじゃない! お金しっかり払って貰わないと、みんな生きていけないじゃないっ」
「えーいっ、神にもっとも近くあれる立場でありながら、当代随一の巫女が金勘定ばかりを気にかけて、情けないっ。その上、神の名を借りて騙りとはっ……神殿始まって以来の不祥事じゃっ!」
仲良しの巫女エリアに話していた所を聞かれたのが運の尽きだ。
「ほんのちょっとだよっ。ほんのっ」
「まーだ言うか!」
「だっ……!」
「ニフィクスリーア!」
本名で怒鳴られ、さすがに口を閉じる。ドーラは厳しい顔で宣言する。
「神官長ネストルの名において命ずる。お前の巫女資格を半年間、取り上げ停止処分とする!」
「へ?」
一瞬言われた言葉の意味が分からずニアはキョトンとする。次第に意味が飲み込めたニアは悲鳴を上げた。
「……えーーっ!」
そもそもドーラこそ職権乱用だと叫びたかった。救いの主を捜すようにネストルを見るが、彼は肩を竦めて諭すような声で説教に加わってきた。
「ニア、これは相応の処分ですよ。本来なら除名処分になっても可笑しくない所ですが、あなたも悪意があったわけではありませんし、皆の心配をしたあなたの善意と、また神の覚えめでたきあなただからこその、軽い処分です」
「そんな……っ」
「いくら神殿や難民のことを考えてと言っても、嘘はいけません。反省の余地ありですよ」
「そ……そんなぁ……」
「返事をせんかっ、ニアっ!」
ドーラに怒鳴られて、ニアは涙がこみ上げてくるのを感じた。ネストルさえ助けてくれない状況になっていることが哀しくて、そして何より停止処分の意味する所を理解してうつむく。
「ニア」
ネストルの穏やかな声が頭の上から降ってくる。
「半年間、己のした事を反省してください。自分が何をしたのか、ゆっくりと考える時間が必要でしょう」
(……っ)
その瞬間、ニアは部屋から飛び出していた。
「これっ、ニアっ」
ドーラの声がニアの背に投げかけられたが、彼女は立ち止まらなかった。
残されたネストルはドーラを見る。
「ドーラ、やはり厳しすぎたのでは? 巫女にとって神の御下に近寄れないということは、鳥の翼をもぐようなものではありませんか。中でもニアは……」
「ネストル坊やは甘いっ。そんなことじゃからニアがつけあがるのじゃ」
幾分落ち着いた声のドーラに言われて肩を竦める。
「ニアは才能に溢れていますからね」
「……いつも言っとるじゃろうが、ニアのような者には世俗のことに近寄らせてはならん。あの子は……そんなことは気にせんでええんじゃ。それを、ついに嘘までつかせてしもうて……」
ため息をついて、カツカツと杖を鳴らし部屋から出ていく後ろ姿は力無く見える。
ドーラは巫女たちにとっては師匠も同然で、殊の外ニアに厳しい。だが同時にニアをとても高く買っているのだと彼は知っている。
求める位置が高すぎるように思うことも多々あるが、ネストルにとってはこの厳しい老婆は母のような存在だった。三十を過ぎ神官長にもなったが、未だにドーラからは坊や扱いが続いている。そのことを不服どころか嬉しくさえ思っていた。職権乱用に相当したとしても、神殿の生き字引でもある彼女の判断に誤りがあろうはずもない。
ネストルはニアの抜けた勤務表を組み直す作業にかかることにした。
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【次話公開 → 本日 18:45 予定】
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