【前編】普段厳しい上司が、突然人が変わったように優しいから。だから、びっくりしてるだけなんだからね!
私の名前は原田千春。
恋に恋する16歳の乙女だニャン!
……。
ごめんなさい。
嘘つきました。
私の名前は原田千春。
処女を拗らせた干物女、26歳です。
昼間は市役所で働く私には、重大な秘密がある。
* * *
午前1:23。
明日の仕事のため、お肌の健康のため、既に熟睡していなければならない時間。
私は学校の屋上で、刀を握っている。
カラオケボックスでマイクを握っているんじゃない。
ジムでスカッシュのラケットを握っているんじゃない。
彼氏の部屋でカレピッピの手を握っているんじゃない。
深夜の学校の屋上で、刀を握っているのだ。
──理不尽だ!
「どりゃあああ!」
乙女の喉から出たとは思えないほど気合の入った低い掛け声に、自分でもどん引く。
でも、このくらい気合を入れなきゃやってられない。
──だって、目の前にいるのは正真正銘の『怪物』だから。
身長は10メートルくらいか。
でかい。
人間の形はしているが、とても人間には見えない。
なんか、おどろおどろしい見た目。
一つだけの目玉がギョロギョロとこっちを見ている。
気持ち悪っ!
大上段に刀を構えて、学校の校舎の屋上から飛びかかる。
落下の勢いを使って、刀を振り抜いた。
「やったか!」
華麗な着地を決めて、化け物の方を振り返る。
「ぎゃぎゃぎゃぎゃ」
「うそ!」
今の一撃で斬れてないなんて!
腕が鈍った?
違う。
今日は仕事帰りで直行したから、スカートだしパンプスだからだ!
なんでタイトな感じのスカートにしちゃったのよ、今朝の私!
「応援呼びますか!?」
遠くから、警察官の声がする。
「大丈夫!」
それには大声で応えた。
化け物の汚い叫び声と、私の口元を隠す面頬に遮られてしまうから。
え?
面頬って何かって?
甲冑を着て兜を被ったときに、口の周りと喉を守ためにつけたお面のことだよ。
わからない? じゃあ、ググってね!
素顔を隠すのにちょうどいいものが、これしかなかったんだよ。家に。
話が逸れたけども。
とにかく、この化け物をなんとかしないと。
「タカシくん! 援護!」
「承知!」
呼びかけると、上空から聞こえる良いお返事。
相棒のタカシくん──使い魔の鷹──だ。
「足を斬って、倒れたところで首を斬る。よし!」
刀を鞘にしまう。
左足を引いて、ぐって腰を落とす。
──ビリっ。
あ、スカート破けた。
でも、背に腹は代えられない!
さっさと退治して帰らないと。
私は明日も(正確には今日も)仕事なんだよ!
タカシくんの羽根爆弾による空爆で、怪物が怯む。
その隙を、逃さない。
「どりゃあああ!」
本日2回目、乙女の咆哮。
遅刻だけはしたくない! だって、職場では目立ちたくないからぁ!
* * *
「言い訳は?」
「ありません」
怪物退治が終わって、諸々の処理をして帰宅したのが午前5時。
それからシャワーをして、飲んだコーヒーのカフェインは大した意味もなく。
ちょっとだけ、ちょっとだけ……。
ベッドに入った私のアホ!
案の定、寝坊した。
目が覚めたのは午前9時。もちろん遅刻。
今は人気のない非常階段で、上司に叱られているところだ。
「連絡もなく1時間超の遅刻はよくない」
「おっしゃる通りです」
江崎和樹係長。
シュッとした体型にシュッとした切長の瞳。
全体的にシュッとした雰囲気の、ザ・できる男。
モテるけど冷たい態度には定評がある。
言い寄る女を、バッサバッサと振っているらしい。
きっと理想が高いんだな。うん。
「……疲れてるなら、無理するなよ」
え。優しい。
なんで?
「なんだ、その顔は」
「いえ」
「課長には調子悪くて病院行ってたって言ってあるから。合わせとけよ」
「え」
「なんだ」
「優しいのが意外で」
あ、心の声が出ちゃった!
「意外?」
眉間に皺!まずい!
「すみません! ありがとうございます!」
言うだけ言って、回れ右だ。
ダッシュでトイレに駆け込んだ。
「なんだったんだ?」
心臓がバクバク言ってる。
これは、あれじゃない。
トキメキ的なアレじゃない。
普段厳しい上司が、突然人が変わったように優しいから。
だから、あれだ、それだ。
……びっくりしてるだけなんだからね!
* * *
「昨夜の怪物騒動は、いつもの女性の活躍で死傷者ゼロです」
書類を持つ手。
節張ってて、かっこいい。
「現場となった石塚高校は午前を休校として現場検証。校舎内の安全が確認できたため、午後からは授業を再開します」
淡々と事実を説明する声。
低くて艶があって、かっこいい。
「いつもの女性は?」
ちょっと、課長。
私、今、大事な観察中なんですよ。邪魔しないでください。
「今回も『名乗るほどの者ではない』と言い残して、立ち去っています」
周囲から湧き起こる失笑。
あ、やめてください。
本人ここにいるんで。
痛いセリフだってわかってます。
でも、他に何も思い浮かばなかったんです。
「何者なんだ?」
「全くわかりません」
「正体不明の怪物に、それを退治するのも正体不明の人間ときた。困ったねえ」
課長がため息を吐く。深い。深いよ、課長。
苦労してるもんね。
「……そろそろ怪物対策の新しい課ができませんか? 環境課で対応するのは限界ですよ」
小さく漏れた声に、会議室が静まり返る。
それ、言ったら、あかんやつや。
みんな思ってるけど、我慢してるやつ。
この街に『怪物』が出るようになって3年が経とうとしている。
当時は『ついにこの街にも……!』と話題になったものだ。
まあ怪物が出るのはいつも深夜だし、いつの間にか退治されているから、騒動も徐々に下火になっていったけど。
対応は基本的に警察と、謎の退治人。
騒動の後片付けとマスコミ対応を、市役所の環境課が担当している。
他の地域にも謎の退治人がいて、環境省からは『彼らの邪魔はするな』とだけ通知が来ている。
お気づきのことと思いますが、私がその退治人の一員です。
この街に現れる怪物を人知れず退治しているのが、私ってわけよ!
「そう言うな。ま、我々には名無しのヒーローがついてる。なんとかやっていこう」
課長の言葉を最後に、会議はお開きとなった。
「じゃ、片付けよろしく。原田ちゃん」
「課長、ちゃん付けはまずいです。セクハラです」
課長補佐の女性がボソッと指摘するが、課長はガハハと笑うだけだ。
「相手は原田ちゃんだぞ? カラカラに干からびとるのに、何がセクハラだ!」
「ははは。そうですねー」
いつものように乾いた笑いでサラッとスルー。
こんな風に笑われるのも、もう慣れた。
お茶を片付けて、長机を拭く。
下っ端女性公務員の役割だ。
わざわざ言われなくたって、ちゃんとやるわよ。クソ課長め。
いつも一人で最後まで会議室に残って片付ける。
そう、いつもは一人なのに。
「何か、ご用ですか?」
なんでいるのよ、江崎係長は。
今朝のことがあるから、ちょー気まずいのに!
「昼飯、外にするか」
「あ、はい。どうぞ」
「……お前、アホか」
え、なんで急にディスられてんの、私。
「誘ってるんだよ」
「ひょ?」
思わず変な声が出た。
恥ずかしい。
絶対に顔真っ赤だ。
「……行くぞ」
「ひゃい」
返事ですら噛んだ。
穴があったら入りたい。
* * *
「いつまで顔隠してるんだ」
だって、なんで真向かいに座るのよ。
四人席なんだから、斜向かいに座ってくれればいいのに。
なんで、真正面に!
「ほっといてください」
──クスッ。
え? クスッ?
笑った?
笑ったの? あの江崎係長が!?
指の間から、こそっと顔を見る。
──笑ってる。
いや、微笑んでいる。
目尻が下がっている。
「くぁwせdrftgyふじこlp」
どこいった語彙。どころじゃない。言葉を失くしてしまったよ、私は。
「何言ってんだよ」
はははって。
笑ってるじゃん!
ガチで、笑ってるじゃん!
「ほら。飯来たぞ」
湯気を上げるパスタくん。
美味しそう。
空腹には勝てずに、顔を隠していた手でフォークを握る。
ふと、当然の疑問が浮かんできた。
「なんで誘ってくれたんですか?」
「好きだから」
……。
…………。
あ、幻聴か。
「幻聴じゃないからな」
うーん。
心を読まれたような気がするけど、気のせいよね。
幻聴幻聴♪
気のせい気のせい♪
パスタ美味しい!
「おい」
ひゃっ!
手を! 手を! 握らないでください!
現実逃避中なんだから、現実に引き戻さないで!
「急に悪い。でも、本気だから」
まじか。
マジかよ。
あの、江崎係長が!
照れてる!
頬を染めて、照れていらっしゃる!
尊い……。
でも。
「なんで、ですか?」
「なんで?」
江崎係長は、3ヶ月前の異動で環境課に来た。
そこで初めて出会ったのだ、私たちは。
出会って3ヶ月だ。短い、短いよ。
それなのに私のことが好きとは、これいかに?
それに。
「私、地味だし」
「確かに」
あ、その相槌は地味に傷つく。
確かにそうなんだけど。
……地味なんだよね、私。
長い前髪に黒縁めがね。髪は黒いままで染めたことはない。
服も黒とか白とか茶色ばっかり。
こんな地味な私を、市役所きってのモテ男が好きになるはずなんかない。
今だって、よその席からチラチラ見られている。
『ちょっと、地味女が江崎様にちょっかい出さないでよ!』って感じの目線だ。
「干物だし」
「そうなのか?」
「処女だし」
「……それは、聞かなかったことにする」
「好きになる要素、なくないですか?」
しゅん。
多分、そんな音が聞こえているはず。
小さな頃から修行ばっかりで、女らしさを磨く時間なんかなかった。
正体を隠さなきゃならないから、昼間は地味に地味に生きてきた。
「……でも、かわいい」
くぁwせdrftgyふじこlp……!!!
──ドォン!!!!
「きゃー!」
私の心の悲鳴に、外から聞こえた轟音と悲鳴が重なる。
なんだなんだ!
「怪物だ!」
「こんな昼間に!」
「警察呼べ!」
慌てて店の外に転がり出る。
周囲は蜂の巣をつついたような騒ぎだ。
駅前の飲食店街。
ランチタイムで人も多い。
道の向こうから、怪物がこっちに向かってくる。
大きくはないけど、太陽の光の下でも活動できる個体だ。
多分、すごく強い。
「何やってるんだ!」
腕を引かれる。
江崎係長だ。
私を追いかけてきてくれたんだ。
「逃げてください」
「一緒に逃げるぞ!」
腕を引かれる。
力強い手だ。よく見たら、腕にも程よく筋肉がついている。ちゃんと鍛えてるんだ。
焦った表情。慌てているのに、シュッとしている。
腕を引いても動かない私に、困惑もしている。
私のこと、本気で心配してくれてるんだ。
「ごめんなさい」
女らしくなくて。
きっと、あなたの好きなタイプじゃなくて。
でも。
私にはやらなきゃいけないことがある。
私がやらなきゃ誰がやる。
「私、行きます」
私が、この人を守るんだ──!
係長の腕を振り切り、怪物に向かってダッシュをかける。
「原田!」
呼ばれるけど返事なんかしてられない。
倒れた看板を持ち上げて、思いっきり投げつけた。
「ぎゃあああ!」
当たった!
周囲に視線を巡らせる。
だめだ、手頃な得物が見つからない。
「千春!」
不意に聞こえる、上空から私を呼ぶ声。
「遅いよ!」
タカシくんが飛んでいく。
その爪に握られていた刀が、落とされた。
「すまん!」
位置はドンピシャ、さすがタカシくん!
刀をキャッチして、すぐさまダッシュ。
──ガギィン!
ヤッバイ!
一瞬でも遅れてたら、私の身体はあの爪に引き裂かれてミンチになってた。
処女のままでは死にたくない!
「援護頼む!」
「任せろ!」
タカシくんの羽根爆弾が炸裂する。うまいこと怪物の足場を崩した。
怪物の身体が、小さくよろめく。
その隙を、逃さない!
左足を引いて、ぐっと腰を落とす。
──ビリっ。
またスカート破けた!
もう!
でも、背に腹は代えられない。
私が! 江崎係長を守らなきゃ!
1、2、3歩、4歩目と同時に抜刀。
「どりゃあああ!」
乙女の咆哮。
同時に刀を振り抜いた。
横一文字に振り抜いた刀の、その軌跡に沿って怪物は真っ二つに切り裂かれる。
──ドォン!
上と下の半分に泣き別れになった怪物の身体が地面に落ちる。
ああ、あれの処理すんのか。これから。
「ふう」
深く息を吐いてから、袖で刀を拭って鞘にしまった。
──チンっ。
はっ!
鍔が鞘に当たる音と同時に我に返る。
あれ、私、面頬してなくない……?
「原田?」
ギギギギギ。
そんな音がしそうなくらい、ぎこちなく振り返る。
そこにはもちろん、当たり前に、江崎係長がいるわけで。
「あの、その、私」
「怪我は!」
「へあ!?」
驚く私を尻目に、江崎係長が駆け寄ってくる。
腕を握られて、あちこち検分される。
「大丈夫です」
「本当に?」
「はい。丈夫なんで、私」
私の手を握ったまま──あ、刀を拭って怪物の血がついてる──江崎係長が深い深いため息を吐いた。
「……驚いた」
「すみません」
「原田だったんだな」
「はい」
「だから、今朝は遅刻したのか」
「まあ、そうです」
「……なんで、黙ってたんだ?」
「一応、正体は隠すように言われてまして」
沈黙。
気まずい。
「あの、手。汚れちゃいます」
「そんなこと……」
一瞬、すごく辛そうな江崎係長の顔が見えた。
でも、本当に一瞬のことだった。
なぜって、江崎係長が私を抱きしめたから。
くぁwせdrftgyふじこlp……!!!
「今度から、隠さないで欲しい」
「……ひゃい」
「あと、さっきの返事、欲しいんだけど」
「へ、返事?」
「好きなんだ。付き合ってくれ」
くぁwせdrftgyふじこlp……!!!
私の心の叫び声が聞こえたのか聞こえなかったのか。
江崎係長が小さく笑った。
「返事は?」
ぜったい、顔が真っ赤だ。
恥ずかしい。
──ぎゅっ。
江崎係長に抱きついて、その胸に顔を押し付けた。
恥ずかしいから。
顔を見られたくないから。
……だから抱きついたんだからね!
【お願い】
ちょっとでも面白いなあ、と思っていただけましたら、↓の☆☆☆☆☆に★を頂けますと幸いです。
★でも★★でもいいのです!一つでも、一つでも★をいただけましたら・・・!
その★が執筆への活力になるのです。
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