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5-7・ドーラの祈り


 鷲鼻岬に立つ老婆は端のすり切れたみすぼらしい布の(かたまり)を抱いて立っている。

 すっかり日も暮れた空には無数の星があり、老婆は厚手(あつで)のヒマティオンを頭から被っているが、寒そうに見える。

 ここ一週間ほどで見慣れてしまった様子を見つけて、ネストルは毛布を手に近寄って行った。


「ドーラ、体に(さわ)りますよ」

「……ネストル坊やかえ。お前さんがそうやって甘やかしてくれるから、止められんね」

「またまた、そのような皮肉を」


 ドーラはフンッと鼻を鳴らし、続いて深いため息をついた。


「……ドーラ。……神官は楽ですね。神を信じ、祈るだけですむ。巫女は大変です。色々なものを見てしまう。見たくないことまでも見通してしまい、あらがえない現実に直面しなければならない」

「馬鹿をお言いでないよ、ネストル坊や。仕事に大変でないものがあるかね。どれも同じだけ大変さね」


 ドーラの見上げている星をネストルも見上げる。そこには熟練の巫女ならば何かを読みとるのだろうが、あいにくとネストルには何も見えなかった。

 ただ美しく遠い星が輝いているだけだ。

 ドーラがポツリと呟く。


「……ここだったよ」

「はい?」

「まだ赤子だったイオアニスを拾ったのはね」

「……えぇ、聞いております」


 ネストルは自分より十以上年上だったイオアニスを思い出す。彼を拾い育てたのはドーラだと聞いている。かく言う自分もドーラに拾われたのだ。

 ある意味でネストルとイオアニスは兄弟のようなものだった。

 彼はある時、消えた。その時もこうしてドーラはここに立っていた。そしてネストルは毛布を持って、ドーラにかけたものだ。

 数年後、彼は赤子を抱いて戻ってきた。


「この場所に、あやつが戻ってきた時……その腕にはニアがおった」


 ドーラの手に握られた布はニアがずっと使っていたものだ。彼女はこの布にくるまれていた。あの頃はもっと綺麗な布だったのをネストルは覚えている。


「そしてニアもまた……行った。……行ってしもうたよ、ネストル坊や」

「……えぇ」

「儂は知っておったよ、全て。じゃが、これが未来じゃ……」

「なぜ、仰ってくださらなかったのですか?」

「なぜ、と聞くかえ? ネストル坊や、お前さんはあの子を可愛がっておったからのぉ、きっと止めたじゃろ?」


 ドーラはこの一週間で更に年を取ったようだった。ネストルは母にも等しい老婆の肩に毛布をかける。


「私は神殿におりますよ、あなたを看取(みと)るくらいは育てられた者としてちゃんとこなしますとも、ドーラ」

「ほっほっほ、言うのぉ」


 笑うドーラに、ネストルも微笑む。


「えぇ、養い親譲りです。……なるべく、ゆっくり年を取ってくださいね」


 ドーラはネストルを見て、顔をしわくちゃにして笑う。


「そうじゃの、ネストル坊や……」


 ネストルは一礼してその場を立ち去った。

 ここはドーラにとって、イオアニスとニアの思い出が詰まった大事な場所だ。

 一人になったドーラは腰を下ろす。そこには縄が海へと垂れている。

 イオアニスが作ったものだった。

 小さい頃からイオアニスも海が大好きだった。そして時を経て、ニアも使うようになった。もう補強してくれるイオアニスはいない。育て親よりも先に死ぬと言う暴挙を成した男は、死ぬ間際にニアのことをドーラに託していったのだ。


「この年になると別れはいくつも越えてきておる……、じゃが、辛さは変わらんのぉ。まして……孫との別れは辛いものじゃて……」


 ドーラは海に祈る。

「海神タラッサテオス様、ニアを守ってくだされ……」


読んでくださってありがとうございます。

【次話公開 → 本日 19:50 予定】

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