2・バシレイオス神殿
海の名はタラッサ――世界の六割を占めている。
海は海神タラッサテオスの持ち物とされ、海に境界はない。故に名も一つだ。伝説では海の民が海底に都市を築いているというが当然、誰も確かめた者はいない。
星の数ほど神は存在し、その数だけ神殿も存在する。
中でもバシレイオス神殿の巫女による託宣は、よく当たることで有名だった。
世界の中心にあるという英雄バシレイオスを主神においたこの神殿は、プーリ大陸の北西ミナス王国内に存在する。
世界三大大陸のうちでも一番大きく領土争いが絶えないプーリでは、各地から託宣を求めて使者の列が出来るほどに盛況だった。
朝の日課である海水浴を済ませた娘は滴を垂らしながら、このバシレイオス神殿の裏口までやってきて、そっと木の扉に手をかけた。
「こらっ」
途端、体が跳ねる。
(やばっ……)
「ニア、まーたお前さん、礼拝をサボったね」
しゃがれ声の怒声に、首を竦める。慌てて向き直った先に立つ背の縮まった皺くちゃ老婆に、ひきつり笑顔を見せる。
「あ、あはは……だってさ、今日あたしの当番じゃないし、ネストル様もゆっくりしていーよって言ったし、だから、ほら、休息日なんだし? 一回くらいイイかなって……あ、これっ、真珠っ。タラッサがくれたの!」
身振り手振りを交え必死に伝えるが、ニコリともせず据わりきった灰色の目で見つめてくる老婆に、ニアは降参する。土台、人生七十年も生きて酸いも甘いも知っているこの老婆に、十七才のニアの甘っちょろい言い訳が通るはずもないのだ。
「あ、あの……ごめんなさーい……」
「……まったく、困った子だよ。それにしても、本当にお前さんはタラッサの申し子だね。なんだい、こりゃまた大きいね」
「う、うんっ。ほら、ドーラ婆だって言ってたじゃない、最近やりくり苦しーって。だから、足しになるかなって……」
ドーラはふうっと大きく嘆息づく。
頭から被った茶色のヒマティオンから覗く白髪は最近薄くなってきているが、その瞳の鋭さと輝きは一向に衰えない。ニアが物心ついた時からドーラは変わらない。
「お前さんはそんな事に気を回さなくていいんだよ。このバシレイオス神殿の巫女として慎み深く真面目に修行に励んでたらいいんだ。全く、十七にもなって情けないっ」
「でもでも……っ」
「それより魚でも捕って来て欲しいね、まったく。それから礼拝をサボった不心得者には休息日なんかありゃしないよ。ネストル坊やに言っておくから、そのつもりでね」
「えーっ、そんなー!」
一人、木の杖を頼りに神殿に入っていくドーラは彼女の文句を全て耳が遠いせいにして聞かなかった。ニアは座り込み、真珠を陽に翳してため息を吐く。
「はぁ……せっかく貰ってきたのに……」
(おまけにネストル様がくれた休息日なのにー……)
もうコソコソするだけ時間の無駄と、立ち上がりドアの取っ手を掴む。
「ん? ……んー? ……えっ? ドーラ婆、鍵掛けてった!」
ニアの脳裏に、鍵を手にニヤリと笑うドーラの顔が浮かぶ。
ギリリと歯噛みしたニアは、およそ神殿の巫女らしくない大股で正門へと向かう。苛々は収まりそうもない。
なにせバシレイオス神殿は大きい。象徴でもある大三角屋根は左右二列に並んだ円柱によって支えられており、遠くから見れば人工の山にすら見えるほどだ。
ニアの入ろうとしていた裏口から正門まではグルリと坂道を下り、麓まで降りることになる。正門から神殿内へも通称『試練の道』と言われ、一時間以上かけて吹きっ晒しの中を右に左にうねる階段を上ることになるのだ。
周辺は岩場だらけでゴツゴツと出っ張っており、よほどの慣れた者でなければ越えようとすら思わないだろう。慣れたニアは、その岩をよじ登るという荒業の最短経路も選べるが、わざわざ筋力を使ってまで道なき道を進む意味はない。
(ドーラ婆、性格ひん曲がってるよっ。無駄に遠回りさせてーっ)
読んでくださってありがとうございます。
【序章は後2話 → 次話 17:45 予定】
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