初恋の相手の妹に会ってしまった
読みづらかったので改稿しました
彼女が居なくなって、4度目の春を迎えようとしていた。
その日はいつもと代わり映えのない日になるはずだった。目覚ましの不快な音で目を覚まし、眠い目をこすりながら体を起こす。前日夜遅くまで映画を見ていたのがいけなかったのだろう。両親はもうとっくに仕事に出ているので、サボろうと思えばサボれたが、根っこが真面目な性分なせいかその選択は取らなかった。
寝ぼけ眼のまま部屋を出て階段を降り、キッチンに行く。テーブルには朝食が置いてあり、食べながら昨夜母親が言ったことを思い出した。
『お母さん明日から暫く出張でいないけど、ちゃんとご飯食べなさいよ』
父親は元々夜遅くまで帰ってこないし、母親も居ないとなるとのびのびできるという開放感からか、心なしかテンションが上がってくる。
しかし、元々口うるさく言うタイプでもないし居ても居なくて大して変わらない。かといって会話がないわけでもない。ちゃんとコミュニケーションは取っている。
そんな両親でも4年前の今頃、塞ぎはじめた翔真を心配し、何も聞かず暫く学校を休めるよう色々連絡してくれたらしい。何となく察していたのかもしれない。休んでいる間、ただ引き籠っていたわけではなく受験勉強も進めていた。それも何かに打ち込んでいないと潰されそうだったから、やっていたにすぎないが。
両親が居ないのなら、コンビニとかで夕食を買うか、簡単なものなら自分で作ろうかと考えながら顔を洗い、身支度を整え学校に行く準備をしていた。
支度を終え、家を出た翔真に冷たい空気が頬を撫でた。3月に入り暦の上では春になったとはいえまだ少し寒い日が続く。来月になれば桜が咲くほど暖かくなるのだろうか。
翔真が住んでいる桜岡はとある地方にある都市だが、田舎というわけではない。かと言って都市部というわけでもない。桜岡という町は駅を境に同じ町なのか疑わしくなるほど様変わりするのだ。翔真が住んでいるところは木造の建築物が多く、全体的にレトロな雰囲気が漂っている。夜になるとそこら中に付いている提灯が街灯代わりに点灯する。もうすっかり見慣れたものだが、幼い頃の自分はまるで自分が別世界に来てしまったのではないかと錯覚するほど、幻想的な町並みに目を奪われていた。
それは観光客も同じらしく、旅行で訪れたこの町を気に入りそのまま移住を決めてしまう人も少なくないのだ。駅を挟んだ向こう側のエリアは、こちら側とは違い高層ビルやマンションが立ち並んでいる。移住を決めた人のほとんどは高層ビルのあるエリアで職を得て、生計を立てている人が多いが、中にはレトロな町並みの中働きたい、と雑貨屋や喫茶店で働く人もいる。つまり田舎にありがちな住民の高齢化やシャッター商店街、といった問題とは無縁なのだ。
そんなことを考えながら歩いていると、突然肩を叩かれる。振り向くと翔真と同じくらいの背丈で、朝だと言うのに健康的な顔色の男、高嶺勇太が立っている。何故か向かって右側の頬が赤くなっている。
「おはよう翔真」
「おほよう、ってどうしたんだその顔」
指摘された勇太は言いづらそうに顔をしかめたが、すぐに口を開いた。
「6組の青木って知ってるか?」
「…知らない、そいつにやられたのか」
「俺らと同じ小学校らしくてな、向こうは覚えていたらしく昨日話しかけてきた。それで突然翔真が誰とも付き合わないのは『天堂さん』の事があるからか、と聞かれた」
その名前を聞いた途端、翔真の目は見開き顔は強張った。勇太もそれに気づいたが、構わず続けた。
「いつまでも引きずっていたら前に進めないと思うから俺から周りに目を向けた方がいいと伝えてくれ、とかなんか長々と喋ってたけど覚えてないな。んで、俺がそんなの自分で言え、自分で言う勇気もないやつが告白したってうまくいくわけない、って言ったら顔真っ赤にしてビンタ」
「容赦ないな」
これはその青木とかいう女子と勇太にかけた言葉である。実は高嶺がこのような目に合うのは初めてではない。翔真は秘かに人気がある。
本人は自覚がないが背が高く顔立ちは整っており、無愛想だが困っている人間は手伝う。人をからかったり馬鹿にしたりしない誠実な人柄から告白されることが多い。全員断っているが。中には勇太や友人を利用して翔真を振り向かせようとする女子もいるらしく、そういう相手に対し勇太は容赦ない言葉を浴びせている。そのせいで、顔立ちは悪くないのに女子からの人気は最悪である。翔真のために悪役を買って出ている勇太に対し、申し訳ない気持ちがあるが本人は全く気にしていない。同じ小学校出身で事情を知っている人間からの評判はいいからである。
「昔はモテる奴の事が羨ましかったけど、お前見てるとモテなくていいやってなるわ。なんでそんなにモテるんだろうな、いや顔はいいと思うけどさ」
心底不思議という顔で尋ねる。そんなもの自分が一番知りたいことだ。同じ学校には翔真より人気があって告白される回数が多い奴がそれなりにいる。そういう人間はモデル並みに顔が良かったり、部活動でエースだったり、成績が良かったりとモテるのも納得な理由がある奴ばかりだ。もしや自分が告白されることが多いのは、上位の男子に告白するのはリスクが高いが、翔真のような良くて中の上な男子ならワンチャンあると思われているのでは。それはそれで迷惑な話だが。
面倒くさそうに顔をしかめ始めた翔真を見かねたのか、軽い調子で勇太が言った言葉を聞き流すことは出来なかった。
「いっそ誰かに恋人のフリでも頼めばいいんじゃね」
「は?」
何を言ってるんだこいつは、とでもいいたげな呆れた顔を見て焦ったのか、勇太は慌てて訂正した。
「冗談だよ、フリでも恋人がいれば俺もお前も面倒が減るだろ?」
自分のためではなく勇太自身のためか、と突っ込みたくなったが勇太に面倒をかけている自覚はあるので黙っていた。
「なんでお前に告白しようとする奴は面倒なのばかりなんだ。小細工しないで正面から当たって砕ければいいのに」
「砕ける前提かよ」
「だって誰とも付き合わないだろ」
そう言われ、翔真は二の句が継げなくなる。周りの人間の中ではなんで誰とも付き合わないんだ、好きな相手でもいるのか、試しに付き合えばいいだろ、と言うやつもいる。勇太は小一の時からの付き合いだが、そういったことを言ったことは一切ない。周りが言うように、翔真が試しに誰かと付き合えば頬を叩かれるという理不尽な目にあうこともないのに、絶対に言わないのだ。
翔真は勇太の無理に踏み込んでこないところが友人として好きだった。それと同時に罪悪感を抱いているのも事実だった。だからといって、翔真は誰かと恋人になりたいと思うことがないのだからしょうがないではないか。正直なところ放っておいて欲しい。だがそれよりも、他人に興味が持てないというのが割合としては占めていると自分では思っている。元々そういう性質だったが、四年前のことがきっかけで更に他人に無関心になった気がする。
話しているうちに灰色の校舎が見えてくる。翔真たちが通う桜岡高校だ。名前からも分かる通り、この町にある公立高校の中の一つである。高層エリアにも偏差値の高い公立私立がいくつかあるが、家から近いと言う理由でここを受験した。当然ながら、小、中と一緒だった人間も何人か進学している。その中の一人が例の青木という女子だったわけだが、事情を知っているのであれば放っておいて欲しいものだ。
下駄箱で靴を履き替え、教室に向かおうとしたとき、突然横から声が飛んでくる。
「橘くん、ちょっといい?」
振り向くと見知らぬ、いかにも気の強そうな女子が仁王立ちしていた。
「私6組の三村って言うの」
やはり知らない相手だったが、わざわざ態度に出さないようにした。
「…何か用?」
いつもの無愛想に拍車がかかり、かなり低い声で返してしまうが相手は怯む様子もなく続けた。
「用があるのは私じゃなくて友達の青木由香って子なんだけど」
先ほどまで話題に出ていた名前が出て内心驚くが、予想は出来たことだった。しかし、勇太にビンタをかました次の日にもう行動に移すとは。メンタルは強いのかもしれない。
というか、先ほどから後ろの階段のある踊り場からこちらをチラチラ覗いている奴がいることの方が気になっていた。二人いるようだが、隠れるつもりがなくこちらをガン見している女子が件の青木だろう。
「何でその青木さんじゃなくて君が態々来るの」
その疑問に彼女は毅然とした態度で答えた。
「由香が自分じゃ行けないから代わりに行って、と泣きつかれたから仕方なくよ」
後ろで青木らしき女子が何やら焦っている。どうやら適当に誤魔化す算段だったのが、彼女が正直に話してしまったようだ。初めて話す相手だが中々いい性格をしているらしい。
「そんなこと言っていいのか」
すると彼女は不機嫌そうに腕を組んだ。
「私の要件、大体察しが付いているでしょう。大事な要件を他人に押し付けようって言う性根が気に入らないのよ。告白するんなら自分で呼ぶべきだわ」
吐き捨てるように言う彼女が何だか心配になった。
「青木さんに恨まれないのか」
そう尋ねると三村が歪んだ笑みを浮かべた。
「平気よ、だって由香は私から絶対離れられないもの。どんな事されても」
この二人の関係性が気になったが、深く考えないことにした。三村は元の不機嫌そうな表情に戻っていた。
「昼休みに体育館裏に来て欲しいって伝言。来たくないなら来なくていいわよ。断るんでしょ、どうせ」
翔真は何も言えなくなった。伝言を頼まれただけにしちゃ良く喋る奴だと思った。翔真の噂も良く知ってるようだ。態々来てもらったのに申し訳ないが友人にビンタするような人の告白など、受ける前からお断りである。
「申し訳ないんだけど、昼休みは用事があって無理だ」
流石に昨日のことは言えないので嘘を吐くしかないが、それを受けた三村は怒ることもなく「あ、そ」とだけ言いさっさと行ってしまった。頼まれて仕方なく来たと言わんばかりの態度だったが、青木の意思に反しているであろうことばかり言っていたし、二人の関係に謎が深まった。しかし、翔真には関係のないことなのでとっくに先に行った勇太を追うように教室に向かった。
その後何事もなく授業を受け、昼休みに誰かが来ることもなく放課後になった。翔真は特に部活に所属しておらず、バイトも今日は休みのためさっさと帰ろうと思っていた。同じく何も予定がないであろう勇太がかばんを持って翔真の机に近づいてくる。
「翔真、帰ろうぜ」
翔真もかばんを持ち、教室を出ようとしたら「橘」と声をかけられた。振り向くとクラスメートの佐藤が後ろのドアを指差している。指差す方に目を向けると、女子が立っている。その顔は今日遠目で見た顔だった。勇太を見ると明らかに嫌そうな顔をしている。青木が立っていたのだ。朝、三村を通して呼び出しを断ったがどうやら無駄だったようだ。というか、自分で来れるのなら何故友人を使ったんだ。
教室まで来られたら、無視するわけにも行かない。勇太は心配そうな顔をしていたが、それを無視して青木の元へ向かった。
青木に連れていかれたのは体育館倉庫の近くだった。ここは放課後ならほとんど人が来ないという告白スポットとしては有名な場所だった。有名なのに人が来ない場所とは、と矛盾しているがそれは今重要ではない。
翔真はここで初めて青木の顔を確認した。ボブカットに眼鏡をかけた色白な少女だった。先ほどから落ち着きがなく挙動不審と言っても差し支えなかった。緊張しているのかもしれないが、目の前の気の弱そうな少女が勇太の頬を叩いたとは信じられなかった。黙っていると青木が口を開いた。
「た、橘くん、呼び出してごめんなさい」
呼び出したというか、一度断ったのにもう一度態々教室に迎えに来ると言う、逃げ道を無くすやり方だろう、と口に出そうと思ったが面倒になりそうだと辞めた。いつものようにさっさと断って帰ろうと思い、目の前の少女の事を碌に見ていなかった。
一分ほど悩んでいたようだが、意を決したようでキリッとした眼差しを向けて来た。
「私、小学生の頃から橘くんのこと好きでした」
「え?」
思わず声が出てしまう。小学校の同級生とは聞いていたが翔真は青木を全く覚えていない。同じクラスになったことがあるなら流石に覚えているのでクラスはずっと違ったのだろう。翔真には好意を持たれるようなことを小学生に時にした覚えはない。
翔真の反応から覚えていないことを悟ったようだが、悲しんでいる様子はなかった。予想の範囲だったのだろう。
「お、覚えてないですよね…小学三年生の時なんですけど、私クラスの男子にいじめられてて。仕事を押し付けられたりブスとかのろまって言われたり。あの日は男子から大量のごみ捨てを押し付けられたんです。友人は手伝おうとしてくれたんですけど、手伝ったら友人も標的にされると思って一人で捨てに行きました。その時橘くんが手伝ってくれたんです。その時後ろから見張ってた男子が文句を言っても全部無視してゴミ捨て場に付いてきてくれて。その後いじめてた男子に向かって」
大きく息継ぎをした、そして
「『一人に仕事押し付けて恥ずかしくないのか、困っているのを見て笑っているのならただのクズだな』って。橘くんが居なくなった後その男子暴れだして先生にやってたこと全部バレたんです。その男子はクラスでの地位を失い私もいじめられなくなりました。橘くんのおかげです」
そう語る青木の頬は赤く染まり瞳は熱に浮かされていた。端的に言って恋する乙女というやつだろう。しかし残念ながら
(覚えてねぇ…それやったの本当に俺なのか。脚色してるんじゃないのか)
小学三年生の時のことだ。記憶違いはあるかもしれないがこんなにスラスラと淀みなく説明できるということは、詳細まで覚えているということだろう。それよりも翔真は当時の自分が言った台詞に対し恥ずかしさから悶えていた。小学生だ、カッコつけていたい年頃だったのは理解できるが、それを他人の口から語られる気恥ずかしさと言ったら。表情に出さないようにもだえ苦しんでいると青木が遠慮がちに「あの…」と声をかけて来た。
「あ、ごめん本当に覚えていないんだ」
申し訳なさそうに告げると青木は首を横に振った。
「それは本当にいいんです、昔の事なので…それであの、私と付き合ってもらえませんか?」
真っ直ぐな瞳で翔真の目を射抜く。勇太の件があり良い印象を抱いておらず、適当にあしらつもりだったが、真剣な態度と自分に好意を持ったきっかけを聞かされると、適当に返答することに罪悪感を抱き始める。しかし、翔真の答えは最初から決まっている。
「ごめん、誰とも付き合うつもりはない」
何度も告げて来た台詞だが、慣れることなない。言い終わった瞬間青木の目から光が消え、弱弱しい雰囲気が消えた。ゆっくり目を伏せ先ほどと同じように真っ直ぐに見つめてくる。
「…やっぱり天堂さんのこと引きずっているんじゃないですか…」
ついさっきの弱弱しいながらも芯の強さを感じさせる声ではなく、ゾッとする底冷えするような声だった。余りの変わりように声を出すことを忘れてしまう。
「高嶺の言うとおりにするのは癪でしたけど、自分から言えば何かあるかと思えばやっぱり駄目。取り付く島もないってこのことを言うんですね。まあ自分と会うはずだった相手が事故で死んだら文字通り心の中で生き続けるんでしょうか」
その瞬間背中に嫌な汗をかいてきた。呼吸も浅くなる。別人レベルの変貌についてよりも何故、青木はあの頃のことを知っているのか。親しい人間にしか話していないのに。翔真の狼狽が伝わったのか青木は歪んだ笑みを浮かべる。その様は朝に会った三村に少し似ていた。
「私、橘くんと中学校も一緒だったんですよ。…覚えているわけありませんよね。女子って噂好きで情報網も持ってるんです。だから天堂さんが亡くなった時のことも大体は知ってますよ」
そして、
「誰とも付き合わないのは天堂さんが死んだの、自分のせいだと思っているからですか。いつまで死んだ人間の事引きずっているんです、いい加減前に進まないとずっと」
「黙れ」
自分でも驚くほど低く冷たい声が出た。すると青木は異常なほど怯えだした。目の焦点が合わなくなっているが、関係ない。
「仮に引きずってたとしても君には一切関係ないし、ここまで言われる筋合いはない。…態々それ言うために勇太ビンタしたり呼び出したりしたのか」
淡々と尋ねるとキッとこちらを睨みつけている。その光のない瞳に宿っている感情は憎しみ、嫉妬、どれでもない。青木は歯を食いしばり絞り出すように声を出す。
「…好きなのは本当だったけど、私橘くん以外の男子のこと気持ち悪くて好きになる以前に会話も碌にできないの…橘くんを好きで居る時、私は普通の女の子でいられた…今一緒にいる子たち恋愛の話ばかりで、そんな中に居て男が嫌いなんて言ったら…だから橘くんが気になっているって言ったら当たって砕けろだって、無理やり…私本当に橘くんのこと好きだった。けど今は、昔の思い出に執着しているだけかもしれない…自分のことが分からないの…」
途切れ途切れになりながら必死で言葉を紡ぐ様子に、翔真は黙って見ることしか出来ない。敬語だったり、砕けた口調だったり安定してなかった。青木のことは知らないし知りたいとは思えないが苦労しているであろうことは想像に難くない。男が気持ち悪いというのは、もしかして小学生の時いじめられたからだろうか、真相は分からない。ここで何か言葉をかけてやるべきかとも思ったが、青木の事を許すことは今は出来ないしまた変に執着されても困る。呆然とする青木をその場に残し、この場から去ることにした。青木は何も言わなかった。
その日の気分は最悪だった。昔のことを無理やりほじくり返され、好き勝手なことを言われたからだろうか。そもそもあそこまで他人にきつい言葉を投げかけたのは覚えている限り初めてだった。それほど他人と深く関わってこなかったというのもあるだろうが、種類は問わず他人から重たい感情を向けられたことも初めてだった。
自分の中に渦巻くこの感情が何なのか分からない。ただ『彼女』のことを引きずっていることをハッキリと突き付けられたことは自分にとって結構な衝撃だった。自分でも察してはいたが人から言われるのとは違う。他人に興味を持てないのも、誰の事も好きになれないのも『彼女』のことを忘れられないからだ。認めたからと言って、どうしろというのだ。どうにか出来たら4年も引きずっていない。
気が付くと家の前だった。ガムシャラに歩いているつもりだったが、帰巣本能というものは備わっているようだ。人のいないどこかの公園でも行こうかと思っていたが自宅も誰もいない。そのまま家の中に入り、手も洗わず自室に向かう。かばんを放り投げブレザーを脱ぎ捨てそのままベッドにダイブした。
そのまま枕に顔を埋めていたが、流石に息苦しくなり、仰向けになった。見慣れた天井が見える。意図的に頭の中を空っぽにしようとしたが、青木に言われた言葉が頭から離れない。天井を見つめたまま頭の中で反芻していると段々瞼が重くなってくる。体は疲れていないが、精神的な疲労は感じていたのだろう。そのまま、意識は闇の中に消えていった。
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「何で止めないの」
彼女は不思議そうな表情で尋ねた。先生の反対を押し切って決めた園芸係の仕事で草むしりを行っている。
「先生も、周りの子も別の係にした方がいいって言うのに君は何も言わないの」
彼女は病弱で、初夏に差し掛かる頃にやっと学校に来れるようになった。自分は知らなかったが、病弱ということで先生や同級生からは過保護な対応をされてきたという。
「皆、私が心配なんじゃなくて私に何かあったとき責任を取りたくないんだよ。だから何もさせたくないの。妹は分かってくれるんだけど、あんまり会えないから」
そう不機嫌そうにつぶやく彼女は年相応に見えた。いつもつまらなそうな顔しか見たことがなかった。
「君は私が体育の授業に出たいって言った時も、園芸係をしたいって言った時も協力してくれたよね」
確かにクラスでドッジボールをする時、彼女もやりたいと言った時先生もクラスメートも反対していた。病み上がりなのだからと。そこに自分がドッジボールはそこまで運動量が少ないから大丈夫だと主治医に言われたと伝え、むしろ見学させてばかりだともっと体が訛るのでは、と。そう言うと先生は具合が悪くなったらすぐに言うこと、という条件付きで許可した。
運動音痴な彼女は割とすぐに外野に追いやられていたが。園芸係も同じような理由ですでに園芸係の生徒が彼女とやるのを嫌がったため、彼が代わりに引き受けたのだ。
「ずっと入院していて退屈だって言ってたじゃん。退院したからできなかったこと全部やりたいって。なら全部やった方がいいだろ」
彼自身幼少期はある病気でずっと入院していて、保育園はほぼ行けなかった。だから退院した時、周り止められてでもやりたい事をやった。自分の身体の事は自分が一番良く分かっていたので、当然ながら無理をしない程度に遊んでいた。
その経験から彼女のやりたいことを止めたり、反対することもしないのだ。何なら彼女に何かあったときの連絡係まで引き受けているのだ。何あったら自分が責められるだけだ。皆その責任を負いたくないから止めるのに、彼にとっては取るに足らないことだった。
そう言われたことが意外だったのか、彼女は異国の血を引いた証である海のような蒼い瞳を細めて笑った。
「面白いね、君」
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「…」
薄っすらと目を開けると部屋は暗く天井も良く見えない。サイドテーブルに置いている目覚まし時計を取ると、7時過ぎを指していた。数時間ほど眠っていたらしい。そのおかげか眠る前に抱えていたモヤモヤが少し晴れていた。
まだボーっとする頭で、夕飯をどうするかについて考えていた。朝冷蔵庫の中身を確認したが、チャーハンくらいなら作れる材料があった気がするが、何か作る気力はない。頭をスッキリさせる意味も兼ねてコンビニに行くことにした。ベッドから起き上がり、着ているしわのあるシャツとズボンを脱ぎ捨て、タンスの中から適当にTシャツとジーパンを取り出し着替えた。かばんの中から財布とスマホだけ取り出して家を出た。
外に出ると当然ながらすでに日が暮れていた。今日は天気が良かったから、星空が良く見えている。Tシャツ一枚で出てきてしまったが、まだ肌寒い。歩いていくうちに温まるだろう。家から一番近いコンビニには10分ほどかかる。そこそこ田舎の地方都市としては10分圏内にコンビニがあるだけマシであろう。まあ、桜岡を田舎と定義していいのか微妙なところだが。
見慣れた住宅街を通り過ぎると、やけに交通量の多い横断歩道に出る。3、4台車が通り過ぎるとやっと渡れるようになる。道なりに進むと、誰が遊んでいるのか分からない小さな公園が見えてくる。かなり近所だが一度も遊んだことがない。過疎化とは無縁と言われるこの町でも、この公園のように誰にも使われることなく朽ちていく場所が存在することに少し悲しくなる。公園を通り過ぎ左に曲がりそのまま進むと、店が立ち並ぶ大通りに出る。駅前の商店街と比べると小さく、寂れた印象を与えるが駅前まで行くのが面倒な時に困らない程度の店が立ち並んでいる。目当てのコンビニは商店街の端に建っている。
店内に入ると制服を着た男子、仕事帰りのOLらしき人等数人の客が弁当コーナーに屯っている。全体だと6人の客がおり、そこそこ混んでいると言える。時間的にこれから混んできそうなので、さっさと決めて外に出ようと思い、数人立っている弁当コーナーの隙間から手を伸ばし、ラスト一個のカレーを取る。そのままレジに向かい会計をする。店員からカレーを温めるか聞かれるが、断った。軽く歩いたことで眠る前に胸の中を渦巻いていた不快感はほぼ消えていたが、もう少し夜の涼しい風に当たりたいと思っていた。だから帰りは合えて遠回りするつもりだった。
コンビニを出て来た道の反対を行くと桜岡神社が見えてくる。年末年始は参拝客が長蛇の列を作り出しているが、それ以外しかも夜に行く人間はほぼいない。翔真は散歩する時は高確率で神社に行く。今日も誰もいないだろうなとぼんやり考えながら向かっていく。
しばらく歩くと木々に囲まれた小さな神社が見えてきた。鳥居をくぐろうと近づくと、賽銭箱の前に人影が見える。暗いせいでどんな見た目かは分からない。その人影が小銭を入れる音がしたので、反射的に近くの草むらに隠れてしまう。隠れる必要などないし、さっさと引き返せばいいのに。あの人影が気になった。
草むらにしゃがんで隠れた時、後ろからだと暗くて確認できなかった姿が少し見えたが、それを見た時思わず声が出そうになったのを必死で抑えた。その人影は綺麗な蜂蜜色の髪の女性だった。月明かりに照らされてキラキラと輝いて見える。翔真に金髪の女性の知り合いは居ない。いや、正確には居た、と行った方が正しい。その人とはもう会うことができないからだ。ランニングした後のように心臓がどくどくいっている。涼しいはずなのに変な汗もかいてきた。
今まで金髪の女性を見かけてもこれほど動揺することなどなかった。なのにあの人影を見た時から目が離せない。心臓の鼓動は更に早くなり気分が悪くなってきた。早くここから立ち去らなければ、と頭では思うのに体が石のように動かない。
すると、女性は参拝を終えたのか神社の鳥居に向かうために体の向きを変える。その際翔真のいる草むらを見ながら向きを変えたため、遠目だが女性の顔まで確認できた。女性の顔を確認した瞬間、先ほどまで動かなかった体があっさり動き隠れていた草むらから立ち上がってしまう。当然ながら、音がした方を女性は凝視する。そこで初めて女性と目が合った。突然草むらから出て来た翔真の事を女性は警戒心マックスの眼差しで睨みつけている。吊り上がった瞳は、暗い境内の中でも映えるサファイアと形容できる真夏の海のような濃い青色をしている。
髪は肩より長いセミロングで透き通るような美しい金髪。肌も透き通るように白く薄ピンクの唇はきつく結ばれている。彼女は警戒の姿勢を崩さないまま、話しかけてきた。
「…何ですか、あなた。そこで何しているんですか」
警戒心を解くつもりのない、とげのある冷たい声。記憶の中にある『彼女』の声とは違うが、髪色も瞳の色も、顔の造りは『彼女』によく似ていた。記憶の中の『彼女』の容姿は四年前で止まっているが、成長したらこんな感じなのだろう、というぼんやりとしたイメージが目の前に居た。
呆然として何も言わない翔真を不信感を通り越して心配したのか、強張っていた顔は徐々に困惑に変わる。翔真は、乾ききった喉から辛うじて言葉を絞り出そうとして一言だけ口から零れた。
「…涼香…?」
その瞬間、彼女の目が大きく見開く。そして数秒何かを考え、思い出したかのようなハッとした顔をする。その一連の表情の動きも『彼女』に似ていた。彼女はおそるおそる問う。先ほどと違い警戒心の消えたサファイアの瞳で見つめながら。
「姉の、涼香の友達ですか?…お葬式に来ていた。私双子の妹の天堂静香と言います」
目の前の彼女とよく似た少女、『天堂涼香』は四年前、翔真との待ち合わせ場所に向かう途中で事故に遭って死んだ。
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小学四年になってからずっと隣の席が空いていた。クラスメート曰く病弱で入退院を繰り返し学校にもあまりこれ来れていないのだと言う。教室に復帰すると病弱なのか疑わしいほど、自由に振舞うらしく教師も手を焼きクラスメートはのけ者にはしないが、一歩引いた眼で見ているらしい。子供というのは残酷で、普通から外れたことをするやつを排斥しようとするが、そこまでしないあたり元クラスメートは優しい方だったのだろう。
そんな奴が今日からクラスに復帰すると一週間前から担任が伝えていた。名前は天堂涼香。見た目だけなら学校一レベルの美少女らしい。にもかかわらず翔真は彼女の顔を知らなかった。勇太からも『もう少し女子に興味を持て』と言われてしまった。翔真としては仲のいい友人が数人いればそれでいいので、女子には興味がなかった。
隣の席ということで、彼女とは多少の交流は必要かもしれないが、そのうち女子の友人でもできるだろう。顔見知りの女子がこのクラスに何人かいるらしいと伝え聞いていた。その女子も微妙な顔で話していたが。
ホームルームの時間になり担任の都築先生が教室に入ってくる。教卓の上に出席簿を置くと、生徒の方に向き直る。
「おはようございます。今日から伝えていた通り、天堂涼香さんが学校に来ます。天堂さんはずっと入院していて、新学期になってから初めて登校します。色々不安だと思うので、皆さん困っていたら助けてあげてくださいね。じゃあ天堂さん、入ってきて」
先生がそう告げると、前のドア、ではなく後ろのドアが開いた。先生も驚いたのか「えっ?」と言い困惑していた。クラスもざわざわし始めていたが何人かは驚く様子はなく、「またか」とでも言いたそうな表情をしていた。同じ光景を見たことがあるのだろうか、とそんなことを考えていると開いたドアから女子が出てくる。既に騒がしかった教室が更にざわつき始める。大きな青い瞳に透き通るような白い肌、はちみつ色のさらさらとした髪は肩の上で切りそろえられていた。明らかに異国の血を引いているであろう美しい少女だった。見た目だけなら学校一と聞いていたが、なるほど、言われるだけあるな、と思った。男子は大半は熱のこもった目をしており、反対に女子は面白くなさそうな顔をしていた。
当の少女はクラス全体から注がれる興味や羨望の眼差しを煩わしいと思っているかのようにつまらなそうな表情のまま歩き、空いていた翔真の隣の席に座った。先生は「天堂さん、座る前に自己紹介!」とだけ告げる。想定外の事態のはずだが、それほど慌てた様子はなかった。促された涼香面倒そうに立ち上がり
「天堂涼香です。四年生になってから初めて学校に来たので、緊張しています。よろしくお願いします」
と鈴の鳴くような声で言って着席した。明らかに緊張などしていない、抑揚のない声だった。この手の挨拶をすることに慣れているのだろうか。前方に座る女子の何人かは彼女に手を振っており、涼香もそれに答えるように手を振り返していた。仲の良さそうな相手がいることに、初対面の相手ながらホッとしていた。
涼香は翔真の方を向き、「隣の席?よろしく」とだけ言ってすぐ前を向く。翔真も会釈をしながら「よろしく」とだけ言う。
(変わった奴)
そう思いながら授業の準備を始めた。
それが天堂涼香との出会いだった。
休み時間になると何人かの男子は涼香の机の周りに集まっていた。お近づきになろうと色々質問していたようだったが、当の涼香はつまらなそうに素っ気なく答えていた。余りいい反応が返ってこなかったせいか、数日もすると集まってた男子は逆に遠巻きに見るようになっていた。中でも一番熱を上げていた男子に対し、元クラスメートだった男子が
「あいつ見た目だけで中身サルだぞ」
と冗談なのか分からないことを言っていたのを覚えていた。その真偽も特に気にすることなく、翔真は涼香と大して関わらない日々を過ごしていた。涼香は特定の相手と仲良くする、ということもなくその日によって行動する相手が変わっていた。女子は特定の相手と固まって行動するイメージがあったので、意外だった。隣の席と言っても特に関わることがなかったが、それが変わったのは二週間後だった。
体育の時間は退院したばかりということもあり、体育館の隅か日陰で体育座りをしている彼女しか見たことがない。周りもそれを羨ましいということはなく、むしろ参加できなくて可哀そうという雰囲気が出来上がっていた。何でも体育はほぼ見学、レポート提出ばかりらしくかなり体が弱いらしい。翔真も幼少期は体が弱く、運動も満足にできなかったので涼香に同情的になっていた。
ある日の放課後の事だった。都築先生に用事があり、教務室に行った時のことだ。入ろうとした時、先生の話し声が聞こえた。他の先生は出払ってるらしく先生ともう一人の声しか聞こえない。話している相手は分からなかったが、会話の内容から推察できた。
「私、体育の授業に出席したいです」
声の主は涼香のようだった。ほぼ話したことはないが、初日に聞いた彼女の声は何故か耳に残っていた。それを受けた先生は困ったように答えた。
「けど天堂さん、前の担任の先生に聞いたけど準備体操で貧血を起こしたことがあるって聞いたよ。見学ばかりで退屈なのは分かるけど、身体の方が大事よ」
言い聞かせるように話す先生に対し、涼香は諦めてなかった。
「医者からは運動するように言われています」
それでも先生の態度は強固だった。
「二年生の時、運動会に参加した時に天堂さん競技中に倒れたでしょ。その時の担任の先生が体の弱い生徒に運動を強要をしているんですかって保護者会で責められたらしいのよ。ご両親からも激しい運動を避けてほしいって言われているし…」
言い終わる前に彼女は先生の横を通り過ぎて教務室を出て行こうとした。当然呼び止めるが、涼香は無視する。話を聞く限り先生は涼香を心配しているというより、何かあったとき責任を問われ責められるのを避けたいだけなのでは、と感じてしまう。まあテレビで正義の見方気取りで他人の家の子供の事に口を出す親がいると言っていたし、先生も大変なのだろう、それは分かる。だが、涼香の気持ちはどうなるのだろう。無理をさせないように運動するなどやり方はあると思うが。
扉の前から動くのを忘れており、出てきた涼香と顔を合わせてしまう。翔真がいるとは思わなかったのか青い瞳は大きく開かれてそのまま固まる。立ち聞きしていたことの罪悪感から気まずくなり目を逸らしてしまうが、対して涼香は何も言うことなくそのまま玄関の方に向かおうとしていた。その時一瞬だけ見えた、悲しそうな青い目がやけに焼け付いていた。そして普段なら絶対やらないことをしてしまった。
「体育出たいのか」
ボソッと言ったつもりだったが聞こえていたらしく歩みを止めてこちらに振り返る。その青い瞳は警戒が滲んでおり、分かりやすく警戒されているな、と感じた。碌に話したこともない隣の席の男子が自分の話を立ち聞きしていた上に、話しかけてきたのだ。笑いながら対応する人間はまずいない。
とは言え無視することは出来なかったのか、そのままこちらに近づいてくる。
「隣の席の橘…だっけ。何か用?」
不機嫌さを隠さない声だ。まあ、その不機嫌さは体育の授業に出たいと言う気持ちの強さの裏返しなのだろう。病弱な人間はその反動で体を動かしたがるものなのか。
「別に用はない。ただ話の内容が聞こえたから、気になって声をかけただけだ」
その答えに一応納得はしたのか、不機嫌さが顔から少し消えた気がする。立ち聞きというか、結果として盗み聞きしてしまったのは事実なのだがそれについては怒ってはいなさそうで、ホッとする。
「立ち聞きしてたのなら、説明はしない。体育の授業に出たいって言ったら前みたいに倒れられたら困るから許可できないって言われた。それだけ」
涼香はその綺麗な顔を悔しそうに歪ませ、棘を感じる声色で答えた。そんなに体育の授業に出たいのか。翔真も授業に出れるようになったばかりの頃は喜んで参加していたが、今では時々サボりたいとすら思っている。だが、涼香は翔真とは比べ物にならないくらい制限のある生活を送ってきたのだろう。そう思うと体育にかける並々ならぬ思いも理解できなくはない。
「主治医に体育に出て良いっていう許可証でも書いてもらえば?」
「…?」
涼香は突然何を言うんだこいつ、とでも言いたそうな表情をする。普段クラスで見るのは笑ってるか、無表情でつまらなそうな様子だけなので悲しんだり、不機嫌そうにしているのは新鮮だった。
「さっき医者に運動するように言われてるって言ってたけど、口で言うより医者の書いた許可証見せれば、先生だって無視できないだろ。あとで見せたのに参加させなかったって責められるなんて先生も避けたいだろうし」
「…先生、体力がかなり落ちてるから運動はできるだけしろって言うから、書いてはくれると思うけど」
希望が見えて来たとばかりに暗かった表情が徐々に明るくなる。だが、そこに水を差すような「いや」という否定が誰もいない廊下に響く。
「子供だけじゃ駄目だと思う。親の同伴が必要なんじゃないか、普通」
まともな医者なら子供に言われるがままホイホイ許可証なんて書かない。社会人が会社を休む時の正当な証明として診断書が使われるくらいだ。医者が書くものはそれほどの効力を有するのだ。
すると涼香があからさまに嫌そうに顔を歪めた。先ほどの話にも出てたが涼香の親は娘が運動をすることに対しあまり賛成ではないのだろう。しかし運動会への参加を許可したということは思う程過保護な親でもない気がする。
そう言えば、下校の時何人かの女子と一緒に校舎を出るのを見たことがある。朝は知らないが、少なくとも下校時は徒歩で帰っているのだ。ずっと体育を見学しているくらいなのだから登下校も親が送迎していると思っていた。そうではないらしい。
「…いうだけ言ってみる」
そうつぶやくと話は終わったとばかりに体の向きを変え今度こそ玄関に向かおうとする。しかし何か思い直したのか翔真のほうに体を向け、じっと顔を見つめて来た。なまじ綺麗な顔に見つめられてると照れてしまうが、相手はそんなことなぞお構いなしに、何も喋らずじっと見てくる。多少の居心地の悪さを感じていると相手が口を開いた。
「…いい奴だな君。ありがとう」
それだけ言うと今度こそ去っていった。残された翔真は涼香に言われた言葉を反芻していた。翔真は見た目がいい奴は周りが自分のために何かするのは当然、と考えていると思っている。今まで一緒のクラスになったことのある女王的存在の女子が翔真を含め、クラスメートに何かしてもらったのにちゃんとお礼を言われたことも、言っているのを見た記憶がない。そのような経験から、涼香もお礼なんぞ言わないだろうと勝手に決めつけていたが。
(いい奴、か)
悪い気はしない、と妙な優越感に浸りながら教室にランドセルを取りに行った。帰ってから都築先生への用事を思い出していた。
「体育やっていいってさ」
「へ?」
数日後の朝。生徒たちもほとんど登校している時間帯、着席して本を読んでいる翔真に対し井の一番にかけられた言葉だ。いつも早めに登校している涼香だが、今日ばかりはギリギリの時間に来ていた。
「親に頼んだら激しい運動はしないこと、体力が落ちてるから無理を居ない範囲で体力をつけることを条件に主治医の先生に連絡してくれることになった」
そう語る彼女の顔は嬉しくて仕方ない、と体全体からあふれるほどいい笑顔だった。他の男子が見たらコロッと惚れてしまいそうなものだが、残念ながら涼香は翔真の方に顔を向けていたため、他のクラスメートからは見えないだろう。
「そう、良かったな」
また読書に戻ろうとしたが、そうはさせてくれなかった。
「それでさ、体力づくりって何すればいいか分からないから付き合ってよ」
「へ?」
本日二回目。突拍子もないとはこのことだろうか。百歩譲って体力づくりが必要、やり方が分からないから誰かに助けを求めるのは理解できる。だがその相手が翔真である必要はないはずだが。
「なんで俺?友達にでも頼めばいいじゃん」
「友達いないし」
淡々と悲しいことを言ってくれる。
「いつも女子と一緒にいるだろう。あれで友達じゃないのか」
「学校にいる時だけだよ一緒に居るの。放課後や休みの日に遊んだこともない」
聞いてるこっちが悲しくなってくるが、当の本人は何とも思っていないようだった。
「そもそも橘が声かけたからこんなことになってるんだけど」
まるで翔真が悪いみたいな言い方をする。こんなことになるのならこの間声をかけなかったのに。今更言っても遅いが。翔真は塾も習い事もしていない。していれば断る理由に出来たかもしれないが、今の状態だと断るのは難しい。彼女曰く焚きつけてしまったのは翔真らしいし、腹をくくるか。
「…付き合うって具体的に何をするんだ」
意外な返答だったのか大きくサファイアの目を見開いていた。ただでさえ目が大きいのに、今の状態だと圧が凄いな、とどうでもいいことを考えていた。
「もっと嫌がると思ってたのに。一応色々持ってきたの無駄になった」
すると残念そうに眉をひそめながら机の横に置いていた紙袋を翔真の机に置いた。置くときにしたドン!という音が明らかに重いものが入っていることを示唆していた。それを見た翔真は慄いていた。
「…なにこれ」
中身よりもこれを涼香がどうやって持って来たのか、の方が気になっていた。入院生活が長くて体力の落ちている人間が持ってくるのは無理ではないのか。疑問が顔に出ていいたのか、涼香が答えた。
「中身は本。運ぶのはお母さんに手伝ってもらった。見ていいよ、中身」
そう促されたので紙袋の中身を除く。
「…死神探偵神宮寺幸四郎の事件簿の新刊…」
それは翔真が一番嵌まっている小説だった。事件を引き寄せる呪いを背負った主人公が事件を解決しつつ呪いを解くために奔走すると言う、ミステリー作品だ。ライトノベルのような読み易い文体で小学生でも読んでいる人間は多い。5年前までコンスタントに新作が刊行されていたが、作者が揉めたのか突然刊行は中断。その2年後に別の出版社から刊行されるようになった。だが、それまで文庫で発売されていたのがハードカバーでの刊行になったのだ。翔真はお小遣いの殆どを本や漫画に費やしているため、値が張るハードカバーは買わないようにしている。このシリーズはハードカバーでの刊行の一年後に文庫本で刊行されるため、文庫化されるまで我慢しているのだ。
紙袋には文庫化されていない3冊が入っていた。正直喉から手が出るほど欲しいが、問題は何故涼香がこれを持ってきたかということだ。普段読むときはブックカバーを付けているからほぼ話したことのない涼香が、翔真がこの作品のファンだと言うことは知りえないはずだが。
「それ好きだって聞いたから、家の書庫から持ってきた」
「…誰から聞いた」
今度は翔真が警戒心満載の声で答えると、反対にのほほんとした声で答えた。
「高嶺に橘にお礼したいから、好きなもの教えてって聞いたらこのタイトルと、新刊がハードカバー
で出てるからすぐには読めないってよく文句言ってるって、聞いてもないのに教えてくれた」
やはり勇太か。この数日やけにニヤついていると思ったら。一言教えてくれてもいいだろう、と思ったが奴は面白そうだと感じたらそのまま放置するタイプだ。今のこのやり取りもどこかで覗いていそうだ。
「断られた時にこれで釣ろうかと思ってたけど、無駄だったよ。持って帰るの面倒くさいな〜」
聞き捨てならないことを聞いた気がしたが机に置いた紙袋を机の下に移動しようとしたので、両手で紙袋を掴んだ。翔真の行動に驚いているようで、「は?」と間抜けそうな声を出す。
「わざわざ持ってきてもらったのに、悪いから俺持って帰るよ」
余りの喰いつきの良さに心底意外そうな表情を見せるが、すぐ紙袋から手を離した。翔真は紙袋から本三冊を出し、見たこともないような笑みを浮かべている。勇太が見ていたら大笑いするだろうが、涼香は思っていた以上に喜んだ反応を見たからか小さい子供を見ているかのような優しい眼差しを向けていた。翔真は気づいていない。
「じゃあ体力づくり付き合ってくれるってことでいい?」
「いいよ、何でも付き合うよ」
本に夢中になっていた翔真は生返事で返す。後々この時のことを後悔することになるのだが、それは別の話。
************
「姉の、涼香の友達ですか?…お葬式に来ていた。私双子の妹の天堂静香と言います」
涼香と似た彼女を見たことで昔の記憶が映像のように頭の中を駆け巡っていた。どれくらい意識を記憶の彼方に飛ばしていただろうか。彼女の様子を見る限りこちらを訝しんでいる様子はない。かなり長い時間記憶がフラッシュバックしていたように感じていたが、ほんの数秒だったのだろう。初対面の人間相手に呆然として固まるなんて醜態を晒さずに済んだことにホッとする。
とりあえず、話しかけられているのだから何かしら反応しなければいけない。目の前の彼女は十中八九涼香の妹だろう。当然面識はない。普段中々会えない妹がいる、いつか翔真に会わせたい、絶対気が合うと思うとよく言っていた。話している内容から妹は年が近いと感じていたが、まさか瓜二つの双子だとは思わなかった。
「君は、涼香が良く話していた妹か?まさかこんなにそっくりだとは思わなかったけど」
動揺していることを悟られないように、出来るだけ平常を装いながら答える。実際手汗がひどいことになっているが、手を握られない限りバレないだろう。
静香と名乗った少女は見れば見るほど涼香に似ていた。出会ったばかりの今、冗談でも「私は涼香」と言われたら信じてしまうレベルだ。まあ、そんな悪趣味なことをする人間なら無視してこのまま帰っているが。
静香は翔真の言った言葉に姉との思い出を思い返しているのか、懐かしむような、悲しい顔を見せた。どれだけ思いを馳せようとも、今日初めて出会った二人の共通の話題である涼香はもういない。翔真が静香に出会ったことで涼香との日々を思い返すように、静香もまた姉の事を思い出さずにはいられないのだろう。
「あなたのことは涼香から良く聞かされます。変…面白い奴があるってメールや直接会った時良く話してました」
「今変な奴って言おうとした?」
妹に自分の事をどんな奴だと紹介していたのだ。もし涼香がこの場にいたのならば「お前に言われたくない」と口にしているところだ。少なくとも翔真は涼香以上に破天荒でマイペースな人間を知らないし、これから知ることもないだろう。
翔真の反応に静香はプッと噴出した。その綺麗な顔がクシャクシャになる。その様を見ても涼香と笑い方が似ているとしか考えられないのだ。今話しているのは静香なのに。どうしても涼香の影がチラつく。こんな態度では相手に失礼だと頭では分かっているのだが。そんな翔真の思いなぞ知る由もない静香は、姉の話題を共有できる相手に対し喜びを隠しきれていないようだった。
「涼香の相手大変じゃありませんか。病弱なくせに体動かすのが好きで良く倒れて私たちを心配させてますし」
静香を心配させないように、無理やり引きつった笑みを浮かべた。平然とした態度を崩さないように神経を集中させていた。彼女が姉の事を話すとき意図的なのか不明だが、過去形を使っていない。今この時だけは彼女の姉はこの世のどこかに存在しているのかもしれない。
「あー、体育の授業に出るための体力作りに付き合わされたな。初日からペース配分間違って倒れるし大変だった。本に釣られて付き合ったことを後悔したよ」
9年近く前のことがまるで昨日のことのように蘇ってくる。確か張り切りすぎた涼香が学校のマラソンコースを歩いた際、水分不足でぶっ倒れたのだ。涼香が大量に持ってきてたポカリのおかげですぐに回復したが、翔真が休憩しろと言っても頑として聞き入れずまだやれる、と漫画で負けそうな敵キャラみたいな台詞をゼーゼーしながら言っていた。次同じことをしたら両親と先生に言うと脅したら、特訓中に倒れることは無くなったが。
翔真の疲労感溢れる表情に申し訳なさを感じたのか、気まずそうに恐る恐る口を開く。彼女も普段は離れたいたとはいえ、あのようなパワフルな姉を持っているのだから苦労は多かったのだろう。その点からしても気が合いそうだった。
「…それなのによく姉に付き合ってましたね。涼香は孤立こそしてなかったけど本当の友人も居ないようでした。まあ好き勝手やって倒れる、ことが多かったので周りが敬遠するのも無理はないんですけど」
そこで一度息継ぎをして
「多分あなたと仲良くなった辺りからでしょうか。同性の友人ができたと喜んでました。体力がついて倒れなくなったことが大きいと本人は言ってましたけど」
彼女の話に、また昔のことを思い出した。体育の授業に出るようになってからだろうか、今まで表面上の付き合いしかしてなかった女子たちが涼香を遊びに誘うようになった。元々虚弱体質なことと、他人に興味のない素っ気ない態度から深い付き合いをする相手が居なかったが、普通に体育に出れるようになったこと、よく笑うようになったことで間にあった壁が取り払われたようだった。
元々あの見た目、入院中も勉強していたため成績も優秀だったのだ。人気者になる要素は大いにあった。雰囲気が柔らかくなったことで男子からのアプローチも増えていったが、相手にすることはなかった。
体力づくりの必要が無くなっても、涼香と翔真の繋がりは無くなることはなかった。それもまた別の話。
つい先程、静香がよく涼香に付き合えていたな、と聞いていたがそれに対する答えは一つ。一緒に居て楽だったから。人に対し猫を被るタイプではなかったが、涼香と居ると気を遣ったり何かしゃべらなくては、と気を揉むことがなかった。ほぼ喋らず涼香の家の書庫で本を読んで過ごしたこともあった。それを聞いた勇太に「熟年夫婦か」と突っ込まれたこともあった。
ふとしたことから始まった関係だったとはいえ、面倒に感じていたなら涼香に同性の友人ができた時点で、または体力づくりに付き合う必要が無くなった時点でフェードアウトすることも出来た。それをしなかったのは、つまり。
それを静香に言うつもりはなかった。流石に今日初めて会った相手にそこまで話すほど警戒心がないわけではない。静香も特に追及してくる気配はなかったのでこの話題はこれで終わりだろう。
ふと静香が左手に付けているシンプルなデザインの腕時計を見て眉をひそめた。時間が気になり翔真も腕時計を確認すると、8時を過ぎていた。静香は名残惜しそうに告げた。
「…ごめんなさい、そろそろ帰らないと。引っ越してきたばかりなので遅くなると両親が心配するので」
「引っ越し?」
そう言えば、葬式の後暫くして涼香の両親は遠くの地域に引っ越していったと両親から聞いた。その際涼香の友人にお礼の手紙を送っていたらしいが、翔真に対しては直接自宅にお礼を言いに来たと後から聞いた。当時の翔真はかなりふさぎ込んでおり誰とも会わなかった。回復してから挨拶しておくべきだったと後悔したが、すでに遅かった。
「はい。…お葬式の後父が転勤になって引っ越すことになった後、私も両親について行くことにしたんです。今年の春からこの町に戻ることになって。今は転入手続きとか色々やっているんです」
葬式、という単語が出た時は一瞬表情に陰りが見えたがすぐに消え仄かな微笑みを浮かべている。姉がかつて過ごした町に戻ることになり、思うところがあるのだろう。それは嬉しさなのか、離れて暮らしていた姉の思い出が残る場所で暮らすことになることへの漠然とした不安なのか。当然ながら翔真には分からない。
「…大変そうだな。引き留めてごめん」
苦笑いを浮かべる翔真に対し、静香は慌てて首を振る。引っ越した直後なぞ一番大変な時期だろうに、こんな時間に結果的に引き止めることになってしまい申し訳ない気持ちになる。
「そんなことないですよ。両親以外で姉の話をするの初めてだったので楽しかったです。…あ、そういえば私あなたのお名前聞いてませんでした。教えていただけませんか」
遠慮しがちに尋ねられ、並みの男なら断ることができないだろうなとぼんやり思った。今気づいたが、静香は翔真の名前を知らなかった。涼香は曲がりなりにも友人と呼べる相手の名前を妹に言ってなかったのか。まあ、涼香なら名前は引き合わせた時にでも教えればいい、くらいのことは考えていそうだった。三人で会う日が来ることは永遠になくなってしまったが、奇しくも春に二人が出会ったことは、何かあると思わずにいられない。
「橘翔真」
名前を教えてその日は別れた。
(あ、連絡先とか聞いとけば良かった)
勇太が来たら飛び上がりそうな台詞である。翔真が能動的に女子の連絡先を聞いたことはない。決してやましい気持ちから聞いたいわけではなく、引っ越したばかりで大変だろうから連絡の取れる相手がいた方が便利では、という気持ちからである。そもそも、共通の話題があるとはいえ翔真が初対面の相手と会話が盛り上がることは少ない。涼香に似ているからという理由だけではない気がしていた。それが何なのかは分からないが。一目惚れ、というのは一番可能性から遠い。顔だけで好きになるほど単純ではないと自分では自負しているからだ。しかし、静香にまた会いたいと言う気持ちが芽生えていることに戸惑いを感じていた。
住んでいる桜岡町は田舎といえど栄えている町で結構大きい。連絡先を知らない者同士が町を歩いていて偶然出会う、なんてことは宝くじで3等が当たるという微妙な確率だと思っている。以前涼香一家が住んでいた場所は覚えているが、仮に一家が再びその場所に住んでいるとしてそこに翔真が現れたら。姉のかつての友人とはいえ一度話しただけの相手が尋ねてきたら、静香は気味が悪いと感じるだろう。それは絶対にしてはいけない。
静香が転入する高校が桜岡だった場合、コンタクトを取る機会は闇雲に町を歩くよりはあるだろうが、小学校は全寮制の私立に通っていたと姉から聞いた。偏差値そこそこの桜岡高校に行く可能性は低い。こちらも望み薄だろう。
翔真は神社を出る時、手に持っていたカレーの存在に気づいた。そもそも夕食を買うために外に出たのだ。その瞬間腹からグーという音が鳴った。夕食を取るため帰路を急いだ。
それから一カ月程過ぎた。当然ながら静かには会えていなかった。本気で昔涼香一家が住んでいた場所に行こうと悩んだが、それをやったら戻れなくなる気がしたのでどうにか踏みとどまった。『偶然』会えることに淡い希望を抱いていた。
今日は新学期初日。今日から高校三年生である。本気で進路を決めなければいけない時期が来ていた。大学進学をすることは決めているので普段から一応勉強していた。この町を離れるか、別の場所に行くかは決めてはいなかった。
眠くなる校長のつまらない話が終わり、新しい教室に戻る。3年2組で勇太とまた同じクラスだった。教室に戻り、先生が戻るまでの間皆友人作りに奔走したり、顔見知り、友人と話すために席を移動していた。勇太とは出席番号順でも席が近いのだが、わざわざ翔真の席まで移動してきた。勇太は校長の話が長い、受験生だから本腰を入れて勉強をしないと、と他愛ない話をしていたが突然何かを思い出したように「あ」という声を出した。
「そういえば、うちのクラス転校生が来るらしいぞ。女子でしかも凄い美人らしいぜ」
「へ?」
素っ頓狂な声を出してしまう。普段はしない反応を翔真がしたことで勇太は怪訝な顔で見る。いや、教室に来た時から気づいていたのだが、翔真の隣の席が空いているのだ。確か前の席の女子の苗字は千原、後ろの席の女子の苗字は時田、だった気がする。
「いや、春休み前に教務室で先生が話しているの聞いてさ。何でも編入試験ほぼ満点だったってさ。マジそんなで漫画みたいな奴いるんだな」
笑いながら勇太が話す内容が頭に入ってこなかった。断片的に語られた条件、千原と時田の間に入る苗字という条件に合致する人間に、つい最近会っている。いや、これだけの情報で判断するのは早い。
教室を見渡すと、男子は大多数が落ち着きがなくソワソワしていた。女子の転校生が来ると言う情報は結構漏れているのだろう。あわよくばお近づきに、とでも考えているのかもしれない。
色めきだす男子たちの野太い声や女子たちの姦しい話声で騒々しい教室は、一人の人間が入ってきたことにより静まり返った。このクラスの新担任の麻生先生だ。クレーのジャケットにパンツスーツを着こなす女性の先生だ。27歳と若い先生でクールビューティーという言葉が合う美人な先生だ。サバサバとして生徒想いな性格から男女問わず人気が高い。受験期の大事な時期の担任が麻生先生とは、担任ガチャはSSRを引いたようで、教室内は先程とは違う理由で騒がしくなっている。
麻生先生はカツカツとヒールの音を立てながら教卓の上に出席簿を置いた。
「はーい静かにしろー。君たちの担任の麻生だ。君たち今年受験だから、気を抜くなよー」
すると教室のあちこちから「麻生ちゃんだ、やったー」という声が聞こえ「先生と呼びなさい」という聞きなれたやり取りが聞こえる。軽く咳払いをした麻生先生は気を取り直す。
「えー、知ってる人もいるかと思うがこのクラスに転校生が来る。皆仲良くしろよ。じゃあ入ってきて」
先生が言い終わると同時に教室の前方のドアが開いた。開いたドアから出て来た人物を見た途端、さっきまで喧噪の中に会った教室が再び静まり返る。代わりに「モデル?」「すっごい美人」「綺麗な金髪、ハーフ?」という感嘆の声が聞こえてくる。男子は対照的に口を開けたまま呆けている。中には目を見開き驚きを隠せない勇太と同じ反応を見せる奴もいる。三者三葉の反応だ。翔真もこれが初対面だったら同じ反応をしていたことだろう。
「天堂静香と申します。よろしくお願いいたします」
静香は初めて会った時と同じ鈴の鳴くような声で自己紹介をする。
翔真は意外と早く再会したな、と他人事のように思っていた。
クラスメートとなる人間の中に知った顔を見つけた静香が翔真の名前を呼んだことで、ちょっとした騒ぎになるのだが知る由もない。




