69、やっとの帰宅
私たちが家に帰ると、ドロノア家は一時騒然となった。私の姿を見たアンナは目が飛びでるほど飛び上がり、お兄様は顔から血の気がなくなり、お父様は卒倒しそうになった。
今の私の姿は貴族の令嬢とはおよそ思えない惨状である。
手首は血が滲み、膝には布が巻かれ、体中は擦り傷だらけ。転んだせいで服は泥まみれ、山中からここまで歩いてきたせいで、全身もほこりまみれだ。
対して隣に並んだイリアスはそこまでひどくない。被害があるのは服だけで、本人は至って無傷。ドジで鈍くさい私と完璧なイリアスとの顕著な違いがよく表されている。
「どうしたんですか?! その格好!?」
他のふたりより先に、ショックから立ち直ったアンナが扉の前で叫んだ。
「ちょっと色々あったのよ……」
一言で説明するには無理がある。
私が頬を掻きながらなんて言おうか迷っていると、横に並んでいたイリアスが足を踏み出した。
「侯爵。俺から全てお話します。お嬢さんは何も悪くありません。全て俺の軽率さが招いたことです」
イリアスがまるで全部自分に責任があるかのように、お父様の前に進み出る。真摯なイリアスの言葉に私ははっとする。
「そんなっ。イリアスさ………イリアスは何も悪くありません! ただ私のせいで巻き込まれただけなんです」
私が勢いよくお父様に詰め寄ると、ようやく正気を取り戻したお父様が戸惑いながらも口を開く。
「あ、ああ…。と、とにかく、ここではなんだ……。――屋敷にお上がりください。詳しくは中でお聞きしましょう」
話してる途中で落ち着きを取り戻したのか、お父様がイリアスに顔を向ける。
「ええ」
屋敷に入ると後ろにインギスを付き従え、お父様がイリアスとともに二階の執務室に上がっていく。
私はというと、その場にいた使用人の手によって早急に奥の居室に運ばれた。ソファに座った私の周りでお兄様とアンナの騒がしく指示を出す。救急道具が運ばれ傷の手当がされてる間に、お茶が運ばれてくる。
歩きっぱなしで私と同様喉が乾いているはずのイリアスには、インギスがきっとお茶を出してくれているだろう。
私は紅茶を一口すする。芳香が鼻を抜け、乾いた喉が潤されると、そこで初めてほっと息をつけた気がした。
「一体なにがあったんだ」
ぴったりと身を寄せてきたお兄様が、不安そうな顔立ちで私の手をにぎりこむ。
「そうですよ。私も聞きたいです!」
後ろに控えたアンナも身を乗り出してくる。
私は二人を相手に事の経緯を大まかに話して聞かせた。
悪党たちと戦った緊迫した場面に差し掛かると、お兄様は私の手をさらにぎゅっと握りしめ、アンナはごくりと唾を鳴らした。
「私がその場にいれば、全員叩き切ってやったものを」
悔しげに呻くお兄様に向け、安心させるようにもう片方の手を重ねる。
「――お兄様……。イリアスさ……いえ、イリアスがきちんと成敗してくれましたよ」
「お前が無事に帰ってきてくれて良かった」
私をひしと抱きしめるお兄様。私も同じく抱き返した。兄妹の抱擁が終わると、アンナが口を開く。
「それにしても、ハナ、頑張りましたね! イリアス様ももちろん素晴らしいですが、あのハナがまさか、悪党どもに立ち向かうなんて!」
「そうなのよ! すごかったんだから! アンナにも見せたかった! 普段温厚でおとなしいハナにあんな一面があるなんて」
「犬は本能的に主に危害を加える人間を嗅ぎ分けるというからな。よくやった、偉いぞ、ハナ」
称賛の目を寄せられた当のハナは、レオンと一緒になって、ソファの下で餌にかぶりついている。もちろんご褒美は骨付き肉だ。
ハナとレオンを撫でていると、イリアスが部屋にやってきた。
「イリアス様っ! あっ――。イリアス……」
イリアスの名を呼んで駆け寄るけど、ダメね、私。呼び方がすぐに戻りそうになる。
目の前まで来た私を見て、イリアスが口を開く。
「お前が叱られることがないように、事情を全て伝えておいた」
「ありがとうございます」
「お前を無事送り届けたことだし、俺はそろそろ行かないと」
「もうですか? ゆっくりしていけばいいのに……」
イリアスが首を振った。そのとき、イリアスの乱れた髪も一緒に揺れる。今回の大立ち回りのせいで、普段はきれいに整えられている髪があちこちに飛びはねている。でも顔の造作がいいせいか、ただの無造作風ヘアにしか見えない。
いつもと違う雰囲気のためなのか、胸が高鳴りそうになってしまう。
やだ、私ったら、どうしたのかしら。
「今から警備隊の所へ行くんだ。事件のことを報告しにいかないと」
ああ、そういえば、イベントの終盤でも知らせをもらった警備隊が悪党共の根城を捜索し、狐顔の部屋から人身売買の証拠を見つけたんだよね。取引した相手の名前なんかも書かれてあったから、今まで拐われた少女たちも救出され、事件は円満に解決して、イリアスのイベントも無事終了した記憶がある。
「なら、私も行きます! 拐われた張本人の証言があったほうが話もスムーズに進みますよね」
「もちろんそのほうが助かるが。でも、お前疲れてるんじゃないか? 家でゆっくり休みたいだろ?」
イリアスが優しいわ。このイベントを通して、きっと距離もぐっと縮まったのね。私のイメージ、悪女から脱したかしら。嬉しい。
「そんなこと言ったら、イリアス様、あ、イリアスもでしょう」
私がまた言い直すと、イリアスが笑った。
「慣れるのに、時間がかかりそうだな」
そのときの柔らかな笑みに私の心臓は思わず止まりそうになった。
今日で笑うの何回目よ。そんな目を細めて、嬉しそうにして笑わないで。心臓に悪いわ。キラキラオーラに押しつぶされてしまいそう。
今までの鉄仮面のような顔しか見てこなかったから、そのギャップに激しく動揺する。今までも完璧な顔立ちだったのに、さらに笑顔が加わったことにより、顔面破壊力が半端ない。
私、これから心臓発作で倒れたりしないかしら。
高鳴る心臓を気遣う私とは反対に、イリアスが軽い調子で、「ヒュッ」と口笛を吹いた。
骨付き肉にかぶりついていたレオンが「わふっ」と返事をして、駆け寄ってくる。イリアスがしゃがんで、レオンの頭を優しく撫でる。
「今日はお前も頑張ったな。偉かったな」
ゲームでは命を落としていたかもしれないレオン。本当に無事で良かった。
信頼と友情を瞳にのせて見つめ合うひとりと一匹の姿を微笑ましく見つめる。
そのとき、部屋にお父様が入ってきた。
お父様が晴れ晴れとした顔で、私の肩を掴んできた。
「良かったな、カレン。イリアス君が今回のことで、必ず責任をとりますと約束してくれたぞ」
「――ああ、はい」
お父様の熱気とは反対に私は力なく頷く。
だから、今から責任持って警備隊の所に行くんですよね。さっき、イリアスから直接聞きましたけど。
「両親の了解をとったとはいえ、一番肝心なのは本人の気持ちだろう。イリアス君の口から改めてきくと、嬉しくてな。お前たちが仲良くやっているようで安心したよ」
「はあ」
お父様と私の会話がいまいち噛み合っておらず、首を捻る。
イリアスに目を向けると、イリアスは相変わらずレオンを撫でている。でも心なし、レオンを撫でるその手の動きが早い気がする。耳もなんだか赤いし。
私の視線がじっと注がれているのに気付いたのか、イリアスがわざとらしく咳払いをして、立ち上がった。
「侯爵。俺はこれで失礼します。それでは」
一礼して、部屋を出ていく。
「あっ! 待ってください。私も一緒に!」
私は慌ててイリアスの背を追いかける。
出会ったばかりの頃、イリアスの背中ばかり追いかけていた気がする。いつも不機嫌なオーラを漂わせていた背中。
でも今は全然怖くない。
だって、あなたのその逞しい背中に守られたから。
合わさった暖かな感触が今もこの背中に残っているから。
「待ってくださーい!」
今は親しみ感じるその背を、これからは迷うことなく追いかけていける気がした。




